第10話 ガバレント奪還作戦 後編
爆発音が轟き、甲冑の軋む耳障りな金属音、鋭く交わる剣の激しい響きが、戦場を『地獄そのもの』として描き出していた。血と煙が交じり合う鉄臭い空気が鼻腔を刺激し、咳き込む余地すら与えない。あたりには倒れた兵士たちの無残な姿が散乱しており、その多くは命の灯火を既に失っていた。虚空を見つめる死者の目、そして肉塊となってなお痙攣する遺体。その凄惨な光景は、生者の心を容赦なく抉り取る。
スフィアはその修羅場を『何でもない日常のように』足早に進んでいくが、彼女の後をついて歩くライトとリリーニャの表情は、明らかに暗かった。リリーニャの小さな手は震え、俯いた顔からは戦場を見ないようにする必死の思いが滲んでいた。彼女の過去を考えれば、この地獄絵図を目の当たりにさせたくはない。それでも、リリーニャ自身が選んだ道である以上、避けて通ることはできない。
愁は苦い表情を浮かべながら呟いた。
「これが戦場か……酷いもんだな」
その声に反応したスフィアが少し距離を縮めてくる。
「主様は戦場は初めてなのか?」
「……ああ。本物の戦場は初めてだな。俺のいた国は平和だったからね」
彼が言う『日本』という国は、戦争とは無縁の平和な場所だった。画面越しに流れる遠い国々の争いは、どこか非現実的なものでしかなかった。人々が直接剣を交え、命を奪い合う戦争、その重さを、愁は初めて全身で感じていた。地面に転がる夢破れた命たちは、『これが正義の対立の結果なのか?本当に避けられなかったのか』と、問いかけてくるようだった。
「そうなのか。神話の時代の最終戦争はもっと酷かったぞ。それこそ、人族も亜人族も魔族も、エルフ族も星の数ほど命を落としたからな」
スフィアの平然とした口ぶりに、愁の眉がわずかに動く。
(神話の時代って……千年以上前の話だよな?スフィアは、いったい何歳なんだ?)
そう突っ込みたくなる衝動を抑え、愁は軽く肩をすくめた。
「今度その話も詳しく教えてよ。俺もスフィアに言いたいことがいろいろあるし」
「ん?もしかして愛の告白か?」
「いや、違う」
「即答か!」
狼耳をピンと立てながら微笑むスフィア。その無邪気さが、戦場の冷たい現実に一筋の温もりを与えていた。しかし、油断は禁物だった。この付近には〈気配探知〉に反応した敵の幹部、死団長のひとりが潜んでいるはずだからだ。
敵の反応を追いながら、彼らは廃墟と化したガバレントの町の裏路地へと足を踏み入れる。ひび割れた石畳や崩れ落ちた建物の瓦礫が、町が迎えた悲惨な運命を物語っていた。そのとき、リリーニャが愁の近くに寄ってくる。
「あ、あの……愁くんっ!」
「リリー?どうしたの?」
リリーニャは頬を赤らめ、もじもじと視線をさまよわせる。そして小声で囁くように言った。
「おトイレしたいの……」
リリーニャの幼い声が、殺伐とした戦場の空気に一瞬の安らぎをもたらした。
「ああ、うん。わかった。スフィアとどこかの家で借りてしてきな」
「うん!ありがとう!」
愁の言葉に、リリーニャは顔を輝かせた。スフィアと共に近くの無人の家へ向かう姿は、まるで戦火の中に咲く一輪の花のようだった。しかし、その微笑ましい光景は、数分後に一変する。
スフィアが血相を変えて家から飛び出してきた。
「主様!リリーニャが消えた!」
「は?消えたってどういうことだ?」
愁の表情が凍りつく。スフィアの声は震え、焦りがにじんでいた。
「トイレの扉の前で待っていたんだ。でも、いつまで経っても出てこないから声をかけた。それで返事がなかったから中を確認したら……いなかったんだ!」
『神隠し』。その言葉が愁の頭をよぎった。窓のない密室から忽然と消える──理屈を超えた現象だ。外からは戦場の轟音が響き渡り、その重低音が不気味な予兆のように耳を刺す。
「……くそっ!」
愁は喉の奥から湧き上がる焦燥を飲み込み、〈気配探知〉を発動させた。戦争の混乱が引き起こす喧騒の中で、多数の気配が錯綜している。だが、愁の目には迷いはなかった。リリーニャの微かな気配を掴むまで、脳裏で繰り返すのはたった一つの言葉──『見つける』。
ついに、北へ五キロほど離れた場所で彼女の存在を捉える。だが、安堵する間もなく、その気配は忽然と消えた。
「なんだ……?」
愁は息を詰めたまま、再び〈気配探知〉を巡らせる。今度は南へ八キロ離れた場所に、リリーニャの気配が現れた。
「……こんな動き、瞬間移動でもしなきゃ無理だろ!」
声が思わず荒れる。背中に汗が滲み、額には冷たい感触が滴り落ちる。その異常さに気づいたスフィアが不安げな瞳を向けた。
「主様、一体何があったのだ?」
同じくライトも焦りを抑えた様子で問いかける。
「リリーは見つかりましたか?」
愁は歯を食いしばりながら二人に説明した。リリーニャが通常ではありえない速度で転移を繰り返していることを。
その瞬間だった。
「……近い」
〈気配探知〉が捉えたのは、わずか五十メートル先。三人の視線が、自然とその方向へ向かう。そして彼らの心臓は、一斉に跳ね上がった。
そこには、気を失ったリリーニャを脇に抱えた黒いローブの男が立っていた。フードに隠れた顔は薄暗く、まるで『生ける絶望』を具現化したかのような冷え切った表情。そしてその隣には、ボロボロのぬいぐるみを抱いた金髪の幼い少女──その無垢な外見とは裏腹に、瞳には底知れぬ狂気が宿っているようにも見える。
「リリー!? お前たち、リリーに何をした!」
愁の叫びは、戦場の轟音をもかき消すほどの勢いだった。だが、黒いローブの男は、無表情で淡々とした声を返すのみ。
「このガキはボスがお探しのガキだ。見つけたからにはボスの元に連れていかなければならない。少年、悪く思うなよ」
「ふざけるな!そのまま行かせるわけがないだろ!」
愁は言葉の後に即座に動いた。〈縮地〉を用いて宵闇を振り抜く。その一閃は、寸分の狂いもなくローブの男を捉え──
「……消えた?」
確かな手応えを感じるはずだった。しかし、そこにあったのは虚無。斬撃は空を切り裂き、男の姿はいつの間にか消え去っていた。
ふと上方から声が響く。
「速いな。しかし、このガキを抱えた僕では君を倒せない。ここは退かせてもらうよ。リルア!」
「……ん」
男の隣に立っていた少女が静かに頷く。その紫がかった瞳が赤く光り、そこに不可解な模様が浮かび上がった。まるで呪われた絵画のように、不吉さが空間を支配する。その瞬間、リリーニャを抱えた男と少女リルアの姿が、霧散するようにかき消えた。
愁は即座に〈気配探知〉を発動させた。脳裏には焦燥と怒りが渦巻く。
(どこだ……どこにいる!)
だが、リリーニャの気配は七、八キロ単位で跳び回り、まるで捉えることを嘲笑うかのように動き続けた。そして──ついには町の外へと消え去り、探知範囲の限界を越えて完全に途絶えた。
「……くそっ!」
焼け焦げた空気の中、愁は拳を強く握りしめた。その手から血が滲むほどの力。苛立ちとともに、彼の瞳には焦りと絶望が浮かぶ。自分が追いつけなかったという事実が、胸に冷たい重しを落とした。
『失った』──その冷たい現実が、戦場の破壊された建物や焦げた匂いと共に、愁の心を締め付けていく。
「主様、まずは落ち着け!」
スフィアが鋭い声を上げた。その声にも、焦りが滲んでいる。普段冷静な彼女ですら、今回の異常事態に動揺していた。
「落ち着けって!? リリーが……リリーが連れ去られたんだぞ!」
愁は振り返り、スフィアに叫んだ。その表情には『自分を責める思い』が刻まれている。だが、その刹那、彼の目に不屈の決意が宿る。
「何としてでも取り戻す!絶対にだ!」
スフィアは一瞬言葉を飲み込んだ。だが、冷静さを取り戻すと低い声で言った。
「主様……あれはおそらくただの魔法じゃない。転移魔法だ」
「転移魔法だって?」
愁は驚愕した。『WORLD CREATOR』には転移魔法などの瞬間移動が可能となるスキルや魔法は存在しなかった。唯一存在するのは、吸血鬼の真祖のみが扱えるスキル〈血の契約〉ぐらいだ。しかし、それでもその効果は限定的であり、〈血の契約〉は契約者が死亡の危機に瀕した時に発動し、契約主の吸血鬼が契約者の元に転移できるというスキルであり、普段使いするには大掛かりすぎて適していない。
「ああ。転移魔法だ。今は失われたとされる秘法のひとつであり、かつて神話大戦で神々を脅かした『世界級魔法』に属する超越の魔法……」
スフィアは低く呟くように続ける。
「神話の大戦時に、その秘法を使える者たちはすべて神々に滅ぼされたはずだが、それがなぜ今……」
(そんなものが現代にあるなんて……くそ、だが今はどうでもいい!リリーを追うことが先だ!)
愁は鋭い決意を固めた。
「とりあえずリリーが連れていかれた方向に行く!ここで待っててくれ!」
「お、おい主様!一人で行く気か!」
愁はスフィアとライトの制止を振り切り、〈縮地〉で地を蹴った。その身は風のように駆け出し、〈飛行〉の魔法を込めた魔石を握る。
だが、その道の前に立ちはだかったのは、一人の男だった。
「動くな!ここで何をしている?」
鋼のように重い声が冷たく響き、愁の足が止まった。振り返った彼の視線の先には、二メートルを超える大剣を軽々と構えた巨漢──帝国軍元帥ガラドルが仁王立ちしていた。その体躯は岩のように屈強で、全身から放たれる威圧感が空気を震わせる。
「今はそれどころじゃない!退け!」
愁の叫びは焦燥に満ちていた。声は荒く、喉が焼けつくような感覚が伴う。彼は〈縮地〉でガラドルを振り切ろうと駆け出した。しかし、それよりも早く、大剣が空を裂いた。轟音が耳をつんざき、迫る剣圧が地面に亀裂を走らせる。
「ふざけるな、坊主。この俺を無視して通り過ぎるとは、随分となめられたものだな」
ガラドルの冷ややかな声が、まるで龍が獲物を見据えるような眼光と共に愁を射抜いた。その一瞥だけで、全身が締め付けられるような圧迫感が押し寄せる。
(くそっ、こいつに構っている暇なんかない!リリーが──!)
愁は歯噛みしながら目の前の巨漢を睨みつけた。その時、ライトが一歩進み出て膝をつく。
「ガラドル元帥閣下、お初にお目にかかります。私はライト・シィラビュロンと申します」
彼の声は抑えられていたが、その調子には一分の隙もなく、毅然とした敬意が込められていた。だが、その拳は強く握られており、白く変色した指先から力の入り具合が窺える。
「ほう、シィラビュロン……なるほど。お前がルズロフの息子か……なぜここにいる?貴様の家は今回の作戦に加わっていなかったはずだ」
ガラドルは興味深げにライトを見下ろした。その巨体が、まるで山のようにライトを覆い隠す。
「はい、個人的に帝国のため、賊を討ち取るべく参戦いたしました。こちらの方は、実力の乏しい私に戦う術を教授して頂いた方であり、この戦いでも助力いただいた恩人であります。決して帝国に仇なす者ではありません」
ライトの言葉は冷静そのものだったが、その内側には激しい悔しさが隠されている。彼の震える声に愁は気づき、胸が締め付けられるようだった。
冷たい風が吹き抜け、戦場に漂う血の匂いが鼻を刺す。その中で愁は、己を押し殺すように前を向いていた。だが、胸の奥で渦巻く焦りと苛立ちは止めようもなく、拳を握る力が増すたび、血の気が手の先から引いていく。
ガラドルがそんな愁を一瞥し、またライトへと視線を戻す。
「そうか。だが少年よ……先ほど町のアンデッドを全滅させた、世界級にも匹敵する大魔法を使ったのはお前か?」
ガラドルの重低音の声が鋭く響き渡った。その視線はまるで地を穿つ雷のように、愁を捉えて離さない。二メートルを超える巨体と、手にした大剣から放たれる威圧感が、空間そのものを支配している。
「いえ、俺には何のことだかわからないですね」
愁は意図的にぶっきらぼうな口調で答えたが、その声の端々には焦燥がにじみ出ていた。
(リリーがこんな状況で危険にさらされてるのに、こんな足止めを──!)
心の中で叫びながらも、愁は視線をそらさなかった。だが、その目の奥で揺らめく焦りの炎は隠せない。
ガラドルは愁を見下ろし、しばしの沈黙の後、低く笑い声をあげた。
「ふはは!ライトよ、お前の指南役はなかなか胆力のある男のようだ。俺を前にしてこの態度とは……気に入ったぞ!」
その言葉に応じるように、ライトが一歩前に出た。その動きは穏やかで冷静だったが、愁には彼が歯を食いしばっているのがわかった。ライトは膝をつき、毅然とした声で口を開く。
「はい。愁さんは、とても尊敬できるお方です」
その一言が響いた瞬間、愁はライトの握り締めた拳を見た。白く変色した指先から滲む血が、ポタリと地面に落ちていく。彼の内に秘めた悔しさと怒り、そしてそれを抑え込む必死さが痛いほど伝わる。
(ライトさんだって焦ってる……それなのに、俺は……子供みたいに苛立つだけで──!)
愁は自らの未熟さに歯噛みしながらも、ガラドルの視線を受け止め続けた。その一方で、彼の耳にはライトの静かな息遣いが届いていた。それは嵐の前の静けさのように、緊張と決意が張り詰めた音だった。
「本作戦は概ね完了だ。二人の死団長を仕留め、残りの賊も少数だ。時期に掃討が完了するだろう。喜べ、この戦、我々の勝利である」
ガラドルが勝利を宣言する中、突如、後方から一人の兵士が駆け寄ってきた。彼はガラドルの耳元に何かを囁くと、ガラドルは一瞬眉をひそめ、その後冷たく頷いた。
「そうか……ライトよ、陛下の命令だ。そこの少年とその仲間を城へ連れてこいとのことだ」
その言葉が告げられるや否や、愁の胸には新たな怒りが燃え上がった。
(また足止めか……リリーが、あんな危険な状況にいるのに!こんな無駄な時間を費やしている場合じゃないのに!)
「はっ!畏まりました。すぐに向かいます」
ライトの冷静な返答に続き、ガラドルは兵を従えてその場を去った。残された愁は、逸る心を抑えることができず、拳を強く握り締めたまま俯いた。
「すみません、愁さん。面倒なことに巻き込んでしまって」
立ち上がったライトが申し訳なさそうに言う。その声には深い自責の念が込められていた。
「いえ、俺は大丈夫です。俺こそすみません……まだまだ考えが子供でした」
「そんなことないですよ!……本当は私だって悔しい。今すぐにでもリリーを助けたいです。でも、今は……」
ライトの声が震え、愁の胸に鋭く突き刺さる。その姿に、愁は少しだけ冷静さを取り戻し、深く息を吐いた。
「陛下にリリーの捜索を助力してもらいます。リリーの力が露見する危険もありますが……このままでは、いつかは知られること。今こそ、正面から話をつけます」
「わかりました。俺にできることは協力しますので、何でも言ってください」
愁の言葉にライトは静かに頷いた。その目には、焦燥の中に確かな決意が宿っていた。三人は、帝国軍が用意した馬車に乗り込み、皇帝の待つ首都シュトンベルドへ向けて走り出した。馬車の中、愁の胸の内では、リリーニャを救いたいという一心が燃え続けていた。




