20.剣を持つ婚約者は別人でした
夢を視た。
心乱される未来の夢でもなく、心躍るような明日の夢でもなく、ただただ静かな夢だった。
ややくすんだ白い壁。両開きの木の扉。木々の狭間に慎ましく佇む、背の高い建物。
民家とは異なる雰囲気が漂うそこは、どうやら教会のようだった。
行ったこともなければ見覚えもない。シュゼットの記憶には存在しない教会だ。
けれど。
何故だか、とても――……
***
「ねえレオガルド、お願いよ」
「嫌だ」
「お願いったらお願い!」
「嫌だっつったら絶対に嫌だ」
「どうしてそんなに嫌がるの? 決して邪魔をしないって約束するわ」
「お前がいること自体、邪魔なんだよ!」
テラスにてこの押し問答を始め、かれこれ数十分。チェスの手は止まり、出されたお茶も減る気配はないまま、とうに冷めてしまっている。
どんなに下手に出ても別の切り口を使っても、あまつさえ物で釣ってみても、レオガルドは一向に首を縦に振ろうとしない。いつもならとうに丸め込めているのにとシュゼットは歯がゆささえ覚える。
レオガルドにとって、そのぐらい本気で嫌なのだろう。
『レオガルドの剣の訓練を見てみたい』というシュゼットの望みが。
「わたしがいるとどうして邪魔なの? 訓練中は話しかけないし、遠くから見るだけでいいの」
「俺は父上のような騎士になるため、強くなるために真剣に訓練してるんだ。遊びでやってるとでも思ってんのか?」
「遊びでやっているなんて思ってないわ」
「そもそも剣の何たるかも知らねえくせに。ほいほい女が来るような場所じゃねえんだよ!」
レオガルドの言い分は理解できる。自分が真剣に取り組んでいるものを軽く扱われたと感じたら、誰だっていい気分にはならない。
けれどシュゼットだって決して、気まぐれや面白半分で見に行きたいと口にしたのではない。むしろその逆で、レオガルドが真摯に励んでいるものだからこそ、その姿を見てみたいと思ったのだ。許可無く訓練所へ押しかけるような真似をしないことがシュゼットの誠意でもあった。
「確かにわたしは……剣のことはよく知らないわ」
「だろうな。なら引っ込んで、」
「でも適当な気持ちでお願いしてる訳じゃない。レオガルドが真剣に心を傾けているものだから、見てみたいと思ったの。レオガルドが騎士になるためにどれだけ頑張っているか、どんな訓練をしているのか知りたいだけ」
シュゼットが身体を前に乗り出すとレオガルドはやや後ろに引く。両者の間にはテーブルを挟んでいるので実質的な距離は変わらない。
微かに揺れた気配を感じ取り、シュゼットは目の前に座る少年の瞳をじっと覗き込み、追撃の一手を放つ。
「お願いレオガルド。友人の好きなことをもっと知りたいって思うのは普通のことよね?」
「っ、」
「レオガルド」
「~~だ、ダメなもんはダメだ!!」
これでもダメか。今回ばかりは彼の意志も相当に固いらしい。
ここまで拒否されてしまえば引くしかない。これ以上は本気で怒りを買う。
(そこまで嫌がらなくてもいいのに……)
そっぽを向く婚約者の横顔に、シュゼットは内心で溜め息を零した。
先日、シュゼットは12歳の誕生日を迎えた。
月に一度、会うこと。
その際レオガルドに関する予知夢を伝えること。
初めに交わした約束事は今も継続されている。
しかし月日の流れと共に、2人の関係には緩やかな変化が訪れていた。
シュゼットはあのピクニックの後から、レオガルドに対し砕けた口調を用いるようになった。もちろん2人きりのとき限定で。最初は怒りを露わにしていたレオガルドも最終的には折れた。飄々としたシュゼットの態度に文句を諦めた、という表現の方が正しいかもしれない。
レオガルドの自己中さや傲慢さは未だ健在だが、大きな変化が一つ。シュゼットが毎回出す菓子や紅茶には口をつけるようになったのだ。彼は決して認めないだろうが、シュゼットに気を許している紛れもない証拠である。
以前よりも気安い仲になった分、今回のようなやりとりも増えた。
お互いの本音をぶつけ合うからこその衝突や摩擦。それ故、思うようには進まない物事。
けれど、シュゼットは今の関係の方が好ましく思えた。波紋を作らない、広げないように表面だけを見て全て分かっている気になっていた3年前よりは。
「……分かったわ」
「!」
「そこまで嫌がるなら今回は諦める」
「ふん、分かればいい」
ほっとしたような表情を浮かべつつ、喉の渇きを満たすためレオガルドは温くなった紅茶をすする。
この2年で彼の思考パターンはおおよそ把握できている。
訓練の様子を見てみたいという願望は変わらないが、あそこまで頑なに嫌がることをさすがに強行しようとは思わない。
――が、しかしだ。
(抜け道っていうのは必ずあるものなのよ)
目的のために手段や対策を複数用意しておくのは基本中の基本だ。
レオガルドに見えぬよう、シュゼットは令嬢らしからぬ笑みを浮かべるのだった。
***
とある街の中心地から少しばかり外れた広場。中央には石造りのステージがあり、そこを起点に扇状の観客席も設けられている。所謂野外ステージだ。いつもは人通りも少ない場所だが、その日はがやがやとした賑わいを見せていた。
数多く集まっているのは少年達。それぞれが手には剣を持ち、防具を身に付けている。保護者と思わしき大人も彼らの周りを囲んでいた。緊張する我が子を勇気づける者、心配げに離れたところから見守る者……その姿は様々。
そんな中、レオガルドもその場にいた。
あんぐりと口を開け、お化けでも目撃したかのような表情で、それはそれは完璧な令嬢スマイルを浮かべる自身の婚約者を見つめた。
「あらレオガルド様、偶然ですわね」
「お、お前……! あれほど俺がっ」
「あらあらあら。レオガルド様ったら何を仰っているのかしら。わたくしはたまたまこの近くを通りかかって、たまたまレオガルド様がいるのを見つけて此処に来ただけですわ」
「どの口がんなこと言ってんだ!?」
「見たところ剣の大会のようですが関係者以外も観覧は自由だと伺いました。つまりわたくしも此処で観覧するのは自由ということですよね?」
「! それは……」
「たまたまお会いできたのですもの、遠くからレオガルド様の勇姿を拝見させて頂きますね」
レオガルドはぐっと奥歯を噛む。明らかに仕組まれた偶然。だがシュゼットの屁理屈に穴はなく、開始も近いこのタイミングでは追い返すのは難しい。
これ見よがしに大きな溜め息をつき、シュゼットを睨む。笑顔で受け流されてしまうと分かっていても、思い通りに事を運ばせるのは癪だった。
舌打ちと共に踵を返そうとしたレオガルドに。
「頑張ってくださいね」
シュゼットはエールを送る。本心からの言葉。
それに対して返ってきたのは。
「――この俺を誰だと思っている」
表情を見なくても分かるくらい、自信に満ち溢れた返答だった。
この剣の大会は14歳以下の少年を対象としたもの。
組み合わせは完全にランダムで、初戦で優勝候補同士が激突することもある。お遊び参加者はおらず、中々に見応えのある仕合が展開されている。
住民からの注目度も高いらしく、観覧席には一般客と思われる人で埋め尽くされ、応援や歓声が飛び交っている。シュゼットは最前列の端っこで観戦していた。
キィン、と金属同士がぶつかる音が辺りに響く。
普段聞き慣れない音に最初こそ緊張していたシュゼットであったが、慣れてくるうちに興味深く見入るようになったいった。
剣を振り、かわし、時に防ぎながら一撃を打ち込むため相手の懐へと踏み込んでいく。真剣な力と力がぶつかり合う熱量とはこんなに激しいものなのかと感心するばかりだ。
それと同時にほんの少しだけ心配にもなる。
(レオガルドは大丈夫なのかしら……)
小柄ではないにせよ、彼よりも体格が大きい少年がごろごろいるのだ。腕力の差だっておそらくあるだろう。強いという話は聞いているが、あくまで噂でしかない。怪我でもしなければいいが……。
なんて心配、全くの杞憂だった。
「勝者、レオガルド!」
わあっと一際大きな歓声が上がる。
レオガルドは相手に突き付けていた剣を引く。安堵も喜びもなく、至って平然とした態度で。
対戦した少年は膝をついたまま呆然と彼を見上げている。何が起こったのか理解できていない様子で。
勝負はまさに一瞬でついた。
開始の合図と同時に突っ込んできた相手の一撃をなんなくかわし、足を引っかける。相手の体勢を崩したところで斜めに一閃。弾かれた剣が地面に転がる前にはレオガルドの剣先が相手の首元で鈍い光を放っていた。
その後もレオガルドは圧倒的な力で勝ち上がっていった。
自分より体が大きい相手にも、腕力で押し切ろうとする相手にも、手数を多く繰り出してくる相手にも難なく対応し、あっけないほどあっさりと倒していく。
相手が決して弱いわけではない。それ以上にレオガルドが別格なのだ。
「すごい……」
ありきたりな台詞だが、他に言葉が出てこない。まさかこんなにレオガルドが強いなんて。
観客達の話題もすっかり彼一色に染まり、称賛や驚嘆の声が方々から沸き上がる。
「あれが現騎士団長、ルイズ様のご嫡子か」
「ひとり次元が違うな」
「まだ12歳ほどだろう。それでここまで強いとは…」
「なんでも剣の申し子と呼ばれているとか」
「さすがはローグウェル家。武の神に愛された血筋だ」
惜しみない賛辞に、羨望と期待の眼差し。
これらはおべっかでも親の七光りでもなく、レオガルド自身の才能に対する正統な評価なのだ。
少年対象の大会にしては観客が多いと感じていたが、なるほど。レオガルド見たさに集まった者も少なくないと言えるのだろう。
シュゼットはようやく合点がいった。
(これじゃあ確かに自己中で俺様にもなるわよね)
レオガルドの力がここまで本物で、しかも現騎士団長の嫡男ともなれば周囲の大人が持て囃したくなるのも無理はない。
そんな環境に身を置き続けていたら彼がねじ曲がってしまうのも道理だ。
だからこそ自分がしっかりしなければ。ようやく僅かほどだがレオガルドの変化にも見られるようになってきた。気を引き締めていこう。
そんな決意を固めている最中、ふと視線を感じた気がした。
「……?」
周りを見渡してみるもそれらしい姿はなく、不思議に思いながらも気のせいと結論づけて姿勢を正す。
決勝戦の開始が迫っていることもあり、意識はすぐにそちらへ向かった。
そのため、シュゼットは知る由もない。
離れた木の陰から彼女の背中を見つめる者がいたことを。