11.お前なんかせいぜい利用してやる!
名だたる騎士を数多に排出しているローグウェル家。家訓は一言で表すなら、『実力主義』に尽きる。
事実、レオガルドの父は三男だったが恐ろしく武芸に秀で、頭も切れた。彼が当主と騎士団長の座に就くことに異を唱える者は誰一人いなかったという。生まれた順番や血の正統さは関係なく、実力を持つ者が全てを得る。それがローグウェル家を名門貴族として押し上げた基盤に根付いている。
レオガルド・ローグウェル。彼はこの侯爵家の長男として生を受けた。弟が2人いるが、気に留めたことなど微塵も無い。何故ならレオガルドが兄弟達の中で最も剣の才能を有していたからだ。
教えられたことはスポンジのように吸収し、日増しにめきめきと上達していく。5歳になった頃には同年代には敵がいなくなり、年が一回りほど違う相手と訓練するまでになっていた。
『なんと、まさしく天才だ!』
『十年……いや百年に一人の逸材なんじゃないか』
『さすがはローグウェル家のお子。持っているものが違うな』
周囲の大人は口々に少年を褒め称え、将来を渇望する。そんな環境はレオガルドの人格形成に大きな影響を与えた。
考えてもみてほしい。やることなすこと上手くいき、失敗の経験が乏しい年端もいかない少年が常日頃から天才だなんだと持て囃され続けたらどうなるか。
名門侯爵家の嫡子という肩書きがある時点で彼に苦言を呈せる者など中々いない。おまけに容姿も類を見ないほど整っているとなれば、持ち上げる声に拍車がかかるのも無理はない話なのだ。
道を正すべき両親も彼に対し、口は出さなかった。力こそ全て。唯一にして絶対の家訓の名の下に。
結果、レオガルドはとてつもなくねじ曲がってしまった。主に面倒くさい方向へ。
過剰なまでの自信は馬鹿みたいに高い自尊心を育て、下位の貴族や使用人達を見下した。全てが思いのまま、自分の言うことやること全てが正しい。本気でそう信じるようになった。
他を圧倒する剣の才を持ち、身分も高く、見目だっていい。選ばれた特別な人間は、そうではないヤツに何を言ったっていいのだ。だって自分にはその権利があるのだから。
レオガルドの持つ才能と周囲からの賛辞、そして咎められることのない傍若無人さ。それらが混ざり合い固まった結果、自己中な俺様お坊ちゃまの出来上がりという訳である。
日々歩む道のりは順調だった。剣の訓練をして、好きなものを食べて、欲しいものを集めて。
躓いたことすらない少年はその時まで思いもしなかった。自分の思い通りにならないものがあることも、自分に媚びへつらわない人間がいることも、自分が振り回される未来が存在していることも。
そう、一人の少女に出会うあの日まで――
文机の真ん中に置かれている、一通の手紙。
レオガルドはそれを見つめていた。いや、溢れんばかりの憎しみを込めて仁王立ちで睨みつけていた。やがて控えめに響いたノックの音に目だけを向ける。
「レオガルド様、僭越ながら紅茶をお持ちしました」
「いらねぇ、とっとと……いや、入れ」
「失礼致します」
手紙を引き出しへと乱暴に仕舞い、中央に設けられたソファへと腰を下ろす。入室した侍女が手早く準備を整え、紅茶をカップに注いでいるとレオガルドはおもむろに口を開いた。
「……アウディガナ侯爵の娘を知っているか」
「え、あ、はい。噂程度にではございますが、存じております」
「どんな噂だ」
珍しい、侍女は率直にそう思う。他人のことなど露ほども興味のない傲慢なご子息様が誰かを、しかも女の子のことを気にするなんて。そもそもお茶の声かけに応じること自体が稀だ。もしかして彼女について聞くためだろうか。
先日アウディガナ侯爵の娘、シュゼットが邸を訪れたのは周知の事実。決して他者の来訪に応じなかったレオガルドが2人きりでの対話を望んだ出来事は今でも使用人達の間で噂の的だ。あれこれと勝手な憶測が飛び交っているが、この様子だと“まさか”は有り得るのかもしれない。
「陽に透けそうなほど美しい銀の髪に翡翠色の瞳は可愛らしく利発そうな顔立ちに相俟って、妖精のようだと言われているそうです。使用人にも誕生日に贈り物をするなど、分け隔て無くお優しい方だとか。読書を好まれ、大層ご聡明であられるそうです」
「それだけか」
「あとその評判の良さから王太子様の婚約者候補に挙がっている、と耳にすることが御座います」
「ちっ、使えねえな。もういい下がれ」
侍女が退室するのと同時にレオガルドは苛立たしげな溜め息を吐く。
ここ数日、適当な使用人を捕まえて同じ質問をしたが返答はどれも似たり寄ったりで大した情報は得られない。元より期待などしていなかったが使えぬ奴らめ。内心で毒づく。
シュゼット・アウディガナ。名門ローグウェル家の嫡子を笑顔で脅す、とんでもない少女。レオガルドの破滅を告げる、得体の知れない人間。
予知夢なんぞ在るわけがない。その持論は今でも変わらないが、だとするなら彼女の見せた予知をどう説明できるだろう。説明がつかないから、完全に一蹴できない。一蹴できないから、彼は現在進行形で手紙と睨めっこをする羽目に陥っている。
婚約の話を蹴ってしまえばシュゼットは宣言通り、おそらく2度とレオガルドの前には姿を現さないだろう。本音を言えばさっさとそうしてしまいたい。あんな自分勝手で気味の悪い女なんかと関わり合うなんて死んでもご免だ。だが。
(万が一、いや億が一……アイツの力が本物だったら?)
つまりシュゼットの語ったレオガルドの未来が本当だとしたら……路地に倒れ伏す無様な姿が脳裏に浮かび、背筋がぞっと凍る。
今後もずっと、こうしていつ訪れるとも知れぬ破滅の足音にびくびくしていなくてはいけないというのか。父にも劣らない剣才をもち、ローグウェル家の次期跡継ぎと称される己が。
「――冗談じゃない!」
拳をテーブルに叩きつけた衝撃でカップが揺れる。勢いをなくしていた自尊心という炎が一気に燃え上がった。
シュゼットが予知夢という力をもっていようがいまいが関係ない。たとえ破滅が待っているのだとしても、全て斬り捨ててねじ伏せてしまえばいいだけのこと。そうだ、自分にはそれだけの力がある。あんな女に頼らずとも、一人でどうとでも出来る。
立ち上がり、数日間閉めっぱなしだった窓を挑むように開け放つ。穏やかな風がレオガルドの髪を微かに揺らした。たかが窓を開けていたくらいで大事なものが壊れる?
(出来るもんならやってみろ銀髪女)
30秒、1分、2分。依然として何も起こらず、何かが起こりそうな気配もない。レオガルドは口角を上げた。
引き出しから手紙を取り出し、両手の親指と人差し指に力を込める。
「悪いな、交渉決裂だ」
手紙に切れ目を入れた、その時だった。
「みゃぁん」
「っ!?」
突然の鳴き声に肩が跳ねる。慌てて振り返った先には一匹の白猫がいた。
呆然と見つけていれば、まんまと侵入を果たした猫は我が物顔で棚へと飛び乗って移動していく。次の移動先を察したレオガルドは顔色を変えた。
「待て、そっちは……!」
制止も空しく猫は一際高い棚へと飛び移り、後ろ足で置かれていたものを蹴飛ばした。反射的に駆け出すが間に合わない。大きく傾いたそれは棚から落下し、粉々に砕け散った。
力が抜けたみたいに膝をつく。破片がかちゃりと鳴った。3年前にレオガルドが初めて制した剣の大会。その証である陶器の優勝杯は、今や見るも無惨な有様だ。
好き勝手に部屋を荒らした猫は早々に逃げてしまったようで、室内が静まりかえる。レオガルドの心を支配するのはたった一つ。気まぐれな犯人への怒りでもなく大切なものを失った悲しみでもなく――
『窓の開けっ放しにはご注意ください。大切なものが壊れてしまうかもしれませんよ』
銀髪の少女への恐怖だけだった。
夕食時、珍しく食卓には多忙で家を空けることの多い父親も揃っていた。父であるルイズはレオガルドにとって数少ない尊敬に値する相手。いつもなら浮かれて口数が増える彼が、無言のままに目の前の料理を口に運んでいく。そんな息子を母親は心配そうに見やる。
「せっかくお父様が帰ってきていらしているのにずいぶん静かね」
「……なんでもありません、母様」
「体調が悪いの? もしそうなら薬を……」
「いえ、本当に大丈夫です」
胸中を気取られないと必死で虚勢を装うが、皆の視線はレオガルドに集まったまま離れない。唯一ルイズだけはいつも通りに酒杯を傾けていた。
父親の姿を見て、彼は思う。もしもルイズが自分と同じ立場だったらどうしていたのか、と。婚約を撥ね除けるのか、もしくは受け入れるのか。完璧な人間である父は決断を迷いすらしないのかもしれない。弱気な心が普段なら絶対しなかったであろう質問を彼に口走らせた。
「……父様、一つ質問してもよろしいでしょうか」
「許可しよう」
「もし、もし得体のしれない力を持つ者が現れたとして、その力が本物だとしたら……父上ならどうしますか」
ひたり、とルイズの目がレオガルドを捉える。そこでようやくあまりに馬鹿らしい例え話をしてしまったことに気が付く。忙しい父が食事を堪能している時に尋ねるべき内容ではなかった。
「も、申し訳ありません、忘れてくださ、」
「その者と利害が一致するかによるな」
「……え」
「求めることが容認できる範囲であり、私に利益があると判断できれば手を組むだろう。そうでないなら除けるするまで」
ルイズの返答にレオガルドは目を丸くする。まさか手を組むなんて発想が父から出てくるとは思わなかったのだ。だって父は合理主義者で予知だなんて証明しようもない力、端から相手にしないと思っていた。
ルイズはグラスを音もなくテーブルに置くと、ナイフとフォークを手に取る。
「その力が本物だと認めるに足る、何かがあるのだろう?」
「は、い」
「ならば有り得ないと決め付けて斬り捨てるのは愚行の極み。常識に囚われず本質を見極めることこそが賢い者のやり方だ」
「で、ですが、その者は父上を利用したくて近付いてきたとしたら」
「こちらも利用してやればいい」
何でもないことのように告げられた言葉はあっという間にレオガルドの胸に広がる霧を晴らしてしまった。きらきらと眩い光が射し込み、目の前が拓けていく。
自分の悩みがどれだけちっぽけなものだったか思い知らされる。やはり父上はすごい。この人の息子であることをレオガルドは誇りに思った。
「父様、ありがとうございます」
「ああ」
「あと突然ではありますがお願いがあります」
「なんだ」
「婚約したいと考えている令嬢がいます」
あまりの突拍子の無さに家族はざわめき立つ。狼狽える母親や弟達を尻目に、父親だけは表情を変えずにレオガルドを見つめた。その真意を図るように。彼もまた、意志を持って父親の視線を真っ直ぐに受け止める。
気まぐれや適当に発した言葉ではないことを察し、ルイズは続きを促す。
「その令嬢の名は?」
「はい、その令嬢は――……」
たかが婚約。それに破滅を回避したら解消していいとあっちから言ってきたのだ。その暁には盛大に切り捨て、受けた屈辱を何倍にもして返してやろう。
目に光が戻ったレオガルドにもう迷いはない。
脅しに屈するんじゃない、逆に利用してやるのだ。