第39話 光と闇
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葬霊の鞘と銀の月 ―百年戦争の残滓― 〜神を喰らう魔剣と、奇跡を紡ぐ少女〜
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大魔法国家ルミナス。
白亜の塔が幾重にも空へ伸び、空気そのものが淡い魔力の光を帯びている国。街路には魔法灯が昼でも輝き、行き交う人々の足取りは軽い。幾重もの守護結界が重なり、外敵を拒むこの国は、同時に『世界に愛され、支配の神に疎まれる王家』の象徴でもあった。
その王都を見下ろす小高い丘。夏の爽やかな風が、柔らかく草を揺らしている。
「ふふーん♪」
鼻歌混じりに石畳を蹴り上げるように歩くのは、クオーレだった。
金色の髪が陽光を受けて輝き、澄み切った蒼い瞳はどこまでも無垢だ。黒い三角帽子に赤いリボン。軽やかなローブの裾がひらりと舞う。
数日前、魔法学校の野外演習で起きた魔物の襲撃事件。
そこでは、妹のメイディアと友人であるリリーニャ、燈璃、そしてクラスメイト達が命の危機に瀕した。
メイディアの絶体絶命の瞬間、世界に導かれたクオーレは、間に合った。
クオーレは笑っていた。血に濡れた妹を抱き上げながらも、絶望など一片も宿さず。いつものように優しい笑みで、メイディアを包み込んだ。
メイディアは今、中央医療院で療養中だ。最も傷が深かったが、回復は順調であるという。このままいけば、数日後には後遺症もなく退院できる見込みだと医師団は太鼓判を押していた。
「よかったわ、本当に」
呟きは、風に溶ける。
クオーレが丘の上へ辿り着くと、そこに先客がいた。
陽光の中にあってなお、そこだけが影のように沈んでいる。すらりとしたビジネスマンのような輪郭。だが全身は闇で構成され、目も鼻も口もない。ただ『人型の闇』が立っている。
「あ、クロちゃん♪」
クオーレの弾む声に、闇がわずかに揺れ、振り返る。
「……また一人でほっつき歩いてんのかよ」
低く、少し呆れた声音。何度注意しても、クオーレは自由気ままに出掛ける。そんな危機感のなさに対する呆れだった。
「もう一人じゃないわ!クロちゃんがいるもの♪」
迷いも疑いもない即答が返ってくる。まるで最初から会いに来たかのような言い方である。
「はいはい」
いつも通り軽く受け流しながらも、チェルノボーグは視線を逸らした。
――この場所に来ると思い出す。
まだ『名前』すらなかったあの頃。神話大戦終結後、数百年が過ぎたとある日。
世界中の負の感情が、ひたすらに凝縮され、蓄積された存在として、闇の塊は在った。
怒り。嫉妬。憎悪。絶望。戦争で死んだ者の怨嗟。裏切られた者の悲鳴。理不尽に奪われた命の嘆き。それらが行き場を失い、澱のように集まり、やがて形を成した存在。
心はなかった。ただ、憎しみだけがあった。
理由もなく世界を憎み、理由もなく人類を呪い、やがて飽和し、爆ぜて厄災となるはずの世界の『排泄物』、その臨界点が、ここだった。
闇が膨れ上がり、空が軋み、世界が軋む。そのとき現れたのが、一人の魔法使い。白衣を翻し、どこか飄々とした笑みを浮かべる男。
「僕はね、ココロンと言うんだ」
そう言って、魔法使いココロンは闇の塊へ問いかけた。
「だから何だ」
闇の塊が答えると、ココロンは絶望の塊を前にしているにも関わらず、穏やかでにこやかな表情で言う。
「君は世界の排泄処理として存在するだけでいいのかい?」
その時、初めて、自我が揺れた。
「……違う」
それは叫びだったのかもしれない。
「人類も世界も、勝手なことを俺に押し付けるな。俺は俺でありたい」
闇の意志を聞いたココロンは楽しげに笑った。
「ならば、君の存在を成すその負の感情を『力』に変換する術をあげようじゃないか」
その瞬間、ココロンが持つ杖が光り、魔法が施される。
憎悪が、破壊衝動が、純粋なエネルギーである魔力へと転じる回路が構築されていく。自我を保つ余裕が生まれていく感覚に、闇の塊は驚愕していた。
「それとせっかくの門出だ。君に名をあげよう。そうだね……黒い神――チェルノボーグという名をね」
その瞬間、ただの化け物は一つの『存在』となった。
それからおよそ百年。負の感情に飲み込まれることはなくなったチェルノボーグだったが、その存在はまだ不安定だった。
およそ千年もの間、蓄積された負の感情の力は膨大だ。魔力へ変換する術は得たが、制御は未熟であり、再び負の感情に飲まれ、暴走しかけたとき――小さな太陽に出会った。
幼い少女が、丘の上で、風に金色の美しい髪をなびかせ、無防備に近づいてきた。自我を失いかけて、うずくまる闇の塊の元へと。
「あら?あなた、泣いてるの?」
闇に、涙はない。そんなものは流れない。だが彼女は、たしかに『泣いているの?』と、そう言った。
その幼い少女こそ――クオーレ。世界に愛され、太陽に祝福され、無意識に神の位を得た、人類の理の外にいる、規格外の存在。
彼女は、闇に触れた。恐れも嫌悪もなく、まるで親しい友人に寄り添うような優しさで。
「泣かないで?……そうだ!私とお友達になりましょう?私、あなたとお友達になりたいわ!」
その言葉が、どれほどの奇跡だったか。
世界中の憎悪の結晶に、純粋なる『肯定』を向ける存在。クオーレはまさに、太陽の如き、光だった。
「クロちゃん?」
クオーレの問いかけで、現実へ引き戻される。
「どうしたの?ぼーっとして」
「……別に」
短く返す。
クオーレは隣に並び、街を見下ろした。
「ねえ、クロちゃん。メイディア、もうすぐ退院できるのよ」
「知ってる」
「よかったわ。本当に。あのとき間に合わなかったらって思うと、ちょっとだけ怖かったの」
『ちょっとだけ』。その言い方が、実に彼女らしい。
「……怖かったのか」
「ええ。でも大丈夫。だって、クロちゃんもいるし、みんなもいるもの」
疑いなく、そう言うクオーレに、チェルノボーグは闇の奥で、何かが微かに揺れるのを感じた。
彼は知っている。ドミナトルの悪意も。世界の裏で蠢く支配の気配も。だが、目の前の少女はそれに気づかない。
クオーレには、あらゆる悪意が、絶望が、人が持つ負の感情が、まったく見えていない。
それでも。いや、だからこそ——
「……クオーレ」
「なあに?」
「お前は、世界に愛されすぎだ」
「ふふっ、そうかしら?」
「ああ。だからこそ、狙われる」
沈黙。だがクオーレは、にっこりと笑った。
「大丈夫よ。クロちゃんがいるもの」
その言葉は、何度も聞いたが、何度でも闇の中に芽生えた胸を打つ言葉だった。
かつて爆ぜるはずだった闇は、今、丘の上で少女の隣に立っている。
世界も人類も憎んでいた存在が、ただ一人を守るために存在している。
夕陽が街を黄金に染めていく。今日のルミナスは平和だったが、遠くで戦の足音が近づいていることを、負の感情に敏感なチェルノボーグは感じていた。
(嵐が来るな……)
闇の奥で、静かな決意が灯る。
何者かが再び彼女と彼女の日常を脅かすなら、今度は、自分が災厄になる。
——クオーレの敵にとっての、厄災に。
「クロちゃん?」
「……なんでもねえよ」
風が吹く中で、光と闇が並んで、王都を見下ろしていた。
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