スイートルーム直後(鶴見視点)
「5年目なんだ!すごい!!」
光沢がありつつもどこか歴史を感じさせるココアブラウンのカウンターテーブルに身を乗り出して、いつも大人しい彼女が激しく賞賛する。
その勢いに驚き、珈琲を淹れようとしていたあたしの手はビクリと止まった。食後用珈琲のフルシティローストされた豆が少し辺りに落ちて、デザートの用意をしていたマスターが柔和な顔のままジッとこっちを見据える。あああああ…バイトを始めて1年、やっと知り合い相手ならコーヒーを淹れさせてもらえるようになったというのに、取り上げられてしまうんだろうか。
へにゃっと力無く笑い返せば、マスターは軽く苦笑をして、身を乗り出したまま興奮冷めやらぬ女性客へおしぼりを差し出した。
「川島様。袖にソースが…」
「あ、ご、ごめんなさいっっ」
おしぼりを受け取って冷静になったのか、さっきまでの勢いがウソのように静かに席へ座る。マスターもそのままケーキのデコレーションを始め、どうやら今の失態は不可抗力とされたようだと、あたしはホッと息をはいた。
まあ、あたしが驚くのも無理がないと思ったんだろうな。なんてったって、この女性がこんなにも話に食いつく姿は珍しい。彼女はオドオドとしながらも、いつもすべてを受け入れるような笑顔を見せて、そしてまた、すべてに興味がないようにも見える、そんな女性だった。
実際、あたしはココの店員として何度か彼女に話しかけていたというのに、つい最近まで彼女はあたしのことをぼんやりとしか認識していなかったらしい。これは決してあたしが小さいからじゃない。そう、断じて視界に入らないぐらい小さいからじゃない…!
彼女が認識するのは、とある1人に関連したことのみだったからだ。だからあたしは、喫茶店の店員として何度も接していたのに彼女にとっては、その男の、友人の中の1人としてしか映っていなかったのである。
(間違いじゃない…間違ってはいないけど……)
その盲目さが壮大なノロケのようだなぁなんて、ちょっとため息をつきたくなる。今だって、彼女が大興奮しているのは、あたしとタカちゃんが5年もの付き合いになるからじゃない。きっと、自分たちが5年も付き合ったらという妄想に心トキメかせているからだろう。あぁまったく、そんなに想われているあの男が羨ましい。
カランコロンと喫茶店の扉が開いて、その男が入ってくる。
「ゲェ…っ なんだよ、待ち合わせは三時だろ?なにを張り切ってこんな早く来てんだバカ翔子。」
オイ。未だ十二時にもなっていない、こんな時間に来ておいてアンタがソレを言うか。あと、しかめっつらしてるけど、足がリズム刻んでるから。「俺のこと待ち侘びちゃって可愛いヤツ」って喜びが満ち満ちちゃってるから。
「あ、えと、お昼ごはん食べとこうかと、おもって…」
「………………メシかよ。」
「ぶふっ!」
だめだ、笑いをこらえられなかった!平静を装いながらも意気消沈した男が面白くて仕方ない。「笑ってんじゃねぇ…!」と怒鳴られたが、これを笑わずして何を笑うのか。だって、この男は知らないのだ。ランチなんか気もそぞろで、入口のベルが鳴るたびに振り返っていた彼女のことなど。
今もなお、『私のせいで明良くんが笑われてしまった…!』とばかりにアワアワしている、的外れすぎるほど明良のことしか考えない彼女の盲目さになど。
「ご、ごめんなさい…っ」
「なーに川島ちゃんが謝ってんの!今のはアキラに怒るとこでしょー」
「なんで俺が怒られねぇとなんねんだっての!こんのチビ鶴見…っっ」
「ちびっ………はっはっはー!そりゃアンタねぇ、可愛い彼女と会って一番最初に『げぇ』なんて声をあげるような男、怒られてしかるべきだわー。」
まぁ、『げぇ』ってのは『やべ、俺待たせちまったかな』っていう自分に対する言葉だってのは、このあたしにゃ分かっているけれども、川島ちゃんは絶対分かってないから、『こいつこんな早く来てやがるって思われた』とでも思ってるから。そんな、お得意の洞察力を駆使して状況を把握したものの、アキラのちび呼ばわりを前にして、素直にアドバイスなんてしてやらんもん。ちび呼ばわりっていうか、まぁちびだけど…っまごうことなき、ちび助だけど…っっ乙女心はデリケートなんだから!
「もっとね!情熱的に口説かないと川島ちゃんに、また逃げられちゃうよー!押し倒してでも川島ちゃん止めて、アンタと一緒に居たいーってボロボロに泣きすがるぐらいしてみろっての!」
まぁ、無理だろうけど!
「………」
「…………」
ん?なんで固まってんの??
押し倒すとか、この二人には刺激が強すぎた???
「…な…ん…えぇ??…しょ、翔子?お前…鶴見に言っ…」
「いいいいいっ言ってな…っっ」
…???なにさ、ほんとにそんなことやったっての?
まっさかー。
アキラと友人になって三年もたつけど、この男のバカみたいなプライドでそんなこと出来るわけないじゃん。どうせ、この前のケンカだって川島ちゃんが折れたんでしょ?あたしが けしかけたとは言え、まったく川島ちゃんはアキラに甘いんだから。
そう内心ため息をつきながら、コーヒーミルのスイッチを入れる。
古めかしい業務用コーヒーミルは、大きな音を立てて豆を粉砕し、それが均等に落ちるよう、あたしは漏斗をくるくる回した。うん。綺麗にできた!
満足気に顔を上げれば、まだ二人は顔を真っ赤にしてわたわたしてる。
なにしてんだかっ
あたしは、こらえきれず「ぶはっ」と、また笑い出す。
不器用なふたりが、不器用に恋愛してる姿は
はたから見てると笑っちゃうぐらい滑稽だけど、
それが何だか羨ましくも思えるのがちょっと悔しくて
あたしはマスターに怒られるまで笑い続けた。
彼の瞳は語るで入る予定だったエピソードですが、スイートルームのふたりが出張りすぎたので番外編にしました…!
番外編は、のちのち~みたいなことを言いながら、その後々がすぐにやってきたこの無計画さ……