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13.筆頭魔術師の証


 筆頭魔術師の証と呼ばれているブレスレットは、大公閣下の右腕であるヤナ博士が開発した試作品の魔道具だ。例によって扱いが非常に難しかったことと、量産のできない希少素材を使用していたため、四人の筆頭魔術師が試作品を受け取っただけで研究は終了した。だから実のところ、そんな仰々しいものではない。ヤナ博士が天才であるがそれ以上に変人であることの証というほうが正しい。


 ただ、希少水晶を使っているため、常に変化する不思議な色合いを持っていて、博士以外が同じ物を作るのは不可能だといわれている。単身で戦場を転々とすることも多かった筆頭魔術師にとっては、己の身分を証明するときに便利だった。それで四人とも日常的に身につけているうちに『あのブレスレットは、大公閣下が筆頭魔術師の証として授けられたのだ』という噂がまことしやかに広がっていた。残念ながら、そんな格好良い逸話はないのだけど。


 あのブレスレットを持っていけば、大公家所縁の者なら少なくとも門前払いをすることはない。


(彼女に預けたなんてことがバレたら、アトリに一日中説教されるだろうけど)


 自分だって別に、最初からそのつもりだったわけではなかった。部屋を訪ねたときは、ただ挨拶だけのつもりだった。もし彼女がこちらの話に耳を貸してくれるなら、一時的にでも実家に帰ることを勧めようかとも思っていた。


 だけど、実際に会った彼女は、ひどく追い詰められた顔をしていた。誰にも頼ることができない、頼れる相手などいない、助けてくれる人なんて存在しない。そんな眼を。


 ……幼い頃、親を亡くして路上で暮らしていたときの自分もそうだった。水たまりの中に映る自分が、彼女と同じ眼をしていたことを思い出した。だから思わず、そのほっそりとした手を掴んでいた。


(まあ、即開戦って雰囲気じゃないし、普通に王宮には戻れそうだから、大丈夫でしょう)


 帰ったら返してもらえばいいのだ。アトリにバレる前に上手くやろう。


 そう考えながら大通りへと歩いていく。弟のグレイに甘い菓子の手土産でも買っていこうかと考えたところで、予想以上の人ごみに呑まれてしまって、思わずキョロキョロと辺りを見回した。受験の時期だとは聞いていたけれど、それにしても。


(人が多すぎない!?)


 まるで春の祝祭のときのような熱気のある人出だ。しかし今日はこれといって何もない、普通の日のはずだ。


(……まさか、この大半が受験生? ええ、多すぎない?)


 自分が学園都市ヒューロを訪れるのはおよそ一年半ぶりだ。もともと若者が多く、活気のある街だけれど、前回はここまで人の行き来が多くはなかった。


 もちろん、魔術師になりたいと思うなら、この学園都市ヒューロが最高峰だ。これは身内の欲目ではなく、純粋に事実だ。




 魔術というのは、自分の魔力で大気中に存在するエーテルを変化させるという、不可視のものを操って物理的な作用を起こす力だ。


 この『不可視のもの』というのがまず、学びの最初のつまずきだ。この点においては、剣や弓を扱うほうがよほど簡単だろう。目に見える武器なら、才能のある者であれば独学でモノにしてみせるかもしれない。しかし、魔術師はまず、己の魔力を感じとるところから勉強が始まる。独学では魔術師になれないといわれるゆえんである。


 ただ、大公ギルガードが変革を起こすまで、魔術師の知識というのは、師から弟子へと細々と受け継がれていくものだった。今でこそ、魔術師を育てるための教育というのは体系化され、魔術の研究も盛んになっているが、それも大公閣下とヤナ博士による知識の集約と体制化があってこそだ。さらにいうと、大公家が豊かな財源を確保できているおかげでもある。


 学園都市ヒューロの成功の後には、似たような魔術師育成の学園が国内外にいくつも作られていた。しかし成功例は少ない。現役の魔術師たちは学園での集団教育など知らない人間のほうが多数派なのだ。まず『先生』になるための教育が必要だ。だが、そこを飛ばして、魔術師を集めれば学園になると思っている者は少なくない。


 自分にいわせれば、魔術師としての実力と教育者としての能力はまったく別物である。自分を含めて四人の筆頭は誰一人として『先生』に向いていない。人間向き不向きがあるのだ。属性において最強である四天は、戦場の指揮官や将官や、一騎で戦況をひっくり返す起爆剤になら向いている。多少の窮地は力技で叩き潰せるからだ。しかし繰り返すが教師には向いていない。多少の困難は力技で叩き潰せてしまうからだ。


 そんな経緯もあり、後発の学園が作られてはいるものの、魔術師育成の教育機関としてはこのヒューロが依然として最高峰だ。

 だから受験の時期に賑わうのはわかる。わかるけれども。


(それにしたって、この大半が受験生だったら異例の多さよ……)


 それともやっぱりなにか特別な催しがあるのだろうか?

 大通りに面しているカフェはどこもテラス席まで満席のようだし、有名な菓子店には行列ができている。自分もその店で土産を買っていこうと考えていたヴァルは、諦めの心地で人ごみに流されるように歩いていった。噴水がある大広場まで来ると、やや混雑も緩和されたように感じられてホッとする。


 そんなときだ。怒鳴り声が聞こえてきたのは。


「ふざけんなよ! お前、この水晶の杖がいくらすると思ってるんだ!」


「そっちがぶつかってきたんだろ! 僕が壊したんじゃない!」


 なんだなんだと、大広場の人々の視線がそちらへ集中する。


 見れば、受験生らしき青年たちが言い争っていた。片方は三人組で、もう片方は一人だ。


 受験生だろうと一目で察するのは、魔術師らしい服装をしているわりに馴染んでいないからだ。服に着られているようなちぐはぐさがある。


 特に三人組のほうは金糸や宝石で魔術陣が縁取られた豪奢な装いをしている一方で、長衣やロープそれぞれの術の構成が嚙み合っていなかった。あれでは強化どころか打ち消す作用まで出てしまう。何事もそうだろうけれど、強力な物を重ねればいいというものではないのだ。


 豪奢な三人組と睨み合っているほうの青年は、逆にあまり裕福ではないのだろう。かなり質素な装いをしている。それでもロープには魔術陣の刺繍が見えるけれど、あれは恐らくタチの悪いショップの人間に売りつけられたのだと思われる。術式がほぼ意味をなしていないからだ。あれでは魔術の強化としての役割は果たせない。


 睨み合う彼らの足元には水晶の破片らしき輝きが散らばっている。

 三人組の内の一人は台座のような形の杖を握りしめていた。今にもそれを振りかざして殴り掛かりそうな雰囲気だ。


「わざとだろ! 自分が魔道具も買えないからって、人の魔道具を壊してまで受かりたいのかよ! この卑怯者!」


「だからっ、僕じゃない! よそ見して歩いてたのはそっちじゃないか! だいたい、落としたくらいで壊れるような魔道具を持ち歩くなよ!」


「お前、謝りもしないのかよ、ふざけんな!」


 豪奢な格好の青年が杖を振り上げる。誰かがアッと声を上げた。


 ヴァルはわずかに指先を動かした。


 凶器に変わろうとしていた杖が、分厚い氷の障壁に阻まれて鈍い音を立てる。


 豪奢な格好の三人組も、言い争っていた質素な装いの青年も、突如として現れた氷の壁にぎょっとしたようにのぞけって後ずさった。大広場にもどよめきと感嘆の声が上がる。魔術に慣れている人々にとっては、これは恐怖ではなく畏怖の対象だ。


 しかし豪奢な格好の青年たちは、誰が余計な真似をしたのかと、犯人探しをするように群衆を睨みつける。


 ヴァルは小さく嘆息し、フードを目深に被って彼らの前に出た。


「暴力はやめておきなさい。魔道具が壊れたのは気の毒だけどね。杖で殴りかかるのはまずいでしょう」


 即座に怒鳴り声が返ってくるかと思ったけれど、彼らはなぜかじろじろと値踏みするようにこちらを見ていた。特に鎖骨辺りをじっと凝視されて、内心で首を傾げたときだ。


 杖を握りしめた青年が馬鹿にしきった声でいった。


「なんだ、ザコじゃん」


 ザコ。

 思わず呆気に取られて見返した。

 コントロールが下手だの雑だのはさんざんいわれてきたけれど、弱いという扱いをされたことはなかった。魔力量だけはやたらと豊富だったからだ。予想外の言葉に、腹が立つよりも先に面食らってしまう。


 しかし、黙り込んだことを怯んだと受け取られたらしい。


 杖を握った青年は、その顔に蔑みをくっきりと浮かべて続けた。


「無能が話しかけてくるなよ。晶十位でさえないとかあり得ないから。俺は晶六位だぜ? 立場をわきまえろよ」


 青年の両隣にいる二人が追従するような笑い声をあげる。


「恥ずかしくない? あんな正義面して出てきて位無しとかさ。俺、十位でさえ恥ずかしくて表を歩けないと思ってたわ。自分がゴミですって晒しながら生きてるのつらそ~」


「魔術師同士の会話に割り込める身分じゃないって自覚してほしいよな。ま、無能が張り切っちゃったんだろうけど。人生で初めての活躍の場所だとでも思ったんじゃねえの?」


 三人組が馬鹿にした声で笑う。露骨な嘲笑の視線を向けられる。気づけば、周囲の野次馬たちからの眼差しにも心なしか憐れみが滲んでいるようだ。ヴァルは平静を装いながらも、内心でうろたえていた。


(晶十位? 六位? 位無し? し、知らない単語が多すぎる……!)


 十位という言葉からして一位、二位……とあるのだろうか? 

 それに誰も怪訝な顔をしていないところを見ると、この街では常識になっているらしい。前回この街を訪れたのはたった一年半前だというのに、いつの間にそんな常識ができたのだ。自分が知らない間に魔術師の大会でも開かれたのだろうか? 参加者は全員参加賞として十位になるとか? それはその大会の時期に街にいなかったらどうにもならないのでは?


 よくよく見れば、三人組も、彼らと対立している質素な装いの青年も、鎖骨の辺りに小さなバッジのようなものを付けている。あれが位の証なのだろうか? 


「よせよ! 位がないからって、馬鹿にしていいわけないだろ!」


 質素な装い青年が必死の様子で声を上げる。

 しかし三人組はどっと笑い出した。


「さすが、万年十位はいうことがちがうぜ!」


「底辺同士のかばい合いとか可哀想すぎて涙が出ちゃう」


「万年十位じゃまず受験は受からないもんなあ。そりゃ上の奴の魔道具壊してでもって考えるよな」


 十位といわれた青年が、歯を食いしばって嘲笑に耐えている。

 ヴァルは一度眉間にしわを寄せてから、コツコツと靴音を鳴らして質素な装いの青年に近づいた。蔑まれている青年の傍に立つ。

 それから三人組を見つめた。

 彼らは一瞬、こちらの視線にたじろいたようだった。


 位が何だか知らないが、この身は水の筆頭魔術師である。

 かつて一軍の将だった者として、騒ぎを起こした新兵を諭すように淡々といった。


「仲良くしろとはいわないが、最低限の礼儀を持て。有事においては誰であろうと協力しなければ死ぬだけだぞ。日頃から不和の種をまき散らすのは、己の墓穴を掘る行為だと理解しろ」


 三人組が気圧されたように後ずさる。

 しかしすぐさま、怯んだことを恥じるようにわざとらしい大声で笑い出した。


「何だこいつ、頭おかしいんじゃねえの」


「位無しごときが軍人なりきりゴッコかよ、痛すぎだろ!」


「妄想の世界で生きすぎ───……」


 最後の一人が口をつぐんだのは、近づいてくる制服に気づいたからだ。


 誰かが連絡したのだろう。

 この学園都市の警備隊であることを示す黒一色の制服姿の者たちが、石畳の上を靴音も高らかに現れた。


「大広場で騒ぎが起きているとの通報があった。君たちか?」


 隊長の制服を纏った男が、じろりとこちらを睥睨する。


 杖を握った青年が慌てた様子で、両手を振り回していった。


「ちっ、違いますよ! 俺は被害者です! あいつに魔道具を壊されたんです! それにあの女はいいがかりを付けてきて」


「そうですよ、俺らは被害者です!」


「悪いのはあっちですよ!」


「話は詰め所で聞く。全員来なさい」


「えっ」


 思わず声を上げてしまう。


 警備隊の視線が一斉にこちらを向いた。その威圧的な眼差しに、自分の隣にいる青年だけでなく、三人組まですくみ上った。

 しかし自分にとっては大公閣下の眼差しより怖いものはなく、それよりも連行された挙句に調書を取られるほうがとてもまずい。名前や居住地を素直に話しても、とても信じてはもらえないだろう。今日は身分を証明できるものを何も持っていないのだ。






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