第1話 末席がお似合いね
王宮祝宴局の大広間準備室には、朝いちばんに蝋の匂いが満ちる。
席札へ押す家紋印、招待状の封蝋、貴賓席を示す金縁札。私は三十二歳の席次台帳官として、その全部の順番を記録してきた。誰をどこへ座らせるかは、ただの飾りではない。外交も婚約も、卓の位置ひとつで壊れる。
「お姉さま、その卓札はもう必要ありませんわ」
甘い声とともに、義妹のリディアが金縁の席札を私の手から取り上げた。淡桃の祝宴用ドレスに身を包み、まるで今夜の主役は自分だと言わんばかりの笑みを浮かべている。
「それは北方大使の上席札よ。勝手に触らないで」
「今日から上席を扱うのはわたくしですもの」
背後で婚約者ゲルハルトが咳払いをした。王宮祝宴局補佐であり、私の仕事も癖も誰より知っているはずの人だ。
「アニカ、春季大祝宴の前面担当をリディアへ替えることになった」
「引き継ぎ書は?」
「後で整える」
「順序が逆です」
「記録より見栄えが求められる場もある」
その一言で、胸の奥が静かに冷えた。見栄えのために席順を崩した卓ほど、あとで血を見る。何度もそう教えてきたのに、彼はもう聞く気がないらしい。
「婚約も見直すそうですの」とリディアが続ける。「祝宴の花形に、台帳ばかり抱えた方では釣り合いませんもの」
私は返事の代わりに席次帳を閉じた。革表紙の下に挟んだ家紋札がずれ、その中に一枚だけ見慣れない札が混じっているのが見えた。王家金雀紋のはずなのに、爪の曲線が一本足りない。
「この席札、誰が作ったの」
「細かいことを」とゲルハルトが眉を寄せる。
「細かいことじゃないわ。偽物よ」
その時、搬入係が駆け込んできた。
「北方大使席の配置が、控えの商人席と入れ替わっております!」
準備室が凍りつく。私はすぐ席次帳を開いた。昨日書いた原本では、大使席は上段中央のまま。だが机の上に置かれた控え帳の方では、該当行だけ別の墨で書き換えられていた。
「書き換えです」
「あなたの確認印があるだろう」
ゲルハルトが冷たく言った。押印欄には確かに私の印影がある。だが縁の欠けが逆だった。偽印だ。
「私の印ではないわ」
「末席がお似合いね、お姉さま」
リディアは偽物の金雀紋札を指先で揺らした。
「上席の責任は、重たすぎたのでしょう?」
私はその札を睨んだ。春の祝宴が始まる前から、席はもう奪われていた。




