Lingerie(女性用下着)
ランジェリー
声が、近づいてくる。
「まだだってば。いちいち電話なんか掛けてこないでよ」
さっきの女の子がロビーに出てきたのは、電話を掛けられる場所を探していたからであったようだ。
「……あと20分くらいじゃない? 知らないけど。なんか盛り上がってたみたいだし。それくらい待てるでしょ。慌てないでよ、ちゃんと会えるんだから。適当に時間つぶしてて。はあ? 知らないって。それくらい自分で考えてよ。あーもうめんどくっさいなー、雑貨屋でも行っとけば? ここの裏にあるし。もう切るよ」
え、と思わず漏らして、女の子の後ろ姿を見送ってしまう。映画館の裏にある雑貨屋というのは、私がここに来る前に奇遇にもここに来る前に寄ってきた場所だ。
「どうかした?」
「高西はこの裏にある雑貨屋さんについて聞いたことある? さっきの子も話してたけど」
「あるのは知ってる」
「あそこはね、雑貨は実用というより観賞用って感じのが多いんだよ。見る分には楽しいけど買って帰ってから置き場に悩みそうっていう。あ、この季節だと手袋とか耳当てとかマフラーとか、そういう小物は実用的でかわいいんだけどね。今日ちょっと覗いてみたらクリスマス前で結構混んでたから買い物したらすぐ出てきちゃった」
「何買ったの? 耳当て?」
「いや、ちょっとクリスマスらしいものをね。耳当てもいいけど冬はバスだからそんなに耳冷たくならないし、買わなくてもいいかなと」
自転車乗らないと両手空くからどうしてものときはこう、と両の手のひらで耳を包み込んでみると、それで歩くのは危ない、と高西は少し眉を寄せ、だから絶対に人も車も通らなそうなところでしかやらないよ、と主張すれば、それはそれで危ない、とさらに高西の眉が寄る。
耳に当てていた手はずるずると滑り落ちて頬杖のよう顎の下で手首がぶつかり、肘を置く場所もないので膝の上に揃えて戻す。
ついでに、今帰りはだいたいうちの兄さんが車で拾ってくれるし大丈夫、と何が危ないにしてもとりあえず解決できそうな事実で締めて、話も元に戻すことにする。
「あ、話は逸れたけど、問題はその雑貨屋さんね。入ってぱっと見ると普通なんだけど、店がちょっと狭いかなって感じがするんだよね。で、気になって奥に進んでみて、突き当たりのカーテンを開けると、あるわけ」
ここでさっと左右に目を配り、声を潜めて告げる。
「一面のランジェリーが」
実用的なものからそうでないものまで、取り揃えてございますようで。
「ね、うっかり入ったらこわいでしょ? ほら、よくある『夜10時以降は女性専用車両』並みのトラップだよね。だからたとえばこの映画の後彼女に誘われたとしても、入らないことをお勧めするよ。いやまあ、高西が気にしないならいいんだけど」
そこは異物が足を踏み入れた途端後悔する、排他的な空間である。
さて、先ほどの女の子の提案はこれを知ってのものだろうか。「ねえ、デートの待ち合わせ、時間よりだいぶ早く着いちゃったんだけどどうしたらいいかな?」と、当の彼女に相談した結果すげなく「待て。お預け」と言い渡されるような、そしてそれに忠実に従ってしまうような素直な男の子であったら、真にご愁傷様なことである。
「彼女って誰?」
「え、さっきの子? 私ほんとに知らないよ」
「そっちじゃない。上村が今言った方」
「高西の彼女のこと?」
「それ、誰?」
「いや、知らないけど一緒に映画見に来たんじゃないの?」
「誰と?」
「高西と」
「弟の話?」
「弟? 弟って誰の?」
「俺の」
「あ、高西って弟いたんだ」
「今ここで映画見てる」
「え、今ここで? 何観てるの?」
「『淋しくて、巴里』」
「そっか、同じ映画なんだ」
「一緒に来たから」
「誰と?」
「俺と」
「誰が?」
「弟が」
「ほかには?」
「それだけ」
「じゃあ、彼女は?」
「だから、それ誰?」
「ちょっと待って。なんか混線してる」
細切れの情報をつなぎ合わせて、なんとか大筋を掴み出す。
「つまり高西は、弟と映画見に来てたの? ふたりだけで? 『淋しくて、巴里』を?」
文の形を整えきれないまま、疑問符が切れ目切れ目に飛び込んでくる。
「そう。高校生の弟と」
あっさり肯定する高西を、無遠慮にまじまじと見つめてしまう。ロマンス映画を仲良く観賞する兄弟とはこれ如何に。私が言うのもなんだが、こういう映画は普通カップルで来るものではないのか。
——髪は短めでね、背は普通、結構薄手の服だけど何も羽織ってなかったからすぐ戻るつもりなのかな、高校生くらいの女の子。
——なら違う。
「なら」が係るのは、「女の子」か。




