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第十四章 「伊崎 遥」

第十四章 伊崎 遥







ピッ・・・ピッ・・・ピッ・・・。



冷たい機械が、遥の命を静かに表す。



人工呼吸器をつけた遥は、その小さな口で何も語らず、原因不明の病と一人闘っていた。


暗く、何も無い闇の中で。


そして遥の病室には、全てが凍りつかぬようにと、竜司の心臓の音が温かく刻み鳴り続けていた。


その音に押されるかのように、遥は遠い意識の欠片を探し始める。


それは、この世に生きた証を探すかのように。







「お母さん、お母さんっ」


「どうしたの?」


「料理の作り方教えてぇ」


「料理?」


「うんっ」




それは、遥が十一歳を迎えたばかりの冬だった。




「何を作りたいの?」


「クッキー・・・」


「クッキー?誰かにプレゼントするの?」


「・・・うん」


「よしっ!じゃあ一緒に作ろうね」


「うんっ!」




遥が、そう笑顔で返事をすると、二人はそのまま買い出しに出かけた。




「遥ぁ、誰にプレゼントするの?」


「ん?内緒」


母親の問いに遥は恥ずかしそうに返事をする。


「わかった。同じクラスの祐樹君でしょぉ?」


「・・・」


続けて母親がそう言うと、遥は黙って下を向いた。


そしてそんな我が子の頭を、母親は優しい笑みで撫で、励ますように話す。


「頑張って美味しいクッキー作ろうねっ遥」


「・・・うん」


そして家に帰ると、当時十六歳の武が、晩飯はまだかと母親を急かす。


「武、今日はお父さんと外食してきてくれない?」


「え!?なんで?」


「ちょっと遥と用事あるから。ねっ?」


そう言われ、武が不思議そうに遥を見ると、遥は照れた顔で下を向いている。


「なんだか知んないけど、わかったよ」


首をかしげながら、武は父親の事務所へ向かって行った。


「よしっ邪魔者はいなくなったよ~?遥」


やがて二人きりになった台所で、少し申し訳なさそうにしている遥に、母親は嬉しそうに話し掛ける。


すると遥は、自信の無い声で問いかけた。


「ちゃんと作れるかな・・・」


「どうしたの?大丈夫だよ?遥」


笑顔で母親が諭す。


「でも・・・ちゃんと渡せられるかな・・・」


「じゃあ作るのやめておく?」


「・・・作る」


「渡せるか渡せられないかは作ってから考えようっ」


「・・・うんっ」



一方、武は・・・。




「親父ー。男二人で飯食ってこいってさ」


「なんでだ」


「さぁ」


父親の事務所に着いた武は、父親に何を食べるのか尋ねた。


「親父、何食うの?」


「おまえは何食いてぇんだ?」


「俺はなんでもいいよ」


「じゃあ、どっか出掛けるか」


「あのさ、懐石料理とかはいらねぇぞ・・・?」


「バカ。中華だ中華。ラーメンでいいだろ」




そして家では、クッキーが完成しようとしていた。




「祐樹君ってモテるんでしょ?」


「うん」


クッキーが焼き上がるのを待つ二人は、椅子に並んで座りながら話す。


「どこが好きなの?」


「・・・う~ん・・・」


「お母さんも小学校の時に好きな子がいてね?」


「へ?」


「告白した事があるの」


「どうだったの?」


「うーん、フラレちゃったっ」


「そうなんだぁ・・・」


「でもね?ちゃんと好きって伝えてよかったぁ~って思ったよ?」


「そうなの?」


「うんっ。だから遥も勇気出してっ!」


「・・・頑張る」


「よぉーっし!その意気、その意気!」




その頃、武達はラーメン屋にいた。




「おい武、チャーシューやるよ」


「あぁ。ってか、親父気になんねぇの?」


「何がだ?」


「家で何やってんだろ、あの二人」


武がラーメンをすすりながらそう聞くと、父親は落ち着いた声で答える。


「明日バレンタインデーだしな」


「え?」


「チョコでも作るんだろ」


「あっ、そうゆう事かぁ・・・ってか親父、よくわかったな」


「一応これでも親だからよ」


「へぇ~」




そして武は、父親の意外な面に感心しながら家へと帰った。




次の日、遥の小学校――。




隣の席の、『赤塚 茜』 が遥に話し掛けてきた。




「遥ちゃん、チョコ持ってきた?」


「チョコじゃないけど・・・持ってきたよ?」


「えっ何なに?」


「クッキーをね・・・焼いたんだぁ」


茜の問いに照れた顔で遥が答える。


「クッキーかぁ!」


「でも喜んでもらえるかな・・・」


「大丈夫だよ!」


やがて放課後になり、遥は茜と作戦を立て始めた。



「緊張する・・・」


「大丈夫!?遥ちゃん!」


「う~・・・やっぱりやめようかな・・・」


「もう何言ってんの!!せっかく作ってきたのに。私が祐樹君呼んでくるから。ねっ?」


「えっホントに!?どこに呼ぶの?」


「どこがいいの?」


「え・・・じゃあ音楽室・・・」


「よしっ!じゃあ音楽室で待ってて!」


「・・・うん」



そして、一人音楽室で遥は、高鳴る胸を押さえきれず座り込む。

五分程して、同級生の祐樹がやってきた。




「何だ?伊崎・・・体調悪いのか?」




祐樹の声にとっさに遥は起き上がる。



「あっ・・・うぅ~ん。ごめんねこんなとこに呼び出して・・・」


「いいけど・・・なんだよ一体」


「あっ・・・あの・・・」


「チョコか?」


「え!?あっ・・・まぁ・・・ん~と・・・チョコじゃなくて・・・」


「え?違うの?」


素直に言葉を投げかけてくる祐樹の顔を見れぬまま、はち切れそうな心臓を掴むように、遥は左手を胸に押し当てた。


「チョコじゃなくて・・・クッキー焼いてきたんだ」


「へぇ~くれんのか?」


「・・・う・・・うんっ」


「ありがと。おいしそうじゃん」


「あっ・・・うんっ!あのっ・・・・祐樹くん・・・」


「ん?」


「・・・なんでもない・・・」


遥が首を振ると、祐樹が小さな声で話し出した。


「・・・遥の事は・・・嫌いじゃねぇから」


「え?」


「・・・別に嫌いじゃねぇって」


「あっ・・・ありがと・・・それって・・・」


「・・・ってかもう行くからなっ!?みんな待ってるし!」


「あっ・・・ごめん」


「じゃあなっ!」


そう言い、少し顔を赤らめて、祐樹は音楽室から走って出ていった。


それを見計らい、隠れていた茜が遥のもとへやってくる。


「遥ちゃん、どうだった?」


「・・・緊張して・・・」


「渡せたんでしょ!?」


「うんっ!それにねっ!嫌いじゃないって言ってくれたの!!」


「えー!!!それって両想いなんじゃん!?」


「えーっ!!ホントに!?」


「やったじゃん遥ちゃん!」


「茜ちゃんのおかげだよー!!」



そして日が暮れ、そのまま幸せ気分を家に持ち帰った遥は、母親に今日の出来事を話した。




「よかったねぇ遥ぁ!!」


「うんっ!」


母親は自分の事のように喜び、遥をギュッと抱き締める。



「遥ぁ~。茜ちゃんに感謝しなくちゃねっ?」


「うんっ!ねぇ!私、茜ちゃんにもクッキー作ってあげたい!」


「よしっ!じゃあたくさん作るかっ!」




その日二人は、食べきれないほどのクッキーを作った。


有り余る愛情を全て注ぎ込むように・・・。






翌朝、普段通り学校へ行くと、昨日の噂がすでに広まっていた。




「遥ちゃん、なにか嫌な事言われても気にしちゃダメだよ?」


「うん・・・」


優しく声をかける茜に、遥は昨日作ったクッキーを渡す。


「茜ちゃん。これ、昨日また作ったんだっ。茜ちゃんに」


「えーっ!いいの?」


「友達だもんっ。当然だよぉっ」


「ありがとぉーっ!」


「ん~ん。こちらこそありがとぉ!」





いつからか仲良くなり、いつからか心を許しあう。


遥に出来た、初めての親友だった。


しかし終了式を迎え、春休みが終わりに近づいた頃、茜から一本の電話が鳴る。


母親に繋いでもらい電話に出ると、茜は普段より少し明るめな声で話し始めた。




「遥ちゃん、何してたの?」


「今日は家のお手伝いしてたよ?どうしたの?茜ちゃん今日は一段と元気だねっ」


「ん?・・・そーぉ?遥ちゃん、次も同じクラスになれるといいねっ」


「うんっ!また席が隣になったりして」


「祐樹君の隣の方が嬉しいくせに~」


「そんな事無いもんっ」


「あっ、ねぇ遥ちゃん今から会えない?」




突然、茜は今から会えないかと遥を誘う。




「え?いいよ?手伝いも終わったし」




特に何も意識せず、遥は茜の誘いを了承し、二人は近くの公園で落ち合う事にした。


そして他愛も無い話の中で、時折見せる茜の淋しそうな顔に、遥はすぐに気が付く。



「ねぇ、茜ちゃん、何かあったの?」


「ん?なんで?」


「なんとなく・・・なんか無理してない?」


「・・・遥ちゃんはやっぱりすごいなぁ」


「え?」



遥が心配すると突然、茜は今まで見せた事の無い顔をした。




「やっぱ、遥ちゃんはすごいっ!」


「・・・茜ちゃん?」


そして茜は無理に笑顔を作ると、すぐにまた下を向いてしまう。





「ごめんね・・・さっき電話でまた一緒のクラスになれるかなぁなんて言ったけどね・・・?」


「・・・ん?」


「・・・一緒のクラスにはなれない・・・」


「え?・・・どうして?」



突然の言葉に、遥がそう聞き返すと、茜はゆっくりと小さな口で語りだした。



「・・・言わないでおこうと思ってたんだけどね?」


「・・・うん」


「私・・・」



その瞬間、茜の目に我慢していたものが込み上げる。



「茜ちゃん!どうしたの!?」



「・・・遥ちゃん、ごめんね・・・?」



「どうしたの!?泣いちゃやだよぉ・・・」



「ごめんね・・・私・・・」



「ん?」


















「私・・・転校するの・・・」







「えっ・・・」







「春休み明けたら、違う学校へ行くんだ・・・」






「・・・なんで!?やだよ!!」





「お父さんとお母さんが・・・離婚したの・・・だからお母さんの実家にね?・・・行かなきゃいけないの・・・」





「なんで今なの!?せっかく仲良くなれたのに!!」





「・・・ホントごめんね・・・?でもね?遥ちゃん・・・」





「私・・・やだよ・・・そんなの・・・」





「・・・ごめん・・・・」






そのまま二人は、家へと帰った。




その日の夜。



食欲の無い遥を母親が気遣う。



「遥、どうかした?元気無いねぇ」


「別に・・・」


「あっ。茜ちゃんと喧嘩したかなぁ?」


「そんなんじゃないよ」


「じゃあどーしたの?」


「・・・茜ちゃん、転校するんだって・・・」


「・・・そう・・・」


「・・・私・・・」


遥は、我慢していた涙が溢れ出す。


「・・・私・・・どうしたらいいの?お母さん・・・」


「ちゃんとバイバイしたの?」


「・・・せっかく仲良くなれたのにどうして・・・親は勝手だよ・・・」


「親?」


「茜ちゃんのお父さんとお母さん離婚するんだって・・・」


「そう・・・」


「だからお母さんの実家に行くんだって・・・そう言って泣いてたんだ・・・茜ちゃん」


「遥・・・茜ちゃんが泣いてたのはどうしてだと思う?」


「え・・・」





「お父さんとお母さんが離婚する事も悲しいけどね?きっと茜ちゃんは、遥と離れ離れになっちゃうのが辛くて泣いてたんだよ?」




「・・・」




「遥とずっと一緒にいたいから」




「・・・」




「だから泣いてたんだよ?」




母親のその言葉を聞くと遥は、とめどなく涙が溢れ出る。




「・・・遥も辛いけど、こんな時に茜ちゃんを元気付けてあげられるのは遥しかいないんじゃないかなぁ?」



遥は、茜の気持ちを考えてあげられなかった自分を後悔し、恥ずかしく思った。



そしてすぐに茜に電話をかける。



「・・・茜ちゃん?」


「どーしたの?遥ちゃん。こんな遅くに」


茜が電話に出ると、遥はすぐに謝った。


「ごめんね、茜ちゃん・・・」


「ん?」


「私、自分の事しか考えてなくて、茜ちゃん辛いのに、なんかっ・・・嫌だとか言っちゃって自分ばっかで・・・傷付けちゃったよね?・・・親友を傷付けるなんて最低で最悪で、でもどうしたらいいかわかんなくて・・・ごめん、ホントごめんねっ・・・ごめん・・・」


「ん~ん。ありがとぉ、遥ちゃんっ」


遥がうまく喋れず、こらえきれずに泣き出すと、茜は穏やかな声でお礼を言う。


「なんで・・・ありがとうなんて言われる筋合いないよ・・・」


「遥ちゃんが親友って思ってくれてて・・・嬉しいから」


「・・・茜ちゃん・・・」


「それが嬉しい」


「いつこっち出るの!?見送りに行くから!!」


「・・・三日後だよ・・・」


「絶対行くから!!」


「・・・うん。待ってるねっ!」




しかし、その二日後に茜は街を出て行く。


最後の別れを、受け止める自信と勇気が、まだ茜には無かった・・・。


そして遥は一つ学年が上がり、茜のいない学校へ通う。





やがて六月になり、遥は母親に頼み事をしていた。








「お母さん。お願いがある」


「どうしたの?」


「海へ連れてって」


「海?」





母親が何故だと聞くと、遥は笑顔で答えた。















「茜ちゃんに会いに行くの」









「・・・よしっ!じゃあたまには親子二人で旅行しよーか!」



「ホントに!?」



「うんっ。赤ちゃんが産まれる前に二人で旅しよっ!」



「ありがとぉ!お母さん!!」








七月。



小学校が夏休みに入るとすぐ、二人は最初で最後の旅行に出た。


遥の担任に聞いた住所を手に、二人は茜の家を探す。

やがてバスを降り、紙に書かれた場所に着くと、女性が一人、庭で花に水をあげていた。


遥が話し掛けると、その女性はすぐに、その女の子が遥だと気が付く。




「・・・伊崎・・・遥さん?」




「はい」




「・・・赤塚茜の母です。娘からよく話を聞いていました」




遥の返事に、かみ締めた顔で女性は、遥と母親に深々と頭を下げる。



「茜は今、近くの海に行ってるはずです」



女性からそう聞くと、母親に許しを得て、遥は海に向かい駆けて行った。


そして女性は母親に対し、もう一度頭を下げる。


「ホントに遠くまで・・・ありがとうございます・・・」


「いえ。どうしても茜さんに会いたいって・・・あの子達の友情に距離なんて関係無いのかも知れませんね」


「・・・えぇ」




母親達はそのまま、家へとあがり子供達を待つ事にした。






その頃、遥が海岸線に着くと、茜は一人、海を見ながら浜辺で座っていた。


その少し悲しげな後姿を見て、遥は大声で茜の名前を叫ぶ。










「茜ちゃん!!!」










「・・・え・・・??遥ちゃん・・・?」











茜は遥に気付くと、自然と涙が溢れ出し、大きな海をバックにその場で泣き崩れた。


そして石の階段を駆け下り、遥は茜に思い切りしがみつく。












「会いたかったぁ!!茜ちゃん!!!」




「遥ちゃん・・・ごめんねっ・・・勝手にいなくなって・・・ホントにごめんね・・・」





茜が泣きながら、必死で想いを伝えると、遥も首を横に振って嬉しさと感動で涙を流した。





「ずーっと友達だからねっ!!茜ちゃんがどこにいようと、私はずっと茜ちゃんの友達だから!」




「うんっ!・・・ありがとぉ!!」









理由などいらなかった。


ただ会いたくて、ただ喜んで欲しくて・・・。


本当の思いやりを見つけた時、そこに理由など存在しないのかも知れない。


本当に人を大切に想う気持ちは、理由を付ける程、複雑では無いのかも知れない。


その時、誰がそう感じたわけでも無く、ただ真っ直ぐに人と向き合っただけの事。


けれどそこには、確かに存在する嬉しい涙があった。


それだけで、人には充分に伝わるものだと、幼いながらに二人は感じたのかも知れない。






そしてその日の夜。





「ねぇねぇ、茜ちゃん」


「ん?」


「その貝のネックレス可愛いねっ」


「これね、こっちに来てから自分で作ったの」


「えっ!すごーい!」


茜の部屋の布団の中、遥が、付けているネックレスに興味を抱くと、茜は一緒に作ってみないかと遥を誘った。


「遥ちゃんでも簡単に作れるはずだよ?」


「え!?ホントに!?じゃあ、もうすぐ弟が産まれるから、頑張ってってお母さんにプレゼントしたいなぁ」


「じゃあ明日、一緒に作る?」


「やったぁ!!」






そして、その五日後。


別れの時が来た。




「また来るねっ!茜ちゃん!」


「うんっ!私も遊びに行くからっ」


「絶対だよっ・・・元気でね?・・・」


「もう~遥ちゃん、泣き虫だなぁ」


遥が泣き出すと、茜は優しく遥をなだめる。


そして小さな手で、小包を手渡した。


「・・・茜ちゃん、これ・・・何?」


「向こうに着いたら開けてみてっ」


「え~何だろぉ?」


「お楽しみっ」




二人は、またねと声を掛け合い、それぞれの人生を歩み始める。


遥はその後すぐに弟が誕生し、ほぼ半年後、母親を亡くした。


茜は高校に入るとすぐ、自分の夢を探しに海外へと留学していく。



自分の幸せを探して・・・。






そして、半日かけて家に帰った遥達親子は、家族に旅行のお土産を渡す。


久しぶりに家族全員で夕食を食べ、その後遥は、部屋で一人、茜に貰った小包を開ける事にした。









「なんだろぉ・・・」













ゆっくり袋を切り、箱を開ける。


そしてその中身を見て、遥は優しい顔でにっこりと微笑んだ。










「茜ちゃん・・・こんなにいっぱいいつ作ったの・・・」











そこには箱いっぱいに、お返しのクッキーが詰まっていた。










遥は茜の為に。



茜は遥の為に。



当たり前に友達を想う気持ちを、遥はもっと大事にしようと思った。




『いつでも笑って生きていよう』




そう訴えかけるように、いつまでも写真の中の二人は笑い続けていた。






そして数日後、母親は出産の為に入院し、遥はその病室にいた。





「お母さん、お母さんっ」


「何?どうしたの?」


「あのね、とっておきの魔法があるんだぁ」


「え?何の?」


「元気になる魔法!」


「えぇ?」



遥の嬉しそうな顔に、母親は笑顔で受け答える。



「これを持ってると元気になれるのぉ」


「え?楽しみ~どれどれ?」


「はい。これ」



そして遥は、茜と二人で作った貝のネックレスを母親に手渡した。



「えぇ~!遥が作ったの!?」


「うんっ!茜ちゃんと二人でぇ」


「あっ、茜ちゃんに会いに行った時の?」



自慢げな遥を見て、母親は嬉しそうな顔でネックレスを付ける。



「似合う?」


「うんっ!すごい似合うよ!!」


「遥、ありがとぉ」


「これで元気な赤ちゃんが産めるねっ!お母さん!!」


「うんっ!自信が湧いてきたよっ」


「でしょでしょ~?」








やがて遥に弟が出来た。






それは、手紙で茜に知らされ、茜からもお祝いの言葉が届く。











季節は夏が終わり、秋になろうとしていた。









まだ外は暑く、熱の反動が何の影も無いかに見えた家族に、一つの小さな影を被せ、やがて初秋の風が全てをさらっていく。










「兄貴よ、あんたが裏金ばらまいてるの、バラしてもいいのかい?」



「家族の前だ。馬鹿な話はよせ。香樹を養子になんて出来るわけないだろう」







まるで、こうなる事が決まっていたかのように・・・



その一瞬はやってきた・・・。





ヒグラシの鳴き声が・・・



雨に濡れたアスファルトの匂いが・・・








病で意識を失う十八歳の遥は、ベッドの上で全てを思い出そうとしていた。


遠い記憶の向こう・・・いつでも遥は、恐怖から、自分の記憶を拒否し続けてきた。


母親が倒れてから亡くなるまでの、その全ての記憶の存在を・・・。







「俺はな、あんたのせいで親からも見離されて、地獄ん中を這いつくばってきたんだ・・・。そんな弟に、三人もいる子供一人くらいくれてもバチ当たんねぇじゃねぇのかい?綺麗な嫁さんと娘、傷つけられても嫌だろうに」


「ふざけるなよ小僧・・・俺を誰だと思ってる・・・」







その時、昏睡状態の遥は、過去の闇に少しでも柔らかい光を差し込もうとしていた。


それは十一歳の自分と、笑顔で別れた茜からのメッセージだった。











遥ちゃん。


思い出すの怖いけど・・・


・・・勇気出して?


私がちゃんと見守っててあげるから・・・


ねっ?









茜ちゃん・・・


ありがとう・・・


うん・・・


私に・・・ほんの少し・・・


ほんの少しだけ、力を貸して・・・








「収賄容疑で捕まりたいのかい?兄貴・・・」


「今までは多少の銭もくれてやってたがな、そんなに俺もお人好しじゃないんだよ馬鹿野郎・・・てめぇをいつでも豚箱いれるくらいの事はたやすいんだ、このシャブたれが・・・」


「・・・なめんなよ・・・簡単に捕まってたまるか・・・」



「まぁまぁ、お父さんも修三くんも落ち着いて・・・」










そしてお母さん・・・。










「うるせぇよくそったれ!!馬鹿そうな娘連れやがっていきがってんじゃねぇ!」


「・・・てめえこの野郎・・・何してんだ馬鹿ヤロー!!」


「おい!!やめろ親父!!!おっ・・・おいっ!!母さん!!遥ぁ!!大丈夫か!!」


「お兄ちゃん・・・お・・・お母さんが・・・」


「遥、しっかりしろ!?おいっ!母さん!!しっかりしろよ!!おいっ・・・目ぇ覚ませって!!」






「・・・死なないで・・・お願い・・・」


















「もうやめてくれ親父!!!!」
























お母さん。





私・・・。





あの日の事を、思い出さないように生きてきたんだ。





怖くて・・・どうしようもなくて・・・。





お父さんが捕まって・・・お母さんが入院した日・・・。





私・・・。





茜ちゃんに勇気を貰った。





だから、あの日の自分を探してみる。





そして・・・。
















もう一度、あなたに会いたい。



























事件からおよそ八ヵ月後の五月十七日、母親の意識は未だ戻らないまま、ついにその時がやってきた。




「・・・お母さん・・・お願いだから目を覚まして・・・」




そう言い、遥は話す事の出来ない母親の手を握り、祈るように目を瞑る。


不安と恐怖でいっぱいの心を、ただ唯一感じる母親の手のぬくもりで、精一杯温める事しか出来なかった。




そしてその願いは、ほんの少しだけ届き、やがて目一杯の涙を降らす。





午前十時二十八分。





母親の意識が戻った。








「・・・お母さん?!」





「・・・はる・・・か・・・」






「お母さん!!意識戻ったの!?」





遥は、意識の戻った母親に語りかけながら、ナースコールを押す。




「お母さんの意識が戻ったんです!!早く!!早く来てください!!お願いします!!」



「遥・・・顔を・・・見せて?」



「お母さん!!しっかりして!?」



「・・・遥・・・ごめんね・・・?もう・・・お母さん・・・」



「お母さんっ!!やだよぉ!!一人にしないでよぉ!!!」



「・・・遥・・・お母さんが死んだら・・・香樹の面倒・・・見てあげてね・・・?」



「死ぬなんて言わないで!!!」



「・・・遥は・・・強い子だから・・・大丈夫・・・」



「・・・お母さん・・・」




遥は、泣きながら強く、母親の手を握り締める。




「・・・遥と出逢えて・・・」




「・・・」




「・・・お母さんホントによかった・・・」




「死んじゃやだよぉ・・・お願いだから・・・お母さん・・・」




「・・・何もしてあげられなくて・・・ごめんね・・・?」




「そんな事無い・・・」




「・・・もっと・・・遥と色んな事したかったよ・・・?」




「これからも出来るよ!!!一緒にクッキー焼いたり、旅行行ったり、もっともっと・・・だから死んじゃ嫌だよ!!!」




「・・・遥・・・お母さん、ずっと・・・」




「・・・」




「ずっとずっと・・・遥を応援してるから」




「・・・死んじゃ嫌だ・・・」




「・・・だからこれから先・・・苦しい事があっても・・・負けないで・・・」




「お母さんがいないと私・・・」




「・・・大丈夫。遥なら・・・大丈夫だから・・・」




「・・・」




「・・・遥・・・」




「・・・ん?」






そして担当医と数名の看護士がやってくる。


やがて母親は遥の呼びかけに答えなくなり、遥は大声で母親の名前を叫んでいた。


連絡を受けた武は、まだ赤ん坊の香樹と祖母を連れ、母親のもとへとやって来る。













午前十一時二分。














家族の呼びかけに、母親は涙一つ零さず、優しい顔をして亡くなった。














武が横たわる母の体を揺すり、名を叫ぶと、祖母が震えながらそれを止める。


やがて静かに臨終を告げ、医師達が出て行き、病室に誰よりも大きな声で香樹の泣き声が響いた。


それは、まだ泣く事でしか表現出来ない香樹の、精一杯の母に対するさようならだったのかも知れない。


そして遥は、家族に何も語る事無く、放心状態で病院を出る。







たった一つ、母親の最後の言葉だけを連れて・・・。













「・・・遥・・・」











「・・・ん?」











「・・・涙はね・・・いつでも遥を励ましてくれるから・・・泣きたい時は思いっきり泣いたっていい・・・」












「・・・うん」












「だけど、泣いたらその分だけ・・・強くなりなさい・・・そしてその分だけ・・・」















「・・・」





















「・・・世界中の誰よりも幸せになりなさい」























遥・・・辛いのに、よく思い出したね。

辛い思いをさせて・・・ホントにごめんね?




ん~ん。私・・・今、幸せだよ?

・・・幸せのまま・・・お母さんのところへ行くっ。




・・・遥がいい子に育ってくれて、お母さん嬉しい。

・・・あのね?遥・・・




ん?




いつかお母さんにくれた貝のネックレス・・・魔法の力はまだ残ってるのかなぁ・・・?




へへっ。小さい頃の話だから・・・魔法なんて・・・




でもお母さんは信じてる。




え?




あの貝にはね?ちゃんと魔法があると思うんだぁ。




・・・ありがとぉ・・・そうだといいな・・・














午後二時三十八分。






危篤状態。






その時、遥はベッドの上で生死を彷徨っていた。





病室には、武と竜司の叫び声が響く。





「遥ぁ!!!」




「おいっ!!しっかりしろぉ遥ぁ!!!!」














午後二時四十三分。

























心肺停止。










































「遥ぁ!!死ぬな!!戻って来い!!!」



















「遥ちゃん!!!死んじゃダメ!!!!」























すみれが泣きながら遥を呼ぶ。





















同時刻、心臓に電気ショックが与えられる。



























心臓は・・・



































復活しない――。























































「お姉ちゃんっ!!!死んじゃ嫌だお姉ちゃん!!!」





























顔をぐちゃぐちゃにしながら、精一杯に香樹が訴えかける。



























その光景は・・・


































死に行く母親の名を叫ぶ、あの時の遥と一緒だった。











































「先生!!頼むよ!!!戻ってきてくれ遥ぁ!!」



























竜司がそう叫ぶと、すみれは耐えられず、立っていられなくなる。

































そして・・・





































遥・・・最後のお母さんからのプレゼント。





え?





みんなのもとへ・・・









・・・。









みんなのもとへ帰りなさい。











・・・でも・・・












そのかわり、綺麗な貝のネックレス・・・またお母さんにくれる?


















お母さん・・・



























またいつか会おうねっ遥!!












































午後二時四十五分。























































ピッ・・・































ピッ・・・

































ピッ・・・










「・・・遥!?」





「・・・戻ってきた・・・」





「遥ぁ!!しっかりしろ!!」





















その時、幼き日の遥が作った綺麗な貝は、床に落ち、粉々に砕け散った。





ほんの少しの間でも、まだ生きていたいと願う、遥の命と引き換えに・・・。




























お母さん・・・ありがとぉ。

































最高のプレゼントだよ・・・











































神様に頼んでくれたんでしょ?









































あと一週間、待ってあげて下さいって。




































お母さんの所に行くまで・・・








































あと一週間、世界中の誰よりも・・・










































この命を、幸せに生きてみます。


















四月十四日。









すみれはその日、武に妊娠十週目を告げた。


それを聞くと武は、新しい命を心から喜びながら、その一方で死への恐怖をよりいっそう募らせる。


その弱さにつけこむかのように・・・。


病が、武の体を全て奪い去ろうとしていた。










そして、ここから怒涛の一週間が始まる。








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