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29.セリナと3

 少し前まで静かだったセリナの機嫌はいつの間にか回復して、今は隣で不思議な鼻歌を歌っている。車内に流れる音楽はセリナにとっては初めて聞くはずなので、仕方がないと言えば仕方がないのだが、随分とズレた音程に、俊介はツッコむべきか迷ってしまう。完璧に思えたセリナだったが、どうやら苦手な事もあるようだ。その事実に俊介は内心で安堵し、同時に自分の器の小ささに苦笑した。


 辿り着いたのは小さな喫茶店。甘宿りという名のこの喫茶店は、雨の日だけ営業している知る人ぞ知る名店だ。晴れた日にはケーキの移動販売をしているというだけあって、この店のケーキは絶品で、一度食べたら病みつきになってしまう。小柄で可愛らしい女性が、一人で切り盛りしているのだが、メニューは意外にも充実している。いつもはケーキ目当てに来る俊介だが、今日は少し早いがここで夕食を食べようと考えていた。

 ドアを開けて店内に入れば、いつも通りクラシックの名曲が流れていた。

「いらっしゃいませ」

 穏やかな声で迎えてくれた店主に挨拶をして、お気に入りの窓際の席へとセリナを誘導する。何気なく店内を見渡せば、男性が一人、カウンター席に座ってコーヒーを飲みながらケーキを食べていた。


「お久しぶりですね。今日はデートですか?」

「お久しぶりです。はい、頑張って口説いているところなんです」

 さらりと答えた俊介の言葉に、反応したセリナが顔を上げた。元いた世界では散々利用され、色恋沙汰に縁のなかったセリナにとっては少々刺激が強過ぎたのかもしれない。

「そうなんですか。だったら上手くいくようにサービスしておきますね」

 ニコリと微笑んだ店主からメニューを受け取った俊介は、ある事に気が付いた。

「あれ?ご結婚されたんですか?」

 店主の左手薬指には、今までなかったはずの指輪が輝いていたからだ。

「はい。つい先日」

 そう言ってチラリと後ろを振り返る店主。つられる様に視線を向ければ、カウンター席に座る男性が目についた。

「もしかして……」

 俊介は少し声を小さくして、店主へと視線を戻した。

「主人です」

 恥ずかしそうに口元へと手を当てた店主に、俊介は問いかける。

「きっかけとか聞いても大丈夫ですか?」

「内緒にしてくださいね。実は、うちに来てくれてたお客さんなんです」

 頬を赤らめながら話すその姿は実に微笑ましい。

「そうだったんですか。だったら俺も狙えば良かったかな?なーんて。おめでとうございます」

「ありがとうございます。あんまり変な事言ってると愛想尽かされちゃいますよ」

 話の展開について行けずに固まっていたセリナへと、同時に視線を向け、二人は小さく笑った。


 店主が去った後で、セリナの前へとメニューを広げる。

「何が食べたい?メニュー名で分からなければ、写真で選べばいいですよ」

 俊介の言葉に頷いて、セリナはメニューを眺める。

「さっきのあれってどういう意味ですか?」

 メニューを見たまま、平然と言ったつもりだろうが、セリナの声は若干うわずり、その耳は紅く染まっていた。その事に気付きつつも、俊介は知らんぷりして答えを返す。

「さっきのあれって?店主さんが結婚した事?」

 質問の意図を分かった上で、とぼける俊介は意地が悪い。

「そうじゃなくて、私をその……。く、口説いてるって言ったじゃないですか」

「ああ、その事か」まさに今気づきましたと言わんばかりに頷いて、「嫌でしたか?」と言葉を続けた。

「嫌じゃありませんけど……」

「けどなに?」

 意地悪な問いかけに、セリナは一瞬だけ俊介へと視線を向け、すぐに逸らせた。

「そういうの経験がなくて、よく分からないんですけど、俊介さんは私なんかのどこが良いんですか?」

 これまで都合の良い道具として散々利用されて来たセリナは、自分の価値が治癒魔法にのみあると信じて疑わない。しかし俊介が暮らすこの世界では、治癒魔法を含めた全てのスキルが使用できないのだ。治癒魔法が使えないないセリナに価値はない。それなのにどうして、俊介はこんなにも優しくしてくれるのだろうか。偏った価値観の中で生きて来たセリナには、その事が不思議でならない。

「それは難しい質問ですね」

「難しいですか?」

「はい、難しいです。正直自分でもよく分かってないですから」

「じゃあ、どうして?」

「セリナさんの事が気になるから。それじゃダメですか?」

 俊介はセリナへと笑いかけると、恥ずかしさを誤魔化すようにメニューへと指を走らせて言葉を続ける。

「これなんかお勧めですよ。それから食後は……」

 途切れる事無くしゃべりかけ、セリナの言葉を封じ込める。恥ずかさも、もちろんあるが、この話を続けるには今はまだ早い。好意だけを伝えた俊介は、自らの本能に従うように、無理やり話題を逸らせたのだった。

 そんな俊介を前にしたセリナは、今まで感じた事のない不思議な感覚に戸惑うばかり。その感覚は、俊介に対する恋なのか、それとも別の何かなのか。セリナの心の奥の方に芽吹いたそれは、どのように成長し、どうやって花開くのか。

 今はまだ誰にも分からない。







今回の話に登場した『甘宿り』は過去に投稿した同名の短編小説と同じ店になります。

宜しければ、そちらもご覧ください。

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