36 アニタ・モルニカ子爵令嬢と小料理屋アニタ
私は今、アザキニア商店の応接室に座っている。
オドライさんが番頭をしている、店だ。
「お久しぶりです」
応接室に入ってきたオドライさんと、ジャンジャックに挨拶をする。
二人も神妙な顔つきで、それに返してくれた。
「今日は、アニタ・モルニカとしてのご報告と、小料理屋アニタの店主としてのご相談の、両方で伺いました」
「……なるほど? ではまず、モルニカ子爵令嬢の、アニタ様にお話を伺いたいです」
オドライさんはきっと、最初から私の素性を知っていたのだろう。
アザキニア商店は、モルニカ子爵領一のお店だ。私も家族も、何度も使ったことがある。
──つまりまぁ、我が家の経済状況も知っているだろう、ということなんだけど。
なんて。
我が家の経済状況は、この領地の領民なら皆、知ってるか。
「ジャンジャックさん。あなたの手紙は、陛下がお預かりになりました」
「そう……そうですか。ありがとうございます」
ジャンジャックも、あのとき私の素性を知った。
きっと同じ学園にいたなんて、当時は知りもしなかっただろうけど。
「ランディオさんについては、おそらく二人ももう会っていると思うけど、特段のお咎めはなし。強いていえば、我が領地に一年は滞在していないとならないくらいでしょう」
私の言葉にジャンジャックは静かに頷き、少しだけ、安堵の表情を浮かべた。
「聖女──については、オドライさんは詳細をご存じないですね。あの日、ランディオさんが連れていた女性です」
「聖女……だったんですね」
「ええ。彼女は前科があり、王命での囚役先から逃げてきたのですが、その途中で出会ったランディオさんを欺して、ここにたどり着きました」
「お、王命から?!」
うん、そうよね。
普通はそう考えるよね。
やっぱりあのセイジョサマは、おかしいわ。
「そう。なので私は彼女と、そして彼女を連れてきたランディオさんを、王城に届ける必要があった」
オドライさんが頷いたのを確認し、私は言葉を続ける。
「陛下には私、そしてランディオさんの友人を代表して、ジャンジャックさんに、手紙を書いて貰いました。ジャンジャックさんは、以前聖女との面識があったこともあって、ランディオさんは悪くないと言うことを、どうにか伝えたかったんだと思います」
ジャンジャックの素性については、私の口から話すべきではない。
それは彼が彼の判断で、周りの人に告げることだものね。
私の説明に、オドライさんも特に疑問は感じていないようなので、安心する。
「というわけで、ここまでがあの日あったことの報告です。さて、ここからは小料理屋アニタの店主としてなんですが」
「あ、待って。新しいお茶を用意させます」
オドライさんは、私の手元のお茶が冷めていることに気付いたようで、スタッフに声をかけてくれた。
ここの商店のお茶、美味しいので嬉しいわぁ。
お茶と、なんと追加でお茶菓子を出していただく。
あ、ありがたい。嬉しい。
「さ、アニタちゃん。話をどうぞ」
砕けた雰囲気を纏い、そう口にするオドライさんは、間違いなく領イチの店の番頭だと思う。
相手によって、こうも雰囲気を変えるだなんて……!
「はい。そんなわけで、私は王都に行ってきたのですが、そこで、ずっとお会いしたかった方と出会えました」
「えっ、もしかして結婚!?」
「あ、オドライさん。それはそれで別の話として、決まったのですが」
「決まった?! アニタ嬢の結婚が?!」
「ジャンうるさい。静かにしろ」
まるでコントのような、やり取りだ。思わず笑ってしまう。
「ええ。つい昨日、領主である父の了承も得ました。が、まぁそれはおいといて」
「おいとくの?! 気になるんだけど」
「だからジャンは、黙っていろ」
前のめりになっていたジャンジャックの体を、オドライさんがぐいーっと押さえ込む。
うんうん。それで頼む。
「お会いしたかった方というのは、植物博士なのですが」
「もしかして、モジュネール博士!?」
「えっ。もしかしてオドライさんも、興味が?」
「モジュネール博士の植物学の本を読んだことがあって、それが素晴らしくて」
「じゃじゃんーん! なんと! そのモジュネール博士が、我が領に一年の間、ご滞在されまっす」
「!!」
オドライさんの口は、あんぐりと空いている。わかる。わかるわよ、その気持ち……。
「それでね。私が、この領地に増やしたいと思っている植物を、一緒に育てることになったの。相談というのは、それにも関わるんだけど……」
「うん。アニタちゃんのお願いなら、だいたいのことはかなえちゃう」
「またそんなこと言って」
私の素性がわかっても、そしてきちんとそれを表明しても、同じように、変わらず軽口をたたいてくれるオドライさんが、ありがたい。
「これからしばらくの間、私はその植物の研究で、忙しくなると思うの。そして、私の本分としてはそれが正しい。でも、せっかく育てたあの店を、そのまま閉めてしまうのも、もったいないなぁと思って」
「なるほど」
お。皆まで言わずとも、わかってくれるということ? さっすが。
「あの店は、わがアザキニア商店が代理運営いたしましょう」
「え、代理……?」
買い取って貰おうと、思ってたんだけど。
「そう。あくまでもオーナーは、アニタちゃん。わが商店は、アニタちゃんに店の賃借料と売り上げの……そうですね。十パーセントをお渡しします」
それはなんとも美味しい……! でも相手は領民だ。あまり無茶なことはしたくない。
「あの、それはとても嬉しいのだけど、申し訳ないような」
「いえいえ! これはお互いのためにも、良いかと」
「ではこうしましょう! 売り上げが増えたら、そのマージンを減らしていく。一定のパーセントのレンジを作るの」
「それは良いですね!」
フランチャイズのロイヤリティが、こういう形よね、確か。
私の提案に、手元のノートにオドライさんが、さらさらと何かを書いていく。
「ではこの料率で、いかがでしょう」
「……ええ、構わないわ」
これで、一定の賃借料とロイヤリティが、安定して入ってくることになった。
私が働かないでも、こうしてお金が入ってくるのは、ありがたい。
その分私は、領民にしっかりお金が回るように、していかないとね。
「うん。そうしたらあの店は、ジャンが仕切ってくれ」
「へ?! 俺?!」
「ああ。お前の顔で、女性客をがっちりつかむんだ」
「あらそれは良いわね。レシピはお渡しするわ。ジャンジャックさん、料理ができるかはわからないけど、頑張って!」
「俺、料理なんて、ほとんどできないぞ?!」
「これから猛特訓だ」
「料理ができる男性は、モテるわよ」
「アニタ嬢にモテないんじゃ、意味ない」
「ふふっ。大丈夫。それでも私はあなたのことを、友人だと思っているから」
「……アニタ嬢」
横でオドライさんが「なかなか酷だな」なんて言ってるけど、仕方ないじゃない。絶対に配偶者には無理なんだし。
いろんな意味で。
「ま、頑張ってみるよ」
少しだけ情けない顔をしながらも、ジャンジャックはそう言って笑った。




