39.王都の情勢③
宰相ギリアスが己に都合の良い駒を次期王に据えたかっただけなら、アルフレート殿下の駆け落ちという過程は不要だったはずだ。事故死でも急な病死でもいい。大公家に開戦の名目を与えない暗殺方法はいくらでもあった。
わざわざ一度駆け落ちをさせて、その後で始末するというのは宰相のやり方とは思えない。むしろ駆け落ちに関してはほかの何者かの意図を感じる。このアンディルア王国が内戦へ至ることを望んでいた何者かが企んだ謀略ではないのか。
(ただ……、それでいくとアルフレート殿下がどうしてその黒幕と手を組んだのかがわからないのよね……)
国を守ることこそ王家の務めだろう。
祖国に乱を起こす必要が、あるいはそれを望む者と協力する必要がどこにあったのか。この国に憎しみをたぎらせるような事情があるならともかく、彼は王太子として順風満帆な日々を送っていたはずだ。彼は国王の一人息子であり、こんな事件を起こさなければ次期王の座は約束されていたのだ。
あのアルフレート殿下にとって、玉座以上に魅力的なものがあるとは思えないけれど……。
(まあでも、まずは遺体が本人かどうかを確かめてからよね)
駆け落ちに関しては宰相の企みだとは思えないけれど、これに乗じて暗殺した可能性は十分にあるのだ。アルフレートに下手な真似をされる前にさっさと始末していたとしても不思議はない。宰相ギリアスは冷酷な政治家だ。
今後の方針を決めて、おのおの席を立った。
王家の葬儀はひと月かけて行われる。地方の有力貴族や国外からの弔問客を迎え入れるために、大聖堂は期間中開け放たれており、祭壇には装飾の施された棺が安置されている。本来であれば棺の内側には亡くなられた尊き方の御身体があるものらしい。普通、一ヶ月もあれば遺体は腐り果てて悪臭を放つけれど、司祭が特別な聖魔法を施して傷むのを防いでいるそうだ。
ただし今回の場合は、おそらくすでに埋葬されているのではないだろうか。
棺が勝手に開けられることはまずあり得ないとはいえ、代々の国王のような病や不慮の死とはちがうのだ。王家は体面を重んじる。現国王に親心がないとはいわないけれど……。
(いや、どうかな。殿下と国王夫妻との親子関係はよくわからないままだったな……)
不仲には見えなかった。ただ、お互いに関心が薄いように思えた。
けれどアルフレートが宰相と対立していた以上、父王との仲も実は悪かったという可能性はある。なにせ宰相に全権を与え、政治を任せきりにしているのは父王なのだ。
現国王は陰では『馬狂い』や『厩番』と呼ばれているほど馬にしか興味がない。それは先代の宰相時代からずっと変わっていないらしい。実のところ現国王は宰相ギリアスを信頼しているわけでも何でもなく、自分の代わりに面倒な仕事をしてくれる人物ならば誰でもいいのだろうと思われる。
(わたしが殿下の婚約者として初めて直に顔合わせしたときも無反応だったもんね。魔術師への嫌悪もなければ利用してやろうという欲望もなかったわ……)
馬狂いの噂は聞いていたので、大公領で人気のある牧草について話題に出してみたところ、そのときだけはやたらと食いつきがよかったのを覚えている。人としては悪い人物ではないんだろうな、王になるべきではなかったけれど、という印象だった。
そんなことを思い出しながら黒の喪服に着替えて出発の準備を整える。階段を下りて、玄関ホールに入ったところで後ろから声がかかった。
「ヴァル、待ちなさい」
「アトリ?」
ふわふわとした栗色の長い髪が揺れる。アトリは慌てた様子で駆け寄ってきて、内緒話でもするように顔を寄せてきた。
「さっきは言いそびれてしまったけれど、ヴァル。……王妃殿下には気をつけなさい。もし大聖堂で妃殿下と会ってしまったなら、おまえは近づいてはいけないわ。ゼイン様を盾として前に出しなさい」
「いきなりすごいこというねアトリ。ゼインを盾扱いするってどんな事態を想定してるのよ。なに、妃殿下が突然魔術に目覚めでもした?」
「冗談でいっているのではなくてよ! 真面目に聞きなさい。妃殿下は変わらずにたおやかで美しい方よ。暴力からは程遠くていらっしゃるわ。ただあの方は……、うまくいえないけれど、厄介なのよ」
「……何かあった?」
「いいえ、わたくしは問題ないわ。お祖父様も妃殿下に大それたことはできないと考えているのでしょう。だけどわたくしは……、お前のそのどうしようもない性格は妃殿下とは相性が悪いと思えてならないのよね」
「真面目に聞くべき話だったかな、これ!? わたしがいきなり貶されただけじゃないの。だいたい、わたしが殿下の婚約者をやっていた頃はそんなこといわなかったのに」
「あの頃はお前が早くわたくしにすべてを白状して泣きついてくるべきだと思っていたからあえていわなったのだわ」
「最低だ! 最低です!」
「だまらっしゃい」
※
大公家の紋章を掲げた馬車が、王都の大通りを進む。
馬車の中には自分とゼインだけだ。流れていく街並みを眺めながら、アトリの警告について考える。
(妃殿下ねえ。警戒が必要な相手とは思えないけどな……)
王妃は先代宰相の娘だ。若い頃からその美しさと慈愛に満ちた人柄で知られていて、数多の男性から愛を乞われた社交界の華だったと聞く。現国王とは完璧な政略結婚だったらしく、今では公式の場以外では口も利かないのだとか。
もっとも相手が馬狂い王なので王都の民は王妃に同情的だ。それに妃殿下は慈善活動にも熱心で、孤児院や病院にも足を運んでいることから、貴族だけでなく庶民からも人気が高い。聖母のような方だといわれている。
自分がアルフレート殿下の婚約者として顔合わせをしたときも嫌悪や侮蔑などは一切見せなかった。慈悲深く温かな微笑みを浮かべていた。
(ただあれは……、人間を見る眼じゃなかったわよねえ……)
虫とかそういうものを見る眼だった。相手を同じ心を持つ人間だとは認めていない眼だった。
別に驚きはない。
魔術師を虫けらのように見る貴族というのは珍しくないからだ。
それに王妃は人気はあっても実権はない。先代宰相の死後、王妃の生家は王妃の兄が跡を継いだけれど、控えめにいっても才覚が足りなかったらしい。歴代宰相を輩出し『宰相家』とすら呼ばれていた家柄も、今ではかつての勢力を失い、かろうじて面目を保っているありさまだ。ディン家御当主が何もいわなかったのも、実際に何かができる人物ではないからだろう。
(それに政治に関心があるようにも見えないのよね。もし野心家な人物だったなら、とうに宰相とバチバチやっていると思うもの)
脳裏に野心家な友人たちの姿が浮かぶ。アトリは蛇女だの蜘蛛女だのといっていたけれど、彼女たちならば傀儡志望の夫に大喜びして権力を握っていただろう。宰相と血生臭い争いをしていたにちがいない。
しかし王妃にその手の噂を聞いたことはない。誰に聞いても『たおやかで美しく、繊細で慈悲深い、聖母のような妃殿下』というだろう。
(アトリも具体的にどこがどう要注意なのかとはいえない様子だったし……、まあ、今考えても結論は出ないか)
思考を切り替えようと、ゆっくりと瞬く。
改めて馬車の小窓から王都の街並みを眺めた。
王都は『千年の都』と称えられる伝統ある街だ。
大公領では新しいものや性能の良いものが好まれる傾向にあるけれど、王都はその逆で、古く伝統があるものが尊ばれる。
例えばの話、我が家を購入しようと考えたときに、大公領の住民ならどのような最新の魔道具が導入されているか、いかに便利に暮らせるかを重視するだろう。
けれど王都の住民にとっては築年数は長ければ長いほどよく、特別な逸話や歴史を持っている屋敷などは憧れの的だ。誰もがうらやむ家というのは、大公領と王都ではまるでちがってくる。家に限らず、おおよそに置いてそうだ。
価値観の違いとでもいうのか、王都の民は千年の歴史を何よりも誇りに思っていて、そして───気位が高い。
「火の君、水の君。前方を塞ぐ人影があります」
護衛を務めている魔術師の一人が馬を寄せてきて、そう淡々といった。
「騎士崩れのような風体の者たちが十数名ほどです。おそらく皆、怪我や病で目を傷めているのでしょう。でなければこの国を守った大公家の紋章を前にして、道を閉ざすはずがありませんから」
「投石の代わりにそう来たか。衝突は避けたいが……、迂回はできるか?」
「申し訳ございません、水の君。今からでは難しいかと。しかし音を立てて我々の存在を知らせることはできます。いかがでしょうか、火の君?」
───音を立てて?
待ちなさい、なんだそれは。わたしは聞いてないぞ。君はどこの所属だ。火か。火だな?
ぎょっとして護衛を見返す自分の隣で、ゼインが愉快そうに笑った。
「許す。好きにやれ」
その直後、馬車の頭上で爆発音が弾けた。




