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当て馬俺様系を目下矯正中です  作者: 佐倉ユウキ
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28.この本の作者、一発殴らせろ……!


 チェスの勉強を始めてから2日。

 早くもレオガルドのストレスは最高潮に達していた。


「やってられっか!!!!!!」


 力任せに本を投げつけた――にも関わらず、ふかふかの絨毯のせいで本体はノーダメージ。それが余計に腹立たしい。

 先日シュゼットから借りた専門書のうちの一冊、『苦手なあなたもきっと楽しくなる! わくわくチェス入門書その1』を忌々しげに睨みつけ、奥歯をぎりりと鳴らす。


「なにが苦手なあなたも、だ! 分かりにくいんだよ、もっと分かりやすく書きやがれ!! そもそも戦術の数が多すぎるんだっつうの、考えたヤツ頭沸いてんじゃねえのか!?」


 溜まりに溜まった憤りと苛立ちを理不尽に大噴火させながら、激しく床を踏みならす。

 無残にも駒がなぎ倒されたチェス盤と、乱雑に山積みされた専門書が鎮座するテーブル上がレオガルドの苦悩を物語る。

 ちなみにこのチェス盤は母であるロザリナが寄越したものだったりする。『シュゼットさんとよくチェスをするならあった方がいいでしょう?』というはた迷惑な厚意によって。


「大っ体、なんでこの俺がチェスなんぞに時間を割かなきゃなんねぇんだよ!! こんなん何に役立つってんだ!!」


 衝動のままに本を踏みつけてやろうと右足を浮かしかけるが、ぎりぎりのところで押し留める。

 過去に同じようなことをしてシュゼットの逆鱗に触れた。そのときの記憶が脳裏をよぎり、思わず身震いする。しずしずと足を下ろしたのは決して婚約者が怖いとかそんな理由ではない。決して、誓って。


 レオガルドは窓を開け、大きく息を吐いた。チェス盤も専門書も視界に入れたくない。

 日は沈みかかり、紺色と橙色のグラデーションを為す空。静かな夜の足音が聞こえてくる夕暮れ時。

 そんな神秘的とも思える景色もレオガルドにとってはそこら辺の絵画と同義で、何の価値もなければ何の癒やしにもならない。胸を渦巻く黒い感情が晴れることは一切無く、思わず溜め息をついた。



 読み始めた初日はまだ、楽しいと言えなくもなかった。3年間、シュゼットと毎回チェスをしていた経験もあったため、入門書における基礎部分はすんなり頭に入ってきたからだ。

 これならさくっと戦術も覚えられるだろ、と調子に乗っていたのも束の間。あっという間に壁は立ちはだかる。


 応用の実践編になった途端、レオガルドの理解が追いつかなくなったのだ。


 駒の動かし方は分かる。けれどその動かし方がどういったメリットになるのかが分からない。

 幾度となく字面を追って、実際にチェス盤で指してみてもすっきりしない。

 “つまりどういうこと?”状態から抜け出せない。

 分からない部分を飛ばそうにも、次はその部分の更なる応用となるため結局は行き詰まる。そもそも飛ばすなんて敗北を認めるようで、意地にもなっていた。


 理解できず、且つ関心もない事柄を頭に入れようとする作業ほど面倒でストレスの溜まる行為はない。

 普段あまり使わない脳を酷使した疲れと理解できない怒りによって、レオガルドの苛立ちは早々に過去最高レベルを叩き出した。

 何度もほっぽり出そうとした。チェスなんぞただの暇つぶし。わざわざ勉強する理由もメリットもない。そんなことより鍛錬に時間を費やした方がどれだけ意味があるか。


 しかし、その度に脳内でシュゼットが囁くのだ。


『あら、やっぱり駄目だったの。仕方ないわよ、人には向き不向きがあるんだもの。わたしには簡単だったけれどレオガルドには難しい。それだけのことよね』


 憐れみとも慈しみとも言い難い、それはそれは綺麗な微笑みが容易に浮かんできて、レオガルドの自尊心にちくちくどころかぐさぐさと突き刺さる。

 ボコボコにしてやると啖呵を切った手前、引き下がる訳にはいかない。侮られたまま負け続けるなんて、それを仕方ないと諦めるなんて死んでもごめんだ。絶対に一泡吹かせてやる。

 この思考に陥っている時点でシュゼットの術中にまんまとハマっているのだが、悲しいかなレオガルドが気付くことはない。


(とはいえ、このままじゃ埒が明かない)


 専門書やチェス盤と睨めっこしているだけでは八方塞がり。無駄に時間を浪費するだけだ。

 どうしたものかと頭を抱えていたとき。ふと浮かんだのは、先日の帰り際にシュゼットが残した言葉。


『誰かとチェスを指した方がいいわ』


『は?』

『おそらくチェスの勉強を進めていく中でつまずく場面が出てくると思うから。わたしからの助言よ』

『たかがチェスごときでつまずくかよ』


 今になって思う。

 にっこりと微笑む少女にはこの未来が視えていたのではないか。

 だとしたら性格が悪いにもほどがある。

 彼女の思い通りに事が運ぶのは非常に腹立たしいが、現状的に一番有効な策だということも理解していた。


 だが、しかし。


 (……誰とだ?)


 自他共に公認でレオガルドに友人などいない。

 そもそもチェスなんぞを指していると他人に知られるなんて死んでも御免だ。

 それなら家族? ライガー()ロザリナ(母親)――ない。即座に却下する。万が一にでも負けるかもしれない可能性がある限り、指せる訳がない。

 消去法で消していけば最後に残った相手はたった一人で、慌てて考えを打ち消す。

 多忙な彼にチェスの相手をお願いするだなんて、恐れ多いにも程がある。そもそも屋敷に居ないことの方が多いのだし、頼みようもない。そうだ、なにを馬鹿げたことを。


 窓を閉め、投げ捨てた本を拾い上げる。

 ぱらぱらと流すようにめくって、また溜め息をつきかけたときだった。扉がノックされ、侍女の硬い声が父親の帰宅を知らせた。


 つい先ほど頭に浮かべた相手だっただけに、ドキリとした。

 時計を確認する。いつもよりずっと早い帰りだ。

 倒れていた駒を綺麗に並べ直し、本も整理して、意味もなく姿勢を正す。視線が何度も時計へ泳ぐ。そわそわして落ち着かない。


(この時間なら書斎にいるはず……)


 建前と言い訳と気遣いと本音が、一斉に脳内を飛び交う。


『駄目元で頼むだけ頼んでみても』

『こんな下らないことを?』

『疲れているだろうからゆっくり休んでいただくべきだ』

『何を悠長に。他に指せる当てもないくせに』

『父上の手を煩わせる価値があるっていうのか』


『アイツを見返したいんだろう』


 ぐっと拳を握り締め、部屋を出て廊下を進む。

 未だ迷う自分を振り切って足を動かせば、あっという間に目的地に到着する。

 何の変哲も無い白塗りの扉。けれど漂う空気の重さが圧倒的に違う。扉の向こうに、ルイズがいるのだ。

 唾を飲み込み、深く深呼吸してから扉を二度、ノックした。


「レオガルドか」

「! は、はい。お願いしたいことがあって参りました。入ってもよろしいでしょうか」

「入れ」


 おそるおそる入室した先にルイズがいた。上着を脱いだだけの格好で書類に目を通している。

 父親と対面するとき、レオガルドはいつだって緊張する。常に完璧で隙がなく、圧倒的な強さを持ち合わせるルイズはレオガルドにとって憧れであり目標でもあった。父親のような立派な騎士になること。それが小さい頃からの変わらぬ夢だ。

 だからこそ此処に来たことを後悔した。机上に積まれた小さな書類の山。緊急性はなさそうだが、忙しいことには変わりないのだ。駄目元とは思ったが、やはり父に頼むようなことではなかった。


「用事とは?」

「ええと、その……」


 珍しく口ごもるレオガルドにルイズは書類から顔を上げる。視界の端でそれが分かって、少年は慌てた。

 現近衛騎士団長であるルイズは煮え切らない態度や物言いを好まない。『自分の意見を周りに示せない者は意志が無いのと同じだ』と新兵に言い放った場面を幼心によく覚えている。

 咄嗟に上手い言い訳を考えるが何も浮かばず、けれどこのまま黙っているのは一番マズい。やけくそ気味にレオガルドは口を開く。


「忙しいとは重々承知の上ですが、お時間を作って頂けないでしょうか」

「なんだ」

「チェスのご教授を頂きたいのです」


 場に満ちた沈黙がレオガルドの居たたまれなさを倍増させていく。

 引き返せばよかった。ノックしなきゃよかった。チェスなんてさっさと止めておけば、こんな馬鹿げた真似をしでかさずに済んだのに。

 もしもルイズに呆れられたら――そんな恐怖すらよぎって、身を固くしていたら。


「分かった、時間を取ろう」


 思いがけない言葉に目を見開き、顔を上げる。

 いつもと変わらない無表情でルイズは手にしていた書類にサインを書き込む。


「食後でも構わないか」

「は、はい、ありがとうございます!」


 頭を下げて退室した後も、レオガルドの心臓は早鐘を打ち続ける。どくどく、ばくばくとうるさいくらいだった。

 ルイズが時間を取ってくれる。あの忙しい父親が、自分のために。

 自然と緩んでしまう口元を片手で隠し、レオガルドは足早に自室を目指す。

 もう一度専門書を読み直して、駒を動かしてみよう。せっかく父と指せるのだ、無様に負けることだけは避けなくては。


 ステップでも踏み出しそうな勢いの彼は部屋に戻ってから、ソファに突っ伏す羽目になる。

 ――片手にチェスの本を握りしめたままだったという事実に今更ながら気付いて。





「レオガルドがチェス、か」


 またずいぶんと意外な頼みだったなとルイズは独りごちる。傍目には分からなくても、内心彼もレオガルドの“お願い”には驚いていた。

 なにせ剣を始めてからはそればかりにのめり込んできた息子だ。今までだって剣を見てほしいとか、騎士団の訓練場を見学したいだとかそういうお願いばかりだった。むしろ読書や勉学は毛嫌いしていたというのに。


 ところが数年前から様子が変わった。

 そう、アウディガナ侯爵家の令嬢と婚約してから。


 レオガルドの左手に収まっていたチェスの専門書。あれはローグウェル家のものではない。だとすれば令嬢の持ち物をわざわざ借りたのだろう。

 あれほど嫌がっていた勉強を自ら始めて、ルイズに助力まで求めるなんて。


「……どうやら風向きが変わったようだな」


 チェス盤を用意するため、ルイズは執事を呼んだ。


 

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