第三百十九話 ユウトはユウト
ついに正体を知られてしまったユウト。
終焉竜という名を知ったベルグラードの人々は、どんな答えを出すのでしょうか――。
ゴルダンとバットが去ったあと。
ベルグラードの町には、奇妙な静けさが残っていた。
騒ぎが収まり、ユウトたちが町の通りへ戻ってきても、普段のような賑わいはなかなか戻らない。
道端には、まだ多くの住民たちが集まっていた。
しかし、誰もユウトへ近づこうとはしなかった。
少し離れたところから様子を窺い、隣の者と何かを囁き合っている。
その視線のほとんどは、一人の青年へ向けられていた。
「…………」
ユウトは落ち着かなさそうに辺りを見回した。
「……なあ、シエル」
「何?」
「なんか、めちゃくちゃ見られてない?」
「見られているわね」
「……だよな」
「当然でしょう」
シエルが呆れたように答える。
「ついさっきまで普通の冒険者だと思われていたあなたが、突然巨大な竜になったのよ?」
「……まあ、そうだけど」
「しかも終焉竜。伝承では厄災として恐れられている存在なんでしょう?」
「……そうだよなぁ」
「今さら理解したの?」
「いや、分かってはいたけどさ……」
ユウトは困ったように頭を掻いた。
これまでベルグラードで過ごした一か月。
町を歩けば誰かが声を掛けてきて、相談を持ち込まれることも珍しくなくなっていた。
魔獣を倒した時には礼を言われ、工房や商店の問題が解決すれば笑顔で見送ってもらえた。
それが、今はどうだろう。
同じ通りにいるというのに、誰も近寄ってこない。
ユウトが視線を向けると、慌てて目を逸らす者までいた。
「……主」
隣にいたシアが、そっと声を掛ける。
「……何?」
「ちょっと、怖がられてるっすね」
「…………」
ユウトも、それには気づいていた。
先ほどまで笑顔で話していた住民たちが、今は警戒するように距離を取っている。
もちろん、無理もないとは思う。
自分だって、突然目の前の人間が巨大な竜に変わったら驚くだろう。
ましてや、それが世界を滅ぼすと伝えられている存在だと知れば、怖くなるのも当然かもしれない。
それでも――。
「……そっか」
ユウトの顔から、少しだけ笑みが消えた。
その様子に気づいたリトが、頭を掻きながら口を開く。
「……まあ、仕方ねぇんじゃねぇか?」
「……うん」
「みんな、ついさっき知ったばかりなんだろ?」
「そうだな」
「そりゃ、すぐには飲み込めねぇよ。俺だって最初にアニキの正体を知った時は驚いたしな」
「……そうだったっけ?」
「そうだったよ!」
リトが苦笑する。
「まあ、だからってアニキが何か変わったわけじゃねぇけどな」
「……そうなんだけどさ」
ユウトは再び周囲へ視線を向けた。
何か言った方がいいのだろうか。
それとも、しばらく放っておいた方がいいのだろうか。
どうにも判断がつかない。
これまで商店や工房の揉め事なら、相手の話を聞いて、問題を整理すればよかった。
しかし、今回ばかりは事情が違う。
相手が怖がっているのは、ほかでもない自分自身なのだから。
そんなことを考えていた時だった。
「……ユウトさん」
「……ん?」
振り返ると、ミレアがこちらを見つめていた。
その表情は、いつになく真剣だった。
「…………」
「…………」
二人の間に、短い沈黙が流れる。
「……ミレア」
「はい」
「……怒ってる?」
「怒っています」
「やっぱり!?」
ユウトが思わず声を上げた。
「……当然です」
ミレアは静かに答える。
「なぜ、終焉竜であることを黙っていたんですか?」
「……聞かれなかったから」
「そういう問題ではありません!」
「……だよな!」
「分かっているなら、もう少し考えてください!」
「いや、考えたって!」
ユウトが両手を広げる。
「だってさ、初めて会った時に『初めまして! 終焉竜です!』って言えばよかったの?」
「…………」
「絶対おかしいだろ、それ!」
「…………」
ミレアが言葉に詰まった。
少し考え込んだあと、小さく頷く。
「……確かに、不自然ですね」
「だろ!?」
「ですが!」
「まだある!?」
「あります!」
ミレアは一歩前へ出た。
「あなたは!」
「……はい!」
「終焉竜なんですよね?」
「……はい!」
「世界中で厄災として恐れられ、伝承にもその名が残る存在!」
「……らしいな」
「最強種!」
「……たぶん」
「たぶんではありません!」
「はい!」
ユウトが反射的に背筋を伸ばす。
その様子を見ていたシアが、リトの袖を引っ張った。
「……リト」
「……何だ?」
「ミレアさん、受付嬢モード入ったっす」
「……ああ。怖ぇな」
「聞こえていますよ」
「すんませんっす!」
二人が同時に頭を下げる。
「なんで俺まで怒られてる気分になるんだ……」
リトが小声で呟いた。
そんなやり取りを聞いて、ミレアは大きく息を吐いた。
「……まったく」
そして、改めてユウトへ視線を向ける。
「ですが、ユウトさん」
「……うん?」
「正直に、お話しします」
先ほどまでの勢いが、少しだけ和らいだ。
その変化に気づき、ユウトも静かにミレアの言葉を待つ。
「もし、アルヴェインで初めてお会いした時に、あなたが終焉竜だと知っていたら……」
「…………」
「私は、今までと同じように接することができたか、自信がありません」
「……そっか」
ユウトが少しだけ目を伏せた。
ミレアは続ける。
「おそらく、警戒したと思います。ギルド長へすぐに報告し、あなたと距離を取ろうとしたかもしれません」
「……まあ、そうなるよな」
「はい。伝承に語られる終焉竜は、それほど恐ろしい存在ですから」
ミレアは隠そうとしなかった。
自分が終焉竜という存在を恐れていたことも。
今日、その力を目の前にして、実際に恐ろしいと感じたことも。
しかし――。
「……ですが、今は違います」
ユウトが顔を上げた。
ミレアは真っ直ぐに、その目を見つめていた。
「私は、あなたと一緒に旅をしてきました。そして、このベルグラードでも、あなたの行動をずっと見てきました」
「…………」
「人間族の話を聞き、評議会の話にも耳を傾け、どちらか一方だけを正しいと決めつけずに、どうすれば争いを避けられるのかを考えていました」
ミレアは、ゆっくりと周囲の町並みへ視線を向ける。
「その結果、町は少しずつ変わり始めました」
かつては種族によって分けられていた商店の入口。
同じ仕事でも異なる賃金。
住まいを借りることさえ難しかった人間族の暮らし。
それらが、すべて解決したわけではない。
しかし、何も変わらないと諦めていた人々が、今は話し合いを始めている。
評議会も、商店も、工房も。
そして、人間族自身も。
「あなたがすべてを変えたわけではありません。町の皆さんが、自分たちで変わろうとしたからこそ、今の変化があるのだと思います」
「……うん」
「ですが、そのきっかけを作ってくださったのは、間違いなくユウトさんです」
「…………」
「そして今日」
ミレアの視線が、先ほどユウトが竜化した場所へ向いた。
「あの魔族が町へ危険な魔法を放った時、あなたは迷わず住民の皆さんを守りました」
「……まあ、あれは放っておけないだろ」
「そうですね」
ミレアが小さく微笑む。
「あなたなら、きっとそう言うと思いました」
「……え?」
「ですから、私は思うんです」
ミレアは、もう一度ユウトへ向き直った。
「終焉竜だと知ったからといって、今まで見てきたあなたの行動が、すべて嘘になるわけではありません」
「…………」
「それなのに、終焉竜だから怖いという理由だけで、あなたを遠ざけてしまったら……」
そこで、ほんの少し苦笑する。
「私も、種族という一つの情報だけで相手を判断していることになりますね」
「……ミレア」
「もちろん、あれほどの力を恐ろしいと感じることまで、間違っているとは思いません」
ミレアは静かに続けた。
「ですが、恐ろしい力を持っていることと、その力を何のために使うのかは、別の話です」
「…………」
「あなたは今日、その力で私たちを守ってくださいました」
ユウトは黙って聞いていた。
ミレアの言葉は、決して大袈裟なものではなかった。
ただ、これまで自分の目で見てきたことを、一つずつ確かめるように話している。
「私は、ベルグラードでずっと、種族によって待遇が変わることに疑問を持ってきました」
ミレアは、少しだけ自嘲するように笑った。
「そんな私が、あなたの正体を知った途端に態度を変えてしまっては、今まで考えてきたことと矛盾してしまいます」
「…………」
「だから、ユウトさん」
「……うん」
「私は、これからもあなたを、あなた自身として見ていきたいと思います」
その言葉に、ユウトは少しだけ目を見開いた。
そして――。
「……そっか」
ゆっくりと笑った。
「じゃあ、今まで通りでいい?」
「…………」
ミレアが瞬きをする。
「……それだけですか?」
「……え?」
「もう少し、何かないんですか?」
「……何かって?」
「感動するとか! 喜ぶとか!」
「してるよ!」
「全然そう見えません!」
「どうすればいいんだよ!」
ユウトが困ったように両手を広げる。
すると、シアが横から口を挟んだ。
「主! もうちょっと感動した顔するっす!」
「どんな顔だよ!」
「こうっす!」
シアが両手を胸の前で握りしめ、わざとらしく目を潤ませる。
「ミレアさぁぁん! ありがとうっすぅぅ!」
「絶対やらないからな!?」
「なんでっすか!?」
「恥ずかしいだろ!」
「ガッハッハ! そりゃそうだ!」
リトが豪快に笑う。
その隣で、シエルも小さく笑みを浮かべていた。
「まあ、ユウトらしいんじゃない?」
「シエルまで!」
「でも、ちゃんと感謝しているのでしょう?」
「……そりゃあ」
ユウトはミレアへ視線を向けた。
そして、少し照れくさそうに頭を掻く。
「……ありがとな、ミレアさん」
「…………」
今度はミレアが言葉に詰まった。
その表情が、僅かに柔らかくなる。
「……はい」
彼女は静かに微笑んだ。
「こちらこそ」
ようやく、いつもの空気が戻ってきた。
しかし――。
まだ、周囲の住民たちは動こうとしなかった。
◇
「……おい」
不意に、人混みの中から声が上がった。
ユウトが振り返る。
そこには、灰色の髪と狼の耳を持つ獣人族の男が立っていた。
「……あっ!」
ユウトの表情が明るくなる。
「ガルドのおっちゃん!」
「……おう」
ガルドだった。
普段なら「誰がおっちゃんだ!」と怒鳴り返してくるところだが、今日は少しだけ様子が違っていた。
ガルドは周囲の視線を気にすることなく、真っ直ぐユウトの前まで歩いてくる。
「……お前、終焉竜だったのか」
「……うん」
「……そうか」
「…………」
ガルドは、ただ頷いた。
ユウトが首を傾げる。
「……それだけ?」
「それだけだ」
「……え?」
「何だよ」
「いや、もっとこう……」
「……何だ?」
「驚くとか、怖がるとか……」
「驚いたぞ」
「見えないよ!」
「うるせぇな」
ガルドは鼻を鳴らした。
そして、ユウトの顔をじっと見つめる。
「……だから何だ?」
「……え?」
「お前が終焉竜だったとして、それがどうしたって聞いてんだよ」
「…………」
ユウトが口を閉じる。
しかし、その言葉はユウトだけに向けられたものではなかった。
ガルドはゆっくりと振り返り、周囲に集まっている住民たちを見渡した。
「なあ、お前ら」
「…………」
「終焉竜だったら、こいつがここに来てからやったことが全部なくなるのか?」
誰も答えない。
ガルドは構わず続けた。
「人間族と評議会の間に入って、話し合いを進めたのは誰だ?」
「…………」
「店で揉め事が起きりゃ話を聞いて、工房で意見が食い違えば双方の事情を確かめて、魔獣が出りゃ町を守ってきた」
ガルドは一度、空へ視線を向けた。
「さっきだってそうだろ」
ほんの少し前まで、あの空には巨大な黒い魔法が迫っていた。
もし直撃していれば、この町でどれほどの被害が出ていたか分からない。
「俺たちがまとめて吹き飛ばされそうになった魔法を、止めたのは誰だ?」
「…………」
「ユウトだろ」
ガルドの声が、通りに響く。
「終焉竜だから何だ?」
その言葉に、何人かの住民が顔を上げた。
「昨日まで俺たちが知っていたユウトが、今日になって急に別人になったのか?」
「…………」
「違うだろ」
ガルドは静かに言った。
「こいつは、最初からこいつだった。それだけの話じゃねぇか」
周囲に沈黙が落ちる。
それは、先ほどまでの怯えたような静けさとは、少しだけ違っていた。
住民たちは、それぞれ考えていた。
自分たちがこの一か月以上の期間で見てきたユウトの姿を。
そして、今初めて知った終焉竜という存在を。
その二つを、どう受け止めればよいのか。
そんな中――。
「……まあ、そうだな」
別の声が上がった。
人混みの中から、一人の人間族の男が歩いてくる。
「……あっ!」
ユウトが顔を上げる。
「ハロルドのおっちゃん!」
「……お前、俺までおっちゃんって呼ぶのやめねぇか?」
「……なんで?」
「ガルドまでおっちゃんって呼んでるだろ!」
「……うん」
「紛らわしいんだよ!」
「今そこ!?」
ユウトが思わず突っ込む。
そのやり取りに、周囲から小さな笑いが漏れた。
ハロルドは苦笑しながらユウトの肩を軽く叩いた。
そして、ガルドの隣へ並ぶ。
「……まったく」
ハロルドは周囲の人々へ目を向けた。
「俺たちは、ついこの前まで種族だけで相手を見るなって、散々こいつに考えさせられてきたんだ」
「……俺、そんな偉そうなこと言ったっけ?」
ユウトが首を傾げる。
「言ってねぇよ」
「……え?」
「お前はただ、何度も聞いてきただけだ」
ハロルドが笑う。
「なんで人間族だけ入口を分けるんだ。なんで同じ仕事なのに賃金が違うんだ。どうして種族だけを理由に家を貸さないんだってな」
「……ああ」
ユウトは少しだけ考え込んだ。
「……聞いたな」
「しつこいくらいにな」
「しつこいって!」
「本当だろうが!」
ハロルドが声を上げて笑う。
だが、すぐに真剣な表情へ戻った。
「でも、それが一番効いたんだよ」
「……そうなの?」
「ああ」
ハロルドは静かに頷いた。
「俺たちにとっちゃ当たり前だったことを、こいつは当たり前だと思わなかった」
それまで誰も疑問を持たなかった慣習。
昔からそうだったから。
みんながそうしていたから。
そんな理由だけで続いてきたことに、ユウトは何度も疑問を投げかけていた。
ただ反対するのではなく、理由を尋ねる。
相手の事情を聞き、どうすれば変えられるのかを一緒に考える。
その積み重ねが、少しずつベルグラードの人々の考え方を変えていった。
「……それで、今度はどうだ?」
ハロルドが住民たちを見る。
「俺たちが今まで知ってきたユウトを、終焉竜だからって理由だけで遠ざけるのか?」
「…………」
「それじゃ、今まで俺たちがやってきたことと変わらねぇだろ」
その言葉に、住民たちの間で僅かなざわめきが生まれた。
やがて、一人が口を開く。
「……確かに、そうかもしれないけど……」
しかし、すぐに別の男が反論した。
「でも、終焉竜だぞ? あの伝承に出てくる厄災なんだろ?」
「そうだよな……。さっきの姿を見ただろ? あんな力があったなんて……」
不安を口にする者もいた。
その言葉に、ハロルドは首を振らなかった。
「……怖いと思うのは分かるさ」
静かに答える。
「俺だって、あの姿を見た時は驚いたからな」
すると、ガルドも頷いた。
「ああ。あんな力を見せられて、怖がるなって方が無理な話だ」
その言葉を聞いて、何人かの住民が顔を上げた。
「……だったら」
「だからこそ、だろ」
ガルドが言葉を遮る。
「怖いからって、何もかも決めつけるのは違うんじゃねぇか?」
「…………」
「少なくとも、俺たちはこいつが何をしてきたか知ってる」
ガルドはユウトを指さした。
「それを忘れる必要はねぇだろ」
再び、静けさが広がる。
しかし、今度は少しずつ声が上がり始めた。
「……そうだな」
「でも、終焉竜なんだろ……?」
「だからって、俺たちを襲ったわけじゃないだろ」
「今日だけじゃないぞ。前にグランドライノが出た時も助けてくれた」
「北門のアイアンホーンベアだって、畑に被害が出ないようにしてくれたじゃないか」
「うちの工房も、話を聞いてもらった」
「俺の店だってそうだ」
「人間族だからって断られたこと、一度もなかったな」
「獣人族だからって、特別に肩を持たれたこともない」
言葉が、一つずつ増えていく。
それぞれが、自分の知っているユウトについて話し始めていた。
噂で聞いた伝承ではない。
実際に会い、話し、自分の目で確かめてきた一人の青年の姿だった。
「…………」
ユウトは、黙ってその声を聞いていた。
何を言えばいいのか、分からなかった。
これまで町の人々の話を聞いてきた。
だが、今はその人々が、自分について話している。
そこには戸惑いも、恐怖も残っている。
それでも、少なくとも全員が自分から離れていくわけではないらしい。
そんなことを考えていた時だった。
「……ユウトさん」
「……ん?」
人混みの中から、一人の人間族の男が歩いてきた。
その足取りは、どこか慎重だった。
男はユウトの少し手前で立ち止まると、恐る恐る口を開いた。
「……本当に、終焉竜なんだよな?」
「……うん」
ユウトは頷いた。
「そうだよ」
「…………」
男は少しだけ目を伏せた。
何かを考え込むように、しばらく黙っている。
その様子を見て、ユウトが静かに尋ねた。
「……怖い?」
「…………」
男は少し迷ったあと、正直に頷いた。
「……少し」
「……そっか」
ユウトは、それ以上何も言わなかった。
怖くないと言い聞かせるつもりもなかった。
いくら自分が何もしないと言ったところで、男が恐ろしいと感じた事実までは変えられない。
だから、無理に説得しようとは思わなかった。
すると――。
「……でもさ」
男が、ゆっくりと顔を上げた。
「さっき、あの魔族が魔法を撃っただろ?」
「……うん」
「……あの時、俺の娘もこの通りにいたんだ」
「…………」
「まだ小さくてな。逃げようとしても、怖くて足が動かなくなって……」
男の声が、僅かに震えた。
「もし、あの魔法がそのまま飛んできてたら……」
そこで言葉が途切れる。
ユウトは黙って待った。
やがて、男は深く息を吐いた。
「……ありがとう」
「…………」
「娘を守ってくれて、本当にありがとう」
男が深く頭を下げた。
その姿を見て、ユウトは少しだけ目を見開いた。
そして、ゆっくりと笑う。
「……おう!」
いつもの返事だった。
男も、少しだけ笑った。
その光景を見ていた住民たちの中から、また一人、声が上がった。
「……俺も助かったよ!」
「うちの店だって、前に相談に乗ってもらったしな!」
「畑を守ってもらったことも、忘れてないぞ!」
少しずつ、人々の距離が縮まっていく。
それでも、誰もが一斉に近づいてきたわけではない。
まだ建物の陰から様子を窺っている者もいれば、表情を曇らせたまま立ち去る者もいた。
終焉竜という存在を、簡単に受け入れられない人々も確かにいる。
しかし、それでいいのかもしれない。
無理に信じてもらうものではないし、すぐにすべてを理解してもらえるとも思っていない。
ただ、これまで通りに接してくれる人がいる。
そのことが、ユウトには何より嬉しかった。
すると、不意に別の声が上がった。
「……なあ、ユウトさん!」
「……何?」
「終焉竜でも、腹は減るのか?」
「……え?」
ユウトが首を傾げる。
「いや、伝承の最強種って聞くと、飯なんか食わなくても生きていけそうだなって」
「……減るよ!」
ユウトが即答した。
「普通に腹減るし!」
「……そうなのか?」
「当たり前だろ!」
「……じゃあ、何食うんだ?」
「何でも食うぞ!」
「…………」
その返事に、なぜかシエルが額へ手を当てた。
「……あなた、その言い方はやめなさい」
「……なんで?」
「変な誤解を招くでしょう」
「……え?」
ユウトが首を傾げる。
すると、シアが嬉しそうに口を挟んだ。
「主は魔獣も食べるっす!」
「……魔獣!?」
住民たちが目を丸くする。
「そうそう!」
ユウトが頷く。
「……その辺の魔獣、食っちまうのか!?」
「まあ、食べるけど……」
「…………」
「……あ」
ユウトが周囲を見回した。
住民たちの表情が、再び僅かに強張る。
「……ちょっと待って!」
慌てて手を振る。
「別に人間族とか獣人族とか食べないからな!?」
「……当たり前でしょう!」
シエルの突っ込みが飛んだ。
「主! それ、自分から言うと余計に怖いっす!」
「シアが変なこと言うからだろ!」
「本当のことっす!」
「だからって!」
「ガッハッハ!」
リトが豪快に笑い始めた。
「アニキ! 自分で話ややこしくしてどうすんだよ!」
「なんでだよぉぉ!」
そのやり取りを聞いていた住民たちから、少しずつ笑い声が漏れ始める。
「……本当に、あいつが終焉竜なのか?」
「……そうらしいな」
「なんか、思ってたのと違うな」
「……ああ」
そして、一人の獣人族の男がぽつりと呟いた。
「……まあ、いつものユウトさんだな」
その言葉に、周囲の何人かが頷いた。
◇
「……ユウトさん!」
「はい!」
少し離れた場所から声が掛かった。
ユウトが反射的に振り返る。
そこには、一人の獣人族の男が立っていた。
「……あのさ」
「……何?」
「昨日相談した件なんだけど……」
「……ああ!」
ユウトが手を叩いた。
「例の納品の話?」
「そうそう! あれ!」
「どうなった?」
「一応、向こうとも話してみたんだけどさ。まだ条件が少し合わなくて……」
「……なるほど」
ユウトが頷く。
「じゃあ、もう一回ちゃんと確認した方がいいかもな」
「……そうなんだよ」
「いつ話せる?」
「今日の午後とか、時間あるか?」
「……うん!」
ユウトが元気よく答えた。
「いいよ!」
「……本当か! 助かる!」
男の表情が明るくなる。
その瞬間――。
「……おい!」
リトが思わず叫んだ。
「……何!?」
「アニキ! 今、この流れで普通に相談受けるのかよ!」
「……え?」
ユウトが首を傾げる。
「だって困ってるんだろ?」
「…………」
「なら、話くらい聞くじゃん!」
「…………」
リトはしばらくユウトを見つめた。
そして、豪快に笑い始める。
「ガッハッハ! そうだったな!」
「……何が!?」
「いや、何でもねぇ!」
「なんなんだよ!」
その横では、シアも楽しそうに笑っていた。
「……主!」
「……何?」
「もう元通りっすね!」
「……何が?」
「それが分からないなら、それでいいっす!」
「なんだよ、それ!」
ユウトが不満そうに声を上げる。
そんな様子を見ていたシエルが、小さく息を吐いた。
「……まったく」
「……何?」
「あなた、今日はいろいろあったのに、結局いつも通りね」
「……え?」
「別に悪い意味じゃないわよ」
シエルは静かに微笑んだ。
「そういうところが、あなたらしいと思っただけ」
「……なんだよ、それ」
ユウトは少し照れくさそうに頭を掻いた。
その様子を、ガルドとハロルドが少し離れたところから見ていた。
「……結局」
ガルドが呟く。
「……ああ」
ハロルドも頷いた。
「ユウトはユウトだな」
「……そういうことだ」
二人は顔を見合わせ、小さく笑った。
その言葉を、ミレアも静かに聞いていた。
終焉竜。
世界を滅ぼす厄災。
恐れられし最強種。
それらは、ユウトという青年が持つ一つの側面なのだろう。
しかし、ベルグラードの人々は、それよりも先に彼の名前を知っていた。
困っている人がいれば助け、相手が何族なのかに関係なく話を聞く。
時には驚くほど冷静に交渉を進め、話し合いが終われば途端に騒がしくなる。
危険な魔獣を倒しても、本人は報酬のことばかり気にしている。
そんな、一人のEランク冒険者。
ユウト。
それが、彼らの知る名前だった。
(……やっぱり、そうですよね)
ミレアは小さく微笑んだ。
かつて、この町では種族という違いが、人々の間に大きな壁を作っていた。
しかし、今はその壁を少しずつ取り払おうとしている。
そんな時、誰よりも大きな違いを持つ存在が、目の前に現れた終焉竜。
その正体を知ったことで、人々の心は大きく揺れた。
しかし、それでも彼を信じようとする者がいた。
それは、彼がベルグラードに来てから生まれた変化の、何より確かな証だった。
もちろん、これですべてが解決したわけではない。
人間族への差別も、長年積み重なった不信も、簡単に消えるものではない。
そして、終焉竜に対する恐怖もまた、今日一日でなくなるわけではないだろう。
それでも、人々は少しずつ変わり始めていた。
相手が何者なのかということだけではなく、その人が何をしてきたのかを見る。
言葉や伝承だけではなく、自分たちの目で確かめたものを信じる。
そんな当たり前のことが、ようやくこの町にも根づき始めていたのである。
「……あっ!」
その時、ユウトが突然声を上げた。
「……何?」
シエルが振り返る。
「そういえばさ!」
「……ええ」
「俺、今日はもう仕事終わったつもりだったんだけど!」
「……そうね」
「また増えたじゃん!」
「あなたが引き受けたからでしょう?」
「……俺か!」
「あなたよ」
シエルが即答する。
「……主!」
シアが嬉しそうに手を挙げた。
「どうせなら、あーしも手伝うっす!」
「……おお!」
ユウトの表情が明るくなる。
「本当!?」
「もちろんっす!」
「じゃあ、シアは書類まとめる係な!」
「……え?」
「リトは相談する人の案内!」
「おう!」
「ミレアさんは……」
「私はギルド職員ですから、正式な仲介はできませんよ?」
「……あ」
ユウトが固まった。
「そうだった!」
「忘れていたんですか!?」
「いや、覚えてたよ!」
「今の間は忘れてたっす!」
「シアまで!?」
そのやり取りに、また笑い声が広がった。
少し前まで、終焉竜という名前を聞いて距離を取っていた住民たち。
その中には、今も警戒を解けない者がいる。
しかし、すでに何人かは、いつもと変わらない様子でユウトへ声を掛け始めていた。
「……ユウトさん!」
「はい!」
「うちも明日、相談していいか?」
「……明日!?」
ユウトが思わず叫んだ。
「……ちょっと待って!」
周囲の人々が首を傾げる。
「……何だ?」
「俺、一応冒険者だからな!?」
「……知ってるぞ?」
「Eランクだぞ!?」
「……それも知ってる」
「じゃあ、なんでこんなに仕事があるんだよぉぉぉ!」
ユウトの叫びに、通りが笑い声で包まれた。
ガルドが肩を揺らし、ハロルドも腹を抱えて笑っている。
シアとリトはすっかりいつもの調子に戻り、シエルは呆れながらも笑みを浮かべていた。
そしてミレアもまた、その光景を見ながら静かに笑っていた。
ベルグラードの人々にとって、ユウトはもう単なる余所者ではなくなっていた。
たとえ、その正体が世界を滅ぼすと恐れられる存在だったとしても。
この町で、彼らが最初に知ったのは終焉竜という名ではない。
ユウトという、一人の青年の名前だった。
第319話をお読みいただき、ありがとうございます!
終焉竜だと知っても、これまで見てきたユウト自身が変わるわけではありません。
少しずつ、ベルグラードの中に新しい空気が生まれ始めています。
「面白い!」「続きが気になる!」と思っていただけましたら、ブックマークや評価で応援していただけると、とても励みになります!
それでは、また次回お会いしましょう!




