10.白雪
最終話です。
はい、その通りです、凰士。
聞こえるはずのない凰士の呟きが耳に届き、同じ気分を味わっているのを感じ取れる。
「トイレなんて言って、抜け出すなんて汚いわよ。」
「それは仕方ないんじゃない?」
「そうそう。邪魔しに来たのは私達だし。」
三人三様に口を開く。私は無視して、さっさと浴衣を脱ぎ捨てた。
朝早いお風呂には先客はなし。私達の貸切状態だ。
「白雪、鏡を見た?」
「鏡?」
首を捻りながら、脱衣所の片隅に置かれた姿見の前に立つ。
うわぁ、胸元にキスマークだらけ。もう、凰士ってば。
「さぞや、甘くて楽しい夜を過ごしたのね。」
「羨ましい限りだわ。」
「あら、美人だって、彼氏と頑張っているんでしょう。人の事を羨む必要ないでしょう。」
この三人を止めるすべを知っているのなら、誰か私に教えて欲しい。
「白雪、喉痛くない?」
「別に。」
風邪をひいているわけでもないし、カラオケに行ったわけでもないのに、何故?
「あぁ、そう。不思議ね。隣の部屋まで声が聞こえたから、てっきり。」
うん?
「ちょ、ちょっと、待って。アンタ達、まさか、聞き耳立てていたの?」
「全然。聞き耳を立てる必要もないくらい、丸聞こえよ。こういう観光地のホテルは、壁が薄い場合があるから。」
「そうそう。お蔭で全然酔えなかったわ。」
「ど、どうして、アンタ達が隣の部屋にいるのよ?」
「私達の部屋は隣だと言ったでしょう。そこで飲み直していたのよ。」
何も隣の部屋で飲み直す必要があるのか?絶対に計画的犯行。
「あぁ、お腹空いちゃったな。早くお風呂から出て、朝ご飯にしよう。」
煩い三人を放っておいて、さっさと身体を洗い始める。
逃げるに限る。
「あら、白雪。結構、胸があるのね。」
感心したように隣に座る美姫が覗き込む。
「そんなにじっくり見ないでよ。」
胸を押え、ちらっと美姫の胸に視線を向ける。
「私と美人は同じくらいね。」
「私はいいのよ。モデルはあまり胸があってはいけないのよ。大切なのは全体のバランス。腰の括れとかね。」
「元、モデルでしょう。」
沙菜恵と美人の間で火花が散ったが、無視。
「あら、そう言えば美姫。」
「うん?」
「凰士の事、もういいの?」
「あぁ、いいのいいの。だって、私、素敵な恋人が出来たもの。」
「ふぅん。」
「誰なのか、聞きたい?」
美姫が含み笑いを零し、私の顔を覗き込む。
わかっているけど、聞いてあげようかしら?お優しい白雪様は。
「聞いてあげてもいいわよ。」
「まったく素直じゃないんだから。」
「えっ、何、何?美姫ちゃんの彼氏?」
顔と口を挟んできたのは、先ほどまで火花を散らしていた二人。
「そうよ。私の素敵な彼氏の話。」
「へぇ、興味あるなぁ。」
「もしかして、美王さん?」
「あっ、わかる?」
美姫が嬉しそうに微笑む。
美王、やっぱり告白したんだ。上手くいってよかったね。
「私からモーション掛けたの。」
「美姫から?」
「だって、いつまでも煮え切らないんだもん。苛々しちゃって。」
「あぁ、わかる。いつまでも煮え切らないヤツっているよね。」
沙菜恵が同意している。それって、つまり、道路くんがまだ告白していないって事?きっと昨日の土曜日にでも告白しようと考えていたのが、この騒動でオジャンになったんだろうな。
「あら、沙菜恵さんにも好きな人がいるんですか?煮え切らない人。」
美人と私がにやけた顔で、沙菜恵に視線を向ける。沙菜恵が横目で睨み付けるが、気にする必要もない。
「実は、ね。」
「どんな方なんですか?」
美人と私は忍び笑いを零しながら、沙菜恵の出方を楽しんでいる。あぁ、性格悪い。
「あのね、年下でちょっと日本人離れした顔しているんだけど、さり気ない気遣いが出来る人なの。」
「それって、バレバレですよ。道路さんでしょう。それで隠したつもり?」
一番性格の悪いのは美姫かもしれない。そう思ったのは、私だけじゃない様子。
「美人さんは?」
「彼氏がいるのよ。美容師をしていて、カリスマとか騒がれて、時々テレビにも出ているわ。だから、余計に忙しいみたい。」
「あぁ、ちょっと気障っぽい髪型しているけど、あんまり整った顔立ちと言えない人?それなのに、騙された女性ファンがきゃあきゃあ言っている。」
美人は怒り出すかと思いきや、口を開けて唖然とするのみ。
「ちょ、ちょっと、美姫。失礼でしょう。」
「ごめんなさぁい。私、正直だから。」
やっぱり性格悪い。お墨付きを上げるわ。それにしても美王も物好き。
「冷静な見方をしているのね。気に入ったわ。実は私も最近、そんな風に感じ始めていたの。あんまり会えなくなってから。」
今度、唖然とするのは、私と沙菜恵。
「私もさっさとアイツとケリを付けて、年下の男の子でも見つけようかな?」
「吹雪くんがいいんじゃないですか?」
「吹雪?」
「そうすれば、この八人で行動するのに丁度良いじゃないじゃない。恋人じゃないのは、美人さんと吹雪くんだけだもん。」
頭が痛くなってきた。のぼせたかな?
「それ、ナイスアイディア。」
「そうね。吹雪くんなら、合格点かな。」
沙菜恵だけじゃなく、美人まで…。あぁ、本気じゃない事を祈るわ。
「ごめん、私、のぼせてきた。先に出るね。」
「あっ、そう。じゃあ、七時から朝食だから、ラウンジでね。」
三人に手を振られ、一人、お風呂から出る。
さっさと部屋に戻って、冷たい烏龍茶でも飲もう。
女湯の暖簾を潜ると、男湯の暖簾から出てきた凰士と鉢合わせ。
「皆は?」
「盛り上がっている。俺はのぼせてきたから、先に出てきた。」
「私も。呆れて逃げ出してきた。」
二人で肩を竦め、苦笑い。
「部屋に戻ろうか?」
「うん。」
凰士が右手を握り締め、にっこりと微笑む。少しだけ照れ臭い。
「浴衣も似合うね。」
「バカ。」
凰士の身体に寄り添うように、身体を近付ける。
石鹸の香りに交じって、凰士の香り。
「まだ七時にもなっていなかったんだね。」
「そう。白雪が起きたのが六時。」
「起きたんじゃなく、起こされたの。」
「はい、はい。」
甘い空気が漂っているだろう。自分でも感じるくらいだから。
「コーヒー牛乳、飲むだろう?」
「あるの?」
「売店で売っているよ。」
「やった。」
途中、売店に寄ってから部屋に戻る。冷たいコーヒー牛乳を一気飲みして、ソファーに座り込む。
「白雪。」
隣の座った凰士が腕を伸ばし、私を包み込んだ。
「本当に浴衣姿の白雪、色っぽい。」
「そうかな?」
「凄く。」
そう微笑みながら、浴衣の襟の隙間から手を入れてきた。
「ダメよ。すぐに朝食なんだから。」
「少しだけ。」
甘い声でそんな事を言われて、拒否れる余裕はない。昨夜だけで、それが気持ち良い入り口なのか、知ってしまった。
「着替える、ようなのよ。」
「後でね。」
唇を塞がれる。これ以上、逃げる口実を言わせないためか?
「うぅん。」
掠れた吐息が零れ、身体中が熱くなる。
あぁ、流される。流されてもいいかも…。
「ピンポーン。」
やっぱりナイスタイミングで、邪魔者登場。私達の定めかもね。
「誰だよっ。」
不機嫌そうに立ち上がる凰士。私は乱れた襟元を直し、大きく息を吐き出した。
「凰士くん、白雪ちゃん。朝食に行きましょう。迎えに来たよ。」
「来なくてもいい。」
「えっ、何か言った?」
ドアの傍でおかしなやり取り。相手は吹雪だけなのかな?
「まだ浴衣なのかよ。さっさと着替えて、行くぞ。」
「はい、はい。」
生返事をする凰士がおかしくて、笑ってしまった。
なんて呑気な事をしてないで、さっさと着替えましょう。私まで浴衣でいたら、何を言われる事か。
「へぇ、結構広い部屋だな。」
隣の寝室に来て、よかったわ。リビング側では吹雪の声が聞こえる。
「あれ?白雪は?」
「寝室の方で着替えているんじゃないかな?多分。」
「じゃあ、凰士もさっさと着替えてこい。」
吹雪は何を言い出すんだ?一緒に着替えろとでも言うのか?
「ちょ、ちょっと待ちなさいよ。」
ドア越しに声を上げる。
「今更、照れる必要もないだろう。」
「何よ、今更って。」
出ていきたくても出ていけない。まだ着替えが終わっていないから。
「甘い夜を過ごしたんだろう。隠す必要なんて、これっぽちもないだろう。」
あぁ、どうして、私の弟は無神経なのだろう?
確かにその通りかもしれないけど、それ以前の問題でもある。
「あぁ、そっか。白雪の下着姿を見て、凰士に火が点いたらって心配しているのか?大丈夫だろう。理性で今まで抑えていたんだ。少しくらいの誘惑、どうって事ないよ。」
どういう理屈だ?アホな理論を聞きながら、私の着替えは終わった。
「誰がそんな心配しているのよ。」
ドアを勢いよく開け、仁王立ち。
「ほら、凰士がもたもたしているから、せっかくのチャンスを逃してしまったじゃないか。白雪の着替え、見たくなかったのか?」
私って、頭痛持ちだったかしら?それとも視力が落ちた?
「見たかった。」
口の中で転がすように呟く凰士。本当に溜息が漏れる日々。
「凰士、さっさと着替えてらっしゃい。」
「はぁい。」
素直で扱い易いんだけど、根本的なバカは治っていないのよね。
「凰士の宣言は、合格点?」
ソファーに偉そうに座った吹雪を見下ろし、首を捻った。
「宣言?」
「必ず満足させますって。」
一瞬にして昨夜の事が蘇ってくる。憶えてなくても良いモノは忘れないのね。
「ふ、吹雪には関係ないでしょう。」
「関係あるだろう。だって、両親と俺の前で宣言したんだよ。実行されていないなら、問題が出る。」
どんな問題だ?突っ込みたいが、言葉が上手く出てこない。
「まぁ、あれだけ喘ぎ声を上げていたんだ。満足しないはずがないだろうな。」
「なっ。」
本当に悪趣味なヤツ等ばかりだ。
もう嫌だ。いつから私、イジラレキャラになったんだろう?凰士が悪いんだな。
「変態。」
私がやっと言い返せた言葉だ。
「なぁ、凰士。凰士は白雪で満足できたわけ?もっと他の人を見付けてみようとか思わなかった?」
「思うはずがないだろう。白雪は、やっぱり最高の女性だよ。」
「だってさ。よかったな、白雪。」
コイツは何が言いたいんだ?何がやりたいんだ?我が弟ながら、謎が多い。
「凰士も着替えが終わったな。皆が待っている。ラウンジに行こう。」
「うん。」
吹雪がさっさと歩き出し、ドアに手を掛けた状態で振り返る。
「あっ、凰士、白雪。」
「うん?」
二人同時に頷いた。
「俺があげたので間に合ったか?失敗して、子供作るのはまだ早いぞ。」
「吹雪ぃ。」
私が大きな声を上げると、吹雪は笑いながら走り出した。逃げ足だけは速いヤツ。
「白雪と俺の子供なら、絶対に可愛いから、心配しなくてもいいよ。」
と、呑気な呟きをする凰士もいる。
あぁ、これからもこんな疲れる毎日を送るのかな?でも、相思相愛の凰士と楽しい友達。幸せなのかな?なんて、ちょっと思う私。
「行こう。」
凰士が私の右手を握り、微笑む。
「うん。」
凰士の顔を見上げ微笑み返した。
うん、やっぱり、私、幸せだ。
次回から、『白馬のおうじ様求婚大騒動』を連載します。
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