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28.お茶の時間


 翌日からは、自分たちの婚約を祝いに、大公領の方々から客人がひっきりなしに訪れた。噂が広まるのが早い。大方、王家への不満と開戦の声の高まりを防ぐために、フィンヘルドが祝い事に目を向けさせようと配下を動かしたのだろうけれど。


 しかし、来る人来る人に満面の笑みで祝われると、こちらが申し訳なくなってくる。すみません、偽装結婚です。できるだけ早く離婚したいと思っています……とはいえずに、ゼインとともににこやかに対応する。


 ゼインは非常に面倒くさがりだけど、愛想よく振舞えないわけではない。ものすごく面倒くさがりなのでめったにやらないだけだ。


 急な結婚式を前に、大公家の行政官からメイドまで目を血走らせて準備に駆けずり回っている中で、ひたすらに来客対応をする。三日目の夕方になって、ようやくひと段落着いたところで、馴染みの顔ぶれが姿を見せた。


義姉上(あねうえ)、お久しぶりです」


「嬢ちゃん、元気にしとったか」


「姉さん、これはお土産の赤蔦の木苺パイ。紅茶の用意をしてくるから座っていてくれ」


 発言順に、ゼインの弟であるルインヘルド、大公閣下の右腕であるヤナ博士、そして弟のグレイだ。


 ちなみに赤蔦の木苺は、木苺の中でも赤蔦の夜葉と呼ばれる低木になる赤い実だ。これで作った木苺パイは普通のものよりも甘みが強くて、酸味もほとんどない。一口噛むと、ねっとりとした甘みが広がる。苦みの強い紅茶ともよく合うパイだ。

 ただ、苦みやクセのある紅茶は通常客人に出されるものではないので、グレイは茶葉まで持ってきてくれたらしい。大公家の城は、グレイにとっては勝手知ったる我が家である。忙しそうにしている使用人たちに頼むのも悪いと思ったのだろう。パイの箱と茶葉の缶を持って厨房へ向かった。


 ヴァルはひとまずルインとヤナ博士にソファを勧めた。

 ローテーブルを囲むような形で座り、真っ先に否定すべきことをいっておく。


「ルイン、まだ結婚してないからね。ヤナ博士、お久しぶりです。博士もお元気そうで何よりです」


 ルインとヤナ博士が、それぞれちがう表情で笑う。


 ゼインの弟であるルインヘルドは、父親であるフィンヘルドに似た優し気な顔立ちの青年だ。魔術師としてもフィンヘルド似で、戦うよりも物づくりのほうが得意だ。今は工房都市サルトルで暮らしている。柔らかな金の髪に淡い栗色の瞳をしていて、ゼインのような酷薄さはなく、儚さすら感じられる。


「だってヴァル、私はあなたを義姉上(あねうえ)と呼べる日が来ることを心待ちにしていたんですよ。この怠惰でやる気がなく性格も歪んでいる兄の妻になれる女性なんて、あなたしかいません」


 ……まあ、儚さが感じられる美貌であっても、中身は大公家の男である。


「ヴァルが王都に行ってしまってから、本当に大変でした……。なぜ私が当主の座への野心などを疑われなくてはならないのか、理解に苦しむばかりの日々でした。いえ、何もかもは、そこで他人事のような顔をしている兄上が原因なのですが」


「当主など面倒な……、お前が継げばいいだろう、ルイン。ひとまず国を覆う結界は成ったんだ。お前程度の魔術師でもなんとかやっていけるだろうよ。せいぜい働くがいい」


「兄上は本当に昔から怠惰を極めたろくでなしでいらっしゃいましたね。ですが、火の君(イーラ)水の君(スーラ)が結婚とあれば、我が大公家は次々世代に至るまで安心、領民たちも平和に暮らせることでしょう。私も胸をなでおろしております」


 冷たい火花を散らす兄弟の間で、ヴァルはそっと挙手をしていった。


「あの、ルイン。これはここだけの話にしてほしいんだけど、わたしたちの結婚は内戦を避けるための取引みたいなものだから、できる限り早く離婚をしたいと思っているのよ」


「ははっ、そんなご冗談を。照れ隠しですか、義姉上?」


 まったく信じていない顔で朗らかに笑うルインに、無言で首を横に振ってみせる。

 ルインの端正な顔がサッと青ざめた。


「まさかもうマリッジブルーに!? すでに兄上に嫌気がさしましたか!? お気持ちはよくわかりますが……!」


「いや、そもそも偽装結婚なんだってば」


 大公閣下のお気持ちを動かし、内戦を回避するためだけの結婚だ。そう繰り返すと、ようやく信じてくれたらしい。


 ルインは険しい顔になってゼインへ視線を向けた。


「兄上……、少々別室でお話を」


「俺に話すことはない」


「どういうおつもりですか、兄上」


 ルインが唸るような声でいう。

 ヴァルは制止のために片手を上げた。


「ルイン、この件に関してはわたしに責任があるのよ。ゼインは付き合ってくれているだけ。わたしは深く感謝してるわ」


「そんな、義姉上……!」


「まだ義姉上じゃないってば」


 軽く笑ってみせれば、ルインは眉間に深く皺を刻んでいった。


「いいえ、ヴァル。兄上の妻になれる女性はあなたしかおりません。あなたが不在の間に、父上も閣下も改めてそう認識したはずです。兄上の魔術師としての強さや、大公家の跡取りという地位や身分、それに無駄に整っているこの顔だけで、妻になりたいという女性はいくらでもおります。しかし、実際にこの性格破綻者と一緒に暮らしていけるのはヴァルだけです。ほかの女性では三日と経たずに嫌になることでしょう」


 元よりお互いに手厳しい兄弟仲ではあるけれど、今日のルインはいつになく辛口だ。よほど鬱憤が溜まっていたのだろうか。


(まあ、ゼインを差し置いて当主の椅子を狙っているなんて噂されたら、面倒事も増えるわよね……)


 ヴァルはじろりと横目で隣に座る男を見た。


「ゼイン、なにか弁明することは?」


「なぜ俺がそんな真似を……?」


「わたしが王都に行っている間、叩き起こす人間がいないのをいいことに、サボりまくっていたんでしょう」


「それは誤解だな。お前がいようと、俺は寝ると決めたら寝る」


 ───本当にろくでもないな……という沈黙が室内に満ちた。


 ヤナ博士が呆れ顔で口を開く。


「嬢ちゃんはあれじゃろ、フェルディナスのクソバカが戦を始めるなんちゅーアホをかましたから、仕方なくボンとの結婚をいい出したんじゃろ」


 フェルディナスのクソバカ。アホ。


 ヴァルは先ほどとは違う意味で沈黙した。あの大公閣下をそのようにいえる人間は、この世でヤナ博士だけだろう。


 魔道具開発の天才であり、魔導工学の基礎を築いたといわれるヤナ博士。


 ヤナが姓であるか名であるかは不明であり、そもそも本名なのかどうかもわからない。出身地も、閣下の右腕となる以前の経歴も不明。皺の刻まれた褐色の肌に、癖のある髪の毛を長く伸ばし、さらにそれを丹念に結っている。小柄だが眼光は鋭く、ひどくしゃがれた声で話す。常に首元まで覆うぶかぶかの服を着ていることもあって、年齢だけでなく性別すら不明だ。すべてを知っているのは、おそらく大公閣下その人のみだろう。


「あのクソバカ戦狂いめ、魔術師が人間と戦ってどうする。魔物と戦わんかい、魔物と」


「博士、今回の一件は王家に非があります。大公閣下がお怒りになるのは最もです。それをわたしたちの結婚で曲げてくださったのですから、わたしは閣下の寛大な御心に感謝しています」


「嬢ちゃん、そんな人の良いことばーっかいっとると、あのクソバカにいいように使われるだけじゃぞ」


 ヤナ博士が呆れと心配の入り混じった声でいったときだ。


 ドアが開き、グレイがティーセットの乗ったワゴンとともに戻ってきた。そしてため息をついていった。


「先生、大公閣下のことをそのように呼ぶのはやめてください」


「はっ、クソバカをクソバカといって何が悪いんじゃ」


「先生以外の人間がそれを口にしたら大問題になるところでしょうね」


 グレイはヤナ博士の弟子だ。慣れたやり取りなのだろう。淡々と返したグレイに、博士がむすっと唇を曲げた。


 グレイの手作りの赤蔦の木苺パイを頂きながら、紅茶を飲んで一息つく。


 そこでヤナ博士が、ふと気づいたようにこちらの手首に目を止めた。


「嬢ちゃん、ブレスレットはどうしたんじゃ?」






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