その6
リンゴを食べ終わると舞さんは横になった。
体調が悪いのにあんなに喋ったのだ、疲れるのは当然だろう。自分のことしか考えていないことを思い知らされるようで落ち込む。
今の舞さんにできることはあるにはある。アレしかない。あの人がこの状況で適当なことを言うとは思えない。
やることは決まった。
けどどうする?どうやって話を持ち出す?会話は終わった。リンゴももうない。舞さんから見れば俺はただ座ってるだけ、いつまでも部屋にいるのは変だ。
早く話題を出せ。そう自分を煽るが口が開かない。それも当然だ、俺自身そもそも乗り気じゃない。
大体こういう状況でキスを迫るなんておかしいだろ。もしオーケーしてくれても弱みに付け込んでるみたいで嫌だ。
そう考える自分がいる反面自分ができることはやるべきだと主張する自分がいる。
「久君」
ベッドに横になったままの舞さんに呼ばれた。
「どうかした? 何か必要? 持ってきた方がいい? でも場所良く知らないし……」
「そうじゃなくて」
「ああじゃあ食べたいものでもあるとか? 料理だって簡単なやつならできるし……」
「他に私に用があるんじゃないの?」
用? あるよ。キスさせて。言えるわけがない。オブラートに包まなければ。
「……握手してみる? 昨日みたいな感じに。少しは良くなるかも」
不自然な間はあったけど言葉は出てきた。さあ舞さんはどう返す?
「いいよ」
差し出された手を握った。手に意識が集中する。冷たくて柔らかい。
「あったかい」
「平熱高いんだよ、6度5分」
「そうなんだ」
少し様子を見る。今のところ体に違和感はない。ここまではいいのだけれど1つ問題が出てきた。
会話がない。舞さんは手を握ったまま何も言わない。集中しているのかもしれないと思うと黙るしかない。
「どう? 俺は平気だけど」
時計の分針が動くのを確認してから沈黙に耐えきれず聞いてしまった。向こうの様子が気になったのもがあるけど沈黙に耐えられなかったことの方が大きい。
こういうときしっかりした態度でいられればばいいんだけどな。
「ダメ、かな」
ダメか。
「もしかして、光彩が体にないとそういうのも上手くできない?」
「できると思ったけどね」
離した手はベッドの中へ入っていった。あの感触はもうない。
仕方のないことかもしれない。今の舞さんは病気ではなく光彩がないのが理由で寝込んでいる。
さてどうする。どうするも何もない、やっぱりアレだ。保護者代理の許可はあるんだ、やっちまうか?
うん、やっちまおう。そもそもウジウジしてるのが良くない。大家さんが俺に話したということはすでに舞さんにも話はしいてるはず。嫌なら断ってくれればいい。ダメならそれですっきりする。
そうだよ。決めるのは舞さんだ。俺じゃないっていや待ったさすがにそれは無責任すぎる。
こういう考えがダメなんだ。じゃあどういう考えならいいんだ? 答えは出ない。ああもう考えるのはやめだ。行動あるのみ。
「あの人に元気になるかもしれない方法聞いたけど、試してみる?」
直球すぎたかも。
他にいい話の振り方が思いつかないのだから仕方がないと自分に言い聞かせる。体の調子を聞きつつ話を切り出そうともしたけどやめた。今の舞さんに聞くのは失礼だろう。だからこういう開き直りみたいなのがダメなんだよ。
「いいよ」
重要なのはどう返すかだ。あれこれ考えること自体は悪いことじゃない。考えすぎるのが問題なんだ。
俺は行動を起こした。そして今結果を待っている。その結果の上どう行動するか考えるんだ。
断られても構わない。変なこと言ってごめんで済む話だ。
大体何を不安がってるんだ。光彩が俺と舞さんと大家さんの関係を変えたか? 何も変わっちゃいない。2人の秘密をほんの少し知ってしまっただけ。ほんの少しだから今までの関係は変わらない。
そうだよ。人口呼吸しようがしまいがそれが何なんだ。
「久君?」
許可が出たらどうする? 決まってる、やるしかないじゃないか。
俺は舞さんとこういうことを理由にそういうことをしたくない、それだけだ。舞さんのことは嫌いじゃない。それどころか好きか嫌いかなら好きな方だ。綺麗だし優しいしスタイルいいし。
「うわっ!」
情けない声が出てしまった。
光彩のカードが目の前で回転している。回転しながら空中に固定できるのか、と思ったら落ちた。長持ちはしないのか。ってそれどころじゃない。
「聞いてよ」
え? 何か言った? 言ったの? どうしよう、聞こえなかった。何を言ったか聞ける感じゃない。ちょっと怒ってる。ちょっとじゃないかもしれない。
うわー、どうしよう。いやまて聞こえなかった理由を考えるんだ。
考えごとをしていたから? それはない。確かにあれこれ考えちゃいたけど舞さんに意識を向けていた。無視してたわけじゃない。さすがにそんなことはしない。普通に話しかけられたならわかるはずだ。つまりどういうことだ?
舞さんが小声だった可能性だ。なぜ小声? 断るならはっきりと言うはず。ということはそういうことだ、よね。
「目、つぶってた方がいい?」
いいの? という言葉が口から出るのを押さえることは何とかできた。危ない危ない。
「うん」
こういう時に相手に改まって聞くのは責任逃れをしているみたいでずるいと思う。
「何考えてたの?」
目をつぶったまま舞さんが話しかけてきた。さっきより声は柔らかい。ここは正直に話すべきだろう。心の中で深呼吸1つ。
「えーと……笑わない?」
でもちょっと恥ずかしい。
「笑わないよ」
こんな会話前もあったような。あー、だから脱線だめだって。
「断られたときのこと」
「キミでもそういうの考えるんだ。ちょっと意外かも」
「考えるよ」
「そっか」
立ち上がって舞さんを見下ろす。
「里緒さんに話を聞かされたとき何て思ったのか聞きたいな」
あの人舞さんにも言ってたのか。
「私はね、この人何言ってるのって思った」
落ち着け。落ち着け。落ち着け。余計なことは考えるな。今は質問に答えることに集中するんだ。
「俺もそんな感じ。だけど役に立つなら聞いてみるのもいいかなって思ったんだ。断られたら謝ればいいし、大家さんへの言い訳に使えるから」
舞さんの顔が笑ったように見えた。こんなに近くで顔を見続けるのは初めてかもしれない。ベッドに手をつける。俺が今どんな体制か舞さんもわかっているだろう。
「この前とは逆だね」
「うん」
何も考えずに即答してしまった。その時のことはよく憶えていない。意識がはっきりしてなかったから当然だ。それは舞さんも知っているはず、なぜこんなこと言いだしたのだろう。
もっと顔を近づける。体中の神経が唇に集中したような感覚の後、唇を放す。
「どう?」
そのままベッドから手を放し、少しだけ時間がたってから話しかけた。保健室のときのように倒れる様に座り込む。
体がだるいとか足の力が抜けるとか、そういうのはない。上手くいったのだろうか。
「上手くいった……かも」
舞さんが口を指で軽く押さえたまま上体を起こし、そう返してきた。
少し時間が経ってから手の平が光りだし光彩のカードが出来上がる。それを空中に投げると方向を変え、部屋にあるダーツの的に向かい突き刺さった。
どこに投げても目標に向かうのか、改めて見るとすごいなコレ。
「的に傷はついてないでしょ? 光彩って人や物を直接傷つけることはできないの」
「ホントだ」
確認すると本当だった。俺に傷1つなかった理由はこれか。
「触ってもいい?」
「どうぞ」
舞さんはもう1つ光彩のカードを作るとそれを俺の前に差し出し、親指と人差し指でつまむように触れた。
何かに触れている感覚はあるがそれだけだ。普通何かに触ると硬いとか柔らかいとかそういう感触があるけれどこれにはそれがない。感触のない物体ということなのだろうか。あの女子高生の光彩もこんな感じなのか?
「どうだった?」
指を放すと感想を聞かれた。
「変な感じ」
「だよね。私もそう思う」
舞さんの手から光は消えている。
光彩についてたくさん知ることができた。それはいいことだし舞さん達に感謝してるけど知れば知るほど疑問が浮かぶ。
「学校の光彩は実体がなかったけど舞さんは理由わかる?」
「自然に存在するのはみんなそうなの」
そっか。確かに学校中の光彩に実体があったら授業どころじゃない。
「体も楽になった感じがするし、久君のおかげね」
舞さんは俺の質問が終わったことを察したらしく大きく腕を伸ばすとそう言葉を発した。
「俺も色々聞けて良かったよ」
あの人が知ったら喜ぶだろうな。自分の仮説が立証されたわけだし。
「じゃ、下の階にいるから」
立ち上がって部屋から出ることにする。いつまでも部屋にいるわけにはいかないだろう。今はいいがこれから間を持たせる自信がない。
「いてもいいのに」
「病人は休んでた方がいいと思う。何かあったら呼んでよ」
部屋を出るまでは普通にできたが階段を下りる頃には駆け足になり居間に着くとそのまま座り込んでしまう、
やっちゃった、やっちゃったよ。良かったんだよな? 効果あったんだよな?
いやー良かった良かった。意味なかったらどうしようかと思ったよ。フォローの言葉全く思いつかなかったし。こういうこともあるよーとか気にしない方がいいよーとか考えてみたけどこっちが言ったって説得力ないだろうし本当に良かった。
さーどうしよう。あんなことを言った以上帰るのは無しとして大家さんが帰るまで待つことにしようか? うん、そうしよう。時間を潰すために持ってきたマンガとゲームがある。それであの人が帰ってくるまで待とう。
夕方、大家さんが帰って来た。玄関まで迎えに行くと両手にはスーパーの袋を抱えている。夕飯のおかずを買ってきたらしい。
「お邪魔してます」
「ただいま。舞はどうだった?」
「良くなってるみたいですよ」
「それは良かった」
それだけだった。アレについて何か言ってくるかと思ったので意外だった。
「持ちますよ」
「よろしくー」
渡された袋を1つ持ち、さっきまでいた居間に向かう。
「これ、どうしたんですか?」
途中、袋を持ち上げ大家さんに聞いた。
「作り置き用」
そうだった。この人は家に何日か帰らない日があるのを舞さんから聞いたことがある。
「あの子何か食べた?」
「リンゴ2つ食べました。光彩もちゃんと使えるみたいですよ」
「そう、今はどこに?」
「部屋です」
「昼からずっと?」
「はい」
俺がいる間、居間に降りてくることはなかった。
「分かったわ。ちょっと待ってね」
大家さんは冷蔵庫に袋の中身を入れている。こういうときはおとなしく待つべきだろう。
「あの子の部屋に行こう」
「俺もですか?」
「決まってるじゃない」
決まってるらしい。中身を片づけてから誘われ、一緒についていくことにした。
「入るよー」
ノックの後、ドアを開けようとするがカギがかかっていて開かない。少ししてドアが開いて舞さんが顔を出した。何の用だろう?
「ただいま」
「お帰り。もう帰ってきていいの?」
「まあね。体は良くなったって聞いたよ」
「うん」
舞さんは大家さんと話しながら何回もこっちをちらちらと見ている。あれから会話も何もなかったから気まずい。俺から何か話を振った方がいいかな?
「じゃあ、お風呂入れておくから入ってね」
「え?」
え?
「汗もかいたでしょ、そろそろ臭うよ。久弥君だってそう思わない?」
えー。俺に振られても、舞さんは舞さんでものすごく何か言いたそうな顔をしてるんですよ。俺に何をどうコメントしろと?
「俺は別に……」
「臭かったらどんな人間でも嫌われるって昔言ってなかった?」
いや、いやまぁ確かに言いましたけどそれ今言いますか。
ああ、俺を呼んだ理由はこれですね。あーほら舞さん怒ってますよ、あの顔は怒ってる顔ですよ。そもそも男の前でする話じゃないですよ。
「それ……今言うこと?」
良く言ってくれました舞さん。ここは俺も加勢しよう。何か言わなければならないと言葉を考えた矢先、大家さんは舞さんの髪に顔を近づけた。
「やっぱり臭う。入った方がいいわ」
今の舞さんの顔は忘れられそうもない。
「もう、分かったから……入ります」
「着替えも忘れないでね」
「忘れません!」
ドアが閉まりカギの閉まる音もする。まるで母親みたいだ。こんな人だったか。
「あれが大人っぽい人?」
大家さんはいたずらを仕掛けた子供のように笑顔でドアを指差した。
「いつもやってるんですか?」
正直な疑問が口から出た。
「やりすぎたかな?」
「いつも通りならいいと思います」
「ならやりすぎたかも」
えー。
1階に戻ると大家さんは台所に向かった。
「今日も食べてく?」
「いいんですか?」
「看病をしてくれたお礼」
断る理由はなく今日もご馳走になることにした。それはいいのだけれど問題が2つ。
1つ目は大して重要じゃない。アレについて全く触れられないことだ。まぁこれは舞さんのことを考えれば俺が勝手に話していいことじゃないし大家さんの行動待ちということでいいだろう。
2つ目は今の現状。大家さんは今食事を作っている。階段を下りる音が聞こえたから舞さんは今風呂だろう。そして俺は居間で時間潰しの真っ最中だ。
居心地が悪い。さっきまではなかったこの妙な感覚のせいでマンガもゲームも集中できない。
「何か手伝いますか?」
10分持たず、大家さんに話しかけた。少しぐらいなら料理はできる。
「今日はお礼だって言ったでしょ」
そう返されては何も言えない。
「暇なら自分の部屋の掃除でもしたら?」
大家さんの言う通りにしょう。
自分の部屋に着き、冷蔵庫の中の炭酸を一口飲む。なぜだろう、すごく落ち着く。これじゃあまるであの家から出られてうれしいみたいじゃないか。
確かに緊張はしていたし、それを考えると当然かもしれないけどどの道考えても仕方がない、言われた通り掃除でもして時間を潰そう。
掃除中に気付いた。俺の部屋は一見綺麗だがあちこちに小さななごみがある。一見綺麗だからそんなに昔じゃないだろうけど最後に掃除したのはいつだったか思い出せない。こんな部屋に舞さんを入れたのかと思うとへこむ。
掃除はちゃんとやろう。大家さんも俺の部屋の汚さに気付いたのだろうか。だとしたら本当に母親みたいだ。
親と言えば俺の親だ。居間で時間を潰してるときに電話があった。内容は大まかに2つ。
何かあったら大家さんに相談すること、不安になったら連絡すること、後者は着信があれば必ず連絡すると付け足されていた。
俺の親らしいと言えばらしいが文面に驚きがない。俺の予想通り大家さんから連絡があったのだろう。
掃除機では取りにくい隅の汚れと格闘していると電話の着信音が鳴った。大家さんだ。
「俺です」
「そろそろできるわ」
もう1度大家さんの家に行きチャイムを鳴らすと舞さんが出た。風呂上りなのだろう。シャンプーの匂いがした。好きな商品とかあるのかな。
「……お邪魔します」
「……どうぞ」
ちょっとだけ間があった。俺は何かしただろうか。それとも何もしなかったのが悪いのか。これが分からない。
いい匂いがする、とか言った方が良かったかな。でもそれじゃさっきまで臭かったって遠まわしに認めてるようなものだし嫌かもしれない。
今からフォローしようとしても上手くやる自信はないし大人しくしていよう。
この考えが甘かった。舞さんと2人きりで居間で待つ、これがどういうことか理解していなかった。会話がない、空気が重い、話すネタが思いつかない。どうしようなんて考えてる場合じゃない。この沈黙を打破するために何か喋らねば。
「久君って自炊する?」
考えすぎて聞き逃しかけた。慌てて首を振る。
「少しぐらいなら」
「1人暮らしは大変?」
「朝はパンで済むし昼は学食があるからそんなに……」
まずい続きが出てこない。
「そっか」
終わってしまった。どうすれば良かったのか。いや、考え方を変えてみよう。
そもそも俺は舞さんを怒らせるようなことは何もしていない。もしあるならもっとっこう、はっきりと態度に表れてると思う。少なくとも今の舞さんに俺を拒否している感じはしない。俺が嫌ならここにはいないだろう。
「俺も光彩って使えるかな?」
光彩関係の話題を振ってみた。卑怯だろうが舞さんもこれを無視することはできないはずだ。それに俺自身気になっていたからちょうどいい。
「どうして?」
「学校に行ったらまたあの女子高生に襲われるかもしれないし。だったら使えた方がいいと思うんだよ。光彩を使うってどんな感じ? 出そうと思ったら出る?」
「考えると念じるの違いかな。ただ使いたいって考えるだけじゃダメ、念じないと」
「……えーと?」
「使えるようになれば分かるよ」
簡単にできるなら大家さんだってできるだろうし、予想はしていたけど良く分からない。次の質問を思いつくことができず、そのまま会話が終わった。
「ごめんね」
少したって舞さんの口が開いた。
「里緒さんってああいうトコあるから、驚くよね」
この言葉でさっきのことだと気付いた。
「あの人いつもああなの?」
昔何度か会ったことがあるけど親と同類の自分の世界最優先で生きている人、というのが俺の印象だった。
「昔は自炊も掃除もしない人だったけど、一緒に住むようになってからあんな感じになったの。料理も自分で調べて練習してできるようになったんだよ。私に教えてくれって言ったこともあるんだから」
「へー」
人って変わるんだな。
「時々恥ずかしいけどね」
「アレじゃね」
確かに強烈だった。俺の親は両方とも基本的に俺に干渉しないタイプだったのもあってあの変わり様には驚いた。
「私が熱出すとね、手を当てて体温測るんだよ」
「へー」
コレしか出ない。
「お待たせー」
大家さんが台所から出てきたのを見計らって俺はあることを聞いた。
「来週から学校に行ってもいいと思いますか?」
「向こうも騒ぎを大きくしたくないみたいだし、1人でいることさえ避ければいいと思うわ」
休むことを勧められることも考えていたから驚いた。
「いいんですか?」
「何かあったら舞もわかるでしょ?」
「その時は私が守るよ」
「お願いします」
頼もしいなー。




