15.父の愛妻家ぶりは意外と有名です
あれから。シュゼットの目論見通りレオガルドは読書にハマっていった。
「今回の主人公はようやく頭を使ったな。今までが馬鹿過ぎただけだが」
「馬鹿というより、咄嗟に身体が動いてしまう性分なのでしょうね。わたしは嫌いではありませんわ」
「それが馬鹿だっつうんだ。そもそもダンジョンに入ったときだって――」
帰り際には必ず本を借りていき、次に会うときには感想を語り合う。チェスの前にはそんな語らいが日課に加わりつつある。
渋々といった体は崩さないレオガルドだったが、満更でもないことなどシュゼットにはお見通しだ。その証拠に彼が話を打ち切ってきたことは一度もないし、なにより語っているときのレオガルドの目。そのきらきらとした輝きは誤魔化せるものではない。
どうだ、本は面白いだろう。
読書を根暗の現実逃避とのたまったレオガルドが目を輝かせて本に魅了される姿に満足感を覚える。
一人の読書家としても本好きが増えるのは喜ばしいことだし、レオガルドとの本の語り合いは予想していた以上に楽しかった。両親とも兄とも異なる視点、解釈。それぞれの観点から遠慮なく意見をぶつけ合うひと時は心が躍った。
一通りの語り合いを終え、お互いに一息つく。口に含んだ紅茶の温さが時間の経過を示していた。
(さて、それじゃあ次の矯正ポイントに取りかからないと……)
カップをソーサーに戻し、呼び鈴でミーシェを呼ぶ。
予め伝えておいた通り優秀な侍女は紅茶のおかわりと焼き菓子をワゴンに載せてやってきた。
「お待たせ致しました。新しい紅茶をお持ちしました」
「ありがとうミーシェ」
ミーシェは空になったシュゼットのカップと一口も付けられていないレオガルドのカップを下げ、新しいカップに紅茶を注ぐ。
カップをそれぞれの前へ、焼き菓子が載せられた皿を中央に置くと一礼して部屋を出て行った。
無駄が一切ない手際のよさとレオガルドの顔を全く見ようとしない徹底した態度に苦笑いが漏れる。もう異は唱えないものの、やはりレオガルドを良くは思っていないらしい。
「どうぞ召し上がってくださいレオガルド様」
「…………おい、何だこれは」
「焼き菓子です」
「違う!この変な物体は何かと聞いてるんだ!!」
正方形や丸の形をした焼き菓子。が、その色はクッキーにおいて一般的とされるクリーム色でもココア色でもない。
緑色。どこからどう見ても緑、全面的に緑一色。お店では間違いなくお目にかかれない色合いだ。
「ほうれん草のクッキーなんです。見た目に驚かれるとは思いますが、味はとても美味しいんですよ」
言いながら一口かじって咀嚼して見せる。ほのかな甘さが口の中に広がる。苦さも全く感じないクッキーはとても美味しい。
おぞましいものを見る目つきのレオガルドの前で摘まんだクッキーを完食し、手を伸ばしたおかわりもぺろりと胃に収め、にっこりと微笑みかける。
「レオガルド様もどうぞ遠慮なさらず」
「ふざけんな!! 誰がそんな得体の知れないもん食うか気持ちわりぃ!!」
「あら。お母様の手作りですのに」
「は……!?」
目を見開くレオガルドには悪いが、事実なのである。
普通の侯爵夫人ならまず厨房などに入らないし、料理だって作らない。全ては使用人の仕事だからだ。
けれどシュゼットの母親はお菓子作りを趣味にしていることもあり、日頃から厨房にはよく出入りしていて、家族全員が揃う日には夕食を振る舞ってくれる。実力は本職に負けず劣らず、正統派から変わり種まで何でもござれ。シュゼットも母の手料理が大好きだった。
そんな訳で皿に載っている緑色の焼き菓子は正真正銘シュゼットの母親、ソフィアが作ったもの。
使用人やシュゼットが作った菓子なら取り付く島もないだろうが、侯爵夫人お手製ならそう無碍には出来まい。そのためにおねだりして作ってもらったのだから。
「ほ、本気で言ってんのかお前……っ」
「嘘なんかついても意味ありませんわ。疑うのなら母に直接尋ねてみては?」
「……有り得ねぇ……」
「物は試しですよ、どうかお一つだけでも食べてみてください。本当に美味しいですから」
「お前みたいな変なヤツの言い分なんか信じられるか!」
変なヤツとは失礼な。レオガルドだけには言われたくない。
内心ちょっとムッとしつつ、シュゼットとしても引く気は微塵もない。
「なにをそんなに怖がっているのですか。毒が入っている訳でもないのに」
「見た目からして毒だろ! なんだこの緑色!? クッキーとしてあっちゃなんねえ色だろうが!!」
「だからほうれん草の色です。まさかとは思いますがレオガルド様、ほうれん草がお嫌いなのですか」
ぴく、と一瞬レオガルドの指先が反応したのを見逃さず、すかさず追撃態勢に入る。
「まあ、まさか……本当にお嫌いなんですか? ほうれん草、食べられないのですか?」
「ひ、一言も嫌いだなんて言ってねえ!」
「そうなのですね。お嫌いじゃなくてよかったです。もしもほうれん草がお嫌いなら無理に勧めるのは申し訳ないので止めようと思っていましたの」
逃げ道を絶たれたことを察し、レオガルドは頬が引き攣るのを感じる。
この流れはマズい。決定打を浴びる前に主導権を取り返そうと、音を立てて椅子に座り直す。
「でもそれとこれとは話が別だ。嫌いじゃないからって食べなくちゃいけない理由はない」
「けれど、せっかくお母様が――」
「手土産に貰っていく。それなら失礼には当たらないだろう」
勝ち誇った笑みを浮かべるレオガルドにシュゼットは逆に感心してしまった。
大声で威嚇するのでも無意味に虚勢を張るのでもなく、相手の言い分から抜け道を探して躱してくるなんて。少し前なら想像すらできない返し方だ。読書の成果が早くも表れ始めている。レオガルドは気付いていないだろうが。
「分かりました。ではお持ち帰りいただけるように包ませますね」
「ふん」
シュゼットが引く姿勢を見せたことにレオガルドは満足そうに鼻を鳴らす。
(気を抜くのはまだまだ早いですよ?)
矯正効果を実感できたことに免じてこの場は引いたけれど、まさかこれで終わりなわけがない。
次の手はとうに仕込み済み。そろそろ頃合いだろう。
それを証明するかのごとく、不意に扉がノックされた。
「シュゼット、レオガルド。シャフマンだ。入っても大丈夫かな」
「!!」
「まあ、お父様?今開けますわ」
シュゼットが扉を開けると父親であるシャフマンが立っていた。高い身長に優しそうな面立ち。整えられた栗毛の髪がふわりと揺れる。
「お帰りなさいませ、お父様。今日は早いお帰りだったのですね」
「ああ。珍しく商談が早く片付いてね。レオガルドが来ていると聞いたから挨拶しておこうと思って」
「――お邪魔しています、シャフマン卿」
シャフマンの前へ進み出たレオガルドは深く腰を曲げ、最上の礼を取る。シャフマンは笑顔で応じた。
「そんな畏まらないでくれ。歓談中に邪魔して悪かったね」
「いえ、本来ならこちらから挨拶に伺わなくてはいけないところをご足労いただいて申し訳ありません」
畏まった表情からはいつもの俺様さや横柄さは全く感じられない。場と相手をきちんと弁えた態度だ。
婚約の挨拶のときにも思ったが、こういうときのレオガルドは別人にしか見えず、少々不気味にすら思える。素を知っている分、余計に。
「おや、あそこにあるのは……」
「お母様のクッキーです。レオガルド様にもぜひ召し上がってほしくて」
「ソフィアの菓子は絶品だからな。どうだったかい?」
期待を込めて向けられた視線にレオガルドの表情が一瞬強張る。
シュゼットが先ほどのやりとりを暴露しないか警戒している雰囲気だったが、もちろんそんなことはしない。むしろ背中を押すまで。
「レオガルド様もとても気に入って下さいましたわ!手土産にほしいとまでおっしゃって下さって」
「そうかそうか、ソフィアも喜ぶよ」
「その、ご馳走様でした。とても美味しかったです。店にあるものかと思いました」
「それは良かった。そうだ、この後時間はあるかな。よければ夕飯を食べていくといい」
突然の申し出に最初は丁重に断ろうとしたレオガルドだったが、半ば押し切られる形で晩餐を共にすることなる。
シャフマンは機嫌よくもう一つの提案を重ねた。
「ほうれん草のクッキーが気に召したのだったね。それなら今日はほうれん草や野菜をメインにした夕食にしてもらおう」
「っ!!」
「いい案ですわ、お父様。今日は新鮮でいい野菜が手に入ったと言っていましたもの」
「それはちょうど良かったな。レオガルド、楽しみにしていてくれ。家の料理番達の腕は確かだよ。妻には負けるかもしれないがね」
さりげない惚気を零してシャフマンは使用人に指示すべく、部屋を後にした。
父親にレオガルドを夕食に誘ってもらう。そのためにシュゼットは予知夢を活用して彼と会う日と時間を調整した。
父親が出掛ける際、レオガルドが訪れることはさりげなく伝えておいた。意識に植え付けておけば寄り道せずに帰ってくるだろうと目論んで。
母手製のクッキーを出したのも布石の一つ。愛妻家のシャフマンが妻の作った菓子を褒められれば夕食に誘う確率は跳ね上がる。二人が顔を合わせる状況さえ作り出せれば後は上手く誘導ーーと考えていたが。
(まさかこんなに上手くいくなんて。……でももう確かめる必要もなさそうね)
その場で立ち尽くすレオガルドの顔は真っ青だ。あるワードが頭をぐるぐると回っているため、シュゼットの呼びかけにも反応しない。
どうやら事実のようだ。
以前からもしやと疑っていた――
レオガルドの“野菜嫌い”は。