Line5(台詞)
「人外魔境は何県何市にありますか」というのは叔父上考案のなぞなぞである。
だいたいにおいて叔父上のなぞなぞというのは問題自体がわかりにくいものが多かった。
「白いペチコートに赤い鼻、立てば立つほど背が縮む、ナニー・エチコート嬢は誰でしょう」との問題では、まずペチコートとはいかなるシロモノかという点でつまづき、誰でしょうと訊いておきながらすでに名前が明かされているじゃないかという部分でにっちもさっちもいかなくなった。
「英語でできない質問はなんでしょう」という問題はなぞなぞでもなんでもなく、「トマス・ジェファーソンは何代目の大統領ですか?」というような文章を英語では表現することができないという、文法上の落とし穴のようなものだった。
その中でこのなぞなぞは、それなりにまともな問題であるという点においてまあ評価すべきものである。
といっても叔父上のオリジナルではなく、もとは東京タワーだか京都タワーだか通天閣だかそんなものだったのを、それって県にはないよな、というこだわりにより改めたという事情があったらしい。ついでにいうと叔父上は、立入禁止の塔などラプンツェルを閉じ込めるくらいしか能がない、とこき下ろすまでの高所好きでもある。
なにはともあれ、答えは「きけんたちいりきんし」。
「いや、リンパキュウは、その、白血球の仲間のリンパ球」
ハッケッキュウまで登場人物か何かと勘違いされたらどうしよう、という懸念が捨てきれなかったため、ホワイト・ブラッド・セル、略してWBC、と注釈も付け加えておいた。ここで相互理解を打ち建てないとこの会話は危険領域に突入する予感がある。
「ああ、そっちか」
「うん、そっちね」
初対面の方と気まずい空気になった。
しかし、やはり潔い人である。私だったら絶対に「やだなあ、冗談だよ冗談」と悪あがきしてごまかす方向に走る。言い訳のエキスパート叔父上直伝、うまくいくかは別としてごまかすのはお手の物である。
「だからか」
「だからって、何が?」
「あの女の人が入院したのは」
なんたってロマンス映画、登場人物の約半分は女なのだが、この人が指しているのはどうやら主役のようである。
「いや、リンパ球とかに異常が出る病気で倒れたわけじゃないからね。あれはよくある、過労というか精神的な疲れというか、そういうの」
ご令嬢というのはとにかく倒れて、ブランデーやらアンモニアやら王子様のキスやらで覚めるものである。
私の説明を聞くと首を傾げられた。
「リンパ球って、どこに出てきたの?」
映画には欠片も出てこない。出てきたのは市民講座である。
「出てきてはいないんだけどね、リンパ球みたいな台詞、って言ってもわかんないか。えーと、要するに、リンパ球ってああいうこと考えながら働いてるのかな、って。これじゃわからないよね?」
「さすがに厳しい」
「まあそうだよね。話始めといて悪いんだけど、これ以上は長くなりそうだから説明できないと思う。私も今日話を聞いたばっかりだから、大事な部分だけ抜き出して話すとか器用なことはできないんだよね」
「構わないけど」
「いやいや、ちゃんと断ってね。長くなりそうというか長くなるの確実だし、知っててもあんまり得はしないし、結構専門的だし、それなのに私は全然専門家じゃないし、もう一度強調するけど、ほんっとに長いよ?」
「大丈夫。映画が終わるまで時間はある」
あっさりと言われて、あるべき前提がひっくり返る。この人は一体映画館で何をしているんだ。
「見なくていいの、映画?」
「そこまで見たいわけじゃない」
そこまで見たいわけじゃない映画をなぜわざわざ金を払って見ているかといえば、私のような気まぐれではなくロマンス映画を見たがるような誰かのためにということだろう。
「一緒に来てる人が待ってるんじゃない?」
「そういうの、気にしなくていい相手だから」
本当にいいのか、それで。少なくとも私なら許さない。相手が気にしないというより、単にこの人がそういう機微に疎いだけじゃないのか。
とりあえず謝る覚悟だけは固めて、いそいそとバッグからノートを引っ張り出している自分がいる。
さて、金の王冠の体積を求めるよう命じられたアルキメデスは、悩みに悩む。
意匠が凝らされた王冠は、そのぶん複雑な形なのである。潰して金塊に戻せば事は単純なのだが、そういうわけにもいかない。答えの出ないまま日々は過ぎ、その日もアルキメデスは、いつものように風呂に入った。ざっと水は溢れ出て、その瞬間アルキメデスは気付く。
自分が押しのけた分だけ、風呂の水が流れ出る。すなわち、浴槽から失われた水の体積は、自分が浴槽の中に占める体積に等しい。
そしてアルキメデスは、「我発見せり」と叫び声を挙げ、全裸のまま街を駆け回った。
嘘か真か、全裸か半裸かは諸説入り乱れているが、これがかの有名なアルキメデスの法則発見の際の挿話だ。
常識を塗り替える発見の興奮を前に、常識はかくも無力なのである。
……人はこれを、言い訳と呼ぶ。
市民講座を聴くときは、高校時代の数学のノートの余りを使っている。授業だの講義だのがなくなると、途端に勉強などしなくなるものだ。
目当てのページを広げ、「血液」から枝分かれした「血漿」「赤血球」「白血球」「血小板」を示す。
「そもそも血液っていうのはね、血漿っていう液体の中に赤血球、白血球、血小板っていう血球成分が入ってるものなの。赤血球と血小板には核がないから、正確には細胞とは呼べないんだよね」
いかにも初歩的なことですよ、とでもいうように語ってはいるが、何を隠そう今日に至るまで「血しょう」は血小板の略だろうと訳もなく思い込んでいた私である。
間違いを知った瞬間、常用漢字から外れていようが「漿」の漢字表記を貫いてやる、と心ひそかに決意した。血漿以外には酸っぱい方のホオズキくらいしか使途が見当たらないのが心細いのだが。
「赤血球は酸素を運んで、血小板は出血を止める。じゃあ白血球は何をするのかっていうと、体の中に入ってきた異物を殺すためにいろいろやってるわけね。これがおおざっぱにいう免疫ってこと。で、免疫にははじめから備わってる自然免疫と、感染とかワクチンなんかで後からできる獲得免疫がある」
「白血球」から「自然免疫」と「獲得免疫」の枝が伸びている。
「白血球の中にもいろいろ種類があって、それぞれ働きが違うんだけど、どっちの免疫なのかで分けるね。そうすると、リンパ球は獲得免疫の方に入ってるの。
ということで、獲得免疫の話になるんだけど、何を獲得するのかっていうと、ある特定の異物に対する反応の『早さ』と『強さ』なんだよ。
たとえば病原体が体内に入ってきたとすると、ある一定の数まで増えたら病気が発症する、っていうラインがあるんだよね。自然免疫も頑張ってはいるんだけど、広く浅くだからやっぱり限度があるんだよ。でも獲得免疫があればというか、ワクチンとか前回の感染とかで『その病原体に対する免疫』が獲得されていれば、病原体がその数に達するまでに排除できるから症状が出なかったりあっても軽かったりするわけね。
じゃあ獲得する前にその『特定の異物に対する反応』自体はあるのかっていうと、あるにはあるんだけど遅いんだよ。病原体が増えるスピードに追いつけないから、発症のラインを超えるまでには間に合わなくて病気になっちゃうわけ。ということで、獲得免疫が大事な理由はいい?」
「付いていってる」
よしよし、と頷く。
「じゃあリンパ球って何なのかっていうと、白血球の一種の細胞なんだよ。一口にリンパ球って云っても、T細胞とかB細胞とかNK細胞とか、いろいろ種類があるんだけど、これから話す『リンパ球』はTとBだけね。同じリンパ球でも自然免疫のNK細胞は除く」
NK細胞は「生まれながらの殺し屋」というその名の通り、異物を無差別に攻撃する。
「リンパ球は、赤血球とか血小板とかと同じく、骨髄でつくられるの。B細胞のBはボーン・マロウ、骨髄の頭文字ね。ちなみに脊髄は背骨の中を通ってる神経のことだから、名前は似てても完全に別物」
骨髄と脊髄も、血しょうと同じく個人的に間違えたポイントである。
「骨髄ってほら、骨の髄っていうくらいだから骨の真ん中にあるんだよね。ほら、骨髄バンクのドナーなんかの骨髄穿刺って腰のあたりの骨刺すイメージだったんだけど、そこがやりやすいってだけでそこにしか骨髄がないわけじゃないんだって。料理だと骨を煮込んで出汁を取るでしょ、鶏ガラとか豚骨とか」
「フォン・ド・ヴォーとか」
「なんだっけ、それ」
「牛の骨の出汁」
「あー、そうなんだ」
牛というだけで何やら高級な気配を漂わせているのに横文字とはまた一段と高貴である。フォン・ド・ヴォー伯はきっとラーメンのような場所に沐浴を楽しみにはいらっしゃらないのだろう。
まずい。どうやら思考がリン・パキュウ氏に毒されつつあるようだ。




