嵐が夢
聞こえるのは。
剣戟の音。
それから悲鳴。
助けを呼ぶ、声。
嫌だ。
俺は、もう。
誰を助けるのも。
……信じられるのも。
誰を助ければいいかも分からない。
けれどその女は。
金髪を振り乱し。
こちらをまっすぐに見つめて。
……さま。
と。
俺を呼んだ。
○
「やっと起きた。寝ぼすけさん
具合はどう? 今日は隣村から薬師さんがくるみたいだから。
あなたのことも聞いてみようと思うのだけれど」
蒼い髪の女に起こされて、俺は目を覚ます。
ここは……どこだ?
俺は、たしか……。
分からない。
「……大丈夫? どこか痛む?」
「いや、問題ない。いつも心配させて悪いな、ハナエ」
「いいっこなしよ。困ったときはお互いさま。
ディティも着替えて、朝ごはんを食べてね」
そうーー。
たしかこの女の名前は「ハナエ」だった気がする。
俺は、たしか。
この女に拾われ。
……怪我を介抱してもらっているのだ。
どうしてそんな怪我をしたのか?
……思い出そうとすると、頭にもやがかかり、それ以上先に進まない。そして毎度同じように頭痛に襲われる。
「無理しなくていいのよ」、とハナエは俺をいつも優しくたしなめてくれる。
少しずつ。
ここ数日の記憶がよみがえってくる。
そう。
ここは山岳地帯にある、辺境の村ドナータだ。レーゼ帝国と商業都市ベルゼナにはさまれており、両国の戦争に巻き込まれている。ドナータの領内にある鉱山には、質のいい鉱物が取れるという理由で……。そんな話を、幾度となくハナエに聞かされた気がする。
私の幼馴染も、行ったのよ、とつぶやくハナエの表情は暗い。幼馴染の名前はスリザ。スリザは戦争を速く終わらせるために、レーゼ帝国の兵士に志願した。ここはもともとレーぜ帝国の領地だったから。……けれど、スリザは帰ってこない。
玄関にはいつも花がかざってある。それはいつスリザが帰ってきてもいいように、とハナエが準備したものである。彼の誕生花なの、とハナエは笑ってみせた。
と、ここまでの記憶を整理しておく。
「……今日のスープは、具があまりないの。
ごめんなさいね」
「気にすることないぜ。
なんなら、今までで一番おいしいくらいだ。
こんな俺も、居候させてもらってるわけだし」
「ふふ、そういってもらえると、少し救われる、かな?」
「……また、徴収されたのか?」
「少しね。もう食べるものなんてほとんどないし。ほとんどないところから、奪ってもっていったのよ」
そういってハナエは、ツボをひっくり返してみせた。……本来なら、穀物が入っているはずだ。
「近隣に食料は?」
「おそらく、似たようなものでしょうね。
それに山岳地帯だから、あまり動物もいないし……」
「分かった、俺がなんとかしよう」
そんな台所事情の中、食わせてもらってばかりでは悪いし。
「できるの? というかあなた、怪我だって治りかけだし」
「できる。自信があるね」
そうーー。
俺には、特技が。
誰にも負けない特技があったーーはず。
はずなんだけど?
思い出せない。
ひゅるりと、玄関からすきま風が入ってくる。風につられて、生けられていた薔薇が、花弁を散らした。
そうか、俺の特技は。
「『風』よーー、在れ」
風は俺の人差し指に集まり、俺の合図とともに、逆方向に流れていく。全身で大気の流れをーー魔力の脈動を感じる。そう、たしか俺は魔法が使えた。風魔法を必死に使っていたはずだった。
「……、生身で魔法を使える人なんて、久しぶりにみたわ」
ハナエが感嘆の声をあげる。
「それっておとぎ話の世界じゃないの?」
「うーん、わからん。俺はできる。みんなはどうしてるんだ?」
「帝国兵は、体に『魔力増幅器』を埋め込むわ。
それで一人前。初めてあなたと同じように魔法が使えるのだと思う。
使わない能力だから、退化したのかしら」
少し興味があるところだけど。
ま、今回はそれより飯のほうが先だ。
「近くにある川を教えてくれ。
それから、鳥のいそうなところも」
○
……。
俺が案内を頼んだのは、川のはずだが。
眼前に広がる光景は、完全に滝だった。
これ、生き物居るのか?
……。
わからん。
けど、まあしょうがない。
「『凪げ』」
俺は滝壺の水面に右手を当て。
魔力でつくった風で、水面を揺らしてみせる。
……すると、風が波を作り、波は水深の深いところまで響き渡り、俺に水中の中の様子を教えてくれる。
……うん、少しだが、居るようだ。
「ライト・クリアランス(風神の鉾)」
俺の魔法は指定した地面から真上に竜巻を作り上げるというもの。
指定できる場所は、俺の視界内で、発動するまでに若干のタイムラグもあるが。
ま、問題ないだろう。俺の合図で次々と、竜巻が巻き起こる。
○
「すごい! こんなにたくさん!」
俺が両手でかかえ切れない量の魚、獣、……などなどを持ち帰ると、ハナエはここ一番の笑顔をみせた。……うん、せっかく美人なのだから、もったいない。
「……わるい。ちょっと取りすぎたかも。後半はただ、魔法の感触を戻すのにやっきになって……」
自分の魔力がどこまで微細にコントロールできるか、などという無茶なチャレンジをしてしまった。
すこし子供じみたことをしてしまった。
反省。
「腐らせてしまわないか? せっかくなのに」
「そんなもったいないことできないわ。
これとこれは塩づけ、それにこっちは天日干しにすれば構わないし。……ああ、料理ができるなんて夢のよう! 幸せなことだわ!」
「よかった、喜んでくれて」
「ありがとうディティ!」
「ありがとうね、ディティさん」
俺の獲物を見て、ハナエのお母さんも顔をほころばせた。
「うちはもう旦那もいないし。男手がなくて。
ハナエにも苦労をかけさせてるから」
「もう、お母さん、そんなこといいっこなしよ。
とにかく、食べましょう!」
そして俺らは。
しばらくぶりのご馳走を食べたのだった。
……。
その晩。
「ディティ、ごめんなさい。
相談があるの」
俺は寝巻き姿のハナエに呼び出された。
「実は母のことなのだけれど」
俺はハナエのあとにつき、居間に降りていく。
ハナエの母は、暖炉の前に腰掛け、わずかなあかりで編み物をしているようだった。
暗がりで、表情は見えない。
が、時々聞こえる咳き込む音と。
……、苦しそうな発作の声。
「はじめは、編み物がしたいのだと思っていたわ。
けれど、どうも違うみたいなの。
夜になると発作で寝れないから、編み物をしてごまかしているみたいなの」
「薬は?」
「……根治させる方法はないって。
苦しみを和らげるのに、いくらか買ってるけど。
定期の薬師さんが、隣村からやってきてないの」
「俺に様子を見てきて欲しいって?
おやすい御用だぜ。明日の朝いちに出発するよ」
そして夜が開けて。
俺は簡単な身支度を整える。
「ごめんなさい。たぶん、危険だと思う」
「気にするなよ。困ったときはお互い様、だろ。
それに逃げるにしても、ハナエよりも俺のほうが逃げ足がはやい。
昔から、逃げるのは得意なんだ」
「……ふふ、そうね。上手そうだもんね」
「おいおい、そこは否定してくれよー」
なんて会話をしつつ。
「でもね、気をつけて。
帝国兵が巡回をしてるって。……奴ら、戦争がうまくいかなくて、イライラしてるから」
「任せろって」
それが安請け合いだと気づいたのは。
村を出て、しばらくしてからで。
……俺はつくづく自分の人の良さを、呪いたくなる。
というわけで、第三章。