3話 琴浦高校の主な人々
7月18日月曜日 PM1:35
県立琴浦高校 二階少人数教室
金髪少女、間宮 希美の語った、昔この学校であったという悪霊騒動、果たしてどこまでが真実でどこからが“尾ヒレ”なのか。それを判断する材料はもう何も残っていないのだろうが、20年以上経ってもこうやって生徒達の間に浸透しているという事は、当時は余程の大騒ぎになったはずだ。
市内の図書館にでも行って新聞を探してみるか、などと考えていると、
「あっ、もうこんな時間じゃないか!」
田中 秋の彼氏、山城康介が時計を見て言った。
1時35分、五限目開始時刻まであと5分しか残されていない。
「じゃあ、僕たちはもう失礼しますね。授業があるので。」
そう言うと、礼儀正しくお辞儀をして、自分の教室のある方向に走って行った。
「君達は急がないのかい?」
急いで帰って行った山城の様子を眺めている美少女2人に、俺が尋ねた。
「次の5.6限は男子は体育の女子は家庭科で別々なんだよ。で、コースケが着替え終わるまでウチら荷物取りに行けないし、ぼちぼち行くよ」
それなら山城はこの2人に先に荷物を取りに行かせればよかったのではないか?そのあたりの気遣いが足りないのが実に子供らしいな、などとほくそ笑みながら、少女達とともに少人数教室を出た。
廊下にはトイレと教室を往復するものぐらいしか、歩いている生徒はなかった。皆、真面目に授業を受けているのだ。
2-Bの教室から、体操服姿の山城が出てきた。足も綺麗に日に焼けている、やはりサッカー部だろうか。
彼はこちらの方をちらっと見たが、何を言うでもなく俺たちが出てきた方向とは逆方向にある階段の方に走って行った。
「アキ、ほら、次はお前の好きな家庭科だぞー。しっかりしろよー。」
間宮希美が、ぐったりしている秋の後ろから肩を掴み、意外にもマニキュアの類の塗られていない白い綺麗な手で肩をモミモミしながら教室に歩いていく。
その微笑ましい光景を見ながら、俺は罪悪感に苛まれた。
真実を追うという事は、必ずしも正しいこととは限らない。だが、それが正しいことであっても、その過程で、あるいはその真実自体がが誰かを傷つけないという保証もまた、どこにもない。
俺は今日、田中秋に対して確かに酷い質問の仕方をした。
尋問、年端のいかぬ少女にはアレは尋問以外の何物でもなかったのだろう。
整った愛らしい顔が青ざめ、ぶるぶると震えている様を思い浮かべながら少し反省した。
だが彼女が何故あそこまで怯えているのか、それはまだ俺にはわからない。
こんな学校の七不思議チックな悪霊の噂を信じて、恐怖心を抱くような娘にはとても見えない。
もっと現実的で、底知れぬ何かが彼女の心の中にあるのだ。
そしてそれは恐らく、いやほぼ確実にこの猟奇事件に深く関わっているのだろうと俺は思う。
「辻占さん。」
階段を降りていると、後ろから声をかけられた。
振り向くとそこには、何故か先ほど下に降りて行ったはずの山城康介が体操服姿で立っていた。
「あれ?体育があるんじゃ?」
と、彼は近づいてきて、右手をいきなり前に差し出した。
「これ、落としましたよ。」
山城康介は右手に持っていた何かを俺に押し付けると、そのままなにも言わずに、今度こそ急いで下に駆け下りて行った。
見ると、くしゃくしゃに丸められたルーズリーフの切れ端である。
広げるとそこには、走り書きというよりは殴り書きに近い感じでこう書かれていた。
放課後、体育館裏で会ってください
山城
俺はしばらく踊り場でその紙を、汚い文字を眺めていた。
これは決闘の申し込みだろうか?そんなはずはない、彼は何かを知っているのだ。そしてそれはガールフレンドたちにも、いやこの学校中の人間全てに知られたくない何かなのか、一度外へ出て行くようなフリだけをして、彼女達が荷物を持って出て行くと、すぐさま教室に舞い戻ってノートを千切り、俺へのメッセージを殴り書きして、落し物を渡すような素振りで、強引に渡してきた。
これは明らかに人目を気にしての行動だと見て間違いない。
彼は犯人あるいはそれに準ずる人間が身近にいるのを知っていて、その人物に悟られぬよう、秘密裏に探偵にコンタクトを取ろうとしているのか。
体育館裏というロケーションがまたすごく意味深ではある。
俺はとりあえずこのことを空五倍子に報告して指示を仰ぐことにした。
報告、連絡、相談。この三つはもちろん探偵稼業でも鉄則なのである。
7月18日 月曜日 PM1:00
県立琴浦高校 第一職員室
「お昼時に申し訳ありません。」
出されたコーヒーをすすりながら、私立探偵空五倍子椛は棒読みで教頭に頭を下げた。
どこにでもいるビール腹の髪の薄い中年オヤジ、グレースラックス、ノーネクタイに白いワイシャツといった出で立ちの東教頭は、気難しそうな外見に似合わず、温和な性格の持ち主に見えた。
「いえいえ、いいんですよ。このような事件がこの学校で起こってしまった事には。私も教頭として、いや一教師としてやはり思うところはあるんですが、こうやって探偵の方が警察と協力して捜査してくださる分には、私共としても捜査には全面的に協力せねばという次第でしてね。」
コンビニ弁当を食べながら捲したてる東教頭。職員室入り口から1番奥にある三つの大机の右側にどっかりと座ってはいるものの、権力を持った役人にありがちな不遜な態度、やる気のない感じなどは一切感じられなかった。いかにも教師の鑑といった感じで、机の上には担当科目、数学の参考書や様々な問題集、書類が積み上げられ。机カバーの下には生徒達と撮った写真が何枚も飾られてある。
その後ろにある業務連絡用の大きなホワイトボードの一角に、空五倍子は何かを見つけた。
「ああ、それですか。」
空五倍子の視線に気づいたのか、箸を止めて教頭が小さなホワイトボードに手を伸ばし、机の向かいに立っている空五倍子に手渡した。
日直、と書かれた小さなホワイトボードに恐らく教員の名前と思われる物が書かれたマグネットが貼られてある。
その中には被害者、鈴木 秀俊の名前があった。その下の方には第一発見者である佐野 剛志の名前もある。
全て男性ものと思われる名前が数人分縦に並べて貼られており、その左には、上から日月火水木金土の曜日が2週間分にわたって書かれてあった。
全部で14段に仕切られた縦長のホワイトボード。
縦に読むように作られた2週間分のカレンダー、といったところか。
書かれてあるのは曜日だけで日付はなく、恐らく二週間ごとに名前付きマグネットを貼り替えているのだろう。
「当番表、ですか?鍵開けか何かの?」
「そうです。鈴木先生の仲間内でね、若手の男性教員みんなで当番を決めて、朝早く来て全棟の鍵を開けて回る仕事をローテーションでやってくれていたんですよ。兼業主婦の先生や私らみたいな年寄りに朝早く出勤させるのは間違ってるってね。」
すこし嬉しそうな、照れくさそうな顔をしながら教頭は鼻をすすった。
「鍵開け作業ですか。だいたいいつも何時ぐらいに?」
「部活の朝練の生徒達なんかもいますからね。だいたい朝の6時前には全部終わらせていたんだと思いますよ。私も基本朝は早いのですが、たまに仕事がたまっているときに早く来ると、鍵開けの終わった先生がコーヒーを淹れてくれたりなんかしてね。」
「皆さん、真面目というか、誠実というか。素敵な職場ですね。」
「まぁ、こんな職業上、同僚同士皆仲良く和気あいあいとね、やっていかん事には、教師たちが不仲では生徒達に示しがつきませんしな。その意味では彼は、潤滑油のような存在でしたよ。誰とでも打ち解けられる。新任の先生もよく世話してましたしね。」
と、すこし声を小さくして。
「酒癖が悪いのが玉にキズなんだけどね」
そう言いながらも、教頭は死んだ鈴木のことを思い出しているのか、少し目が潤んでいた。
なんやかんやで同僚上司には好かれていたんだな。
そう思いながらもう一回ホワイトボードに目をやると、一週間前の月曜日(この数日間でマグネットの貼り替えがなかったとすればだが)、事件当時の所には第一発見者の佐野剛志の名前が書かれてあった。
その前の日、縦長のカレンダーの1番上の段、日曜日の当番は鈴木秀俊である。
日曜日も部活動をしている生徒もいるのだ。教師も出勤するのであろう。
何か関係があるのかはわからないがとりあえずデジタルカメラでホワイトボードの写真を撮り、空五倍子は教頭に尋ねた。
「佐野先生は、今日もまだ来られていないのですか?」
東教頭は一瞬表情を曇らせた。
「ああ、佐野先生はね。やっぱりあんな事件を1番に目撃してしまいましたからね。ショックは大きかったと思いますよ。私の方から暫くの間はカウンセリングを受けるなりしてゆっくり休むように取りはからったんですよ。それで、今日もね。警察はそんなこと御構い無しに彼にいろいろ聞いて回って見てるみたいですけれどね。しばらくそっとしといてやって欲しいってのが、本心としてはありますかねぇ。」
東教頭は50代、佐野は26歳、親子ぐらいの年の離れた部下にはやはり、親心に近いものが生まれるのか。
そんな事を思いながらも、空五倍子自身としてはなんとしても佐野にコンタクトを取りたかった。
「どうにか都合はつきませんかね。佐野先生。私は探偵なので、お話を聞こうにも警察の捜査とは違って半ば強制の任意同行ではなく、完全に任意の聞き込みになってしまうものでして。佐野先生が学校に来られるのをお待ちするしかないのでしょうか。」
教頭は腕を組み、少し唸った。目の下にはくっきりとしたクマができている。
「いやね、わたしもね。気持ちはわかるが辛いのは君だけじゃないんだ、何か力になれんか、という感じで電話したり、飲みに誘ってみたりしてはいるんですけどね。彼、相当参っちゃってるみたいでね。ここは上司として喝を入れるべきなのか、見守ってやるしかないのか考えあぐねているところなんですよ。何せ私にとっても前代未聞の事態ですからね。若い彼には、すこしショックが大きすぎるのかもしれない。」
つくづく優しい人だ。いや、甘いのか。そう思った。
辻占がぐずぐずとへこたれていたら有無を言わせず蹴り飛ばすであろう空五倍子には、この優しい教頭の考えは理解できそうもなかったが、こんな上司を持てて、この学校の教師達は幸せだな、とも思った。
「もうそろそろ、副担任の先生が職員室に戻ってくるころなんですがね。彼女、お昼の時間は生徒会室で生徒達と話しながら食べてますから。すみませんね、探偵さんがいらっしゃるのに、呼び止めるのを忘れてしまって。」
高そうな銀の腕時計を見ながら教頭が言った。
弁当を片付け、鞄を取り出し、膝の上で荷自宅を始めた。
「どこかへ行かれるのですか?」
「ええ。これから大学に行って講習会を聞きに行かなければならないのでね。教師というのも面倒なものですよ。何故わざわざ平日にやるのかねぇ。土日にしてもらわないと授業が遅れるではないか・・」
などと、ぶつぶつ文句を言いながら鞄にノートや筆記用具を詰め込む東教頭。
「ずれた」不満だな、と思った。
彼にとっては土日にゆっくりできることよりも、生徒達に授業をすることの方が優先度が高いのだろう。
そんなことを考えていると、後ろで扉の開く音が聞こえ、教頭が頭を上げた。
「おっ。ミサワ先生ー。探偵の方が見えてますよ。」
大きな声で手を振りながら、鞄を持って颯爽と立ち上がり、東教頭は空五倍子に、「では」と一礼して去っていった。
今しがた職員室に帰ってきたばかりの女性教師は、荷物を一度自分のデスクに置いてから空五倍子に話しかけてきた。
「申し訳ありません。私、昼は生徒達と食べているもので。」
「教頭から伺いました。生徒愛溢れる行為を咎める理由はありませんよ。ああ、申し送れました。」
空五倍子が名刺を差し出すと、ミサワ教諭は字面を眺めながら言った。
「変わったお名前ですねぇ。うつふし、空五倍子色ですか。」
「偽名なんですがね。それにしても一発でお読みになられるとは、先生は美術か国語の先生ですか?」
「ええ、国語の教師をやっております。ああ、こちらこそ申し送れました。国語教師の三澤 陽子と申します。名刺の用意が、あら?」
三澤は自分のデスクに戻り、鞄をガサガサと探したあと、名刺入れを取り出し、再び立ち尽くしている空五倍子のもとに戻ってきた。
名刺入れを常に携帯するような職業ではないのだ。
客人にすぐに名刺を差し出さないのも無理はないが、渡された名刺は化粧品の匂いが染み付いていた。名刺入れをポーチの中に入れているというのは如何なものか。確かに忘れることはないだろうが。
「とりあえず、私のデスクで座ってお話ししましょう。隣の席は空いておりますから。」
「隣の席は」のあたりで少し声のトーンが落ちた。恐らくそこは殺された鈴木のデスクであったのだろう。
促されるまま死人のデスクに腰を落ち着けると、空五倍子は隣の三澤の机の上にある一冊の本に目を奪われた。
「洋書を読まれるのですね。しかも、カーですか。」
空五倍子の問いに、三澤は少しぎょっとした表情を見せ、スグに目を輝かせながら応えた。
「英語のタイトルを見ただけでお分かりになられるのですね。ひょっとして空五倍子さんも、カーをよまれるのですか?」
「まぁ、ミステリ小説は大の好物でしてね。カーは本格黄金時代の作家陣の中では1番好きですかね。所謂、『カーマニア』というヤツですよ。私は。」
「まぁ!若い方で同志にお会いできるとは思いもよりませんでしたわ。私も学生時代からミステリーが大好きで、とくにカーが大好きなんですよ。」
と、三澤ははっとした表情で立ち上がり、急いでポットにコーヒーを淹れに向かう。
「お構いなく。」
「いえいえ!お客様にコーヒーを出すのを忘れるなんて、私、疲れてるのかしらね。」
そう言いながら三澤が笑顔を見せた。その笑顔の裏に、何か暗いものが感じられた。




