墜ちる㕶星、拾う百萬星。 〜5
ここはタイ王国空軍、ドンムアン空軍基地。
バンコク都市部から約40km北方。
二機の川崎・C-3が日本へ向けて、ゴルフ場のグリーンに沿う様に伸びる滑走路から離陸しようとしている。ここまで運んで来た多数のコンテナは、既にエプロンから少し離れた大型ハンガーの屋根の下へ運び込まれた後だと言う。
機体を駐機スペースに留め置く。ヘルメットをコックピットに投げ入れて、駐機中の全機の三菱・F-3Eの機体制御を人工知性の一郎に一任する。隊長代理役である。
擬体保持者である為、下肢を締め上げる対G装備は身に付けていない(生身のパイロットの場合、高G環境下では四肢の血流を圧迫・開放によって制御しないと容易に意識を失ってしまう。脳へ血液が届かなくなってしまうからだ)。だから、タイ空軍の航空兵が引き出してくれたタラップを使って降りた後は、面倒な装備を身体から外すことなく歩き出せる。
大型ハンガーまで徒歩で移動すると、開放済みの自衛軍仕様のコンテナを次々と目にした。どうやら、川崎・C-3によるドンムアン空軍基地への配達は初めてではないらしい。既に何度か繰り返されている様だった。
良く見ると、いくつかの三菱・F-3のエンジン用治具などが既に組み上げられている。
エンジンの換装まで他国で行うつもりである事が分かる。
一体、このドンムアンで何を始めるつもりなのか?
誰かに事の顛末と言うか、事の次第を問い質そうかと日本国・航空自衛軍の士官を探すが、周辺にはタイ王国空軍の士官しか見当たらない。さすが、開封作業や組み立て作業でてんやわんやの非・幹部達が答えられる問題ではない。だろう。そうだろう。そんな気がしてならない。
やがて、日本語を話している一団を発見する。見知った三菱重工のスタッフ達に混じって、昵懇である富士見重工のスタッフがブリーフィングではなく話し合いをしているらしい。
「こんなところで何してるんです?」
朝間ナヲミ技術三佐が、気兼ねなく背後から声を掛ける。
「お、来たか!! 我らが推し姫」
朝間ナヲミ技術三佐は、右手を内輪のように顔の前で仰いで必死に勘弁してくれと頼む。
「もー姫は止めて下さい。子持ちどころか、二児が家から巣立った後のオバサンですよ」
「いやいや。まだまだ可愛い。可愛いんだよ!! オレ達だって、ナヲミちゃんがこっちで飛ぶって聞いたからわざわざ志願して出張って来たって訳さ」
朝間ナヲミ技術三佐は、本題を切り出した。日本国・航空自衛軍の士官を問い質す前に、出来るだけ生の情報を仕入れて起きたかったからだ。
「私の小隊の飛行は多分、ドンムアンで終わりです。給油機が来てたから・・・ここから先はKCを先頭に立てて、人工知性搭載機は5機全てを自律飛行させて岐阜まで帰還させるつもりなんじゃないかと?」
「え? そうなの?」
「で、こんな所まで何しに来たんです? 皆でカウボーイでも威力偵察するつもりですか? 不潔ですね」
朝間ナヲミは、タイの歓楽街目当てでやって来るジーサン達と言う設定で、見知った中の目上の技術者達に向けて遠慮なく軽口を叩いた。だが、ジーサン達は、叩かれた軽口の内容の方ではなく、まるで自分達の活躍がまったく期待されていないかの様な口ぶりの方に驚いた。
周辺では一番の高台であるドンムアンでは珍しく、日本語を使うジーサン達は全員が互いの顔を見合わせる。朝間ナヲミの質問があまりにも意外であったと言うことらしい。
いや、彼等と「姫」の間で相当に大きな認識の違いがあるのかも知れない?
彼等としては、自分達が若い頃からずっと忠実に推し続けて来た「姫」の外地に於ける孤立無援の窮地を救うつもりで、老体に鞭打って南国タイまで馳せ断じたつもりだった。朝間ナヲミも、彼等の助力を喜んでくれると考えていた。だが、事はそれほど単純なものではなかったと悟らされたのだ。
ーーー日本で聞かされた話と違う。
彼等はほとんどが、富士見重工の"ドルフィンスキン"開発チーム出身であったり、三菱重工のF-2関係チームの経験者だった。
遙か以前、朝間ナヲミがまだ女子高生だった頃の話。荷電抵抗操作材塗布技術である"ドルフィンスキン"を三菱・XF-2Bに初めへと塗布した時に、富士見重工の工場内で撮影した集合写真に写っているメンバーの、最後の現役組でもある。
ーーー秘密結社「フシミ00ファンクラブ」。
2030年代後半、日本国がまだ眠りから覚める前の、微睡みの中にいた頃、
そんな訳の分からない、本人非公認の紳士倶楽部が自然発生的に誕生した。
今となっては、彼等にとって、いや、朝間ナヲミ本人にとっても、古き良き時代の思い出となっている。
その直後に日本国を取り巻く、いや、世界の勢力図の有り様は急変。日本国は微睡んでいたベッドを思いっきり引っ繰り返され、冷たい床に放り出されて、仕方がなく眠い目を擦りながら、一世紀近く封印して来た「大日本帝国モード」の再起動を急ぐ羽目に陥ってしまった。
あれから既に30年近くの時が経過している。メンバーの中の少なくない数が既に鬼籍入りし、ほとんどが現場を引退済みで、極少数だけが、当時はパシリ扱いされていた元・若手達の何人かが僅かに現役末期として残されているだけだ。
ーーーThe Remains of the Day(※1).
日の名残り。自らの、終わってしまった全盛時代の記憶を辿るという楽しみ。それだけが唯一の使命となりつつある、老いた技術者や研究者の最近。
カズオ・イシグロが生み出した架空の人物である"執事スティーブンス"ならば、彼等の抱えている日常の微かな闇を余す所なく理解出来る筈だ。
今では全員がそれぞれの分野での大家として大成した後であり、F-3派生型の開発プロジェクトにおいて中核を担った者達でもある。しかし、今では、全ての機会を後身へと譲り、血湧き肉躍る開発や研究の最前線から身を退いたばかりだ。
閑は良くない。有閑マダムと違って、責任のある人生と強烈なプレッシャーに立ち向かって戦い続けた、本物の人生を送って来たジーサン達にとって、閑と言うものはナウシカの世界観で言うところの"瘴気"ほどに致死性の毒だ。
そんな彼等を、昵懇の仲である朝間ナヲミの窮地を救って欲しいと言う悪魔の囁きが襲った。誰もがそれに飛びついた。誰もが抗う術を持ち合わせてはいなかった。
ーーーもう一度輝けるかも知れない。
これが最後の機会に違いない!!
悪魔に例えられるべき誰かは、そんな、ファウスト的な人間の弱さを熟知し、彼等の人間的なセキュリティー・ホールを的確に突いたに違いない。
"秘密結社"の、現在のまとめ役的な立ち位置にあった、「電抵抗操作材塗布技術が見せるオカルト的挙動」に関する解明研究の第一人者とされる博士が、雲行きが怪しくなって来た事を察した。そこで、最低限の言葉で最新状況を端的に語って見せた。
「何だ。ナヲミちゃんは聞かされていないのか? 5機のF-3の所属が一時的に飛行開発実験団から戦術偵察機運用部隊へ移されたんだよ?」
「ーーーえ?」
ここに集ったジーサン達。阿呆は一人も混じっていない。とても直感力に優れた、"一言えば十を理解する"人材ばかりである。まとめ役が代表して一度だけアクティブ・ソナー音を放った。全員がその英雄的行動に感謝して、どんな反射音が彼等の「姫」から返って来るのかを固唾を呑んで注目していた。
「まさか第501飛行隊ですか? 政府直下の? (防衛大臣の手脚になると言う意味)」
素っ頓狂な言葉を返した朝間ナヲミ葉。ジーサン達は、これだけで全てを察した。
「そうそう。内閣が自由に動かせる数少ない戦力って言うアレだ」
ジーサン達は、当たり障りのない言葉で会話を繋ぐ。朝間ナヲミがショックを受けて、激しく揺さぶられている事が分かったからだ。
「私はここかあっちにF-3を届けて、契約満了と言う手筈だったんですが・・・」
ここまで来ると流石の朝間ナヲミも、一連の流れのあからさまな不審さがあると認めるしかなかった。それまでは、「気のせいならば良いな」で無理矢理に通していた。しかし、ここまで事態が極まってしまうと現実を直視するしかなくなってしまう。
「"お上"は、多分、ここでF-3を使うつもりだよ」
まとめ役のジーサンが、「言わなくても解ってるだろう?」と言う意味を込めて、現実への認識を強制的に補完した。
当惑する朝間ナヲミの姿を見て、秘密結社「フシミ00ファンクラブ」のメンバー達は、全員が"お上"がどんなイカサマ詐欺を繰り広げようとしているのかを悟り始めていた。
「ここでQFの実戦投入ですか!? 前代未聞です」
朝間ナヲミは、ジーサン達の全員を隅々まで観察する。人工知能と火器管制の担当者が含まれていない。つまり、彼等はF-3を実戦仕様へと仕上げを担当する為に送られて来た訳ではない。
「その通り。しかし、そうでないと我々みたいなロートルが、敢えてこんな最前線にかり出され来た説明が付かない」
そして、それは、当の秘密結社「フシミ00ファンクラブ」のメンバー達も承知の上で言葉を返していた。
ーーー我々全員が謀られた。
朝間ナヲミとジーサン達は、互いに話し合う事なく、"お上"が密かに書き上げたシナリオを理解した。
悪辣と言えば悪辣だが、それ以外に手段がなかったと言う事実も理解出来なくもない。為政者の辛い所か、それとも彼等は最初からそんな上等なモノを持ち合わせていないのかも知れない。
有無を言わさず、朝間ナヲミを自発的にラオス戦線へと投入する。
ジーサン達は、朝間ナヲミの意思をねじ曲げる演出をする上で不可欠な道具だった。
それが分かると、ジーサン達は朝間ナヲミに対して「申し訳ない」と言う思いでいっぱいになった。もし、自分達が防衛省の話に軽々しく乗りさえしなければ、朝間ナヲミは大急ぎで岐阜まで出向いて直接に抗議の声を上げただろう。
おそらく、朝間ナヲミの所属する馬毛島の田原航空警備保障もグルだ。しかし、朝間ナヲミ本人が日本国内で騒げば、おそらくは裏表の両方から支持したり助けてくれる者達が必ず現れる。状況を覆せる可能性は相当に高い筈だ。
しかし、朝間ナヲミ本人を東南アジアに留め置いてしまえば、誰もが表立って"お上"の判断にケチを付けづらい。
ここまで状況を強制的に整えてしまえば、朝間ナヲミに昵懇の中の技術者と最大限に愛情を掛けて育てた5機のF-3を見捨てられない。契約通りに、彼等の"姫"一人だけで日本へと帰国しないだろう。つまり、初めてのQFの実戦投入の儀式に、朝間ナヲミも現場責任者として志願せずにはいられないだろう、と。
不服を腹の奥に飲み込んで、眉間にキツい皺を寄せて、それでも"お上"が願った通りの働きをしてくれるだろう、と。
つまり、ここに集められた日本の主力戦闘機であるF-3Eを完成させた日本国・国空開発業界の重鎮達は、その所見や知識を求められて国際的な武力紛争地域の後方へと集められたのではない。
朝間ナヲミの行動の選択を狭めるための、足を絡め取るための置き石として役立つ事が求められていたのだろう。
ーーー"お上"は、本気だ。
朝間ナヲミとジーサン達は身震いせずにはいられなかった。自らが、突然に国際策謀の最前線でフラれる賽子として転がされる立場へと追い込まれていると自覚したからだ。
"お上"の抱える目標はおそらくはたった一つ。日本国の安泰の為に、戦場を自国領から遙か離れた海の向こうに押し留める事。その為には、持てるカードを何であっても躊躇なく切り続ける。
"アジアの地中海(※2)"における二つの勢力のシー・パワーを一時的に均衡させる。その均衡を出来るだけ長く保たせる。
そうなると、陸上の戦線である「ラオス戦線」の行方が陸上戦力の優劣だけで決まってしまう。ラオスに最もアクセスが容易なタイ領内の港へ海軍の巨大な艦隊が横付け出来ない様では、民主主義国家群が持つ強みを活かせない。守る側にとっては凄まじく不都合である。
また、人民共和国の物量戦に押し切られて、ラオス戦線が早期に終了してしまうと、"アジアの地中海"において作り上げた折角の均衡が無意味になってしまう。だから、ラオス戦線においても、戦況を均衡まで持ち込む必要がある(短期的には、必ずしも民主主義国家群側の勝利で終わらせる必要はない。単純に敗北しなければ良いのだ)。
アジアの地中海とラオス戦線で作り上げる均衡は、民主主義国家群の最終目的ではなく、次のステップへ進むためのトラップであり、人民共和国の視線を釘付けにする為のエサである。
つまり、民主主義国家群側が密かに作りだそうとしている新しい主戦場は、ラオス戦線でも"アジアの地中海"のいずれでもないと言う事になる。それが何処であるかはまだ分からない。
下手したら、宇宙の高軌道上とか公宙空間とかサイバー空間で逆侵攻を仕掛ける可能性すらあるのだから。その場合、目に見えない戦場で、核爆弾に匹敵する経済的壊滅がいずれかに与えられるかも知れない。
そうなると、人民共和国に喰わせる強烈な毒入りのエサであるラオス戦線を維持させる為の梃子入れは不可欠となる。かつてないくらいにより効果的に、人民共和国の琴線を足蹴りで弾いてやらなければならない。極限まで苛立たせて、他の戦線候補地への興味を失わせるくらいに面子に傷を付けてやる必要がある。
ここで問題となるのは時間。合衆国の海軍戦力の派遣にはおそらく半月を要する。タイ王国の陸上戦力(陸上主体の航空戦力も含む)だけで、半月間も人民共和国によるラオスへの侵攻を抑えられるとは考えられない。
多少の練度の差など、圧倒的な数の差の前には一発で吹き飛ばされてしまう。何度突撃に失敗しても翌日には、まったく新鮮な戦力を整えられる数のハラスメントの前に、少数精鋭主義はまったく用をなさない。仮に大和魂とかをタイ王国軍へと強制注入した所で、早々に復活の呪文も効かない程に磨り減らされてしまう。
ミッドウェイ海戦での旧軍の敗北は、大和魂の過剰発揮のし過ぎで前線部隊が消耗の限界を遙かに超えていた事も原因とされる。人間だけでなく、機械の方もだ。整備が追い付かず、偵察機を十分に飛ばせなくなってた事実に、エラい人達は気が付いていなかったのか。それとも見て見ぬ振りをしていたのか。これは、強兵を手にした余り、凡庸な指揮官が自分の能力を過信して"幸運"に甘え切ることが日常化した、ブラック企業的な文化がもたらしがちな社会崩壊の一様である。
過去の間違いを自虐的な程に再評価し続ける"お上"。無い袖は振れないが、振るべきでない袖でも有るなら振らなければならない。
ラオス戦線の維持の為に、日本国が切ったカードは、自国が持つ最高で最大のワイルド・カード。
常用可能な主戦力の一角として敢えて数えていなかった、朝間ナヲミの戦場への投入。
数えていなかったからこそ。浮いていた予備選力をもっとも激戦となる戦場へと投入しなければならなくなった。
しかも、その予備戦力は、投入したい戦場の至近に浮いている。運命的な采配。乗るしかない。このビック・ウェーブ。
日本国の長い歴史上でも大変に珍しい「神懸かりの戦巫女」であり、伏せられている事情や事件を知るたった一握りの人々には密かに認知されている秘められた国家的英雄。
繰り返し参加していた最前線からやっと身を退けた古兵の不愉快も承知で、国策に沿った選択を採る方向へと誘導する為に不道徳な状況を作って追い詰めようと決断した。
ーーー今回の人民共和国との諍いは、今までの様に、いくつかの小さな局地戦では収まらない。
日本国や合衆国は、歓迎出来ない状況のエスカレーションを止められないと評価していた。
ならば、避けられないエスカレーションのベクトルを自らの陣営にとって有利な方向へと誘導しなければならないと確信していた。
※1= 1993年にジェームズ・アイヴォリー監督がカズオ・イシグロのこの小説を原作として映画化している。同じ監督の作品である「モーリス」はアレだったが、それでも「イミテーション・ゲーム/エニグマと天才数学者の秘密」を理解する土台にはなった。The Remains of the Dayは、アニメ映画「クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶ モーレツ!オトナ帝国の逆襲」にも通じる何かがある良質映画。夕日ってのはいつも人を振り返らせるもの。そして、振り返れば、どんな思い出であっても多少の例外を除いて美しく、輝いて、しかも合理的に見えるものなのさ。きっと。
※2= ニコラス・スパイクマン(オランダ人)が定義した"アジアの地中海"とは、台湾、シンガポール、オーストラリア北端のヨーク岬半島に位置するトレス海峡を結ぶ三角形を指す。かつて、ローマ共和国/帝国やオスマン・トルコ帝国と言った大帝国が、地中海のを内海化と言う夢を実現した。そして、上記の三角形の内海化を目論む国家がアジアには存在している。




