23 お嬢様と俺
あの夜、オヤジは俺を呼び出した。
いや、正式には、奥方様のいる執務室に、呼ばれたのだ。
ちなみに、領主様は他領に出掛けておられる。
「ディアス。お前、お嬢さまへは、今後どう接するつもりなんだ」
「へ? どう、って……」
あのときの俺は、そうとう間抜けな顔をしていただろう。
「お嬢さまのことを、好いているんだろう。今、お嬢さまは平民でも、受け入れてくださる」
オヤジの言葉に、俺は動きが止まる。
「あらあら。もしかしてディアスは、私たちには知られていないと、思っていたのかしら」
続けざまに届いた言葉は、奥方様のものだった。
つまり、バレていないと思っていた俺のお嬢様への想いは、実はばっちり、オヤジどころか子爵家の皆さまにバレていたらしい。
気付いていないのはお嬢様だけってのが、良いのか悪いのか、だけど。
「も、申し訳ありません。ですが、けして手を出したりとかは、しておらず」
「当たり前だ、阿呆が」
「クリアノったら、そんな言い方するもんじゃないわよ」
「しかし、奥方様」
「ディアスは、これまでしっかりと、立場を踏まえて接してくれたわ。ただ、ねぇ」
少しだけ首を傾げた奥方様の表情は、お嬢さまと似ている。
「あの子、ニブいでしょう? ちょっとどころか、しっかりと頑張らないと、難しいんじゃないかしら」
「失礼ですが、奥方様。その、これはお嬢さまを想うことを、許されていると考えて宜しいのでしょうか」
「ふふふ。許すとか許さないとかは、今更でしょう。私たち、皆知ってるというのに」
「その……。い、いつから……」
「んー。あの子が小さいときから?」
それは相当昔から、というか、ほぼほぼ俺が、お嬢さまを意識し始めた最初から、という話ではなかろうか。
そんな俺の考えが表情に出ていたのか、奥方様が笑った。
「むしろ、我が家はあなたを応援しているわ」
「応援?!」
「そ。あの子が、貴族相手じゃなくて良いと言い出してから、私たちもそれに気付いてねぇ。そうなると、一番良い相手は、あなたなのよ」
最後は奥方様の目だけが笑っていない状態で、そう言われた。
嬉しい話ではあるが、ヘラヘラ笑うような内容ではない。
「ディアス。あなたなら、アニタとともに歩くことができると思うわ。アニタがあなたを認めたなら、私たちに否やはない。というよりも、むしろ大歓迎よ!」
え、これつまり、奥方様が、歓迎してくれているとか。マジか……。
奥方様の目はやっぱり、笑ってないけど。
「ただ、第一はあの子の気持ちよ? あの子の気持ちを踏みにじることだけは、だめ」
「それは当然です! この気持ちは、もとより墓場まで持って行くつもりで、これまでは生きてきました」
お嬢さまが平民を結婚相手として、視野に入れるという話になったので、少々話はかわってきたけど。
今までどれだけお嬢様に対して、衝動的な気持ちを抑え込んできたか。
この気持ちとともに、思春期を乗り越えた俺は、正直偉いと思う。
「よろしい。で、あれば、チャンスはあげましょうね」
「チャンス?」
「ええ。アニタがあの女と、冒険者の彼を王都まで連れて行くでしょう?」
「はい」
例の聖女と、ランディオとかいう男のことだ。
「護衛が必要、だと思わない?」
「――っ! 奥方様! どうか、お……私を、お嬢さまの、アニタ様の護衛として、王都までお供させていただけないでしょうか」
俺の言葉に、奥方様はようやく、目の奥に笑みを浮かべた。
「ええ。良いでしょう」
「ありがとうございます」
「王城への往復と、王都での時間を、アニタとともに過ごし、あの子を守ってあげてちょうだい。それから――そうね。アニタを口説きおとして、いらっしゃい」
女神か……!
***
あの自称セイジョとかいう女が、俺へ媚びた目をしてきたときは、その目を潰してやりたくなった。
が、彼女が俺のことを『良い男』と言い出して、色目を使ってきたときのお嬢様の対応は、可愛かった。
──聖女さん? あなたが愛しているのはこっちの二人の男性のどちらかでしょう? うちのディアスに媚を売らないでいただける?
うちの!
うちのディアス!!!
これを聞いたとき、俺は口元が緩むのを、必死で堪えていた。乗り切った俺は偉い。
お嬢様がどういうお気持ちで言ったかはわからないが、もしかしてちょっとは、意識してくれてるのかもしれない? なんて淡い期待が生まれてきた。
そして今。
お嬢様が隣に。馬車の隣に座っている。しかも。寝ているのだ。
いや、最初は向かい合わせで、座っていたんだ。
でもお嬢様が、うとうとと眠りかけていたからその──頭をぶつけたらいけないと思って、隣に座って頭を支えることにした。
これは! これは一応護衛としての職務であり、断じて! 断じて下心など──いや、下心しかないんだけどな。
「行き先は、王城でしょう? やっぱりお一人でなんか、行かせられません」
お嬢様にそう言ったときには、できるだけドキドキしてもらいたくて笑顔を作ったけど、どうやらそれが良かったらしい。
赤い顔をして、「ううん。なんでもないの。そうよね、エスコート、エスコートが必要だものね」なんて呟いていた。
心の中でガッツポーズをしたのは、言うまでもない。
王城では、俺の立場では途中までしか行けない。
騎士とは言え、あくまでも立場は平民だからな。
王城では、お嬢様のご親友のソマイア嬢の婚約者、ネルツァ・エル・ロクツォーネ侯爵子息が、陛下へのとりなしをしてくれるという。他の男にお嬢様を預けるのは釈然としないが、侯爵子息という立場には、かなわない。
まぁソマイア嬢と子息は、仲睦まじいと聞いているから、大丈夫だろう。
「ん……ディア……ス」
んんっ?! 今! 今、お嬢様は寝言で、俺の名前を呼ばなかったか?
呼んだ。
確かに呼んだ。
お嬢様は俺の夢を見ているのか?
いや、落ち着け。これはたいしたことがないパターンというのも考えられる。小さい頃から、一緒に過ごしているからな。
過去の思い出が夢に出てきている場合も、あり得るんだ。
でも──。
お嬢様が、夢でも俺を見てくれている。そう思うだけで、嬉しい。
正直、すごく嬉しい。
はぁ……。
なんて単純なんだ、俺は。




