4話 ドッジボールと辻占
7月18日 月曜日 PM2:10
琴浦高校職員室
コーヒーのいい匂い、少々効きすぎている冷房。そしてやはり建てつけの悪い、重い引き戸。
授業時間になり、特にやる事も無くなった俺は、空五倍子を探して職員室を訪ねた。
重い引き戸を開けるとコーヒーの匂いと冷気が漏れ出てきた。
結構なことだ。生徒達はこの猛暑の中冷房も無い教室で授業を受けているのに職員達は冷房温度をガンガンに下げて、肌寒い職員室の中で暖かいコーヒーを飲んでいるのか。
冷房の設定温度は22℃、明らかに低すぎる。オマケにこの電気代もコーヒー代も何もかもが全て国民の血税で出ているというのだから情けない。文句があるなら公務員になってみろ、ということか。
そんなことを考えながら人もまばらな職員室を眺め回していると、その一角に見慣れた後ろ姿を見つけた。
「お前、人がクソ暑い中必死こいて聞き込みしてる中、自分はこの涼しい部屋で優雅にコーヒーブレイクか?」
教師と思われる女性の隣のデスクに座って、何事かを話し合っている空五倍子の後ろ姿に話しかけると、我がボスはくるりと椅子を回してこちらに振り返った。
「ああ、ご苦労。」
表情一つ変えずそれだけ言って立ち上がる。
そして向かいにいる女性教師に向き直り、
「先生、コレがアホ助手の辻占です。辻占、こちら三澤先生。」
空五倍子に紹介された女性は、コーヒーカップをデスクに起き、立ち上がった。三十代半ばから後半ぐらいか、会釈しながらこちらに見せた柔らかな笑顔には、どこの学校にも1人はいる、生徒達のお母さん代わりの優しい先生、といった印象を受けた。
「2年B組副担任の三澤と申します。よろしくお願いいたします。」
挨拶もほどほどに、俺は先ほど見聞きした出来事を空五倍子に相談するため、彼女を職員室の外に引っ張り出した。職員室のある棟から教室のある棟への渡り廊下には人気はなく、ちょうどよかった。
「一体何なんだ?あの場で話せないようなことなのか?」空五倍子は明らかに不機嫌な様子で尋ねる。
「ああ、そうだ。詳しい話はあとでするとして、これを見てくれ。」
俺は早速胸ポケットからルーズリーフの切れ端を取り出し、空五倍子に手渡した。
そしてそれを眺める彼女に、昼休憩の出来事の簡単な説明をした。もちろん悪霊云々については話さなかった。
ふむ。と鼻を鳴らし、ルーズリーフを俺につきかえすと、空五倍子は前髪をいじりながら聞いてきた。
「で、君はどうするつもりなんだ?」
「それを聞くために報告して相談しに来たんだよ。探偵さんよ。」
と、空五倍子の前髪をいじる手が止まる。このサインはこれまで何度も目にしたので意味は分かっていた。怒られる。
「まったく、君というやつは・・・」
空五倍子は唇を尖らせ、前髪をいじっていた方の手で俺の胸を小突いた。背が足りない故に、おデコを叩いたりすることができないので、いつも空五倍子はこうしている。そしてこの「突き」は、勢いこそ無いものの俺の鳩尾部分を的確に突いてくる。
「痛っ、何すんだ」
「そのスポーツマン君は、『君』にこの紙を渡してきたんだろう?そして私はそのスポーツマン君はもとより、B組の生徒達とはまだ会ってすらいないのだから、彼にとって『探偵』は私ではなく『君』なんだ。この探偵に当てて書かれたメッセージは私ではなく、君、私立探偵辻占淳に向けて書かれたものなんだ。そんなこともわからないか?」
「た、探偵ったって、俺はタダの助手だぞ?ここはお前に」
今度は裏拳が飛んできたが、すかさずその柔らかい拳をキャッチし、ニギニギしてやった。
ぶるっと身震いしながら俺の拳から手を引き抜き、俺を睨みつけると、空五倍子は続けた。
「助手と言ったって、どうせ君は彼ら生徒諸君に自己紹介するときに、助手の助の字も出さなかっただろう?つまり君は彼らにとっては、空五倍子探偵事務所所属の『助手』ではなく、探偵なんだよ。わかるか?」
「そんなこと言ったって・・・、俺1人で話を聞いてこいってのか?」
「話を聞くだけじゃない。生徒達のことは君に全て任せたはずだ。生徒の抱えている問題は全部君が解決したまえ、話だけなら聞いてやるが。」
信じられない、空五倍子の口から任せたなどというワードが出たのは今まで一度もなかった。それに彼女は俺にも探偵としての仕事をさせようとしている。今までお茶汲みその他の雑事と書記、聞き込みしかしたことがないのに。
「任せるったって、俺が出来るのは聞き込みぐらい」
「その聞き込みを、君は今までの2年近くずっとやってきた。そろそろ次のステップだ。人に話を聞くだけでなく、自分でアクションを起こしてみるんだ。と、言っても君は実践しているのだったか、テレビドラマの真似事のようないやらしい尋問で、女の子に吐かせたりするような真似を。」
「な、何故それを!」
「まぁそんなことはどうでもいい。私は君のやり方には文句は言わない。ただやりすぎは良くないぞとだけは言っておくが、君が思った通りのやり方で、生徒達から有用な話を聞き出してみたまえ。それが事件解決に結びつくことだってきっとある。」
空五倍子の口から出る信じられない文言の数々に俺は開いた口が塞がらなかった。
「とは思わないが。でもまぁ生徒たちから何か重要な手がかりを得られる可能性は充分ある。それを君に任せると言っているんだ。だからサッサと行ってこい!」
「い、行くったって、今授業時間だぜ?何をしろってんだよ」
「考えろ!」
「いたっ!」思わず呻いてしまった。
つま先を思いっきり踏まれた。視界を涙で滲ませながらかがみこんでつま先をさすっていると、頭上からボソッと声がした。
「・・頑張れよ。」
視線を上げると、渡り廊下を走り去っていく小さな後ろ姿が見えた。
俄然やる気が出てきた。
俺の心の中のロマンティックエンジンに火がつき、全身にエネルギーが満ちていくのを感じる・・・
つま先の痛みはなくなっていた。
7月18日 PM2:50 琴浦高校体育館
「コースケ!前!前!」
自分の名前を呼ぶ声で、はっと我に帰る。
しかし時すでに遅く、2年A組唯一の野球部員にして琴浦高校野球部エース、高山の放った豪速球が、山城康介の太ももに直撃した。
頭上に勢いよく跳ね上がったドッジボールを、同級生であり中学からの友人である、中西裕二がすかさずキャッチした。
「サンキュ。」
「今日どうしたんだよお前。さっきからずっとボヤボヤしてっけど。」
今日は好きな体育の授業にすら身が入らなかった。
月曜日5.6限通しての体育で、自由時間となる6限目は毎週A組B組対抗のドッジボール大会になっていた。
バスケ部員で身体能力にも自信のある方だったので、康介は週で一番この時間が好きだった。ささやかな楽しみだった。
しかし今日は違った。
例の事件、秋のこと、そして昼間に現れた辻占という男。
気が散ってとてもドッジボールなど出来そうもなかった。
と、裕二が外野にパスしたボールを、高山がジャンプでキャッチした。
間もなく、ボケっとしていた康介は今度こそ高山の剛速球の餌食となった。
高山の投げるボールはいつも顔の高さから変化して腰の位置まで落ちる。
わざと顔の高さを狙ってボールを投げているのでルール違反ではあるのだが、「結果として顔に当たらないのでセーフ」という理屈が通ってしまっている。
「おいおい山城どうしたんだよアイツ。」
「今日調子悪いんじゃねえの?」
などと外野からヤジが飛んできた。
裕二も「具合でも悪いのか?保健室行くか?」と、ガラにもなく優しく声をかけてきた。
何も言わずにかぶりを振り、康介はゆっくり外野に歩いていった。
その時だった。
ピピーッ、というホイッスルの音が遠くで鳴り響いた。皆の視線が音のした方向に向いた。
「おい、アイツ。」
「さっきのやつじゃね?」
B組の面々は口々にこちらに近づいてくる音の主について何事かつぶやいていた。
「あいつ・・・何で・・。」
康介も驚きを隠せなかった。
そこにあったのは、ホイッスルを首から下げ、体育教師に借りたジャージに着替えた探偵、辻占淳の姿だった。
「いやいやどうも、体育の先生に許可をいただいてね、みなさんとドッチボールでもして親交を深めようかなと。」
大きな声でそんなことを言いながら、辻占はB組側のコートに入ってきた。
「おっさん誰や!邪魔せんといてくれん?」
と真っ先に食ってかかったのはA組筆頭の高山だ。
おっさん、と呼ばれたことに対してなのか、辻占は少し顔を曇らせながら、向かいのA組の面々に簡単な挨拶を済ませた。
「どうでもええけど、おっさんが入るんやったら、人数合わせのためにB組の内野から1人退場してもらうで。」
高山の主張はごもっともだ、もともと就職希望の生徒が集まるA組は、クラス全体の7割を女子が占めているので、B組に比べて男子の数が圧倒的に足りていない、にもかかわらずドッジボールでは特に人数制限をせずとも互角以上に渡り合えているのは、やはり野球部エースの高山の存在があってこそである。
今更メンバーが1人増えたところでという話なのだが、高山はこの闖入者を警戒しているようだった。
「そうだね、確かに君の言い分は正しいね。クロンボくん。じゃあ誰に退場して欲しいんだい?君の希望を聞こう。」
と、辻占が高山の要求に勝手に応じた。
「おい、探偵さん、勝手に決めんなよ。」
裕二が抗議する。すると高山が裕二を指差して、
「じゃあ、中西、お前退場や。」
「安心しろ、ユウジくん、君の埋め合わせはしてみせる。」
などと、辻占は余裕の笑顔を見せた。
裕二はブツブツ文句を言いながらもコートの外に出て、すぐそばの壁にもたれかかった。
ボールは裕二から辻占の手に渡った。
裕二を見送り、辻占は向かいの高山を睨み付ける。
「クロンボくん。君、口の利き方ってのを知らないみたいだね。」
二度のクロンボ呼ばわりに(確かに真っ黒ではあるが)、高山も薄笑いをやめ、辻占にガンを飛ばしている。
「何や、何でおっさんみたいな何でもないヤツにケイゴ使わないかんのや、早よ投げろや。」
「野球部のエース、親父さんは琴浦警察署の高山署長か、そりゃ誰も何も言えねえわな。」
と、辻占がブツブツを何か言っている。
ドッヂボールを右手で掴み、そのまま大きく振りかぶった。
次の瞬間、辻占の投げたボールは、凄まじい速度で高山めがけて飛んで行った、ように見えた。
しかし辻占の狙いは高山ではなかった。
突然の豪速球にも臆せず、キャッチしようと身構えた高山の半歩先の位置でボールは床にぶつかり、ワンバウンドしながらも勢いを失わずにそのまま高山のデリケートな部分に激突した。
ほぼ一瞬の出来事だった、康介の耳には、ボールが風を切る音と、床にぶつかる音、高山のうめき声がほぼ同時に聞こえたのだった。
股間を抑えてうずくまる高山、彼の取り損ねたボールは辻占の足元まで転がっていく。
「今のはワンバウンドだからセーフだよ。」
そういい、辻占はうずくまっている高山の背中に優しくボールをぶつけた。
体育の授業の後、辻占がB組のヒーロー的存在になったのは言うまでもない。
高山はしきりに「親に言いつけてやるからな」などと喚いていたが、体育教師も苦笑いするばかりで、高山を除けば、誰1人として辻占を責める人間はいなかった。




