6 俺のお嬢は世界一可愛い(ディアスside)
お嬢が奥方様と話している内容を、護衛として部屋の隅でじっと聞いていると、俺の手元が震えてきた。
――お嬢の結婚相手が、貴族じゃなくてもいい。
それはつまり、俺であっても構わないということだろう。
当然、お嬢が良しとした場合、だが。
「そしてアニタのことを、大切にしてくれる人よ。これは絶対だからね」
そう口にした奥方様が、ちらりとこちらを見る。
もしかしたら、俺にしっかりと相手を見定めろという合図なのかもしれない。
もしもお嬢が俺以外を選ぶとしても、相手が貴族であれば諦めもついたが――同じ平民であるならば、俺はどうするのだろうか。
「そうだわ! 小料理屋でアニタが働くといっても、やっぱり一人は大変でしょう。ディアスが手伝ってあげてちょうだい」
「俺でよろしければ」
奥方様の言葉に、お嬢は小首をかしげる。
「でも、領内ならそんなに危ないことはないんじゃない?」
「いいえ、お嬢。店をやるということは、酔っ払った客などに絡まれる可能性もあります」
「確かにそうね。そうなったら、男手はあった方が安心だわ」
俺の言葉に素直に頷くお嬢が可愛い。
「じゃあ決まりね。それなら私も安心だわ。ディアス、アニタをよろしくね」
「必ず、お守り致します」
「もう大げさよ、ディアスったら」
頬を緩め、くたくたと屈託なく笑うお嬢を、今すぐにでも抱きしめたい気持ちになる。
もちろん、そんなことは許されないのだが。
***
「ねぇ、ここは何色がいいと思う?」
「木の白っぽさを生かして、カッキ油でコーティングするのはどうでしょう」
「あ! それいいわ。ディアスって、木材に関する知識も豊富なのね。すごいわ」
「冒険者をしていましたからね」
「三ヶ月の?」
「そう、三ヶ月の」
お嬢が店を出すことを決めてから二ヶ月。
もともと空き家になっていた平屋を改装し、準備をすることになった。
メインストリートから一本入った場所にあるここは、近くに商家の倉庫があったり、職人の仕事場が集まっていたりと、集客にはもってこいだ。
こうした場所を選ぶのは、さすが領地のことを知り尽くしているお嬢。
なんでもモルニカ子爵家の、何代も前のご当主の隠居場所だったらしい。
「健全な店舗経営のために、一番ネックになる家賃という大きな出費がないのは、アドバンテージがデカいってものよ」
なんて言いながら最初にこの平屋の扉を開けたお嬢は、目の前でとぐろを巻いていたアオアカダイショウヘィビを見て俺の後ろに隠れていた。当然すぐに退治したけど、あの「助けて」と全身で言ってた瞬間がたまらなかった。
俺のお嬢は世界一可愛い。
「それで、食材はどうするんですか」
「ふふ。良い手を考えてあるのよ」
初期費用があまりない、と言うお嬢はにんまりと笑いながら、ノートを取り出す。
そこには、様々な魔獣の名前と、その肉の部位が書き込まれていた。
その中で数字が書き込まれているのは、普段見かけない名称の部位だ。
「お嬢、これ……まさか」
「そのまさかよ」
魔獣の中で、普段俺たちが食べるのはごく限られた、肉厚で、適度に脂が乗っている部位だけ。
それ以外は食べにくいし、あまり美味しくないので廃棄してしまう。
「魔獣肉処理場で余って捨てている部位を、安く買い取る算段はできているのよ」
「いやでも、その部位って不味いから廃棄しているのであって」
「大丈夫! 試してみましょう」
そう言うと、お嬢は俺の手を取り店の外へと飛び出す。
「チッキンチッキンのレバーを買いに行くわよ!」
俺を引っ張るようにして走るから、仕方がなくお嬢の少し後ろを維持して足を動かす。
「ディアスと私で、魔獣肉処理場まで競争しましょ」
「競争?! そんなことして、お嬢が俺に勝てるわけないでしょう」
「わからないじゃない!」
楽しそうな表情で走る彼女が、不意に足をもたつかせた。
「っ、危ねぇ……!」
慌ててお嬢の腰を引き寄せ、転ぶのを未然に防ぐ。
「ありがと、ディアス。久しぶりに走ると、ダメねぇ」
「いや、そもそも令嬢が走るのはどうかと思いますけど」
「だってディアスとなら、そういうの気にしないでいいでしょ」
無邪気にそう言うお嬢に、俺の心臓は鷲掴みにされた気がする。
「そ……っすね。だったら俺のいないところでは、絶対に走らないでくださいよ」
「子どもじゃないから、転んだりしないわよ」
「たった今転ぼうとしたのに?」
「まぁ、そういうことも、あったりなかったり?」
「可愛く言ってもダメです」
いや、可愛いのはいいんだけど。
お嬢が少しだけ口を膨らませて拗ねるのが、俺の前でだけの仕草だと知っている。
彼女が素を出せるのが、俺の前だけならいいのに。
体勢を立て直して魔獣肉処理場に向かう彼女の後ろ姿を見ながら、そんなことを思った。
***
ぐつぐつと煮込む音が、静かな部屋に響く。
甘辛い香りとジンジンジャーのツンとした香りが混ざり、部屋中を埋め尽くしている。
「うん、良い感じね」
魔獣肉処理場でチッキンチッキンのレバーを買ってきたお嬢は、それはもう、ものすごい手際の良さで一口大に切っていった。それを安ワインに漬け込んだあと、なんと一瞬だけお湯をかけたのだ。
そんな下処理方法見たことがない。
お嬢は勉強家だが、まさかそんなことまで学んでいるとは。
それから調味料とジンジンジャーを一緒に煮込み、今どうやら完成したらしい。
「さ、食べてみて」
小さな皿に盛られた、チッキンチッキンのレバーは、調味料の加減なのか、てらりと光っている。
それが妙に食欲をそそった。
「では失礼して」
フォークを刺して口に運ぶ。
正直、完成前は食べたくはないが、お嬢の手作りならまぁ吝かではない、という気持ちだった。
それがどうだ。
「……う、っま」
口の中でホロリと砕けるレバーは、甘みと塩辛さの絶妙のバランスがたまらない。ジンジンジャーのピリっとしつつ、ツンとした辛さも効いている。
「これは、ゴルゴ酒が飲みたくなる」
「ホント? やったぁ。だとしたら大成功。本当はお米があると最高なんだけど」
「お米?」
「ううん、なんでもない」
お嬢はたまに、不思議な単語を口にする。
きっと難しい本に載っているものなんだろう。俺にはわからないが、力になれるならなりたい。
「お嬢。何か探し物があるときは、俺に言ってくださいね」
俺の言葉に、お嬢は三回瞬きをすると、肩を軽く上げて笑った。
「頼りにしてるわ、ディアス。ところでお代わりはいる? ちなみに、ゴルゴ酒も仕入れてあるわよ」
「さすがに、護衛中に酒は」
「いいじゃない。私も飲むから、ほらほら」
お嬢が二人分のカップにゴルゴ酒を入れ、俺に渡してくる。
主家の令嬢とこんなことをしても良いのかとためらったが、お嬢のペースでこうなってしまった。
しかも向かい合わせではない。隣同士に並んで座っているのだ。
そして……。
「ねぇディアスぅ。婚活、上手くいくかなぁ」
お嬢は見事に、酔っ払ってしまった。
「あー。どうでしょうね。お嬢は本音では、どんな男がいいんですか」
彼女はいつも、領地のことばかりを考えている。
婿になる男についても、領地を大切に考えられる人がいいと豪語していた。
でも、もしも。
もしも彼女の心の奥底を知ることができれば。
酔っているときに聞くなんて、ずるいのかもしれないけれど、俺は思わず尋ねてしまう。
「どんな……? そうねぇ。モルニカ領のことを考えてくれてぇ」
ぽわ、とした表情を浮かべるお嬢は、すっかり酔っ払っている。
少しだけ赤い顔が可愛らしい。
「……っ、お嬢」
「んふふ。ディアスの肩、がっしりしてるねぇ」
彼女の頭が、俺の肩に預けられる。
油断しすぎというか――男として意識してもらえてないというか。
とはいえ、役得ではある。
「がっしりしてる男はどうですか?」
「いいと思う。安心できるもんね。いざというときに、領地を護ってくれそ……」
結局領地のためだ。
お嬢は心底、領地のために生きようと思っているんだな。
「ん? お嬢? お嬢?」
声をかけても反応がない。
彼女の口元からは、小さな呼気が聞こえた。
「寝ちまったか」
彼女の体をそっと持ち上げ、俺の膝に頭が来るように横たえる。
柔らかな髪の毛が、手に触れた。
「本当は――髪を撫でてみたいんだけどな」
今はまだ、そんな立場ではない。
俺は手元のゴルゴ酒を、一気に飲み干した。




