10.脅しも時には活用します
「まさか、初めからそれが目的で俺に近付いた? 釣り合うわけないだろうが頭大丈夫か」
自惚れるなこの野郎。なんだその心底有り得ないって表情。こんな厄介な未来抱えてなきゃアンタみたいな俺様小僧、誰が進んで関わるか。そもそもその阿呆みたいな自信はどこから来るのか。多少見た目がいいのは認めるが、中身で差し引けばマイナスにしかならない自覚を持った方がよろしいんじゃなくて!?
真顔で引いているレオガルドに胸中でありとあらゆる罵倒をぶちまけて心の均衡を保ち、なんとかシュゼットは笑顔を維持し続けた。多少口が悪くなってしまったのはご愛嬌だろう。
軽い咳払いの後、我儘な8歳のおぼっちゃまにこれ以上ない令嬢スマイルを浮かべて向き直る。
「申し訳ありません、言葉足らずでしたわ。婚約といっても、本当に結婚したいとかそういうことじゃありません。お互いに最悪な未来を回避するために協力しましょうという意味です」
「どういう意味だ」
「わたしも貴方も、このままでは破滅が待っているかもしれません。ですが今婚約しておけば、わたしは王太子様との婚約を免れる。貴方もわたしから情報を得て、別の道を正しく歩める。お互いにいいこと尽くしですよね。一時的に手を結ぶ、その形が婚約であるだけ。望まない未来を回避できたと確信を得た際には解消して頂いて大いに結構です」
眉間に皺を寄せて無言で考え込むレオガルド。告げられた言葉の意味を噛み砕いているのだろう。
揺れているときこそが絶好のチャンス。シュゼットはすかさず畳みかける。
「もちろん嫌だとおっしゃるなら無理強いはしません。その時は二度と貴方の前に現れないと誓いましょう」
「本当か?」
「ええ。ですが同様に、二度と助言はいたしません。未来のどんな夢を視ても、たとえレオガルド様が酷い不利益を被る夢だとしても、告げません。怪我をしようが病に伏せようが家を追い出されようがわたしは一切関与しません」
「お、お前……!」
「当然ですよね。手を組むとはお互いの利益を追求すること。何の利益にもならないことを無償で行うほど、わたしはお人好しではありませんから。未来は一人でどうにかすることにします」
ぎりっと奥歯を噛み締める彼に、それはそれは麗しい微笑みを浮かべてみせる。
要は脅しだ。手を組まないならお前のことは知ったこっちゃないという、分かりやすい脅迫。こうなればもう答えは出たようなもの。
シュゼットには予知夢がある。未来で起こることが予見できるのだから、一人でだって最悪な未来を回避できる可能性は十分にある。
けれど、レオガルドは? いくら身分が高かろうが偉そうにしていようが、結局はただの子供。出来ることなど数えるほどしかない。しかもシュゼットによってすでに未来への恐怖心を植え付けられている。そんな状態で彼女からの提案を無下に跳ね除けられる訳がないのだ。
全てを見越した上で、シュゼットは鞄から取り出した手紙をレオガルドへ差し出す。
「返事は今すぐでなくて構いません。代わりにこちらを」
「これは……」
「来月に行われるわたしの誕生会の招待状です。婚約を承諾する意思が固まりましたら、参加なさってください。もしいらっしゃらない場合はこのお話は無かったものといたします」
「…………」
「もしも婚約を快諾して頂けるのであれば、協力は惜しまないことをお約束しますわ」
レオガルドは皺が出来そうなほど強い力で招待状を掴む。いや、本来なら怒りのまま握り潰していただろう。同い年の少女に脅しをかけられ言い返すことすら出来ず、ただ歯を食い縛るだけ。そんな屈辱は初めてだった。今すぐに破り捨ててやりたかったが、ぎりぎりのところでそれを押し留める。お前にとっての命綱だろう、理性がそう囁くのだ。
最後の悪あがきで思いきり睨みつけてやれば、物ともしない笑顔が返ってくる。異様な睨み合いはレオガルドが先に逸したことで勝敗を決した。
「レオガルド様」
「気安く名前を呼ぶな」
「雨が上がりますよ」
ハッとして見上げた空は雲間から青色が覗いている。雨足も目を凝らさなければ分からないほど弱い。レオガルドが懐中時計を取り出したのとシュゼットがカウントを始めたのは、ほとんど同時だった。
5、4、3、2、1――
「ゼロ」
「――――!」
まるでその合図を待ちわびていたかのように雨が止む。
時計の長針は寸分の狂いなく、6を指し示していた。もはや偶然だと喚くことすら出来ず、懐中時計を覗き込んだ姿勢のまま身動きが取れない。
そんな彼を横目に、シュゼットは木陰の下から一歩踏み出す。太陽の眩しさに目を細めながら「そうそう」と思い出したように振り返る。最後の仕上げだ。
「レオガルド様、窓の開けっ放しにはご注意ください。大切なものが壊れてしまうかもしれませんよ」
怯えすら含んだレオガルドの瞳の中の自分はいつも通りに笑んでいた。
さて、彼にはどのように映っていることだろう。
「来月の誕生会でお会いできることを楽しみにしています」
礼をとって、シュゼットは中庭を後にする。レオガルドの視線を感じながら、余裕を見せつけるような優雅さで。
初めに通された部屋へ戻ってくると待機していたミーシェがほっとした表情で頭を下げた。
そこでシュゼットもようやく肩の力を抜き、飾らない笑顔が浮かぶ。
「ミーシェ、帰りましょう」
「もうご用件はお済みですか」
「ええ」
使用人に見送られ、邸を出る。馬車が走り出し、遠ざかっていくローグウェル家を視界の外に息を吐いた。
「……よろしかったのですか」
「え?」
「いえ、出過ぎたことを申しました。申し訳ありません」
ミーシェの言いたいことはすぐに分かった。今日は元々、母親と妹の三人でピクニックに出掛ける予定だったのだ。シュゼットも楽しみにしていたことを知っているから、急に約束をキャンセルにして大した交流もない侯爵家を訪ねたことが不可解だったのだろう。
「そうね。でも今日でないと駄目だったの」
「……?」
レオガルドに会うのは今日でなくてはいけなかった。短い通り雨が降る、今日この日でなくては意味がなかったのだ。
「それにしても客人を見送りにも出てこないだなんて、少々無礼な気がいたします」
「なにか急ぎのご用事があったのかもしれないわ」
「だとしても、顔くらい見せるのが礼儀ではありませんか」
ミーシェは部屋で待機していたためレオガルドと対面していない。彼があの雑貨店で出遭った少年だと知ったら、どんな表情をするのだろう。すでに不審感を募らせている侍女に胸中でひっそりと侘びた。
***
そして、シュゼットの誕生パーティー当日。大広間はたくさんの人で賑わっていた。
セレンディーナとのお喋りもそこそこに、入れ代わり立ち代わり訪れる人々からの祝福と挨拶を主役らしく受けていく。笑顔で言葉を交わしつつも意識は会場中に巡らせる。探すのはたった一人。
焦りはなかった。何故なら、シュゼットはもう知っていたからだ。
ざわり。空気が微かに揺れる。
呼応するように響く、真っ直ぐシュゼットへと向かってくる一人分の足音。
――来た。
シュゼットが確信を持って振り返ると同時に、すぐ近くで足音が止まる。
「ようこそおいで下さいました、レオガルド様」
今朝夢で視たように、レオガルドはそっぽを向いたまま無言で巻物状のものをシュゼットに差し出す。
受け取って中を確認した彼女はにっこりと微笑む。
「素敵な誕生日プレゼントをありがとうございます」
「本来ならお前ごとき、恐れ多いことなんだからな。肝に命じておけ!」
「はい」
「……約束は守れよ」
「ええ、もちろんです」
レオガルドから贈られた婚約の申し込み状。
取引の成立と、王太子との婚約を回避できた証だ。
夢で視ていたとは言え、やはり実際に手の中にあると実感が伴う。これは間違いなく未来への回避に大きく繋がる一歩なのだ。じわじわと込み上げる喜びを隠しきれず、シュゼットはレオガルドに右手を差し出した。
「これからよろしくお願いしますわ」
「ふん、誰かよろしくするか」
握られなかったのは予想の範囲内。
さあここからだ、と少女は意気込む。
この俺様で当て馬な婚約者(仮)をどうにか矯正していかなくては。




