33 モジュネール博士とモルニカ子爵領
私を抱きしめながら、ディアスは耳元で笑う。
「あとは――旦那様と奥方様にご了承をいただくだけ、ですね」
そうだった!
このあと、二人の了承を取るという仕事が、まだ残ってた。
「でも今は――少しだけこのまま」
ディアスの言葉に、私もそのまま彼の腕の中に、体を預けていた。
***
私は今、とてもとても緊張している。
というのも、目の前に憧れの方がいるからだ。
え? ディアス?
違う違う。
いや、その言い方は失礼か。
ディアスはそりゃぁ、つい昨夜、私のその──いわゆるコンヤクシャになったワケなんだけどさ。
それとはまた違う、長い間お会いしたかった方が、目の前に座っているのだ。
お名前は、モジュネール博士。
植物学がご専門の博士のことは、学園に入る前から知っていた。
というか、前世の時から知っていたというか。
乙女ゲームのお助けキャラという、設定なのよね。
でも、私が会いたかったのは、そういう意味ではない。
我が子爵領を豊かにするためにも必要な、他の領にはない植物の情報を、どうにか手に入れたかったのだ。
フィールドワークのため、あちらこちらの国を移動している博士には、なかなかお会いすることができない。
それがついに今日!
お会いすることができたのだ!
モジュネール博士は、想像以上にお若くて──とは言っても、私の親くらいの年齢は少なくともいってると思うけど、まったくそうは見えない──美しい女性の方だった。
そんなわけで、私は先ほどから必死に我が領の気候、そして私が探している植物――稲のイメージを伝えている。
また、それとは別に、我が領に良さそうな植物の情報についても、助力を請うているわけなのだ。
「……なるほど。お話を伺うに、アニタ嬢が探しているのはスイラの苗でしょう」
「スイラ……なんと美しい響き」
スイラ……スイ……ラ。ラ、ライス! ライスじゃない!
これは絶対、稲のことだわ!
「はい。スイラは種をまき、出てきた苗を、水を多く張った畑に植え付けます。秋になると、大きく実った穂から、麦のように収穫ができる穀物です」
いやそれまさに稲よね。それは完全に稲だわ。
「そ、そのスイラは、どこで手に入れることができるでしょう」
「主に東の方の国で栽培されていますが、私が今、その種を多く持っているのでおわけしましょう」
「よろしいのですか?!」
「ええ。スイラについてこんなにも興味を持ってくださる方に、初めて出会いました。あなた様になら、安心してお預けできそうです」
その言葉に、私の脳内は一気に、領地のある農地に思考が飛んだ。
戻ったらすぐに、田んぼを作らないといけないわね。
「ただし一つだけ、条件があります」
「は、はい!」
そりゃそうよね。大切な種籾ですもん。
気軽にどうぞどうぞなんてワケにもいかないよね。
お金かな。
先行投資として多少ならどうにか、領地のお金を予算としてつけることはできるだろうけど──うぅん、どうだろうか。
「私もモルニカ子爵領に伺い、一年とちょっとの間滞在をさせてください。そして、このスイラの成長を、観察させていただきたいのです」
モジュネール博士の出した条件は、むしろお願いしたい類いのことだった。
植物博士が滞在してくださるなら、鬼に金棒というやつだと思う。
正直私は、稲作の知識なんて、テレビのバラエティ番組の知識くらいしかないし……。
一般のOLなんてそんなもんよね? 農業に携わったことがない、植物栽培だって小学校の授業と夏休みの宿題でしかない、そんな感じだもの。
あ、もちろん今の生を受けてからは、領内の農業についてとかは学んだけどさ。それでも、この世界で一般的ではない稲作については、ドがつくほどの素人だ。
「モジュネール博士! ぜひ、ぜひお願いいたします」
私が思わず立ち上がり、博士の両手をぶんぶんと握ると、彼女は楽しそうに笑いながら「ではよろしくお願いいたします」と返してくれた。
よし! これで稲作がうまくいけば、他の領地にはない名産品となる。
それに稲を元にした商品開発や、食べ方ならば、元日本人の私はプロと言える。──この世界の他の人と比べて、だけど。
まずは土作り。
そこからだ。
そんな話をすれば、博士も嬉しそうに手帳を出してくる。
そして私たちは、土作りの計画を始めたのだった。




