Line4(電話回線)
客が私だけの舞台が始まったように、じわりと緊張する。ざわざわ胸が鳴る。
ひとりだけの観客は、きっと観るのと同じくらい見られている。
『人生を知りたいなら、愛を知ればいい』
人形を操る腹話術師のごとく、寝ぼけた口調を脱ぎ捨てて叔父上は言う。
愛ですか叔父上、と神妙に質すと、愛だよ愛、と自信ありげに返ってきた。
『悪魔の猿アイアイじゃなくてただの愛。“I LOVE YOU”の“LOVE”の愛』
「アイラブユーのラブのアイ」という説明には「救急車のキュウ」と同列のややこしさがあるな、とぼんやり思う。
叔父上の声が腹話術師めいて聞こえるのは、口を閉じたまま話しているせいだろう。口を開けたら最後とばかりに、浮かび上がってくる欠伸の衝動を噛み殺しているに違いない。
電話越しでもそれがわかるくらいには、叔父上との付き合いは長い。
腹話術師の天敵である破裂音でも言わせてみようか、パイナップルにパパイヤにバナナ、と常夏の果実を思い浮かべて、後悔した。思い描く蒸し暑さと現実の冷えた空気が出会って露を結びそうになる。
吹きさらしの場所で長丁場の電話はつらいものがある。イヤリングを手の内に収めて、とりあえず体を動かそうと歩き始めた。
『人生を知りたいなら、嘘を知ればいい』
これもウグイスのウソじゃなくて英語でいうとライの嘘、と言わずもがなの注釈がついてくる。
聞いているこちらが思いつきもしないことを、否定するだけのためにわざわざ持ち出されるというのは混乱する。「救急車の2番目のキュウ」と言われて、あれどっちのキュウだったかなあ、と考えている最中に、横から「霊柩車のキュウではなく」と口出しされるようなものだ。
勝手に続けるところを見ると、相槌やら気の利いた返事やらは求められていないらしい。それならそれで風を遮る場所でも探そうか、と建物の裏を目指すことにする。
ここでは風をよけようとして建物に近づきすぎると、自動扉が開いてしまうので落ち着かない。
『人生を知りたいなら、文学を知ればいい』
文学はまあ普通に文学、リタレチャー、と続く。
さすがにブンガクは同音異義語を思いつかなかったようである。音と音とがもつれるように連結しているのが、逆に発音よく聞こえて不思議だ。
うまい具合に風除けになりそうな柱と柱の間へと移る。引っ込んだ部分はガラス窓になっているが、ブラインドが閉じているので中からは見えない。
まあここでいいか、と一息つくと、向こうも一息ついたらしく、電話口から欠伸が聞こえた。
『さて、ここでなぞなぞをひとつ。一番長い英単語は何でしょう?』
人生うんぬんかんぬんとは縁が切れたらしい。
聞き覚えのある、というよりは答えが有名になりすぎたせいで問題そのものが埃をかぶった感のある、古典的ななぞなぞだ。
「わかんないけど、なんかの病名だったっけ?」
『普通に答えろよ』
専門用語は反則だ、と欠伸を放出して目が覚めてきたらしい叔父上は注文をつける。
「スマイルス」
『その心は?』
「SとSの間が1マイルだから」
SMILES、と右手を乱雑に動かして宙に綴る。専門用語が反則なら複数形というのも同じようなものではないのか。
『じゃあ、人生は英語で?』
「ライフ」
『綴りは?』
「L-I-F-E」
そうそう、と叔父上は偉そうに肯定する。
『つまり同じことなんだよ、晴名』
「同じって、何が?」
『SMILESのSとSの間に1マイルが横たわるように、LIFEのLとEの間にもいろいろ詰まっているわけだ。Lで始まりEで終わる、LOVEとかLIEとかLITERATUREとか』
さながらお歳暮の詰め合わせギフトパックのごとく、といまいち的を得ていない喩えが追い掛けてくるのは、これから馴染みの乾物屋に品物を見繕いに行く約束だったからだろう。
要するに始めと終わりの文字だけ指定された、伸縮自在のクロスワードパズルのカギのようなものだと言いたいらしい。そんなひねくれたクロスワードパズルがあったら答えは埋まらないままだろうが。
『だから人生には愛やら嘘やら文学やらが満ち満ちている』
「おお、なるほど」
人生が云々と似合わぬことをもっともらしく述べ、愛と嘘と文学の説明にさりげなく英語を紛れ込ませ、古典的なぞなぞを引っ張り出し、とずいぶんと回りくどかったのはこの結論のためだったのか、と感心する。
『ということで、遅刻した』
「いや、どういうことかわかんないんだけど」
『大丈夫、これからわかる。さて晴名、遅刻は英語で?』
「びーれいとふぉあ、場所」
ついつい成句が口を突いて出てくるが、これは勉学の賜物というよりは掛け算九九のような反射にすぎない。
『そう、LATE。これもLで始まりEで終わる』
おお、と再び感心する。
愛で始まり遅刻で終わるとはスケールの落差が大きい。しかし遅刻に満ち満ちた人生というのはご遠慮願いたいものである。
目下の問題はそこではない。
「遅刻ってことは、叔父上これから来るの?」
『行こうと思ってるけど、なんで?』
寒いし小腹がすいたし私自身は別に外ですることはないのだから、帰ろうかな、という気分にもなろうものだ。
「なんとなく。今日はやめておくのかと思ってたから」
『行っちゃ悪いわけ?』
「いや、悪くはないんだけど」
うっかりしたが、このような場合多少はごねてみるのが平和的な関係を保つお約束だ。あまり引き際がよすぎると叔父上が拗ねる。
『けど、なに? 良くもないって?』
「叔父上来てくれるんだなー、嬉しいなー、と思って」
『嘘臭い』
そう聞こえるほどに嘘ではないが、言い募るほど嘘臭くなるのがこの手の言葉の常である。
「じゃあ、乾物屋さんでたたみいわしが食べられそうで嬉しいなー、と」
『あの七輪で炙ったやつか』
なんで俺ひとりで行くと出てこないんだろうな、と欠伸交じりにぼやく叔父上はそのわりに機嫌も持ち直してきたようで、夕食時より少し早い時間に仕切り直す約束をした。
そして私は運命的な出会いを果たす。
愛と嘘と文学に満ち満ちたタイトルの、その映画と。