31.葬送の鐘が鳴る
葬送の鐘が鳴る。
王太子が”病で亡くなった”という知らせが国内を巡り、葬儀に参列するために貴族たちは続々と王都へ向かっていた。
「わたしに行かせてください!」
大公家の城にあるフィンヘルドの執務室で、ヴァルは机越しに訴えた。
窓の外には暗雲のような分厚い雲が広がり、昼間だというのに室内は薄暗い。フィンヘルドは椅子に腰かけたまま、執務机を挟んで立つヴァルを見上げている。その表情は冷静であり、穏やかだった。王太子たちの遺体が見つかったというこの状況下でも、次期当主は動じることなく答えた。
「その必要はありません、ヴァル。君たちは結婚式の準備に専念してください」
君たちという言葉は、自分とともに来たものの、特に口を挟むこともなく応接用のソファに座っているゼインへも向いている。
フィンヘルドが人払いをしたために、補佐官たちの姿もない。室内にいるのは三人だけだ。ヴァルは重ねて訴えた。
「あの王太子が心中を選ぶなんてとても考えられません。誰かに殺されたか、あるいは遺体が偽者という可能性もあります。わたしを王都へ行かせてください。この眼で確かめてきます」
アルフレートの死因は公式の発表では病死になっている。王家の名誉を守るためだろう。王太子ともあろう者が愛人と心中したとはとても公にできまい。
しかし、フィンヘルドの部下からの報告によれば、二人の遺体は手首を繋いだ状態でヒルドル河に浮かんでいたところを発見されたのだという。目撃者も多く、王都に病死を信じる民はいないという噂まで伝わってきている。
「私も心中を鵜呑みにしているわけではありませんよ。影で何者かが動いている可能性は大いに考えられます。ですが、ヴァル。だからこそ君を王都へ行かせるわけには行きません。王都には宰相ギリアスがいます。───王太子の死で最も利益を得る男がね」
現国王の子供は、公式には王太子アルフレートしかいない。愛人との子供には王位継承権は認められないため、アルフレートが亡くなったとなれば、継承権第一位に繰り上がるのは国王の弟だ。
ただ、王弟は王と歳も近い。実際に次の王となるのは、王弟の長男になるだろう。長男はすでに結婚していて幼い子供もいる。そして長男の妻は、宰相ギリアスの娘だ。
フィンヘルドは淡々と続けた。
「現国王はギリアスに全幅の信頼を置いていますが、王太子はそうではなかった。だからギリアスは王太子を排除し、自分に都合の良い駒を次期王の座に置いた。ミア・ホイスラーとの駆け落ちの末の心中ということにすれば、大公家から抗議を受けようとも、責任はすべて死者になすりつけられる───ギリアスがそう画策した可能性はあります」
「ええ、王太子とわたしの縁談が破棄された時点で、大公家は王都への大きな足掛かりを失ってしまった。フィン様はほかの縁組を考えていらっしゃったんでしょう? でも、宰相が次期王の義父となったら、今まで以上に我々の力を削ごうとしてくるはずです」
かつて大公閣下は、独立した国を作ることも考えておられたという。
けれど、冥竜オルガヘイムによる被害は大きく、立て直しに必死になっている隙を宰相ギリアスに突かれた。彼はここぞとばかりに騎士団を動かして魔術師たちを援護し、あたかも共に戦ったかのような美談を作り出した。大公家が独立するための理由を潰し、それでもなお踏み切ったなら国中の非難が向くように。
今もそうだ。王太子の元婚約者である自分が葬儀に参列することに、フィンヘルドが許可を出さない最大の理由は、見当がついている。
「王都では噂になっているのではありませんか? 本当は心中ではなく、大公家の娘が、ヴァルキリア・ギルガードが嫉妬に駆られて二人を殺したにちがいない、と」
駆け落ちをしただけなら、王太子のくせに責任を放り出したと、非難はアルフレートへ向いただろう。
けれど死人になったのなら、被害者と加害者の立場は確実に逆転する。
「……わかっているなら、自分が行くべきではないと思いませんか?」
「いいえ。隠れていたら噂は広まるばかり、いずれ事実として人々の中に根付いてしまうことだろうと思います。真っ向から戦ったならともかく、大公家が王家の者を暗殺したなどという不名誉な噂を許すわけにはいきません。わたしが葬儀に参列します。堂々と、何一つ後ろ暗いことはないのだと示してまいります」
「人間は信じたいものを信じる生き物ですよ、ヴァル。君がなにをいったところで、貴族たちは聞く耳を持たないでしょう」
「ですが、宰相がこれ以上権力を握ることを面白く思わない者たちは必ずいますよ。宰相こそがこの事件に関わっているのではないかと疑う者だって、少なくはないでしょう。彼らに接触し、味方につけて情報を得て、真実を探る。それにはわたしが最も適任のはずです」
いかに冷遇されていたとはいえ、王太子の婚約者として社交界に出ていたのだ。顔見知りの貴族もおり、派閥もおおよそは理解している。
(───それに、彼女のことも)
王太子の死という衝撃的な事件の中では、誰もその愛人のことまでは気に留めないだろう。フィンヘルドの部下がミア・ホイスラー個人について調べることはないとわかっていた。彼女はあくまで王太子のオマケだ。
だけど。
ちょっとアトリに似ていた。裏も表も全部口から出ているような素直さがいっそ好ましかった。……友達になれるかも、と勝手に思った。
とても勝手に。彼女にとっては誰よりも憎らしい相手だったろうけれど。
「わたしに行かせてください、フィン様」
フィンヘルドは嘆息する。それでも次期当主は頷かない。
「君が行く必要のないことです、ヴァル」
「俺が同行しますよ、父上」
背後からの声に、ヴァルは思わず振り返った。
フィンヘルドも驚いたようにそちらを見ている。
ゼインはソファに座ったまま、億劫そうにこちらを見ていった。
「たまには王都に行くのもいい。ヴァル一人くらい、何があろうと俺が生かして連れて帰りますよ。それなら構わないでしょう、父上?」
フィンヘルドは無言でゼインを見つめた。
それから、ややあって、仕方がないといわんばかりの息を吐く。
そして、不気味なほどにこやかに微笑んだ。
「なるほど、新婚旅行ということですね?」
「はっ?」
と、いったのはヴァルだったし、ゼインは眉間に深い皺を刻んだ。
「あぁ、すみません、結婚式はまだでしたね。新婚旅行というには気が早かったようです。これは婚前旅行ですね。式を前にして、二人の絆をより強く深めようと考えていたんですね。確かに大公領では君たちは二人とも目立ちますから、人目を気にせずしっぽりと……というわけにはいきませんからねえ」
ゼインからゆらりと殺気が立ち上るのが見えた、気がした。
(フィン様ー! あのときゼインと話していたのはフィン様でしたよね!? ゼインの『死んだ方がマシ』を直に聞いてますよね!?)
これが取引としての偽装結婚であることをフィンヘルドが気づかないはずがない。というか、閣下だってわかっていただろう。わかっていてこちらが提案した取引を呑んでくださっただけだ。
(でも、フィン様も閣下も、昔からわたしとゼインを結婚させたがっていたからなー!)
取引材料に使えるほどだ。いくら条件的なバランスがとれているといっても、正直、どうしてそこまでゼインとの結婚を推されるのかわからないくらいだ。ゼインは確かに性格はアレだけど、地位も権力も兼ね備えた美貌の青年だ。縁談に困ることはないだろう。性格はアレだけど。
(ルインも『義姉上しかいません』とかいいだすくらいだし、わたしが王都にいる間のサボりが酷すぎて、叩き起こせる妻が必要だと思ったのかしら。でも露骨に推してくるのはやめてください、フィン様!)
なにが『しっぽりと』だ。どこの中年親父の発言だ。こっちは『死んだ方がマシ』といわれるほどにゼインにとって恋愛対象外な女なのだ。
ヴァルは目で真剣に訴えた。
フィンヘルドはにこにこしながら続けた。
「王都なら君たちの顔を知る者も少ないでしょうし、あそこは観光地としても人気がありますからね。美しい景色を眺めながら愛を深めるというのは、ええ、とても素晴らしいことだと思います」
「父上、俺はべつに力ずくで父上を黙らせても構わないのですが」
「若い二人の恋路を邪魔するわけには行きませんからね。仕方がありません、王都行きを許可しましょう。ついでに葬儀へ参列してくることもね」
「フィン様! ありがとうございます!」
大声で礼を叫ぶ。これ以上ゼインをキレさせないためである。
フィンヘルドはそこでふと表情を改めると、今度は真剣な、そして警戒心を帯びた声でいった。
「ヴァル、現状においては、王太子が死んで最も利益を得るのは宰相ギリアスです。それは事実ですが、しかし───、これは可能性の一つとして心に留めておいてください。私としては、一連のすべてがギリアスの企みだと判じることには違和感を覚えます。いいですか? この状況を予期できた者は誰もいなかったはずです」
※
翌日、ヴァルたちは速度を重視した少人数で王都へ向かった。
王都にはディン家の屋敷がある。アトリの実家だ。まずはそこを拠点にして情報を集めることになっていた。
王太子の心中事件なんて事態になってしまって、アトリもきっと不安を感じているだろう。繊細なところのある友人だ。早く会って、大公領は落ち着いていることを伝えたい。あまり気が滅入るようならしばらく大公家に帰っていたらどう? と提案しようと思っていた。
しかし実際の再会は、自分の予想を大きく上回っていた。
自分が知る限り最も儚げな美貌を持つ女性であるアトリは、その瞳をこれ以上ないほど険しく釣り上げて、こちらを睨みつけていった。
「お前、何しに来たのよ? 状況がわかっていないの? さっさと大公家に帰りなさい、この愚か者!」
開口一番に罵り文句が飛び出してくる辺りがアトリだなあと、ヴァルは遠い目で思った。




