9.貴方の未来、聞かせてあげます
二人が着いた先は中庭の片隅にある大木だった。
木陰の下に潜ったシュゼットを、レオガルドはやや離れた場所から胡散臭げに見やる。
「で? その証明とやらはどうした」
「急がなくてもすぐに分かりますわ」
呑気に懐中時計を視認する少女に、只でさえ長くない少年の堪忍袋の緒が切れる。
「お前なぁ、調子に乗んのもいい加減にしやがれ!! この俺を誰だと思っていやがるんだ!?」
「ローグウェル家のご嫡男様です」
「分かってんならそれなりの態度ってものが、」
「そんな名門侯爵家の嫡子であるレオガルド様に聞いて頂きたいお話があるのですが」
「まずは俺の話を聞けよ!!」
一向に進まない話にシュゼットは溜め息をつく。
俺様って心底面倒くさ……難しい。こんなことでもなければ一生関わろうとは思わなかっただろう。
「ところでレオガルド様、そこにいると濡れますよ」
「はっ、お前の目は節穴か? それとも俺の上にだけ水が降ってくるとでも?」
言い終わるや否や、レオガルドの頬にぽつりと冷たいものが当たる。咄嗟に見上げた空は青いまま。気のせいかと視線を戻した直後、今度は数滴の水が身体に触れた。
まさかと思う暇もなく雨粒は大きくなり、あっという間に地上に降り注ぐ。レオガルドは反射的に大木の下へと身体を滑り込ませた。
差し出されたハンカチを無視し、頭を振って水滴を飛ばす。犬のようだ、と彼女はこっそり思う。
「だから忠告しましたのに」
「……偶然だ」
「通り雨ですので30分ほどで止みますわ」
「…………」
示される懐中時計に表示される時刻は3時ちょうど。つまり3時半に雨は止むと、シュゼットは予言している。それが予知夢の証明ということだろう。
ポケットを探り、取り出した自分の懐中時計。時刻はやはり3時を指している。朝からずっとポケットに入れっぱなしだったのはレオガルドが一番よく分かっている。細工できた時間はない。
ただの偶然だ。それ以外有り得ない。必死に主張する自分とは裏腹に、もう一人の自分は冷静に囁く。
偶然? 本当に? だって目の前の女は雨が降る前に木の下へ避難したじゃないか。まるで狙いすましたかのように。それにさっきの硬貨のことだって。ケースを仕舞うときはカーテンを引き、廊下の足音にも気を配って。そこまで用心していたじゃないか。なのに家の者すら知らない秘密をあっさりと見破られた。恐ろしかったのだろう?いや、本当は一ヶ月前から……
――うるさい!!
耳に纏わりつく幻影を振り飛ばし、懐中時計を地面に叩きつけようと振り上げる。
全部デタラメだ、偶然だ。どんなに言い繕ったって、結局は証拠になんかなり得ない。なにが予知夢だ馬鹿馬鹿しい! 侯爵家の長子である自分がそんな悲惨な未来を迎えるはずがない。目の前の女の頭がおかしいんだ。そうだ、鼻で笑って追い返してやればいい。それで全部片が付く。全部解決する。それでいい、そうすればこんな、こんな……!
「レオガルド様」
ハッとして顔を上げると、シュゼットは真っ直ぐにレオガルドを見つめていた。ただ真っ直ぐ、曇りない瞳で。
ぎりっと懐中時計を握り締め、振り上げた腕をゆっくりと下ろす。食いしばった喉の奥から絞り出された声は、わずかに震えていた。
「……完全に信じたわけじゃねぇ」
「はい」
「退屈しのぎに、聞いてやる。お前の話とやらを」
「ありがとうございます」
大木の下。一人分の距離を空け、目を合わさないまま二人は並び立つ。
予知夢について大まかに説明した後、シュゼットは静かに語った。十年後、婚約者が他の女性と想いを通わせ合うこと。自分がその相手にしでかすこと。そして、絶望のまま命を落とすことを。
「――で、そのクソみたいな未来を変えたいって?」
「そうです。周りにも家族にもたくさん迷惑をかけて、惨めな最期を迎えるなんて死んでもご免です」
「じゃあ勝手に変えればいいじゃねえか。今までだって変えてきたんだろ」
「……大障壁が立ちはだかったんですよ」
婚約者が王太子になるであろうことを伝えると、レオガルドはあからさまに眉を顰めた。
「女共がやたら騒いでるあれか」
「あら、ご存知でしたか」
「勝手に耳に入ってくんだよ。剣もまともに握れねえくせに、なにが王子様だ」
自分より目立つ存在が気に食わないんだろうなとひっそり思う。もちろん口には出さないが。
「とにかく、王太子様と婚約する訳にはいかないんです。その名の通り人生がかかってるので出来うる限り近付くのも遠慮したいです」
「ふぅん、なるほどな。ん? となると俺には別に関係な……」
「そういえば貴方の知り合い、もしくは周りに黒髪の女の子はいますか?」
「は? いねえけど……」
「お伝えしましたよね、貴方の最期」
ぴたり、と彼の動きが止まる。
漂う緊張感に敢えて石を投げ込み、波紋を作り出す。
「ご想像の通り、あれも夢で視ました」
「っ、なんで俺がお前の夢に……」
「十年後の未来の登場人物だからです。もっと詳しく申し上げますと、貴方は黒髪の少女に想いを寄せていました。つまり王太子様が貴方にとって恋敵だったという訳ですわ」
「はぁあああ!?」
今日一番の怒号に思わず耳を塞ぐ。
「おまっ、ふざけんなよどうして俺が……!」
「今のわたしに聞かれても困ります。ついでに付け足しますが、未来の貴方はその少女に全く相手にされていませんでした。王太子様からすれば恋敵にすらなっていなかったかもしれません」
「どんっっだけ俺を侮辱すれば気が済むんだよ!! 王子なんぞに惚れる馬鹿女に相手にされないだぁ!? こっちから願い下げだクソが!!」
確かに出会ってすらいない少女から袖にされ、しかも勝手に敗者の烙印を押される……なんてプライドの塊である彼からすればとんでもない話だろう。
怒りと身に覚えの無い屈辱に震えるレオガルドを落ち着かせるため、シュゼットは視線を合わせて話を続ける。
「例えばレオガルド様、貴方は少々喉が渇いていたとします。目の前に冷たい水が入ったコップがあったら、手を伸ばしますか」
「はぁ?」
「飲みたいと思いますか」
「……そりゃあそうだろ。喉が渇いてて目の前に水があるなら、飲まない理由はない」
「けれど手を伸ばしてもコップに届かない。簡単に手に入ると思っていたのに手に入らない。喉が渇いているのに潤せない。そうなったら、余計に目の前の水が欲しくなりませんか」
「余計な手間取らせんじゃねぇって思うだろうな」
「それと同じなのだと思います」
突然の例え話に頭がついていかない。
レオガルドは眉を寄せることで続きを促す。
「容易く手に入ると思っていた少女。ところが頑なに拒絶され、一向に思い通りにならない。彼女に言い寄ったことは周囲にバレているから、ここで引き下がったら王太子より劣っていると認めるも同然。そういう状況で、レオガルド様ならどうしますか。諦めますか?」
曇ったレオガルドの表情。握り締められた、震える拳。それが全てを物語っている。
そう、引き下がれる筈がないのだ。山よりも高い自尊心を掲げる彼が、自ら負けを認めることなど決して出来ない。出来ないからこそ、ズブズブと深みに嵌っていった。
「想いが受け入れられることはなく、そのことに我慢ならなかった未来の貴方はついに実力行使に出ました」
「おい、まさか……」
「無理矢理、彼女をモノにしようとしたんです」
「っ!」
「まあ、結局王太子の登場で未遂に終わりましたけど。ですがその一件はローグウェル家に当然伝わり、後継の座は剥奪。縁を切られて貴方は家を追われました。その後の結末は先日お伝えした通りです」
見る見るうちに血の気が引いていく。怒鳴りつけてやりたいのに、実際に出来たのは口元をわずかに痙攣させることだけ。抗おうとする虚栄のメッキはすでに剥がれ、まだ見ぬ未来への恐怖が重くのしかかる。
ここだ。最も効果が発揮できる頃合いを見計らい、シュゼットは勝負に出る。
「手を組みませんか」
「手……?」
「わたしと婚約しましょう」
提示するのは破滅を回避するための手段。
お互い、幸せになるための道を――
「は? お前ごときがこの俺と? 冗談は鏡を見てから言え」
瞬間、レオガルドの鳩尾にシュゼットの渾身の一撃が炸裂した。脳内でだが。