第14-2話 残るのは後悔だけ
「メラリカさん!?待ってください、今、鎖を……」
愁が慌てて手を伸ばした瞬間、メラリカは苦悶の表情を浮かべながらも、必死に愁の動きを制止する。
「駄目です!この鎖に触れては……この鎖は、我々の始祖たる統一大精霊がエルフ族を縛る鎖。エルフ族は精霊から生まれた種族です。『種を縛る鎖』によって拘束された今、統一大精霊には逆らえません」
「でも……じゃあどうすればっ!」
愁の心は焦燥と混乱に揺れ動いていた。
視界の先で統一大精霊は、ただ静かに佇んでいるようにも見えるが、その実、底知れぬ力を蓄え、今にも解き放とうとしているのだ。
そしてメラリカを縛り上げる鎖は、統一大精霊にも無数に絡みついている。まるでエルフ族全てを束縛し、その生命の精気を容赦なく吸い上げているかのように。
だが、愁の焦りとは対照的に、メラリカは静かな微笑みを浮かべていた。その顔には、何かを悟ったかのような穏やかさが宿り、凛とした美しささえ漂っている。
「愁さん。もう、いいんです」
「え?」
「私のことはもう諦めて逃げてください。統一大精霊が現界してしまった今、私一人ではどうにもなりません。せめて愁さんだけでも……愁さんなら、逃げきれます」
メラリカは表情を崩さず、精一杯の笑顔を浮かべていた。その微笑みは無理に作られたものだったが、『諦めて』と告げるその言葉だけは、痛々しいほどの真実の重みを帯びている。
(なぜ、メラリカさんがそんな顔をしなければならないんだ?こんなこと、許されていいわけがない……!)
愁の胸の奥で、怒りが燃え上がった。
「そんなこと、できるわけがない!俺がメラリカさんを見捨てて逃げるだって?ありえませんね。元凶があの精霊だというのなら、倒してしまうだけです」
「そんなっ!どうしてっ!? 私は愁さんを騙していたんですよ!?」
メラリカの笑顔が消え、絶望がにじむ。その視線が揺らめき、抑えきれない感情がほとばしる。
「身分を偽り、心細いからと愁さんを巻き込んだんです。兄からの手紙がいつもと違うことは最初から分かっていました。ひとりで行けば良くない事に巻き込まれると予感していたんです……それでも愁さんを、護衛として利用したんですよ」
「メラリカさん……それでも、俺は……」
メラリカの瞳から、溢れ出した涙が頬を伝い、何度も地面を濡らしていく。その痛みは愁の心に刻まれ、深く、重くのしかかった。
「そうです、愁さんはそういう人です。分かっていました。だから、利用したんです。私は卑しい女です。一緒に来てもらえれば守ってもらえる。そんな自分勝手なことを考えて、あなたを巻き込んでしまった……」
後悔の涙が、言葉を遮る。
「愁さんにはこれから、救うべき多くの命があるのでしょう?私なんかのために、その尊い命を無駄にしないでください……」
メラリカの声が震え、怒りと後悔に押しつぶされそうな自分を、自嘲するかのようにさえ見えた。
(……こんな、こんなメラリカさんを放っておけるものか)
言葉が見つからないまま、愁は彼女を見つめた。
だが、今のままでは彼女の後悔は癒えないだろう。彼女が自らを許せるように、どうすればいいのか。愁の心が決まる。
「メラリカさん、俺は──」
「愁!! あれを!」
不意に響いたオベロルストの叫びに、愁は視線を向ける。
すると、統一大精霊が、今まさに動き始めようとしていた。
「おお、おお!何故だ!何故この身にも鎖をっ!? その力は私のものだ!ええい!シュルド!私を助けろ!」
アバルダが息子の名を叫ぶ。だが、その返事はない。
自らの欲望のために手にかけた息子から、もう応えは返ってこないのだ。
「おい!シュルド!シュルドーっ!私を、このアバルダを!助けろっ!……何故だ!何故誰も来ない!護衛はどうした!兵士は!マルシー?マルビス?どこにいる!?」
統一大精霊は、じわりと口を開き、鋭く張り巡らされた糸を引きちぎりながら、黒い液体を垂らし始めた。その暗い雫は雨のように降り注ぎ、狂乱するアバルダの上に滴り落ちる。深淵を思わせる闇の口腔が徐々に迫り、今まさに死がその手を伸ばそうとしていた。
その瞬間、アバルダの脳裏に、失われていたはずの『記憶』が次々と甦る──
二番目に強い精霊の心臓を持つ息子シュルドの身体を使い、現界の儀式を強行したこと。現界した際には、城内の魂、そして愛する家族さえも生け贄として捧げたこと。さらに、自らが守るべき民までも、計画のために犠牲にしようとしていたこと。
暗闇が視界を覆い尽くす寸前、過去の出来事が鮮明に浮かび上がる。
「アバルダ、君には勇者の力を得られる可能性がある。どうだ、施術を受けてみないか?」
「勇者の力を私が?そうだな、それで民や家族を守れるのならば……良いかもしれぬな。私で成功すれば、シュルドにも希望が繋がる。次代の王として、きっと国を立派に導いてくれるだろう」
「そうだな。君は立派な国王だよ。国のため、民のために尽力する──それを少しでも助けられるならば、私にとっても光栄だ」
「ありがとう、セルシオ。君の厚意に感謝するよ」
そうだ、あの日からだ──民のため、国のためだと信じ、施術を受けたあの日から、アバルダの心には『何か』が入り込み、思考がねじ曲げられていった。気づいたときには、自分は大切な家族も、愛すべき民も手にかけてしまっていたのだ。
「セルシオめ……謀ったな……」
最後の理性を取り戻したアバルダは、絶望と後悔の中で統一大精霊に飲み込まれ、その肉体も魂も、贄として吸収されていった。
かつての王の姿が跡形もなく消え去り、新たに力を得た統一大精霊は異形の叫びを上げながら、更なる贄を求めて、今度はメラリカに目を向ける。
その視線を受けた瞬間、メラリカの身体を縛る鎖が不気味な紫色に発光し、メラリカの口から苦痛の叫びがこぼれた。
「メラリカさん!大丈夫ですか、メラリカさん!」
光が強く輝き、メラリカの体は次第に透き通っていく。その力は物理的なものではなく、存在そのものを奪い取るかのように鎖がメラリカを侵食していく。
後ろの景色が透けて見えるほどに存在が希薄となったメラリカは、最後の力を振り絞って愁に手を伸ばした。
愁はその手をしっかりと掴んだ。その手にはまだ温かさが宿っている。
「メラリカさん……俺はどうすれば、どうすればあなたを助けられるんですか!教えてください!」
愁の叫びが届いたのかどうか──メラリカの姿は次第に薄れ、かつての温もりが消え去っていく。
そして、愁の手の中には、もはや何も感じられなくなっていた。そんな中、最後にメラリカが見せた表情は、これまで見たこともないほど明るく、美しい笑顔だった。
その唇が静かに動き、ある一言を告げる。
「生きて──」
そのひとことだけを残し、メラリカの姿は、この世界から消え去った。
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