第4話 リリーニャの過去 後編
村の惨状は、まさに地獄絵図だった。
護衛の兵士たちは三人とも無惨に殺され、首のない死体が血溜まりの中に転がっている。村の建物は無惨に破壊され、いまだ燻る炎が焼け焦げた木材を舐めるように赤黒く揺れていた。あちこちから黒煙が立ち上り、嗅覚を刺激する焦げ臭さが村を覆い尽くしている。そして、村人たちは無力なまま縄で縛られ、一箇所に集められていた。その顔には恐怖と絶望の色が濃く刻まれている。
ライトは震える足に力を込めた。戦えるのは自分しかいないことを理解した。今この場で立ち上がらなければ、村人たちは全員殺されてしまう現実を。
心臓が早鐘のように鳴る。喉がひどく渇く。
現在、村にいる盗賊は五人。この数ならば、まだ勝算はある。そう自らに言い聞かせるようにして、ライトは震える手で腰の剣を抜いた。
ライトは実戦で剣を振るうのはこれが初めてだ。しかし、迷っている暇はない。深く息を吸い込み、震えを抑えるように剣を強く握りしめる。そして、勇気を振り絞って前へと踏み出した。
「お前たち! 私はライト・シィラビュロン、帝国貴族だ! 剣を捨て降伏しろ! さもなくば、お前たちは帝国軍を敵に回すことになるぞ!」
声が震えないように、できるだけ威厳を込めて叫んだ。これは虚勢ではない。たとえこの場で自分が死んだとしても、帝国貴族の息子が殺されたとなれば、帝国軍は必ず動く。しかし──
「おいおい、お貴族様が出てきたぞ」
盗賊の一人が嘲るように笑った。他の盗賊たちも、それに呼応するように嘲笑を漏らす。
「あのなぁ、俺たちはブレスト様が率いる『陸傑死団』の団員だ! 貴族ごときに怯えるような三下はいねぇんだよ!」
──『陸傑死団』。
ライトは、その名を知っている。帝国内の裏社会を牛耳る、荒くれ者の集団。その総帥であるブレストは、ティルマス大陸内でも名を轟かせる恐るべき実力者の一人だ。
ブレストは三年前、たった一人で帝国軍二千八百人を壊滅させ、帝国の町を奪った男。その町を自らの『国』と宣言し、六人の死団長を従えて、今や配下は一万を超えるという。帝国裏社会の大物だ。
そんな恐ろしい組織の一員たちが、帝国貴族の肩書き程度で怯むはずもなかった。
「おら、ぶっ殺せ……!」
盗賊たちは剣を掲げ、一斉に襲いかかってくる。だが、ライトは逃げなかった。剣の鍛錬は日々欠かさず行ってきた。体が覚えている動きに身を任せ、一人、また一人と襲い来る盗賊を斬り伏せていく。
──剣が肉を裂き、骨を断つ感触。
胃の奥がひっくり返るような嫌悪感が襲う。だが、それを振り払うように、ライトは剣を振るった。
三人目を仕留めた時、残る二人の盗賊が焦りを見せた。そのうちの一人は恐怖に駆られたのか、武器を捨てて村の外へ逃げ出していく。
「待てっ……!」
しかし、追う暇はない。まずは残る一人を仕留めなければならない。冷静に判断したライトは剣を振り下ろし、最後の盗賊を地に沈めると、ライトは急いで拘束されていた村人たちを解放して回った。
「リリーは!?リリーは無事でしょうか!?」
縄を解かれたオルトスが、開口一番に叫ぶ。
「大丈夫です。前に教えていただいた床下に隠してきましたので」
「よかった……本当によかった。ありがとうございます、ライト様」
安堵の涙を浮かべるオルトス。しかし、その平穏は、次の瞬間、音を立てて崩れ去る。
──ゴロリ、と転がる、何か丸いものが、ライトとオルトスの横を通過した。それは、人の頭だった。逃げ出した盗賊のものに違いない、見覚えのある顔だった。
その場の空気が凍りつく。この場にいる誰もが村の入り口に視線を向けた瞬間、雪を踏みしめる重い足音が響き、燃え盛る炎が、その姿を照らし出す。
現れたのは、七人の男たち。その先頭に立つ男は──赤い髪に恵まれた体躯、額に刻まれた大きな傷。
その姿にライトは息を呑む。
(……ブレスト!)
手配書で何度も目にした顔だ。見間違うはずもない。そして、その後ろに控える六人は、おそらく直属の死団長たち。
「まったくよぉ……」
ブレストが、面倒くさそうに呟く。
「こんな村もまともに片付けらんねぇ奴等しかいねぇのかよ。たまたま近くにいたから来てみりゃ、このザマだ」
吹き荒れる冷たい風の中、ブレストの背後に次々と盗賊たちが集結していく。獲物を前にして嗤う獣のように、彼らの眼はぎらつき、空気には濃密な殺気が満ちていた。
「おいお前らっ! そこに転がってるゴミみてぇな腑抜けは、もういねぇよなぁ?たかが貴族のガキごときにビビってんじゃねぇぞ!」
怒号が響き渡る。整列した盗賊たちは、一瞬にして背筋を伸ばし、戦意を研ぎ澄ませた。
「今から俺様が手本を見せてやる!よく見てろ!」
地面に転がる剣を拾い上げると、ブレストは不敵にライトを睨みつけた。
「貴族さんよ、お前は最後だ。そこで『動くな』!」
その声が響いた刹那、ライトの体は何かに絡め取られたかのように硬直した。
「なっ……!?」
全身が凍りついたように、指一本すら動かせない。必死に抗おうとするが、まるで見えない鎖に縛られたかのようだった。
「大人しくそこで、こいつらが殺されていくのを見てろよ」
村人たちもまた、ライトと同じく動きを封じられていた。逃げることも、抗うことも許されない。そして──悪夢が幕を開ける。
すぐに鈍い音が響いた。それは、ブレストの手にかかった村人の命が、一つ目に散った音だった。
「やめてくれ!金が欲しいなら私が用意する!だから、これ以上村の人たちには──!」
叫びは虚しく空を切る。剣が振り下ろされるたびに、鮮血が舞い、白銀の大地を染め上げていった。その後も十人、二十人、そして──村長のテヌイの命がブレストの振るった無慈悲な刃によって絶たれる。
次に、ブレストの剣はミリラへと向けられた。彼女は泣き叫んでいた。声が嗄れるほどに叫び、助けを求め、願い、祈った。しかし、何一つ届かない。
「やめろぉぉぉ!!俺の妻を殺さないでくれ!!!!」
オルトスの絶叫が響く。しかし──鈍く、重い音とともに、ミリラの首は呆気なく地に落ちた。
雪の白は、今や赤に染まり、まるで大地に敷かれた『血の絨毯』のようだった。倒れた体の傍で転がるミリラの首を、ブレストは無造作に踏みつけ、オルトスを見下ろしながら嗤う。
「お前、うるせぇな」
その一言と共に、ブレストの剣が再び閃いた瞬間、呆気なく、オルトスの首が宙を舞う。こうして、村人は全員、ブレストの手によって虐殺され、その血が地に広がり続けた。
「そんな……オルトスさん、ミリラさん……貴様! なんて酷いことを!!」
ブレストはミリラとオルトスの首を片手で持ち上げ、ライトの眼前に突きつける。
「あぁー? それ、こいつらのことか? お前もすぐに送ってやるから心配すんなよ。き、ぞ、く、さ、まっ!」
ブレストの剣がライトの首へと振り下ろされる。だが──不意にピタリと刃が止まる。
「あ?」
ブレストの視線の先に、小さな影があった。
「パパ?ママ?おにいちゃん?どこにいるの?」
それは、隠れていたはずのリリーニャだった。
「リリー!? なぜ出てきたんだ!!」
「まーだいたのか、よかったな貴族さんよ。少しだけ寿命が延びたな」
ブレストは持っていた二つの首を、リリーニャへと向かって投げつける。
「リリー!! 目を閉じるんだ!」
しかし──遅かった。リリーニャの瞳に、両親の変わり果てた姿が映る。
「………パ、パ?ママ?どうしたの? ねえ!へんじしてよ!リリーをむししないで!」
震える手で、転がる首へと手を伸ばす。小さな指先が、かつて優しく撫でてくれた母の頬に触れる。
「なんだー?お前の親だったのかそれ?わりーなー、ぶっ殺しちまったよ」
ブレストは愉悦の表情を浮かべながら、剣をゆっくりとリリーニャへ向けた。
「今、大好きなパパとママに会わせてやるからよ。なあ、嬉しいだろ?」
血の香りが満ちた空気の中で、その声はひどく軽やかだった。
剣が振り下ろされる。鋭い金属音が空を裂き、死の気配が覆いかぶさる。だが、その刹那──ライトは衝動のままにリリーニャの前へと飛び出し、震える小さな体を腕の中に抱きしめた。
次の瞬間、鋭利な刃が背中を裂き、熱い鮮血が弾け飛ぶ。
「なんだぁ? 俺の術を自力で解いたのか?すげーなお前。だけどよ、お前は最後だって言ってんだろが!どけろよ!くそがっ!」
ブレストの声が怒気を孕む。その言葉と同時に、衝撃。
ライトの背を蹴り飛ばしたブレストの靴底が、傷口に深く食い込んだ。数メートル先へと転がるライト。しかし、その腕は決してリリーニャを放さなかった。
「ったくよ。俺は言ったことは必ず守ることにしてんだよなぁ。おい!早くガキ殺させろよ!おらっ!」
何度も、何度も蹴りつけられる。だが、ライトは決して手を離さない。苛立ちに顔を歪めたブレストは、苛烈な動作で剣を振り上げると、躊躇なくライトの膝から下を斬り落とした。
「ぐあぁぁっ!」
鋭い悲鳴が響く。
視界がぐらつき、傷口から血が噴き出す。全身から血が抜かれていくような感覚。だが、それでも──ライトはリリーニャを抱きしめたまま、震える唇を動かした。
「……ご、ごめんね。リリー……パパとママを……守れなかった……」
「おにいちゃん、どうしたの? ぎゅっとしててくるしいよ? リリー、はやくパパとママとおはなししたいよ……」
幼い少女の無垢な声が、血と死が支配する静寂を引き裂くように響いた。ライトは、震えるリリーニャの小さな体を抱きしめながら、自分の無力さを呪った。
(なんで……なんで僕は何もできない……!)
地位も、権力も、剣の腕すらも──この場では、何の意味もなさない。眼前に広がるのは、血に塗れた地獄。死の臭いが鼻を刺し、肌を焼くような戦火の残滓が、重くのしかかる。
流れすぎた血のせいか、意識が遠のく。痛みすら、もう感じない。
(それでも……それでも……僕、は……)
リリーニャを抱き締めていた腕から、力が抜ける。ライトの手が、するりと指の間から滑り落ちた。まるで、糸の切れた人形のように。
リリーニャの足元に、崩れ落ちるライトの身体。その向こうに広がるのは、死体の山と、血の海。両親の首が転がっている。見開かれたままの瞳は、最期の瞬間に刻まれた恐怖を映し、冷たく、何の温もりもない。そして、ライト──彼は足を切り落とされ、背を裂かれ、今はもう動かない。
「おにいちゃん……?ねぇ、おにいちゃんもリリーをむしするの?なんで?リリー、いいこにしてたよ?ねぇ、おにいちゃん?」
震える指先で、ライトの頬に触れるが、冷たい。弱々しい力で体を揺すって、かすかな期待を込める。しかし、ライトからは何の反応もない。
「あーあ、死んじまったよ。しゃーねぇな。じゃあ、お前で最後だ」
残酷な声が響く。
リリーニャを守るものは、もう何もない。
鋼の剣が振り下ろされる瞬間、視界が閉ざされた。恐怖から目をぎゅっとつむったからだ。しかし、痛みはこない。
リリーニャが恐る恐る目を開くと、そこには何もなかった。ただ、闇が、深く、どこまでも広がる、光のない空間だった。
「……あれ?ここはどこ?おにいちゃん!パパ!ママ!」
叫んでも、答えはない。声が虚空に吸い込まれていく。
──だが、そのとき、頭の奥に、直接響く声があった。それは、不思議なほど温かく、どこか懐かしい声。
『リリーニャ、可哀想な子。全てを失い、ついには自分までも失ってしまう。貴女には力があった。しかし、それを思い出す前に不幸が貴女を呑み込んでしまった』
「な、なに? あなたはだれ? おねがい! パパとママとおにいちゃんにあわせて!」
どんなときも優しく笑っていた家族は、もう、この世にはいない。圧倒的なまでの理不尽によって、奪われた。何度呼んでも、誰も応えてくれない。それでも、その現実を受け入れるには、幼いリリーニャには、あまりにも早すぎた。
『死んだ人間を蘇らせることはできない。しかし、貴女がおにいちゃんと呼ぶ人間は、まだ死んではいないわ。貴女が思い出せば、きっと助けられるはず』
「おもいだす? なにを? リリー、わからないよっ!」
──ズキッ。
頭を貫くような激痛。視界が歪み、意識が揺らぐ。その奥に──見たことのない光景が浮かび上がる。
白い部屋。
白い服を着た人が涙を流す。
知らない人が、こちらを見ている。
歌う自分を見て、男の子が笑う。
また白い部屋。
暗闇に落ちていく。
明るい場所。
温かい気持ち。
笑う人々。
大勢の人々。
光る何かを振っている。
一緒に踊る女の子たち。
キラキラした場所に自分がいる。
みんなが叫ぶ。
呼ぶ声が聞こえる。
「「スターライト!!」」
そこで、記憶の波が途切れた。意識が戻る。しかし、頭痛は続き、思考がまとまらない。
「うぅ、リリーは、誰……すたー、らいと?」
何もわからない。未だに理解できない。
──しかし、突如、思考が急激に整理されていく。急に理解して、分からないことが分からなくなくなる。そんな、奇妙な感覚。まるで自分が、自分ではないような。
でも、確かに、私は、ここにいる──
「リリーニャ・スターライト。誰かは分からない。でも、みんながリリーをそう呼ぶの」
再び、頭の奥で響く声。声の主は、まだ分からない。けれど、その声には確かな温もりがあった。
『第一段階といったところですね。リリーニャ・スターライト。今の貴女なら何をすべきかわかるでしょう? 何が出来るのかも』
混乱していた思考は、澄み渡り──今ならわかる。いま、何ができるのか。
「うん! この力でおにいちゃんを助ける! まだ、あなたが誰だか分からないけど、きっといつか思い出すから。その時まで待っていてね。ありがとう」
意識が、徐々に薄れていく、その中で──最後に聞こえた声は、優しく、そして懐かしかった。
『待っているわ。璃里。いってらっしゃい』
◆◇◆◇◆◇
ブレストは目の前の光景に目を疑った。振り下ろした剣は確かにリリーニャの頭を貫き、脳漿を撒き散らすはずだった。しかし──
「なんだ?ガキが消えたぞ?」
剣は空を裂き、地面に深く突き刺さっている。ブレストが視線を上げると、リリーニャはライトを抱きかかえ、宙に浮いていた。
「おいおい……まさか飛行魔法か? こんなガキが?」
飛行魔法は高度な技術を要する。幼い少女が人ひとり抱えて宙に浮かぶなど、通常ではあり得ない。
「ブレスト様、やつは魔法を使っていません……これは、何か得体の知れない力です」
背後から進言したのは、死団長の一人、フードを深く被った男だった。しかし、ブレストは鼻で笑い、宙に浮かぶリリーニャを鋭く睨みつける。
「ふん、そんなことはどうでもいい。あのガキはすぐ殺す。これは決定事項だ」
次の瞬間、爆発的な跳躍。空間が歪むほどの速度で、ブレストの拳がリリーニャに迫る。直撃すれば、幼い体などひとたまりもない──だが、その拳は届かなかった。
淡い光に包まれた半透明の球体がリリーニャを包み込み、凄まじい衝撃を吸収したのだ。
「なっ……!」
轟音とともに衝撃波が広がり、辺りの建物が軋みを上げて崩れ、粉雪が舞い散る。しかし、リリーニャはそこに静かに浮かんでいた。
そして、リリーニャの姿は、先程までとはまるで違っていた。アッシュベージュ色だった髪は、桃色の輝きを帯びた髪へと変わり、衣装はフリルとリボンをあしらった優雅なピンクのドレスへと変貌している。その手には、鮮やかに輝くピンク色の宝石をあしらった『杖』があった。
変身を遂げたリリーニャはまっすぐにブレストを見据え、幼い少女とは思えぬほど落ち着いた声音で告げた。
「今のリリーじゃ、あなた達全員には勝てない。でも……強くなって、必ずあなた達をやっつけてみせる!」
杖を構えた瞬間──『力』が解放された。
「わーくみらくる!〈インフィニティ・ヴォイド〉!」
世界が震えた。
空間が歪み、黒い水銀のような『虚無』が奔流となって溢れ出す。禍々しいまでの絶対的な力が、ブレストと死団長、そして盗賊たちを呑み込んでいく。
「くそっ、これは……!?体が動かねぇ……!」
『虚無』。始まりにして終わり、すべてを超越する概念。その波に飲まれた者は抗うことを許されない。
リリーニャは杖を掲げ、願いを込める。
「あいうぃっしゅ!お願い、あの人たちをバラバラに遠くへ飛ばして!」
杖の宝石が『燦然と輝き』、溢れ返る虚無が収束し、無数の光の粒となって散っていく。
「くそが!このガキ、覚えてろよ!必ず見つけて殺してやるからな!」
ブレストの絶叫が最後に響いた。彼らは世界のあらゆる場所へと散り散りになり──戦いは、終わった。
リリーニャはそっと地面に降り立つと、ライトを慎重に寝かせ、再び杖を構える。
「わーくみらくる!〈ぱーふぇくとひーる〉!」
柔らかな光がライトへ降り注ぐ。次第にライトの全身に刻まれた傷が塞がり、血塗れだった体が瞬く間に癒えていく。切断された足すらも元通りになり、浅かった呼吸が、穏やかに整っていく。
やがて、ライトは目を覚ました。
「……ん、リリー?これは……?」
ライトがゆっくりと身体を起こす。
「おにいちゃん……!」
リリーニャは、声を震わせながらライトに飛びついた。
「よかった……本当に、よかった……!もう、もう会えないかと思ったよぉ……!」
涙が溢れ、止まらない。そんなリリーニャをライトは優しく抱きしめた。しかし、状況は一向に理解できない。いったい何が起きたのか、ブレストたち陸傑死団はどこへ行ったのか。その困惑が口をついて出る。
「これは……一体何が起きたんだい?」
「うんとね、色々あったの!でも悪い人はもういなくなったよ!」
リリーニャは顔を上げ、涙を拭う。答えにならない答え。しかし、ライトはそれ以上問いかけることはなかった。
そして、数秒の沈黙の後、リリーニャが寂しげに呟く。
「……それより、パパとママと、みんなのお墓を作ってあげよう……?あのままじゃ、可哀想だもん……」
ライトは深く息を吐き、頷いた。
「……そうだね。お話は、落ち着いてからにしよう」
そう言って立ち上がろうとした彼の腕を、リリーニャはぎゅっと掴んだ。
「おにいちゃん……やっぱり、もう少し……こうしてたいな……」
小さな体が震えている。この現実は、幼い子供であるリリーニャにはあまりに酷だった。ライトはリリーニャを優しく抱きしめ、そっと目を閉じた。
(今度こそ……今度こそ、絶対に守るから)
少年の胸に、強い決意が灯る。二人を照らす淡い月光が、静かに降り注いでいた──
◆◇◆◇◆◇
山小屋の中──。
囲炉裏の炎がゆらゆらと揺れ、薪が爆ぜる音だけが静寂の中に響く。温かな橙色の光が壁や天井を淡く照らし、まるでそこに安らぎがあるかのように錯覚させる。しかし、室内の空気にはどこか緊張が漂っていた。
囲炉裏の火をじっと見つめていたライトは、静かに口を閉じた。
「……これが、僕が見たこと、そしてリリーから聞いたことのすべてです。それから僕たちは時間を見つけては旅をしながら、ブレストを探し続けています」
彼の声にはどこか疲れが滲んでいた。長い道のり、幾度となく迫る危機、そして大切な仲間と共に歩んできた日々。その全てを語り終えたライトは、ようやく愁へと視線を向けた。
愁は、壮絶な過去を乗り越え、なおも信念を貫くライトとリリーニャに深い敬意を抱いた。しかし同時に、その元凶であるブレストに対する怒りが込み上げてくる。罪のない人々を苦しめ、仲間たちの未来を奪う存在──そんなものを野放しにしておく理由はどこにもなかった。
「そんなことがあったんですね……」
愁は静かに呟いた。言葉を選ぶように、慎重に。
「陸傑死団のブレスト……俺もそいつを探すのを手伝いますよ。虐げられている人々がいるのなら、早くどうにかしなければならないですから」
そう言って、愁は右手を差し出した。しかし、ライトはすぐにはその手を取らなかった。彼の瞳には戸惑いの色が浮かんでいた。
「……本当ですか?もちろん、それは助かりますし、とてもありがたいことです。でも……」
ライトは少し言葉を詰まらせる。そして、苦しげな表情で続けた。
「でも、こんな危険なことに愁さんたちを巻き込むわけには……」
その反応を見て、愁は決意した。今こそ、自分の想いをはっきりと伝えるべきだと。
「そういえば、言っていませんでしたね」
愁は、真っ直ぐライトの目を見据えながら語り始めた。
「俺は、この大陸にある旧亜人領をすべて取り戻し、亜人族たちが幸せに暮らせる、種族の隔たりのない国を作るつもりです」
ライトの瞳が驚きに見開かれる。
「ブレストは、必ずその障害になります。だからこそ、これは俺がやらなければならないことでもある。……だから、ぜひ協力させてください」
愁は、再び手を差し出した。今度こそ、迷いなく。
ライトは愁の言葉を深く噛み締めた。囲炉裏の炎が揺れ、その光が彼の横顔を映し出す。逡巡の色が消え、代わりに強い意志が宿る。
「……そんな素敵な目的のために活動していたんですね!」
ライトの顔に、はっきりとした笑みが浮かんだ。
「それなら、心強いです!こちらこそ、よろしくお願いします。共に……亜人の方たちも幸せに暮らせる世界を作りましょう!」
ライトは、力強く愁の手を握り返した。その時、囲炉裏の炎が、よりいっそう大きく揺らめく。
この日、帝国貴族ライト・シュラビュロンと八乙女 愁は、非公式ながらも確かな『盟約』を結んだのであった。




