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29.失われた魔術


 うっと一瞬言葉に詰まった自分の隣で、ゼインがさらりといった。


「王宮に忘れてきたそうですよ。まあ、こればかりは父上も悪いでしょう。理由も伝えずに至急の帰還命令など出すからです」


「ああ……、フィンヘルドもなあ……。相変わらずじゃな」


「いずれ状況が落ち着けば王宮から引き取ることも可能でしょうが、それまでに処分されないことを願うばかりですね」


 ヴァルはひたすらにうんうんと頷いた。こういうときはゼインのほうが圧倒的に嘘が上手い。自分が下手に取り繕おうとしてもボロがでるだけだ。


「そうじゃな。ディン家の狸じじいにでも言って、嬢ちゃんが置いてきた荷物だけでも引き取ってもらった方がええじゃろ。あのブレスレットは魔術の貯蓄庫じゃからな。いざってときには嬢ちゃんの身を守るはずじゃ」


 ディン家の狸じじいとはアトリの祖父のことだ。一見すると温厚な好々爺だけれど、腹芸な得意な人物でもある。


 ヤナ博士は思い出したように鞄から長方形の箱を取り出した。


「そうそう、今日はこれを嬢ちゃんに渡そうと思っとったんじゃ。この天才の新作じゃぞ」


 その場のヤナ博士以外の全員の顔に警戒の色が走った。


 ヤナ博士は魔道具の天才である。天才であるがゆえに多種多様な発明品がある。中には危険な代物もある。博士の新作が完成した途端に室内に無数の雷が走って、たまたまその場に居合わせた閣下が”新作”を消し炭にすることで皆を守ったなどという逸話もある。


 ヴァルはお礼をいってから、恐る恐る箱を開けた。


「これは、柄ですか……?」


 中に入っていたのは、細剣の柄の部分のように見えた。手に持つと、ほのかに青く輝く。


 ヤナ博士は満足そうに頷いた。


「うむ。嬢ちゃんにはやはり剣が一番使いやすいじゃろうと思ってな。氷剣の柄と形も似せてきたんじゃ」


 魔道具がなくとも氷剣を生み出すことはできるけれど、戦場で振るうなら補助具は必須だ。威力も持続力もコントロールも段違いに変わってくる。

 氷剣用の柄というのは、昔、筆頭魔術師になった頃に博士に作ってもらった補助型の魔道具のことだ。箱の中の柄は確かに愛用の物と似ていた。


「そいつは戦闘用じゃない。練習用じゃよ。浄化の魔術のな」


 ヴァルの眼がぱっと喜びに輝く。


 しかし視界の端では、ゼインが露骨に苦い顔をしていた。



 ※



 浄化の魔術とは『失われた魔術』の一つだ。


 魔術とは知識と技術の上に成り立つ。現在使われている魔術はすべて過去の魔術師たちが積み重ねて未来へと受け継がせてきたものだ。大公領では魔術の研究も熱心に行われていて、新しい魔術が開発されることもあるけれど、それも完全にオリジナルというわけではなく、既存の魔術をベースにした改良版だ。一を二に増やすことはできても、ゼロから一を生み出すというのは非常に難しい。よほどの天才でなくては不可能だろう。


 そして、太古の昔には存在していたといわれるものの、現在では途絶えてしまった魔術を復活させることもまた、同様に困難だ。


 『浄化の魔術』は水属性の魔術の一つとして数えられている。

 けれど、その記録はごく古い文献に、それを操って戦った水の魔術師がいたというわずかな記載があるだけだ。どのような構成で、どのような配分で、どのような魔力でそれをなし得たのか。それらの知識は失われている。


 存在の記録はあるがすでに失われている魔術、それを『失われた魔術』と呼ぶ。


 そして、ごくまれに失われた魔術を行使できる魔術師がいる。彼らは『先祖返り』と呼ばれる。




 現在大公家が確認できている先祖返りは二人だけだ。


 一人は”魔術師たちの王”たる大公閣下。閣下は火の魔術師であるけれど、実は風の魔術も扱えるのだ。


 大公家の抱える学者たちの研究によると、千年の昔にはそのような魔術師も稀にいたらしい。しかし、一人の魔術師が操れるのは一属性のみという常識になって長い。いったいなぜ二属性が操れるのか、どういう理屈でそれが可能となっているのかは未だ解明されていない謎だ。

 現在のところは特異体質としかいいようがない。それが『先祖返り』だ。


 閣下自身は、風の魔術は火のそれより得意ではないと仰っているけれど、自分から見ると一流の風の魔術師と同程度には操っている。風の君(フィーラ)には及ばないだろうけれど、そこはさすがに、及んでしまったら風の筆頭魔術師の面子が立たない。風の君本人もそうぼやいていたくらいだ。




 そして、もう一人の先祖返りが自分だ。

 自分は恐らく世界でただ一人、浄化の魔術を行使できる魔術師だ。


 ───だけど、操れているというには程遠い。


 この力が発覚したのは、自分が戦場に出てからだった。毒を吐き出す魔物との戦いの中で、部隊が苦戦を強いられる中、自分だけがぴんぴんしていたのだ。魔力量は膨大でも、魔術のコントロールに長けているとはいいがたい子供が、下手くそな防御魔術しか持たずに突撃して死ななかった。これは当時の上司や部下たちから大いに不審がられて、大公閣下まで報告が上がった。そして帰還後にヤナ博士の検査を受けて発覚したのが、こうだった。


『恐らくじゃが……、文献がなさ過ぎて現段階じゃ恐らくとしかいえんが……、嬢ちゃんは体内で浄化の魔術を構築しとる。無意識のうちにな』


 体内で魔術を構築するというのは、そう珍しい話ではない。特に水の魔術師は治癒術に長けた者が多い。腕利きの者なら、負傷したときには体内で新たに血や肉を作り出して回復してみせるのだという。さすがに他人の怪我となると難しいらしいけれど、それでも魔道具の補助の下では血さえ増やし、千切れた肉さえ繋いでみせる。


 自分はもともと、水の魔術師にしては珍しく治癒術を持たない攻撃特化型だといわれていた。ところが、一つだけは持ってはいたらしい。それも『失われた魔術』と呼ばれる浄化の魔術だ。


 判明したときはとても嬉しかった。

 魔物は強大な個体であるほど有毒性も高く、その心臓を砕くことも難しくなる。浄化の魔術は、自分自身の身を守るだけでなく、どれほど硬い心臓であっても貫くことができる力だった。

 対魔物以外には使い道もないけれど、魔物相手になら特別な効力を発揮できる。まさに、魔物との戦いにおいて切り札となる力である───と文献には残されていた。


 当時の自分は心を躍らせていた。

 これを使いこなすことができたら、戦場でどれほど強力な武器になるだろう、と。


 ……だけど自分は天才の呼び名をほしいままにしている幼馴染ではなく、魔力量がやたらと豊富なだけの魔術師だった。


 使いこなそうと努力はした。戦闘の合間を縫って試行錯誤した。職務の休憩時間を使って様々なやり方を試した。戦場から帰還するたびに文献を漁り、沢山自主訓練もした。


 大公閣下やフィン様が、口には出さずともこの力に期待していることもわかっていた。期待に応えたかったし、恩を返したかったし、強い魔術師になりたかった。


 けれど、失われた魔術について教えられる者はない。教材もない。自分はゼインのような天才でもなかった。


 体内にある浄化の魔術を、感覚的にぼんやりと掴むことはできたけれど、実際にそれを氷剣のように物体として創り上げようとすると、恐ろしく時間がかかった。それこそ日の出とともに集中を行って、夜中にかろうじて剣の形を取れるほどだった。


 使いこなせない。コントロールできない。その状況でも有用な魔術は、なくはない。


 けれど、この浄化の魔術は対魔物専用ともいえる術だ。一本の剣を生み出すのに一日かかるようでは効率が悪すぎる。生み出したところで長時間維持できるわけでもない。わずかでも集中を欠けばすぐに霧散する。


 自分の浄化の魔術が効力を発揮できるとしたら、それは()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()だろう。

 

 もちろん、そんな魔物は存在しない。魔物というのは意思疎通が可能な生物ではないし、遭遇したなら即時戦闘となるものだ。いくら強力な剣だろうと、引き抜くまでに一日かかるようなものでは戦えるわけがない。


 自分には氷剣があり、莫大な魔力量に基づいた強大な水の攻撃魔術もある。どちらが使い勝手がいいかというのは考えるまでもない。


 上手く扱えたら氷剣を越える最高の武器になるけれど、上手く扱えないので無意味。自分の浄化の魔術というのは、そう結論を出さざるを得ないものだった。


 ……だけど、諦めるにはあまりにも惜しい力だ。


 浄化の魔術が発覚からおよそ一年が経ち、大公閣下から『実戦には使えない』という最終的な結論が下された後も、諦めきれずに一人でこっそり練習していた。戦いと戦いの合間を縫うようにして訓練を繰り返した。当時はすでに筆頭魔術師の地位についていたため、仕事は激務で時間が足りなかったから、休憩や睡眠を削った。


 その結果どうなったかというと……、ある日、糸が切れるようにふつりと倒れた。そのまま二週間ほど寝込んだ。


 意識が戻った後には、激怒した顔のゼインがベッド際に佇んでいた。






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