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当て馬俺様系を目下矯正中です  作者: 佐倉ユウキ
19/35

19.貴方のこと、もっと知りたいんです


 青々とした草を踏みしめるシュゼットの足取りは軽い。

 手をかざして、空を見上げる。雲一つない快晴と柔らかな陽光に自然と口元が緩んだ。なんと気持ちのいい天気だろう。少々汗ばみそうなほどだ。

 2mほど後ろを付いてくる、憮然とした表情のレオガルドを振り返ってシュゼットは声を張る。

 

「レオガルド様、こちらです」

「……おい」

「もうすぐ着きますよ」

「おい! 俺はまだ納得してねぇんだぞ」

「そんなに後ろに……もしかしてお疲れですか」

「はぁ!? ふざけてんのかお前、こんなのいつもの訓練に比べれば運動とも呼べねえっつうの!!」


 レオガルドは腹立たしげに、大股であっという間にシュゼットを追い抜いていく。

 こういうところは扱いやすくて助かる。ほくそ笑みながら、レオガルドを追うために歩を少しだけ速めた。


 前回の折に誘ったピクニック。

 当初、レオガルドは心底嫌そうに拒絶した。


『絶対に嫌だ。お前と一緒にいるところなんか見られたくねえ。そもそも、そんな面倒くさいことなんで俺がしなくちゃいけないんだよ』


 なんでも女なんぞと出歩くのを目撃されては騎士の沽券に関わるのだとか。全く以て面倒くさい坊ちゃまである。

 が、シュゼットとて伊達に一年弱もレオガルドと付き合ってきた訳ではない。彼の言い分を一つひとつ論破して言いくるめ、反論できないところまで追い込んだ後に“お出掛け”を承認させたのだ。


 そんなこんなで相成った今回のピクニック。

 場所はシュゼットの屋敷の裏手から徒歩15分の距離にある森。大人の足なら外周一時間ほどの小さな森だ。


「ったく、なんでこの俺が……」

「以前もお伝えしましたが、ここはアウディガナ家の私有地なので他の人はいませんよ」

「見りゃあ分かる。もういい、目的地とやらはどこだ」

「もうすぐですわ。ですがその前に休憩といたしましょう」

「んなもん後でいい」

「まあまあ、そう言わず」


 ほら、とシュゼットが指さした先には小川が流れていた。

 さらさらと川を流れる水音が静かに反響し、涼しげな風が火照った肌を撫でていく。レオガルドの顎から伝った汗がぽたりと地面に染み込む。

 シュゼットは小川の側にしゃがみ、バスケットから取り出したコップに水を汲むとレオガルドに差し出した。


「どうぞ、冷たくて美味しいですよ」

「……ふん」


 差し出されたコップは受け取らず、レオガルドは両手で水をすくって飲む。

 自分が思っていたよりも喉が渇いていたらしい。夢中になって喉を潤し、ある程度満たされてから口元を拭う。

 ふと横を見るとシュゼットも水を飲んでいた。レオガルドのように手ですくって。視線に気付くと彼女はにこりと微笑んだ。


「なんだかこの方がより美味しく感じますね」

「お前、一応侯爵令嬢だろ」

「ふふ、お父様達には内緒にしてください」


 知っていたけど、変なヤツだとレオガルドは思う。

 服が汚れることも気にせず川の近くにしゃがんで、コップがあるのにわざわざ手で水を飲むなんて。普通の令嬢ならまずしないだろう。それどころかレオガルドに苦言を呈していてもおかしくない。

 なんにせよ小川に寄れたことは幸運だったかもしれない。予想以上に汗を掻いていたが、たかだか散歩程度と侮って水分を持ってきていなかったのだ。シュゼットから差し出されるものを口には出来なかっただろうし――


(……ん?)


 そのとき、胸を掠めた違和感。正体を探ろうにもそれはすぐに霧散してしまう。あまりにも微かな気配だったから、レオガルドはさっさと追うのを諦めた。


「レオガルド様、お手数ですがこちらの瓶に水を汲んでいただけませんか?」

「ちっ、仕方ねえな。貸せ」


 だがその勘は当たっている。ここでの休憩もこの頼み事も、彼に安心して水を飲んでもらうためのシュゼットの心配りなのだと。

 理解はせずとも無意識下で察していた。だからシュゼットの頼みに、珍しく文句を言わずに応えた。



 小川から5分も歩かない内に2人は目的地へと到着する。

 そこは開けた野原で、中央にはしっかりと根を張る大木が佇んでいた。小鳥のさえずりが木々の隙間から奏でられている。

 シュゼットはその大木の木陰にシートを敷き、持っていたバスケットを置いて腰を下ろす。日向で立ち止まっているレオガルドに既視感を覚え、すぐに思い至ってくすりと笑う。


「また雨が降るまでそこに立っているのですか?」


 言われてレオガルドもあの日のことを思い出したのだろう。渋々といった様子でシートに腰を下ろした。

 バスケットからナプキンなどを取り出し、おしまいに長方形の箱をシートの上へ。

 蓋を開いたその中に収まっていたのは小さめのマフィン。アーモンド色のそれからは甘そうな匂いがふわりと漂う。その一つをナプキンに載せ、怪訝そうなレオガルドの前に置いた。


「今回はかぼちゃのマフィンです。甘いの大丈夫でしたよね」

「いらねえ」

「では気が向いたらどうぞ」


 言いながらシュゼットはマフィンを頬張る。かぼちゃの甘みが口の中いっぱいに広がって思わず相好を崩す。


 その様子を睨みつけていたレオガルドは大きな溜め息と共にシートに寝転がる。

 急にピクニックなんて言い出し、こんな所まで連れてきて。一体どういうつもりなんだ。シュゼットの考えていることが全く分からない。


「……お前、何がしたいんだよ」

「見ての通り、ピクニックですよ」

「なんで急にそうなったんだっつうの。今まで言い出したことねぇだろ」

「レオガルド様のことを知りたいと思ったからです」

「知りたい?」


 意味が分からないとばかりに眉を寄せる少年に、少女は笑みを向ける。

 作った笑顔でなく、心からの微笑みを。


「どんなことが好きで、どんなものが苦手で、どんな風に感じているのか。貴方のことをもっと知りたいの」


 レオガルドの心臓はどくりと脈打つ。

 あまりに率直な言葉にどう反応すればいいのか分からなくて。この間から妙な不具合を起こす心臓がどうにも煩わしい。

 耐えきれなくなって寝返りを打ち、身体ごとそっぽを向く。今、顔を見られたくなかった。


「知ってどうすんだよ」

「仲良くなりたいわ」

「お、俺は、お前なんかと結婚する気、ないからな!」

「そうね。だから婚約者としてでなく、友人として」

「友人? はっ、くだらねぇ。そもそもこんなところで俺の何が知られるっていうんだ」

「色々あるわよ。例えば――」


 ぬにゅり。

 頬に触れた、なんとも言い難い感触にレオガルドは飛び起きる。


「なっなっなん、……!?」

「いい反応ね」


 レオガルドが振り落としたミミズを摘まみ上げ、シュゼットはくすくすと笑う。


「ミミズがいる土はいい畑になるそうよ。なんでもミミズの糞が土にとっての栄養になるのだって」

「おま……っ」

「こんな風に意外と虫が苦手なことを知れたり、ね」

「と、突然だったからちょっと驚いただけだ!」

「じゃあ触ってみる?」


 はい、と突き出された手の平にはにょろにょろと動くミミズが一匹。

 幼い頃から父や兄とこの森に訪れ、様々な生き物に触れてきたシュゼットと違い、レオガルドはミミズを見たのはこれが初めてであり、当然ながら触ったこともない。よって得体の知れない生き物にしか思えず、触るなどとおぞましさすらあった。しかし啖呵を切った手前、今さら触れないなんて言える訳がない。

 おそるおそる手を伸ばすレオガルドに痺れを切らし、シュゼットはその手を掴まえてやや強引にミミズを載せた。


「っっっっ!!!!」

「ほら、噛まないし毒もないから」

「お前なぁ!!」

「強引だったのは謝るわ。でも、怖くはないでしょう?」


 言われて、手の平に視線を落とす。

 大人しくそこに収まっているミミズにレオガルドはようやく肩の力を抜いた。

 紐状の小さな動物をじぃっと観察し、やはり眉を寄せる。


「……気持ち悪ぃ」

「よく見ると可愛らしいと思わない?」

「げっ、お前の頭おかしいぞ」

「失礼ね」


 気持ち悪い。けど、怖くはない。触ってみれば何てことのないただの生き物だ。

 変に構えていた自分が馬鹿らしくなり、ミミズをその辺に投げ捨てる。と同時に、あるものを見つけたレオガルドは口角を上げる。


「おい」

「?」

「お返しだ!」


 放られた蜘蛛はシュゼットの肩に着地する。

 さぞやいい悲鳴が聞ける、とレオガルドがほくそ笑んだのも束の間。


「あら、ジグモ」

「……」

「このクモは地中に巣を作るの。読んで字の如くって感じよね」

「なんで怖がらねぇんだよ!?」

「だって毒もないし、危険はないわ」

「普通、女はクモなんて嫌がるだろ!!」


 指先に蜘蛛を遊ばせ、シュゼットは悪戯っこのような笑みを浮かべる。


「ほら、貴方もわたしのことひとつ分かったじゃない」

「は……」

「普通の女と違って、クモを怖がらないって」


 シュゼットのペースにはめられている気がして、なんとも腹立たしい。

 このままで終わってなるものか。レオガルドはびしっと人差し指を突きつけて宣戦布告する。


「今に見とけよ! お前の苦手なもの、絶対に見つけてやるからな!!」

「――それはそれは、楽しみだわ」


 レオガルドは気付いていない。苦手なものを探すということはつまり、シュゼットの人となりを知ろうとすることだと。


 こうやって一つひとつ、知っていけたらいい。知っていってもらえばいい。

 焦る気持ちがない訳ではないけれど、きっと今はこれが一番の近道だとシュゼットは思う。


「って、なんだその口調!」

「大分今更な気もするんだけど……あ、」

「お前いい加減に――っぶ!!」


 突然視界がなにかに覆われ、慌てて振り払う。ばさばさと羽音を立てる数羽の鳥達。

 シュゼットがマフィンを細かく千切り、シートの前に撒くとすごい勢いでそれらを突っつき始めた。羽を頭にくっつけたまま、レオガルドは呆然とその光景を見つめる。


「たまにエサを求めて寄ってくるの」

「どんだけ飢えてんだよ……」

「今日はお腹が空いていたみたい。気に入ってくれたようでなによりね」


 くすくすと笑みを零すシュゼットの表情はとても穏やかだ。ミミズや蜘蛛と接しているときとなんら変わらない態度に、ますます変なヤツというレオガルドの認識は深まる。


 けれど、その感覚は決して嫌なものではなかった。

 少なくとも今まで自分に向けられていた令嬢の彼女より、ずっとマシだった。


『どんなことが好きで、どんなものが苦手で、どんな風に感じているのか。貴方のことをもっと知りたいの』


 そんなこと言われたのは初めてだった。

 毒を盛られたあの事件から人を寄せ付けないようにしていたからだ。子供は特に。

 周囲にあるのは嫉妬や羨望、剣の才能への称賛ばかりで。“レオガルド”を見ようとしてくれる人間なんて母親以外にいなかった。


(……ホントに、変なヤツ)


 鳥達にやった残りのマフィンにそっと手を伸ばし、シュゼットに気付かれないよう一欠片だけ口に含む。

 かぼちゃの優しい甘みが心を綻ばせる。美味い。素直にそう感じた。


 胸に灯るほのかな温かさ。


 その感情の名を、レオガルドはまだ知らない。

 

 

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