第45話 新たな希望
闇が去った後――広場には、先ほどまでとは明らかに異なる空気が流れていた。
つい数刻前まで渦巻いていた怒号と混乱は、嘘のように静まり返っている。人々は空を見上げ、あるいは演説台を見つめ、言葉を失っていた。
そこにあるのは、恐怖ではない。畏れと――微かな希望。
絶望の化身と呼ばれた存在を打ち破り、なおも笑顔で立ち続ける少女。クオーレ。彼女の存在そのものが、先ほどまで崩れかけていた心の均衡を、再びかろうじて繋ぎ止めていた。
無論、それがすべてではない。
人々の胸を締め付けていた負の感情の大半は、あの闇と共に消え去っていた。まるで、誰かが意図的にそれらを引き受け、連れ去ったかのように。
だが、その事実に気づく者はクオーレ以外にはいない。ただ、結果だけが残る。
――静寂。そして、その中で。
「……クロちゃん……」
クオーレが、小さく呟いた。
その声は風に溶けるほどか細く、それでも確かに祈りの形をしていた。両手を胸の前で重ね、目を伏せる。今もなお、彼女は国中の空を覆う大規模な結界を維持し続けている。
空では、絶え間なく飛来する魔物の攻撃が、光の膜に弾かれ、散っていく。だがその輝きは決して盤石ではなく、時折揺らぎを見せて、微細な亀裂が走る。
それでも、クオーレは止めない。ただ、ルミナスを守るために、絶対にあきらめない。
そして、その隣に、メイディアが立つ。黄金の髪を風に揺らし、彼女は一歩前へと踏み出した。その瞳には、先ほどまでの迷いはない。あるのは、覚悟だけ。
「……皆さん」
静まり返った広場に、凛とした声が響く。
「王家は、ここにいます」
一つ、一つ、言葉を噛みしめるように。
「私たちは逃げません。最後まで、この国と、皆さんを守り抜きます」
短く、だが強く。
「――必ず、守る。このルミナスを、守り抜きます」
その宣言は、決して派手なものではなかった——けれど、今度は確かに届いた。人々の胸の奥に、微かな火を灯すように。
だが――現実は、変わらない。戦況は、むしろ悪化していた。
王都の外縁。さらにその先。ルミナスの各地で、地上部隊は押し込まれている。
ケイオス魔道国の軍勢と、無数の魔物たち。それらは全方位から侵攻し、ルミナスを包囲しながら、確実に本土へと迫っていた。防衛線は後退し続けている。このままでは、いずれ――ルミナスは飲み込まれる。
「……っ」
広場の一角で、リリーニャが唇を噛んだ。
視線は、遠くの空ではない。自分の手の中にある、小さな魔法石。脳裏に蘇るのは、大好きな人とのある日の会話。
――何かあったら、助けを呼んで。
愁の、穏やかな声だった。
「……っ、そうだ……!」
決意が宿り、リリーニャはすぐに魔法石を起動させた。
淡い光が灯り、次の瞬間――映像が結ばれる。そこに映ったのは、黒髪の少年。整った顔立ちに、鋭い黒の瞳の八乙女 愁。リリーニャの憧れの人。大好きな人。
「……璃里?」
その声は落ち着いていたが、瞬時に違和感を察したのだろう。表情が引き締まる。
「何があったの?」
「愁くん……!」
リリーニャの声が震える。だが、迷いはない。
「お願い……助けて……!みんなを……ルミナスを、助けて!」
その一言に、全てが込められていた。
愁は、僅かに目を細める。その横で、影のように寄り添う存在――シャドーが、愁に何かを耳打ちする。
それは短い報告。シャドーが率いる諜報部隊『影の旅団』が得た全ての情報を必要な個所に絞り、要約した内容。だが、愁が今のルミナスの状況を理解するには、それで十分だった。
「……なるほどね」
愁は小さく息を吐くと、再びリリーニャを見る。
「もちろん助けに行くよ。すぐにでもね」
即答だったが、その次の言葉は、冷静だった。
「でも、国家に介入するなら正式な許可が必要なんだ。手順は間違えちゃいけないからね」
視線が、わずかに鋭くなる。
「今の状況なら、クオーレさんかメイディアさんから、俺が介入する許可を取れる?」
「……うん!すぐに聞いてくるから待ってて!」
迷わない。リリーニャは強く頷くと、その場で飛行魔法を使用して飛び上がった。風を切り、一直線に演説台へ向かい、着地と同時に、二人の前へと駆け寄る。
「お願い!」
息も整えず、叫ぶ。
「クオーレ、メイディアさん!愁くんが助けに来る許可を頂戴!」
突然の申し出に、メイディアは一瞬、目を見開く。
愁――メイディアは、その名に覚えがない。だが、彼女はリリーニャの瞳を見た。必死で、真っ直ぐで、揺るがないその光を。そして――
「……分かりました」
迷いは、消えた。
「ルミナス王家として、魔術王シンに代わり、メイディア・シンが正式に許可します」
その言葉は、確かな重みを持っていた。
リリーニャは頷いて、すぐに魔法石へ向き直る。
「愁くん!許可、もらったよ!」
「了解」
短い返答。
「すぐに行く」
それだけ言って、魔法石による通信は途切れた。
だが、その一言で十分だった。リリーニャの胸に、確かな希望の光が灯る。
「……燈璃!」
リリーニャが振り向くと、そこには、既に覚悟を決めたもう一人の少女がいた。
「ルミナスのために戦うよ!」
声が響く。
「――あたしも戦う!」
燈璃が応える。
二人は目を合わせ、小さく頷く。次の瞬間——燈璃の身体が、光に——いや、紅蓮に輝く炎に包まれた。
小さな少女の姿は、紅蓮の炎の中で膨張し、歪み、変質する。人の形を捨て、本来の姿――紅蓮の竜王へと。
紅蓮の巨大な翼が広がる。燃え上がるような鱗が煌めく。天を焦がす炎の気配が顕現する。圧倒的な存在感が、広場を満たした。
リリーニャは、運命の杖に祈り、その姿をピンク色の魔法少女のような煌びやかな姿へと変身させ、燈璃の背へと軽やかに飛び乗り、高みから、見下ろす。
突然現れた紅蓮の竜王に驚愕するメイディア、そして、民衆を。しかし、不思議とそこに恐れはなかった。
「愁くんが来るまで――」
リリーニャの声が、空へと響く。
「私たちが、みんなを守るから!」
その言葉に、リリーニャ自身が、わずかに驚いていた。
(……私……)
かつての自分なら、足がすくみ、動けなかったはずだ。恐怖に縛られ、何もできなかったはずだ。
だが今は違う。クオーレのために。メイディアのために。そして――信じているから。愁が、来てくれると。
その確信が、彼女を強くしていた。
紅蓮の翼が、大きく羽ばたき、轟音と共に、巨竜が空へと舞い上がる。その背に立つ少女の姿は――まるで、一人の英雄のように人々の目に映った。
人々は、見上げる。絶望の中に現れた、新たな光を。
クオーレが守り。メイディアが導き。そして今、リリーニャと燈璃が戦う。
希望は、まだ消えていない。その確信が、広場に静かに広がっていく。
嵐の中心で。物語は、次なる局面へと進もうとしていた。
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