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クラフトマスター建国記  作者: ウィースキィ
第一部 第三章 新たなる世界 【エルセリア大陸 編】

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第6.5話 新たな指令


 『精霊王が動いた』


 その話が耳に入った瞬間から、アルバートの胸には緊張が走っていた。


 昨夜、手がかりを探るためにアルバートは〈気配探知〉や〈空間支配〉を駆使し、城内の隅々で情報収集を行った。その結果、掴んだのは驚愕すべき内容だった──精霊王ルゼは、たった『数時間』で国境の町ラストアを制圧し、キアナ王国の首都マリネアに向けて進軍中だという。


「……やはり『全統五覇』の名は伊達ではないな」


 アルバートは呟き、険しい表情を浮かべた。精霊王ルゼは、その圧倒的な力で知られる存在。特に序列二位というのは、単なる称号ではなく歴史が刻んだ恐怖そのものだった。このまま進軍を許せば、キアナ王国の首都マリネアどころか、アイラフグリス王国にも飛び火して被害が及ぶ可能性が高い。しかし現状では、上層部からの具体的な指示が来ないため動きようがなかった。


 仕方なく部屋で待機していると、扉をノックする音が静寂を破った。


「どうぞ」


 アルバートが短く告げると、扉がゆっくりと開き、右手に手紙を持ったキアナ王国の兵士が姿を現した。


「勇者殿、アイラフグリス王国からの手紙をお持ちしました。急ぎ届けるようにとのことでございます」


「すまないな。受け取ろう」


 手紙を受け取ると、兵士は一礼し、そのまま足早に去っていった。アルバートは手紙に視線を落とす。封を切り、中を確認すると、そこに記されていたのは国王セルシオからの『次なる指令』だった。その内容を読んだ瞬間、彼は苦笑を漏らすしかなかった。


「進軍する精霊王ルゼを足止めせよ、か……陛下も随分と無茶を仰る」


 指令は簡潔だが無情だった──首都の研究施設で行われている実験が完了するまで、精霊王ルゼを足止めしろというものだ。もし実験が中断されれば、重要な研究成果が失われる恐れがある。それを防ぐために、命を懸けて立ちはだかれ、と。


「どうかしましたか?」


 隣から柔らかな声が聞こえた。クミラだ。彼女はアルバートの手元にある手紙に目を留め、その内容に興味を抱いた様子だった。


「新しい任務だ」


「任務ですか?護衛だけだと聞いていましたが……内容は?」


「精霊王ルゼの進軍を足止めしろ、との命令だ」


 その言葉に、クミラは目を見開き、一瞬息を呑む。


「精霊王の足止めですか!? そんな無茶な……」


 彼女の表情には驚きと不安が滲んでいた。『全統五覇』に名を連ねる精霊王ルゼ──その圧倒的な力を持つ存在とその配下の軍に三人で立ち向かうなど、無謀そのものだと誰もが思うだろう。


「どうするんですか?」


「まずはキアナ国王に会って、その実験とやらが何日で終わるのか確認する。たった一日や二日なら可能性はあるが、一週間も足止めしろと言われたら死ぬしかない」


 アルバートは毅然と答えた。その冷静な判断力と迅速な決断は、クミラにとって『最も頼もしく、そして眩しい部分』だった。


「そうですよね……陛下の命令である以上、やるしかありませんから」


「そうだな。私は情報を集めに行く。クミラはユアと一緒に待機していてくれ」


 短い言葉を残し、アルバートは足早に部屋を後にする。彼の背中はいつもと同じように凛々しく、迷いの欠片もない。それを見送るクミラの胸には、どうしようもない『もどかしさ』が渦巻いていた。


(あんな風に堂々と前に進めたら、どれほど楽なんだろう……)


 アルバートの背中が視界から消えた瞬間、クミラは一つ息を吐いた。感嘆とともに、弱い自分への苛立ちが胸に広がる。


 部屋に残された彼女は、自然と寝室の扉へ目をやる。そこにはまだ眠っているユアがいるはずだった。扉が静かに閉ざされていることが、逆にその『静寂』を強調している。


 クミラはおもむろにソファーへ腰かける。心の奥にわだかまる感情を整理するためにも、少し独り言を漏らしたくなったからだ。


「はぁ……死にたくないな。まだ何も伝えられてないのに……」


 自分にさえ届かないほどのか細い声だった。けれど、部屋にはもう一人、静かにその言葉を聞き逃さない者がいた。


「何が?」


「うわっ!」


 突然の声に、クミラは驚き、思わず身を跳ねさせた。振り返れば、ソファーの背後からユアが顔をのぞかせている。


「ユ、ユアちゃん!驚かさないでよ!心臓止まるかと思った!」


 ユアは悪戯が成功した子どものように、にっこりと笑った。


「えへへ。ごめんね!でも、なんか深いため息ついてたから、つい気になっちゃって。それで、何が伝えられてないの?」


 ユアの無邪気な問いかけに、クミラは焦る心を隠しきれない。


「え、えっと……なんでもないよ?」


「嘘だーっ!絶対嘘!だってすごく深いため息だったし!」


 彼女の突き刺さるような純粋さに、クミラはつい観念してしまう。そして、ユアの次の言葉が、さらにクミラの心を掻き乱した。


「クミラさんも、お師匠さま狙いなの?」


「も、って事は、ユアちゃんはアルバートさんのことが……」


「好きだよ!もうプロポーズだってしたもん」


 一瞬、時間が止まったような感覚に陥る。ユアの瞳は真っ直ぐで、冗談を言っている気配はない。その言葉にクミラの頬は熱を帯び、心の奥に秘めていた思いが、音を立ててあふれ出しそうになった。


(……伝えられないままなんて、もう嫌だ。でも、怖い……)


 モジモジと俯くクミラ。彼女の胸にあるのは、長い間伝えられなかった想いだ。それは時間とともに重くなり、口を開くことさえ難しくしている。


「ユアちゃんは凄いね……素直に気持ちを伝えられて」


 クミラの声には羨望が滲んでいた。その言葉を聞いたユアは微笑みを浮かべ、嫌味に取ることもなく、真っ直ぐな瞳でクミラを見つめた。その表情は幼さを残しながらも、『決意』を感じさせるほど真剣だった。


「だって、早く伝えないとお師匠さま、いつ死んじゃうかわからないもん。危険なことばっかりして、自分を大切にしないから……私が側で見張ってあげなきゃって思ったの。それに、伝えられないまま一生会えなくなるなんて、絶対嫌だもん!」


 その言葉は鋭い刃となり、クミラの胸に突き刺さった。ユアが語る『危険』という言葉は、ただの比喩ではなかった。アルバートは数え切れないほど命を賭けて戦場に立ち続けている。クミラ自身も幾多の死線を越えてきたが、彼女の心にはいつも『伝えるべき言葉』を飲み込んでしまう弱さがあった。


(……アルバートさんにもしものことがあったら、私は……ずっと後悔する。絶対に……!)


 自分に言い聞かせるようなその思いが、今、確かにクミラの心を動かした。


「ユアちゃん!私、頑張る!アルバートさんに、好きって伝えるね!」


「うん!その方がいいよ!お互いに頑張ろうね!二人でお嫁さんになれるように!」


「う、うん……!そうなれれば、いいね」


 恥じらいながらもクミラは笑顔を浮かべる。


「なれるよ!きっと!」


 アイラフグリス王国は一夫多妻制だ。無邪気に笑い、明るい未来を夢見るユアの言葉は、実現の可能性がある未来だった。


「うん。そうだね……!」


 クミラは深く頷いた。その瞳には、今までにない覚悟が宿っている。『隠していた気持ち』が、いよいよ動き出そうとしていた。




◆◇◆◇◆◇




 一方、アルバートはアバルダ国王に謁見し、詳細な任務内容を聞いていた。


『実験に必要な材料はすでに揃った。今日か明日には実験が完了するだろう。ただ、その間に敵の進撃を阻止する必要がある』


 これがアバルダの言葉だ。つまり、戦地に赴き、『精霊王ルゼ』の猛攻を少なくとも一日、可能なら二日間ほどは防がなければならない。それは、どれほど危険な任務であるかを想像するに容易かった。


 アルバートは部屋に戻りながら、静かに思案を巡らせた。


(今回ばかりは……二人を守りながら戦うなんて不可能かもしれない。それでも、何とかしなければならない。命を懸けてでも……)


 部屋に戻ると、ユアとクミラがソファーで仲良く笑い合っている姿が目に入った。その穏やかな光景に、一瞬、彼の胸が温かくなる。しかし、すぐにその安らぎを振り払うように声をかけた。


「ただいま戻った」


「お帰りなさい!お師匠さまっ!」


「お帰りなさい、アルバートさん。話の方はどうでしたか?」


 ユアは相変わらずの笑顔だったが、クミラの態度にはどこかぎこちなさがあった。『緊張』と『覚悟』が混じり合ったような、微妙な気配だ。


「状況は確認した。時間稼ぎは一日か二日で足りるそうだ。だが、今回は特別に危険だ。二人にはその覚悟を持ってほしい」


 静かながらも重々しいアルバートの言葉に、二人の表情が一瞬引き締まる。これから向かう先は、精霊王ルゼが待ち構える『死地』──その現実が言葉にならない形で二人に突きつけられたのだ。


「ユア、クミラ、私は君たちを必ず守る。この身がどうなろうと、君たちだけは無事に帰すと誓う。だから、私を信じてついてきてほしい」


 その言葉に、ユアとクミラは息を飲む。アルバートの瞳に宿る決意の強さが、彼女たちの不安をも塗り替えた。二人の中に湧き上がるのは『恐怖』ではなく、『信頼』だった。


「もちろんですよ!お師匠さまとならどこへでも一緒に行きます!」


「私も勇者として恥じないように戦います。必ず生きて帰りましょう!」


 力強い二人の声に、アルバートは静かに頷いた。


「そうか。そうだな。共に行こう」


 その背中には、決して折れることのない強い意志が宿っていた。アルバートは二人を守ることを胸に誓い、再び歩き出した。死地へ向かうその足取りには、一片の迷いもなかった。


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