24.レベッカと3
映画館を出ると空が茜色に染まっていた。
時計を確認すれば、すでに七時前で、随分と日が長くなった事を感じさせられる。初夏を前にした柔らかな風を身体全体に感じながら、車へと乗り込んだ。
辿り着いたのは昔ながらの喫茶店。良く言えば趣がある。悪く言えば古めかしい店構えではあるが、建物の中は意外に広く、清潔で落ち着いた雰囲気を醸し出している。
店員に挨拶して、お気に入りの席へと足を運べば、個室でないにも拘らず、周りから上手い具合に隔離された二人だけの空間が出来上がる。
窓に面したソファー席に隣り合って座ると、俊介は慣れた手付きでメニューを取り出して、レベッカの前へとそれを差しだした。この店は喫茶店であるにも拘らず、料理の種類が多く、質も高い。
自分の世界にはない写真入りのメニュー表を前に、レベッカは興奮気味だ。そんなレベッカを横目で眺めながら一緒にメニューを選んでいると、マスターがおしぼりと水を持ってやって来た。
礼を言って受け取った後で、俊介は黙ってマスターに頷き掛けた。
やっとの事でメニューを選び終え、注文を終えると、ようやく少しだけ落ち着きを取り戻したレベッカだが、まだまだ冷静には程遠い。
初めての事の連続で、かなり舞い上がってしまっているらしい。
落ち着いた会話が出来るようになったのは更に後、食事を終え、空になった食器が下げられてからの事だった。因みに、サキュバスであるレベッカだが、普通の食事も必要との事である。
「美味しかった」
満足げなレベッカを見て、俊介は小さく微笑んだ。
「ちなみにまだデザートがあるけど、食べられそう?」
「大丈夫。甘いものは別腹だから」
マスターが来たのは、丁度その時だった。
「どうぞ」
相変わらずの渋い声と共に出されたケーキを見て、レベッカが首を傾げる。どうやらレベッカの住む世界にケーキはないらしい。
しかし続いて出された物を見て、レベッカは目を見開き、直後にその頬が緩む。
その視線の先にあるのは、ラテアート。
シンプルなハートマークの下に描かれた『I LOVE YOU』の文字。先程マスターに送った合図は、この為のものだった。俊介からしたら常套手段の一つではあるが、レベッカにとっては初めての体験である。無垢な少女のように目を輝かせて、目の前のラテアートを眺めていた。
俊介が女性を口説く際に、心がけている事の一つは、如何にして相手に好意を伝えるかという事だ。直接的な言葉を使わずに、自分が好意を持っていると相手に思わせる為には、どうするべきか。普段の話し方や態度からでも十分に伝える事が可能ではあるが、決定的な何かがあった方がより確実だ。
もしかして私の事を好きなのかもしれない。
相手にそう思わせる事ができれば、一歩前進。
好意を向けられて嫌な人等滅多にいないし、その事に気付けばきっと相手を意識してしまうだろう。
使い古された手法ではあるが、その効果は極めて高い。
「ごゆっくりどうぞ」
そう言ってマスターが離れると、レベッカは小さく呟いた。
「このやり方はズルいな……。でも、ありがとう」
その声は本当に小さく、隣にいるシュンスケにも辛うじて聞こえる程度だった。
飲むのが勿体ないと渋っていたレベッカをなんとか説得した頃には、残念ながらすっかり冷めてしまっていた。しかしそれを大切そうに口に運ぶレベッカは、とても幸せそうに見えた。
「楽しかったな」
帰りの車の中でポツリと呟いたレベッカに俊介の頬は自然と緩む。敢えて車に乗らずとも、カードを使ってどこからでも帰る事が出来るのだが、こうして最後まで付き合ってくれる事が嬉しかった。
ドライブを楽しむように、車を走らせる俊介は、自分でも意識しないまま、アクセルを踏む力は弱くなり、自然と速度は落ちていた。
別れの時間が近くなり、二人の間に漂う空気が寂しさを感じさせる。それを追い払うように話すレベッカの声も、心なしかトーンが落ちているように感じるのは、俊介の勝手な思い込みだろうか。
「そういえば……」
窓の外を流れる街の光を眺めながら、レベッカは映画の感想を口にした。
それから「もし」と言葉を続けた。
「今日の映画みたいに、好きな人が何も言わずにいなくなったら、俊介はどう思う?」
少しだけ悲し気な声が気になって、チラリとレベッカの方を見れば、その瞳は僅かに潤んでいるようだった。それほどまでにあの映画が、強く印象に残ったのだろう。
「俺が同じ立場だったら、納得できないと思うよ。あの行動は、わがまま過ぎる」
「わがまま?」
「そう、わがまま。女性の視点で終わったから美談みたくなってるけど、何も知らない男からしたら最悪だと思うよ」
「そうかな?」
「そうだよ。もし俺があの男の立場だったら、全部打ち明けて貰いたいかな」
「そっか……」
レベッカは助手席側の窓から外を眺めたまま、小さく呟いた。
随分と遠回りをしたつもりだったが、あっという間に家に着いてしまった。
「お疲れ様」
駐車場に車を停めてレベッカの方へと視線を向ければ、同じようにこちらを向いたレベッカの視線と交差した。夜の闇に覆われた車の中で、外から差し込む街灯の明かりがレベッカを照らす。その表情は昼間見た時とは違って、妖艶で、美しい。今日一日だけで、レベッカの色んな表情を見て来たが、この時ほど俊介の胸が高鳴った瞬間はなかった。
人目に付かないように俊介のアパートで開いたゲート。その扉に手をかけ、前を向いたままレベッカは言った。
「ホントにえっちなしだったね」
その声はどこか残念そうな、それでいて安堵しているような、そんな不思議な響きを帯びていた。
「約束したからね。何度か襲いたくなったけど」
「嘘ばっかり。そんなつもりなかったくせに……」
「どうかな?良かったら今度は、レベッカの世界を案内してよ?」
「――うん」
「楽しみにしてるね。今日はありがとう」
「期待ててね。今日はとっても楽しかった。ありがとう、おやすみ」
振り返り手を振るレベッカに、俊介も同じように手を振り返したのだった。




