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32.間章-ミア・ホイスラーの場合③-


 王宮を抜け出して二週間になる。


 ミア・ホイスラーは憂鬱な思いで、閉めきられたカーテンに人差し指をかけた。ほんの少しだけ開いて、その隙間から外の様子を窺う。


 騎士たちがこの屋敷を取り囲んでいる様子はなかった。魔術師のロープも見えない。誰も自分たちがここにいることには気づいていないのだろう。そのことにホッとしながらも、心の隅で『いっそ』と思う。

 いっそ見つかってしまえばいいのに。


 そう考えてしまっていることに気づいて、ミアはうつむく。考えてはいけないことだ。そう強く否定しながらも、この不安の中で溺れそうになる。

 いったいどうしてこんなことになってしまったのだろう。



 ※



 ヴァルキリア・ギルガードが王宮を去った翌日、アルフレート殿下は「素晴らしい計画がある」といった。そしてそれを実現するためには、このまま王宮にはいられないのだと。隠れ家はすでに用意させてあるのだと。


「君もともに来てくれるだろう、ミア?」


 とっさに頷けなかった。だってそれはあまりにも大それたことに思えたからだ。王太子殿下が王宮を抜け出して隠れ家で暮らす? そんなことをして大丈夫なのかわからなかった。ミアは王都にも社交界にも詳しくない。地方の寂れた港町がホイスラー家の領地だ。王侯貴族の常識はわからない。それでも、普通ではあり得ない振る舞いのように思えた。


 けれど、戸惑っていると、すぐに殿下の気分を害してしまった。


「私が信じられないというのかい? 君を守るためにこれほど身を削ってきた私を疑うというのか! なんて恩知らずな女なんだ。君を傍に置くために、私がどれほど苦労したかわかっているのか!」


 いつになく激昂したアルフレートに、ミアは震えあがってすぐさま謝った。

 殿下の怒りはなかなか解けなかった。何度も何度も頭を下げて、ようやく許してもらえた。


 その夜、殿下の側近たちの手引きで王宮を抜け出した。

 用意されていた隠れ家は、郊外にある一軒家だった。どこぞの変わり者の貴族が住んでいた屋敷を買い取ったらしい。周りは林に囲まれていて民家はなく、整地された道を馬車が行き交うこともない。静かで、鬱蒼とした雰囲気が漂っている。


 ……いったいどんな計画が進められているのか、ミアは何も教えられていない。


 アルフレート殿下はただ大丈夫だというだけだ。何も問題はないし、不安に思うようなこともない。すべて上手くいっている。そう自信に満ちた態度でいう。


 それでもミアが不安をぬぐい切れない顔をすると、殿下は気を悪くした様子でミアに冷たくなる。一度そうなってしまうと、必死に謝っても簡単には許してもらえない。……仕方ないのだ。殿下を信じ切れない自分が悪いのだから。


 だけど、世間では殿下と自分が駆け落ちしたことになっていると聞かされて、それでも平然としていられるような強さは、自分にはなかった。


 殿下は計画があるという。でも、それがどんな内容なのかは、自分には教えてもらえない。ミアはあまり賢くないから知らないほうがいいのだといわれたら、引き下がるしかなかった。


「君がきちんとした教育を受けた高位貴族の令嬢だったら、私も楽だったんだけどね。まあ、君のような家柄では、育ちが悪いのも仕方のないことか」


 そうため息をつかれては、謝るしかない。自分はしがない男爵令嬢で、地方の出で、母からも不出来を嘆かれたような女だ。家庭教師だって一人しかいなかった。


(でも───……、どうして?)




 どうして、自分の家庭教師だった老婦人ローナ・ハルドルがここにいるのだろう。




 ローナは、驚くミアに対して穏やかに微笑んで、久しぶりの再会を喜んだ。ミアが殿下と付き合いを深めた後に、家庭教師をしていた縁で殿下と知り合ったのだとも説明してくれた。今回は、殿下のお役に立ちたくて協力者になったのだとも。


 けれど、納得できなかった。


 だってそんな話、今まで一度も聞いたことがなかったのに。


 気品があって、知性が感じられて、いつだってミアを心配してくれたローナ。縁談が結べずに困っていたミアに、王都行きを勧めてくれたのも彼女だった。深く信頼していた。


 だけど、この状況でローナが屋敷の中にいることへの違和感は凄まじく、恐怖でさえあった。いつだって自分を安心させてくれた、穏やかな老婦人の微笑みが、今は空恐ろしく感じる。


 それだけではない。


 ローナが伝手で雇ったという男たちが、この屋敷には出入りしている。


 荒くれ者というわけではない。皆腰が低く、話し方も丁寧だ。男手がないと何かと不便だからという理由も納得がいくものだ。


 だけど引っかかってしまう。

 王都で生まれ育ったアルフレート殿下にはわからないのかもしれない。

 けれどミアの故郷は港町だ。魔物の毒で寂れてしまう前は交易が盛んで、今でも細々とは続いている。


(あれは……、彼らの喋り方は……、上手に隠してはいるけれど、でも、あれは……)




 ───隣国オルドーンの訛りではないの?




 このアンディルア王国と隣国オルドーンの言葉は完全に別物というわけではなく、共通する単語や言い回しも多い。だからこそ逆に、強く意識していないと母国語の言い回しが出てしまう。多少の違いならこのアンディルアでも通じるからなおさらだろう。


 殿下にこのことを指摘するべきだろうかと考えては、不興を買うことの恐ろしさに口を閉ざしてしまう。最近の殿下は、ミアが少しでも自分の考えを口にすると、それだけで機嫌が悪くなってしまう。


 ミアは頭が悪いのだから、黙って殿下に従っていればいいのだ。殿下にはそういわれたし、自分でもわかっている。


 だけど。

 恐ろしい。

 怖い。

 どうしたらいいの。

 どうしてこんなことになってしまったの。


 不安はたえまなくミアを苛んだ。


 






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