19 聖女襲来 1
ランディオさんが子爵領を発って、早十日が過ぎた。
我が店には相も変わらず、ジャンジャックとオドライさんが飲みにきている。
すっかり小料理屋と言うに相応しい、『女将』と『常連客』という図が、できあがった気がする。
――いや、その図は私が求めていたものとは、違う気がするけど。
「アニタ嬢、君はなんて素晴らしい女性なんだ」
「あの、ジャンジャックさんは最近、私への褒め言葉が、変わってきたような」
「うーん。こいつの言うことは、軽く流しておいて」
「オドライ。なんてことを言うんだ。俺は真剣にだな」
「はいはい、お酒のおかわりはいかが?」
「あ、もらおう」
「アニタ嬢、俺にも」
結局、ジャンジャックのよくわからない口説き文句は、ちょっと言葉のチョイスが変わっただけで、ノリは大して変わっていない。
彼も、せっかく少しずつ稼げるようになったのだから、他の女性にも、目を向ければ良いのに。
私は相変わらず、なかなか良い出会いもないままに、お金を稼いでいる。
まぁ、お金が稼げているから、とりあえず良しとしよう。
良いのかわからないけどね……。
「アニタさん、ただいま戻りました」
二人のやりとりをのんびりと見ながら洗い物をしていると、扉から声が聞こえた。
「ランディオさん! お帰りなさ……い……?!」
久しぶりに聞くその声の主の方を見れば、変わらぬ姿のランディオさんの横に、見たことのある女性が。
「あの……ランディオさん。そちらの方は」
「ふふっ。初めまして。私マーシュと申します」
ふわりと笑う彼女は、私の婚活──学園ライフを台無しにしてくれた、あの聖女だった。
「あ……えぇと……」
思わず、動きが固まる。
「その、二人で入っても?」
「え、ええ。どうぞどうぞ。あちらの小上がりに入ってくださいな」
ちらりとジャンジャックを見れば、彼もまた表情が固まっていた。
それはそうだろう。
元々は彼が「愛している」と口にしていた女性だ。
とはいえ、せっかく変わることができているジャンジャックに、聖女を会わせたくないという気もする。
本音は――余計なトラブルになるのが、面倒なんだけど。
とりあえず奥の小上がりに押し込めて、食べ物とお酒を出しておこう。
「ありがとう。さぁマーシュ、行こう」
「ええ、ディオ」
ワァオ! まさかの愛称呼びじゃないの。
これは何? グルレンの森でフォーリンラブなの?
ん?
あれ?
なんか引っかかる……なぁ……。
「アニタさん、とりあえずゴルゴ酒を二つ」
「はーい。あの、あなたはお酒を飲んでも、問題ないですか?」
「ぜーんぜん平気! ずっと飲めなかったからぁ。久しぶりに飲みたいのぉ」
なんだ、その気持ち悪い語尾。
いや、聖女だったらお酒やばいのでは? と思ったんだけど……。
もしや聖女やめたのか?
「かしこまりました。ではゴルゴ酒二つと、お任せで良いですか?」
「それでお願いしよう」
深追いはせず、さっさと食事をして帰って貰おうかな。
さくっとお酒と今日の三点盛り──ちなみに今日は、チッキンチッキンの唐揚げタルタルソースかけと、タブタブ魔獣のポテトサラダ、コロッケ──を出しておく。
ジャンジャックの様子を見ると、表情はだいぶ落ち着いたものの、彼らの方をちらちらと見ている。
「ね……。彼女が、例の」
こっそりとジャンジャックに言えば、私が知っていることにさほど驚いた様子もなく、ゆっくりとうなずく。
「でも、なんで。監視されて、教会預かりになっているはずなのに」
それだ! 引っかかっていたのはそれだ。
そもそも彼女が教会預かりで、外部との接触を禁じられているのは王命の筈。
王命で教会預かりなんだから、聖女をやめるとか、教会から出て行く、は勝手にできることじゃない。
ランディオさんは、それを知っている……ってことはないだろうなあ。
聖女が、自分で言うわけないだろうし。
となると、どうして、どうやってここに連れてきたのか。
「なんでも、グルレンの森に魔獣退治にきた騎士が、万一怪我をしたときに癒やす仕事で、セイジョサマが出動することになったらしいですよ」
「それって……今ここにいるってことは。まさか……逃げたのか……?」
ジャンジャックの顔が青くなる。
わかる。
国王の命に背く。
それががどういうことか。
そんなことは、王族である彼が、わからないはずがない。
「ランディオさんは」
「知らないだろう。どうしよう」
小上がりにいる二人を見る。
これは、さっさと帰らせようと思っていたけど、方向転換が必要だ。
私は、ジャンジャックに小声で話す。
「とりあえず、二人を長くここにいさせます。他のお客様がお帰りになったら、話をしましょう。あと、人を呼んでおきます」
そこまで口にしたあと、ジャンジャックを見る。
「――ジャンジャックさんは、どうしますか?」
かつて、愛をささやいた相手だ。
会いたいと思うのか、見たくもないと思うのかは、私にはわからない。
「……残るよ」
私たちの会話の様子を見ていたオドライさんは、そっと席をたつ。
「俺は、今日は帰るわ。あとでいろいろ教えてくれ」
その配慮に、全ジャンジャックと私が、惚れそうになった。




