第8話 ガバレント奪還作戦 前編
約一ヶ月に及ぶ訓練が幕を閉じた。遂に決戦の火蓋が切られる。今日──ラリアガルド帝国軍は、宿敵、陸傑死団が支配するガバレントの奪還作戦を開始する。
この戦いの指揮を執るのは、帝国の英雄にして『無敗のガラドル』の異名を持つ元帥ガラドル。さらに、皇帝と彼を除けば帝国最強と名高い三大将までもが召集された。これはもはや一国を相手取るに等しい戦力であり、帝国の総力を挙げた作戦であることを物語っている。
陸傑死団は帝国軍と幾度となく戦を交えてきたが、未だにその根絶には至っていない。総帥ブレストを筆頭に、六人の死団長が鉄壁のごとく立ちはだかるからだ。しかし今、帝国軍にとって最大の好機が訪れている。総帥ブレストの行方は依然として不明。ならば、彼の不在のうちに陸傑死団の力を大幅に削ぎ取るしかない。ゆえに、この作戦には失敗の二文字が許されなかった。
そして、ラリアガルド帝国軍が集まる場所から少し離れたガバレント近郊の森。その木々に身を潜める三人の影があった。
「……すごい数ですね、ライトさん」
愁は静かに目を閉じ、〈気配探知〉を発動する。瞬く間に、膨大な気配が彼の意識に流れ込んできた。町の周囲には、約三万の帝国兵が布陣している。その圧倒的な数の前に、思わず息をのむ。
「そうですね。帝国軍の精鋭たちが勢揃いしていますからね。これほどの規模の作戦は、そうそうありません」
ライトの声音は落ち着いているが、その奥に緊張が滲んでいた。愁は再び意識を研ぎ澄ませ、帝国軍の中で突出した四つの存在を探知する。その気配はおそらくガラドル元帥と三大将であると愁は判断する。その一方、町の中にも六つの異質な気配があった。
(これが陸傑死団の死団長たちか)
さらに、ガバレントの町の内部を探知すると、陸傑死団の総兵力は約一万三千ほどであることが判明する。数の上では帝国軍が圧倒している。しかし、死団長たちは単なる数では測れない恐るべき存在であり、数だけの勝負にはならない。
「な、なんか緊張してきたよ……」
いつも賑やかなリリーニャが、珍しく声を潜める。彼女の可愛らしい猫の尻尾が小刻みに震えているのがわかった。
「大丈夫だよ。落ち着いて、いつも通り動けばいいからね」
愁は彼女を安心させるように微笑んだ。だが、彼自身も心の内では緊張を拭えずにいた。ここはゲームの世界ではない。これから始まるのは、生きるか死ぬかの戦場。多くの命が、失われる戦いが始まるのだ。
「愁さん!あれを!」
急にライトが指を差す。その先に、異様な光景が広がっていた。
ガバレントの上空に、巨大な魔法陣が浮かび上がっている。紫電の奔流が空を裂き、妖しい光が満ちる。その中心から現れたのは──二体のドラゴンだった。
漆黒に腐敗した鱗を持ち、禍々しい紫のオーラを纏うそれらは、まさに悪夢の具現。体長はおよそ十メートル。眼窩には昏く燃える瘴気の灯火が揺らめいていた。
(……アンデッドドラゴン!?)
二体のドラゴンはゆっくりと降下し、地を踏みしめる。その口からは、紫色のブレスが噴き出し、地面を焼くように広がっていく。帝国軍の魔術師たちが咄嗟に結界を張り、ブレスを防ぐが──
突如、その防御陣形を破るように、一人の男が前に出た。
銀色の重厚な鎧をまとい、二メートルを超える大剣を片手で軽々と携えた男──ガラドル元帥。
彼はドラゴンへとまっすぐ駆け出し、地を蹴る。次の瞬間、鉄壁の城壁を飛び越えるかのごとく、十メートル以上もの跳躍を見せた。
「うおぉぉぉぉ!!」
雄叫びと共に、振り下ろされる大剣。その刃はまるで雷光のごとく閃き、ドラゴンの頭頂を直撃する。轟音と衝撃波が戦場を駆け抜け、大剣の直撃を受けたドラゴンの頭蓋は一刀のもとに両断され、その巨躯が崩れ落ちた。
「ガ、ガラドル元帥閣下がドラゴンを討ち取ったぞー!!」
血まみれの戦場に、兵士の歓声が響き渡る。その声に呼応するように、帝国軍の兵士たちが一斉に鬨の声を上げた。兵士たちの中央に立つのは、巨躯の男──ガラドル。彼は血濡れた大剣を天へと掲げ、まるで天空をも震わせるかのような咆哮を上げる。
「我らが皇帝陛下に楯突く卑しき賊どもに、帝国の正義の剣は決して折れはせん!開戦だ!!命を懸けて賊を討て!!」
その雄叫びが戦場に轟いた瞬間、帝国軍の総攻撃が開始された。無数の剣閃と魔法が交錯し、戦場は一気に火蓋を切った。烈風のように駆け抜ける騎馬兵。炎をまとう魔術師の詠唱。大地を揺るがす爆裂の轟音──愁はその光景を前に、小さく息を飲む。
「あれが……無敗のガラドル……」
「皇帝陛下と共に帝国を築き上げた英雄ですからね」
ライトの言葉に、愁は僅かに拳を握る。伝説の英雄たちが躍動するこの戦場で、自分は何を成すべきか。しかし、その答えを探す間もなく、戦火はすでに彼らの元へと迫りつつあった。
──そして、戦場は混乱の極みに達する。
帝国軍と賊軍が激突する最中、突如として異様な気配が戦場を包み込んだ。腐臭が風に乗り、肌を刺すような悪寒が背筋を這い上がる。
その瞬間、愁の〈気配探知〉に異常な数の反応が現れる。
(な、なんだ……!?)
圧倒的な数の存在──その数、『約二万七千』。信じがたい数の敵意が戦場に広がる。そして、尋常ならざる数を誇る気配の正体はすぐに目の前に現れることとなる。
「まさか……アンデッドか?」
「うえー!何あれ、気持ち悪いよ、愁くん!」
眼前に広がるのは、うごめく無数の屍。かつて人であった者たちの骸骨、腐り落ちた肉をまとったゾンビ。さらには、魔獣であったものまでが歪んだ姿でよみがえり、生者の魂を求めて唸りを上げていた。
すぐに帝国軍が応戦するも、その数に押され、徐々に劣勢へと追いやられていく。
「すごいことになったな。でも、今ならガバレントの中に入れる。行こう!」
混乱の中、愁はライトとリリーニャをかばいながらガバレント内部への潜入に成功する。しかし、ガバレントの中に入ったはいいが、目的地である冒険者ギルドへ向かう途中で、大量のアンデッドに包囲されてしまった。
「ど、どうしよう……数が多すぎるよ!」
「大丈夫、ここは任せて」
愁は静かに目を閉じ、雑念を払い、神経を研ぎ澄ます。そして、次の瞬間──黄金の光が彼の体から溢れ出した。それは燦然たる輝きを放ち、彼の右手に顕現したのは、一振りの聖剣だった。
「アンデッド相手なら、聖剣ガラティンだよな」
陽光を浴び、神々しい輝きを纏う聖剣。その刃が、まるで神の意志を宿したかのように輝いていた。愁は聖剣を掲げて、スキル開放の言葉を紡ぐ。
「聖剣ガラティン、スキル開放──〈断罪の聖光〉」!」
愁の声が轟くと同時に、剣から放たれるのは、太陽の如き浄化の閃光──その瞬間、世界が光に包まれる。瞬きをする間もなく、広がった聖光は周囲のアンデッドを飲み込み、次々と浄化していく。骨も、肉も、呪われた魂すらも塵となって消え去った。
やがて光が収まり、戦場には静寂が訪れた。
「あれだけのアンデッドを……一撃で……」
ライトが息を呑み、絶句するが、リリーニャは呑気に「すごーい!」と興奮気味に手を叩いていた。
愁はゆっくりと息を整え、光の消えた剣を見つめ、周囲の確認を行う。そして、一定距離内のアンデッドが殲滅できたことを確認すると、表情を緩めてライトとリリーニャに視線を向けた。
「行きましょうか」
道は開かれた。彼らの目的地、冒険者ギルドへ向かうための道が。しかし、運命は、更なる試練を用意していた。
冒険者ギルドへと向かう途中、広場へ足を踏み入れた瞬間──
「……止まってください」
愁は片手を上げ、ライトとリリーニャを制止する。
「愁さん?どうかしましたか?」
「……何かが来ます。相当な大物ですよ……!」
愁の〈気配探知〉に映るのは、尋常ならざる威圧感を持つ存在だった。その力の質は、これまでの敵とは異なる。ただのアンデッドでもなければ、上位のアンデッドというわけでもない。
(これは……死団長か)
愁は警戒を強めながら、視線を巡らせた次の瞬間、町の屋根の上に人影が現れた。
「……上か」
フードを目深に被ったその影は、笑みを浮かべながら七メートルの高さから、音もなく降り立つ。まるで重力すら無視するかのような軽やかな着地だ。
口元には、歪んだ笑みを浮かべ、小刻みに体を震わせながら不気味に笑っていた。
「ひひっ!お前、すごいなぁ。あ、アンデッド、あんなに、い、いっぺんに。でもでも。ぼ、僕のコレクションはもっと凄いんだぞ!」
不気味な口調の男が両手を掲げ、呪文を紡ぐ。
すると──上空には二つの巨大な魔方陣が浮かび上がる。その魔法陣は、ガバレントの大門前で二体のドラゴンを召喚した魔法陣と同じだった。
魔法陣の光が激しく瞬き、やがて闇を孕んだ漆黒の巨影がその姿を現す。
先ほどのドラゴンの二倍はあろうかという巨大な竜だ。その体躯は漆黒に染まり、ギラギラと燃え盛るような真紅の双眸が愁たちを睨みつけている。そして、もう一方の魔方陣から姿を現したのは──
体長四メートルほどの、首のない異形の存在だった。それはやせ細った体に病的に白い肌、法衣のような衣服を身に纏い、天使を思わせる純白の翼を生やしながら、その身を半透明の結界に包んでいる。
「天使……なのか?それにしてもでっかいな、あのドラゴン」
愁が呟いた瞬間、周囲に漂っていた死の気配が渦を巻き始める。先ほど聖剣ガラティンのスキルで消え去ったはずのアンデッドたちが、次々と現れ、あっという間に三人を囲んでいく。
「ライトさん、リリー。周りのアンデッドは任せます。俺はあのドラゴンと天使みたいな奴を相手にしますので」
「愁さん!あれはおそらく第一死団長のネルフェですよ!ブレストの次に強いとされる危険な男です!」
ライトの声が、緊張を帯びる。
(……陸傑死団の幹部で一番の実力者か。しかもあの男……死霊術師か)
愁は宵闇を構え、ゆっくりと息を吐く。静かに目を細め、周囲の異様な気配を探る。
目の前の男──ネルフェは狂気に満ちた笑みを浮かべながら、戦場全体に響き渡る甲高い声で叫んだ。
「ひひっ! 僕の最高傑作、見せてあげるよぉ……!」
その瞬間、戦場の空気が歪み、狂気と殺意が渦巻く異界へと変貌する。
(召喚されたアンデッドの質が桁違いだな……特にあのドラゴン、危険すぎる)
愁は〈鑑定の魔眼〉を使用し、異様な存在感を放つアンデッドドラゴンに視線を向けた。
**
ネーム:ハルザドルド
レベル:95
種族:竜王
ジョブ:殺戮の竜王
スキル: 魔法完全耐性 物理耐性強化
**
(魔法完全耐性……最悪だな)
ハルザドルドはただのアンデッドドラゴンではない。竜王という種族だけでも十分な脅威だが、魔法を一切受け付けない能力を持つという事実が愁にとって最大の障害となる。
本来、愁は生産職の『クラフター』であり、直接戦闘には向かない。そのため、鍛え上げたクラフトスキルを駆使し、初級魔法を込めて行使することが可能な魔石や魔剣を用いた戦闘スタイルを取っている。だが、魔石が無効ならば、魔剣や聖剣に頼るしかない。しかし、それらは使用回数に制限があるため、長期戦になればなるほど不利だった。
(ハルザドルドだけならまだしも、ネルフェ、それにあの首なしの天使もいる……この状況は、かなり厳しいな)
「なんとかやってみます! ライトさん、リリー! 自分の身を最優先に守りながら、人型アンデッドの相手をお願いします!」
内心の焦りを悟られないようにライトとリリーニャへ指示を出し、愁はハルザドルドへ向かおうとした──その時。小さな手が愁の腕を掴んだ。
「愁くん……絶対に死んじゃ駄目だからね? ちゃんと戻ってきてね?」
リリーニャが真剣な瞳でこちらを見つめていた。
「うん。大丈夫。約束するよ」
愁は優しく微笑みながら、小指を差し出す。リリーニャは不思議そうに首を傾げた。この世界では『指切り』での約束という概念がないからだ。
「これは俺の故郷での約束の儀式みたいなものなんだ。これで約束は結ばれたよ。嘘ついたら針を千本飲まないといけない約束」
「は、針を千本も……!うん! 分かった!それなら絶対に守ってくれそう!リリーも ライトと二人で頑張るね!」
互いの小指を結び、愁は決意を新たにハルザドルドへと向かう。
(まずは様子を見るか……)
愁は即座にクラフトの能力で炎の力を宿す魔剣『レーヴァテイン』を作成した──が、その瞬間。ハルザドルドの巨大な爪が空を裂き、愁へと迫る。
(速い……!)
巨体に似合わぬ驚異的な速度。愁は〈縮地〉で後方へ跳ぼうとしたが──それよりも早く、鋭利な爪が空間を切り裂いた。
「──ッ!」
咄嗟に〈守護者の聖域〉を展開する。しかし、ハルザドルドの一撃は結界ごと愁を吹き飛ばし、十数メートル先の建物へと叩きつける。
「ぐっ……がぁっ……!」
激痛が全身を駆け巡る。口内に広がる鉄錆びた味──血だ。視界が滲むが、倒れている暇はない。愁は素早く空間を裂くようにしてエンドレスボックスを開き、ポーションを取り出し、一気に喉へ流し込んだ。
(……なるほど、まともに食らうとこんなもんか。二度と食らいたくないな)
痛みに耐えながら、愁は立ち上がる。
「あのドラゴン、思った以上に速いな……なら」
愁は〈縮地〉を連続発動し、ジグザグに動きながらハルザドルドへ肉薄していく。
上下、左右、斜め──あらゆる角度から接近を試みることで、ハルザドルドの反応を遅らせる。そして愁は一気に上空へと舞い上がった。
「──これで、終わりだ」
落下と同時に、魔剣『レーヴァテイン』のスキルを解放する。
「レーヴァテイン、スキル開放──〈焦土の絶叫〉!これで……どうだっ!」
轟音と共に爆炎が奔流となり、ハルザドルドを包み込んだ。空を焦がす紅蓮の獄炎がその巨体を呑み込み、灼熱の嵐が巻き起こり、同時に獣のような咆哮が戦場に響き渡る。肉の焼ける匂いと共に、ハルザドルドの体表が赤熱し、膨大な熱量に皮膚が裂け、焦げ、黒煙が立ち昇る。
その隙を逃さず、愁は宵闇の漆黒の刀を抜刀した。
刃が閃き、夜の闇を切り裂くような宵闇の軌跡が、ハルザドルドの太い首を横一文字に薙ぎ払った。
瞬間、時間が止まったかのような静寂が訪れ、巨体がゆっくりと崩れ落ちる。切断面からは黒い血が噴き出し、震えるように痙攣しながら、ハルザドルドは地面に沈んでいった。
断末魔の叫びと共に、巨大な竜の生命が終焉を迎える。
愁は軽やかに着地し、その姿を慎重に見つめた。
(……死亡表記。これで、確実に終わったな)
『WORLD CREATOR』のシステム上では、ステータスに『死亡表記』が出た以上、通常の手段では蘇生ができない──そのはずだった。
愁は宵闇を収め、燃え盛る戦場を背にネルフェと天使のアンデッドがいる方へゆっくりと歩みを進める。
「……次は、ネルフェと天使のアンデッドか」
だが、その時。突如、前方から奇妙な音が響いた。まるで、言葉にもならない異形の呪詛のような甲高い奇声だ。
愁が声の方へ視線を向けると、ネルフェの側に控えていた天使のアンデッドが白い翼を大きく拡げ、何と発音しているのかすらわからない奇声を放っていた。それはまるで、何かの術を発動するための詠唱のように不気味で、愁は警戒を強める。
翼を大きく拡げ、不可解な奇声を発しながら、天使のアンデッドは詠唱を続ける。すると、天使のアンデッドから白い光の波動のようなものが放出され、その波動はハルザドルドへ向かっていく。そして、その光がハルザドルドの死体を包み込む。
──次の瞬間。
見る見るうちに、ハルザドルドの切断された首が繋がり、焼き尽くされたはずの肉体が修復されていく。ほんの数秒でアンデッドとしての元の姿を取り戻したハルザドルドは、荒ぶる咆哮を上げ、何事もなかったかのように起き上がり、愁を恨めしそうに鋭く睨みつけた。
「……うっそだろ! なにそれ! 反則だろ、あの首なし野郎!」
衝撃的な光景に、愁は即座に〈鑑定の魔眼〉を発動し、天使のアンデッドを確認する。
**
ネーム:アリユス
レベル:93
種族:天使
ジョブ:堕天使
スキル: 癒しの奇跡 聖域結界
**
(くそっ……先に確認しておくべきだった)
今さら後悔しても遅い。先に倒すべき相手はハルザドルドではなく、天使のアンデッド──アリユスの方だったのだ。しかし、今からアリユスを狙うのは不可能だった。目の前にはルザドルドが立ちはだかる。迂闊に視線を逸らせば、今度こそ致命傷を負うだろう。
愁は素早く後方へ跳躍し、周囲の状況を確認する。
「……これはまずいな」
ライトとリリーニャの姿が遠目に見えるが、彼らも大量のアンデッドと交戦中で助力は期待できない。
愁は奥歯を噛みしめる。
(ハルザドルドを倒す方法自体はある……だけど、あの隙のない動きの前では発動に時間がかかりすぎる)
その時だった。
「なんだ……っ!?」
──鋭い殺気が届いたが、わずかに反応が遅れる。
愁は反射的に咄嗟に身を捻り、振り下ろされる斬撃を紙一重で回避する。しかし、鋭い刃が首筋をかすめ、血が一筋滴る。
「ひゅー! 今の避けんの?」
軽薄な声音が戦場に響く。
そこにいたのは、二刀の剣を手にした男だった。黒衣を纏い、ニヤニヤと笑いながら、剣についた愁の血を舌で舐める。その仕草に愁の脳裏にある名前が浮かぶ。
(こいつ……ライトさんが言ってた第六死団長のフレディールか)
話に聞いた特徴と一致する。一般の盗賊とは違う存在感もそうだが、二刀流の剣術、そしてその不気味な笑み。愁は目を細め、即座にフレディールに対して〈鑑定の魔眼〉を発動した。
**
ネーム:フレディール
レベル:92
種族:人族
ジョブ:暗殺者
スキル: 隠密
**
(やはりこいつがフレディールか。まずいな……この状況で別の死団長まで相手にしなきゃならないのか)
愁の背筋を冷たい汗が伝う。焦燥が心を蝕む中、荒れ果てた戦場に立つ自分の姿が、まるで死地に追い詰められた孤狼のように思えた。
四方を覆う炎の渦が、不吉に揺らめく。燃え崩れる建物の残骸が轟音を立て、空には黒煙が幾重にも重なり合う。その混沌の只中に、二つの異形が佇んでいた。
一体、どうすればこの地獄のような状況を突破できるのか。目の前の敵はあまりにも多く、あまりにも強大だった。
(……だが、ここで引く選択肢はないな)
愁は深く息を吐き、宵闇を構え直した。戦場の炎が黒い刃に映り込み、わずかに鈍く光を放つ。その瞬間、目の前の敵が動いた。
フレディールの動きは音もなく、影のように滑らかだった。
(こいつも高レベルだな。スキルは単体だけど、隠密のスキルは厄介だ。さっきの一撃、気付くのが遅れたのは、このスキルのせいか)
考える暇さえ与えられない。次の瞬間には、ハルザドルドの咆哮が戦場を揺るがし、漆黒の炎が愁を呑み込まんと奔る。
「くそっ!」
愁は〈縮地〉を発動し、寸でのところでその猛炎を回避する。しかし、避けた先にはフレディールの姿があった。
(避ける方向を読まれていた──!)
愁が地を蹴るより早く、剣閃が迫る。宵闇を抜刀し、その攻撃を捌くが、力の差は歴然だった。衝撃が腕に響き、体勢が崩れそうになる。
さらに、背後から獣じみた唸り声。ハルザドルドの爪が空を裂き、愁へと振り下ろされる。寸前で〈縮地〉を発動し、再び攻撃を回避するが──
「──ッ!」
またもや回避した先にフレディールが待ち構えていた。悪夢のような連携。しかも今回は体勢が悪く、確実に避けることができない、そう判断せざるを得ない状況へと追い込まれていた。
(やばい……!よけきれない!)
冷たい刃が肉を裂く寸前──
──ガキンッ!
甲高い金属音が響いた。二振りの剣がフレディールの攻撃を阻み、その場に火花が散る。
何が起きたのか、その状況を把握するよりも早く、生まれた隙を活かして愁は瞬時に間合いを取る。敵の間に挟まれぬよう動き、そこで息を整えるのと同時に、背後に感じる頼もしい気配に向かって声をかけた。
「……スフィア!」
愁の窮地を救ったのは、血のように赤く染まった刀身のコピスを持つスフィアだった。両手に構えたコピスが、微かに揺れる炎を映して煌めく。獣のような鋭い視線が、フレディールを真っ直ぐに射抜いていた。
「どうしてここに?」
「どうしてじゃないぞ!主様!こんな危険なところに一人で行くなんて、何かあったらどうするつもりなのだ?」
背中合わせに立つ彼女の声には、珍しく怒気が含まれていた。普段の彼女からは想像もつかないほどの苛立ちが、その口調から滲み出ている。
「一応ライトさんとリリーニャもいるんだけど……」
言い訳じみた言葉を発した瞬間、背中にコピスの柄が軽く当たる。
「そういうことを言ってるんじゃない!どうして我を頼らないのかと言っているのだ!我では足手まといということなのか?」
スフィアの怒りは本気だった。愁としては、彼女を危険に巻き込みたくないという意図だったが、スフィアからすれば、それは信頼されていないことと同義だったのだろう。
「ごめん。悪かったよ、スフィア。正直、さっきはすごく助かった。後でちゃんと謝らせてくれ。でも今は協力してほしい」
「ふん!最初からそう言えばいいのだ。こんなにボロボロになって……後で色々としてもらうからな!」
何を要求されるか分かったものではないが、今回は愁が悪い。先のことは後で考えるとして、今は目の前の敵を片付けるのが最優先だった。
スフィアが加わったことで、戦況はわずかに傾いた。
(これで、あの方法を試すことができる──)
愁は宵闇を構え直し、深く息を吸い込んだ。スフィアもコピスを握り直し、視線を鋭くする。
「よし。それじゃあ『第二ラウンド』開始だ!」




