第8話 全ては過程に過ぎない
城内への侵入に成功した愁とオベロルスト。ここは本来、国の中心で最も厳重に守られているべき場所。しかし、外部と同様、警備は驚くほど手薄だった。何らかの策があるのかと警戒していたが、目立った動きは今のところない。
「愁、やはりこの城はおかしいな。あまりにも手応えがない」
オベロルストの低い声が、愁の思いを代弁する。愁もまた、異様な状況に警戒心を募らせていた。守るべき城内がこれほどまでに無防備だなんて、尋常ではない。
「そうですよね。目的の地下にも、もうすぐ着きますし……うまく事が運びすぎて、かえって不安です」
「ああ。こういうときは最後に何かあるのだろうな。愁、君の実力なら問題はないだろうが、油断だけはしてくれるなよ?」
「もちろんです。最後まで気を抜かずに、まずは二人を地下から救出しましょう」
建物の構造は事前に頭に叩き込んである。地下室までの最短ルートを通り、廊下の先に現れた階段を見据える。その先が目的の地下エリアだ。廊下に見える兵士はわずか二人。だが、その二人も守りというよりは、ただそこに立っているだけのように見える。
愁は迷うことなく〈縮地〉を使い、瞬時に兵士たちを峰打ちで無力化した。そして、そのまま階段を静かに降りていくと、地下の空気がどんどん重く感じられるようになっていく。無骨な石造りの壁が冷たい空気を漂わせ、窓などない廊下を照らすのは揺れる松明の光だけ。その奥から漂ってくる、鉄と血の臭いが鼻を刺す。
階段を降りた先に広がる長い廊下を進むと、左右に鉄格子の扉が並んでいる。そこはまるで地下の牢獄である。鉄格子の中を覗くと、いくつもの痩せ細ったエルフたちが囚われていた。年齢も性別も様々だが、共通しているのは彼らの瞳から希望の光が失われていること。
愁は眉をひそめた。寒く狭い部屋に押し込められ、光もなく、無惨なほどに疲れ果てた彼ら。いったい、何の罪があってここに囚われているというのだろうか。
胸糞悪い気持ちを抱きながらも、現状把握のために愁が〈気配探知〉で周囲を調べると、この地下には囚われているエルフたちの他には、メラリカとエリル、それと正体不明の三人の人族の反応があった。
「やはり地下にメラリカさんもエリルちゃんもいますね。まずは扉の鍵を壊します。一応、周囲の警戒をお願いしますね」
「了解した。よろしく頼む」
愁は手際よく〈振動〉の魔法を込めた魔石を取り出し、鉄製の鍵に当てる。途端に小さな振動が走り、錆びた鍵は音を立てて砕け散った。鉄格子の扉を開けて中に入るが、囚われたエルフたちはまるで動くこともせず、ただ無表情のまま一点を見つめている。
「オベロさん、これは一体?」
「ふむ、これは軽い精神支配だろう」
「なるほど。確かに精神支配がかけられてますね」
オベロルストの言葉に、愁は〈状態鑑定〉のスキルで周囲のエルフたちを確認すると、例外なくエルフたちが『精神支配』を受けていることが分かった。愁が不気味にもその場で微動だにしないエルフたちを避けながらさらに奥へと進み、目を凝らすと、オベロルストの探し人の少女──エリルの姿があった。小柄で愛くるしい顔立ちのその少女は、他のエルフたちとは違い、オベロルストが近づくとすぐに反応を示す。
「おーちゃん?おーちゃんなの?」
エリルは目を見開き、再会の喜びに声を弾ませると、小さな体でオベロルストを抱き上げ、ぎゅっと抱きしめた。
「おーちゃん!会いたかった!どこに行ってたの?迷子になっちゃダメでしょ!」
「いや、迷子は君だろうエリル?私は探しに来たのだぞ」
「え?そうなの?私が迷子なの?」
エリルの天然さに、愁は思わず微笑をこぼした。しかし、状況は一刻を争う。
「まったく……エリル、君が無事ならそれでいい。さて、他のエルフたちの精神支配は私が解く。愁、君は先に進んでくれ。君には救うべき人がいるのだからな」
「はい!わかりました。メラリカさんを連れてきます」
エリルの救出は果たした。残るはメラリカのみ。メラリカが捕らえられている部屋は目と鼻の先だ。意識が混濁しているエルフたちをかき分け、さらに奥へと進むと、目の前に一際厚みのある重厚な鉄製の扉が立ちはだかった。
「ここか……」
〈気配探知〉の反応では、扉の向こうに、メラリカと彼女を取り囲む三人の人族がいる。彼らの気配は弱く、力のある者には見えないが、愁は油断を禁物だと心に戒めた。ここでの判断が、彼女を救い出せるかどうかを決することになるからだ。
(メラリカさん、必ず……必ず助け出しますから)
愁は静かに決意を込め、慎重に扉へ手を伸ばした。
だが、この分厚い鉄の扉をどう突破するかが問題だった。鉄格子の鍵なら強い振動で粉砕するのも容易いが、今回は全体が鉄製で、強度も桁違いだ。幾つか方法を考えた末、愁はシンプルだが確実な策を選んだ。〈爆裂〉の魔法を込めた魔石で扉を破壊し、衝撃がメラリカに届かないよう〈物理結界〉を扉の向こう側で展開して防ぐ方法だ。
愁は扉のすぐ内側に結界を展開し、鉄製の扉に複数の魔石を設置した。静寂を切り裂く轟音とともに、爆裂〉の魔法を込めた魔石が起動し、扉は派手に吹き飛ぶ。ひしゃげた鉄片が大きな音を立てて〈物理結界〉にぶつかり、中にいる三人が怯んだ隙に、愁はその結界を解いて間髪入れずに部屋へと飛び込んだ。
〈縮地〉の力で瞬時に距離を詰め、愁は三人のうち手前にいる男に狙いを定めて刃を振るった。その一閃は、確実に仕留めるための全力だった──だが。
「──っ!なんだ!?」
愁の刃は、男が握る短いナイフで『難なく』受け止められていた。男の顔は不気味な笑った口の白い仮面に覆われ、表情はわからない。しかし、その体から発せられる静かな威圧感は、歴戦の使い手であることを告げていた。彼は愁の斬撃を受けても微動だにせず、まるでこちらの攻撃が初めから見えていたかのようだ。
男の声が、どこか掠れ、モザイクがかかったように響く。
「いえいえ、私どもなど、下の下。一部の、勇者様方には、及びません、とも」
ふわりと一歩引いた笑った口の仮面の男。その言葉は、心を読んでいるかのように、愁の胸を刺す。不気味な声色も相まって、彼とまともに会話を交わすことさえ躊躇わせる冷たさがあった。
「目的は、達しましたので、我々は、これで、失礼します」
笑った口の仮面を被った男は、一歩後退すると他の二人もそれに倣って後退した。笑みの仮面をつけた男と同じくらいの背丈の『真っ直ぐな口の仮面』を被ったもう一人の男と、華奢な体つきで小柄なため男女の判断が難しい『怒った口の仮面』の者──三人とも、まるで合わせ鏡のように動いている。
しかし、彼らの動きは不自然なほどに大きく、隙だらけだった。『あまりにも隙を見せすぎている』。まるでこちらに攻撃のタイミングを与えているかのようだ。それなのに、愁には妙な違和感があった。三人の仮面の姿勢と、わざとらしく手を挙げて後退するその仕草。それはまるで、意図的に愁を挑発しているようにも見える。
三人は愁を嘲笑うように、不気味な仮面の口を歪ませながら、ひらひらと手を振ってさらに後退していく。滑稽なまでに大袈裟な動作は、『まるで道化のよう』で、冷たく張り詰めた空間に異様な不気味さを漂わせた。
「逃がすと思うのか?」
愁は切っ先を向け牽制するが、仮面の者たちはどこ吹く風だ。
「逃がさない、ですか。ええ、ええ、そりゃあ、そうでしょう、ね。でも、いいんですか?早く、処置しなければ、彼女は、死んで、しまいますよ?まあ、貴方なら、治せる、でしょうけど。でもまあ、あくまでも、急げば、ですがね~」
その言葉に反射的に愁が振り返ると、目に飛び込んできた光景に息を飲んだ。メラリカの胸元は大きく切り開かれ、大量の失血と共に弱々しく脈打つ心臓が露わになっている。
「お前ら、メラリカさんに一体何をしたっ!!」
怒りが込み上げ、再び仮面の者たちに目を向けるが、彼らの姿は消えていた。愁が立つ場所を通らなければ他に道はないというのに、気配さえ感じさせずにこの場から消え去ったのだ。だが、今はそれを気にしている場合ではない。メラリカを救うことが先決だ。
近付き彼女をよく見ると、胸の傷はまるで何かを摘出されたかのように整然と切り開かれている。この世界に麻酔などあるはずがない。無理やり耐えさせられたのだろうか──そう考えると、怒りが愁の胸をかき乱す。
(メラリカさん……今助けますから)
愁は最上級ポーションを取り出し、そっと彼女の口元へと注いだ。すると、ポーションの効果で傷がみるみるふさがり、完治した胸元にひとまず安堵の息を漏らす。さらに、裂けた服をクラフトの能力で修復し、愁は彼女の手をぎゅっと握りしめた。
「メラリカさん!メラリカさん!目を覚ましてください!メラリカさん!」
愁の必死な呼びかけに応えるように、メラリカのまぶたが微かに動き、長い時間をかけるようにして、ゆっくりとその目を開けた。
「……愁、さん?」
そのか細い声を聞くやいなや、愁の表情が安堵に染まる。
「よかった!メラリカさん……本当に、よかった……!」
愁は、握りしめた手に力を込めた。胸に溢れる嬉しさと安堵、そして、助け出すと誓った言葉がついに現実となった瞬間に、心が温かく満たされる。『彼女を救い出した』という実感が、愁の心に深く刻まれた。
「……あの、私は一体……どうなったのですか?状況が、よくわからなくて……」
メラリカはゆっくりと体を起こし、辺りを見回した。混乱した様子に、愁の胸には嫌な予感がよぎる。彼女がこうして記憶を混濁させるほど、よほど辛い目に遭ったのではないかと。
「すみません。説明は後でします。今はここを抜け出しましょう」
愁は迷わず両腕でメラリカを抱え上げ、出口へと向かって足早に歩き出した。驚いたのか、メラリカが控えめに抗議を口にする。
「あ、あの!私、歩けます!ですから愁さん、大丈夫ですから……っ!」
しかし、愁はその抗議を頑として聞き入れない。あれほどの傷を負っていた彼女を、ポーションで治ったとはいえ無理に動かせるわけにはいかない。
「駄目です!大人しくしていてください」
「で、でも……」
「駄目です!」
諦めたのか、メラリカは大人しく愁に身を委ねる。そして愁は、メラリカを抱えたまま急いでオベロルストとエリルの元に向かう。
戻ると、広い部屋には二人だけが待っていた。捕らえられていたエルフたちの姿は、まるで幻だったかのように跡形もなく消えている。
「あれ?オベロさん、エルフの方々はどうしたんですか?」
「おお、愁。待っていたぞ。実は妙なことが起きてな。ついさっき、エルフたちが煙のように消えてしまったのだ。状況が不明だからな、愁が来るのを待っていたのだよ」
「そうだったんですね。こちらでも仮面を被った怪しい三人組が突然姿を消しました。何か関係があるかもしれませんね」
「ふむ、そうか。ところで、そのお姫様が目当ての人物か?随分大切そうに抱えているようだな。無事に連れ戻せて何よりだ」
オベロルストのからかい交じりの言葉に、メラリカは少し複雑そうな表情を浮かべるも、反論はなかった。愁もふと疑問に思う。だが、メラリカが猫のオベロルストに驚かないことなど、今は些細なことだった。
「はい、なんとか。とりあえず目的は達成しました。まずは外へ出ましょう。起こったことはその後に考えるとして」
目的は達成したが、これで終わりではない。早く城から脱出し、メラリカを安全な場所で休ませなければならない。消えた仮面の者たち、そしてエルフたちの謎も残っている。愁は仲間たちと共に上階へ向かって歩き出した。すると、ふいに胸元の服を小さく引っ張られる。
「どうしました?」
「いえ、あの……このまま外へ行くのですか?」
「当然です」
メラリカの気持ちはわかるが、無理はさせられない。万全を確認するまでは、彼女の体を守り続けるつもりだった。上階に出ると、先ほど気絶させたはずの兵士たちの姿が消え、王族や兵士、そして一般人の気配すらも消えていることに愁は気づく。異常な状況だった。
「オベロさん。何か良くないことが起こっていそうです。この城の中に人が一人もいなくなっています」
「何?それは本当か?……少し待て、今から世界を覗いてみよう」
進みながらオベロルストは自身の能力の一つである魔眼を開眼し、全てを見透かすように現在の状況を覗き始める。その瞳に宿るのは、神々さえも恐れた『世界視の魔眼』──制限されているとはいえ、元は全てを把握し、見透かす破格の力だったものだ。
愁たちが中庭に出た頃、オベロルストは現状を把握し、静かに告げた。
「愁、ここである古い禁術が行われ、城にいた人々全てが生け贄として捧げられたようだ」
「え?本当ですか?……いったい誰が」
そのとき、オベロルストはメラリカに鋭い視線を向けた。猫であるため表情は読めないが、真剣な声で告げる。
「その禁術のことを一番知っているのは、そこのお姫様ではないか?そうだろう?メラリカ嬢」
オベロルストの発言で、場に緊張が走る。メラリカが関係しているとは思いたくない。しかし、沈黙を破ったのは当のメラリカだった。
「はい。私はその禁術を知っています。そして……それを行ったのは、おそらく私の父です」
「メラリカさんのお父さんが?」
「はい。今まで黙っていてすみません。私の本名は、メラリカ・キアナ・シュトバルティア。キアナ王国の第一王女なのです」




