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命を継ぐ者。 〜 Inherit the Life. 〜  作者: すにた
第八章 それぞれのフロンティア。
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69/143

墜ちる㕶星、拾う百萬星。 〜6

 ドンムアン空軍基地は、タイ王国首都であるバンコク都の北部郊外に位置する(※1)。


 バンコク、ドンムアン地区、パホン・ヨーティン通り沿いの一角には空軍関連の施設が集中している。


 パホン・ヨーティン通りを東西に往復・通過する赤バスの車窓から眺める印象は、ビジネス街でもなく、住宅地でもない。官庁街としてもとても地味な通りである。


 だが、タイ王国空軍の空軍司令部はここにある。やたらにハデで目立唯一の特徴であるゲート・キーパー(ドンガラ化した戦闘機)がそれを物語ってる。有事に於ける作戦立案・指揮はここから行われる。


 とは言え、タイ王国の首都を守る防空隊の本拠地ではない。どちらかと言うと、全国に散らばるタイ王国空軍全体の兵站や教育を支える「縁の下の力持ち」的な基本インフラの一つとして機能している。


 もしかしたら、タイ王国軍の幹部達は、首都へと接近しつつある脅威に対してチャオプラヤー川沿いにある王宮から約20Km程度しか離れていないドンムアン空軍基地から、迎撃隊を緊急発進させる様な事態に陥ったならば、「その時は既に王国の命運は尽きている」と言う哲学を持っているのかも知れない。


 実際、実戦部隊は南部は東北(イサーン)部に配備されている。おそらく、バンコクから北、東北(イサーン)部の入り口に当たるナコーン・ラーチャシーマーの戦闘航空団(第1航空団)や南部の入り口に当たるスラート・ターニーの戦闘航空団(第7航空団)が、王都を守る最後の盾として機能する手筈なのだろう。


 また、東北(イサーン)部のウボン・ラーチャターニーやウドーン・ターニーの戦力は、国外からの脅威に対応する為の最初の剣として機能する筈である。


 5機の三菱・F-3Eを収める為に借り受けた大型ハンガーの裏手に、タイ王国空軍・第6航空団の建屋がある。


 朝間ナヲミ技術三佐は、第6航空団にビルのいくつかの部屋を借り受けた日本国・航空自衛軍が作り上げた臨時司令部にいた。


 パイロット・スーツを擬体を包んだまま、日本国・航空自衛軍の戦術偵察機運用部隊から派遣された「責任者」とて来たと名乗る、見知らぬ幹部士官と顔を突き合わせていた。


 交渉の本題に入る前に交わしたいくつかの世間話と社交辞令を通じて、朝間ナヲミは「ネモト」と名乗った「責任者」に関するいくつかの個人情報を入手した。


 階級は彼女と同じ「三佐」。これは、軍服に付けられている階級章などから一目で分かった。


 外観的な特徴は丸眼鏡と五分刈りの頭髪。背の高さや肉付きは素晴らしく、陸上自衛軍の佐官としも通用しそうな感じ。しかし、首の周りの肉付きを見ると戦闘機のパイロット上がりではありえない。


 朝間ナヲミの階級は契約期間中だけ与えられる「技術三佐」であった。通常の「三佐」とは立場が異なる。例えば、指揮権がなかったり、指揮する要因が存在していなかったり。仮に指揮権があっても限定的であったり。


 この場合、当然、本物の「三佐」の方が「技術三佐」よりも指揮権(優先力)の序列は上位に来る。


 また、どちらが先任であるかは、正確な所は、防衛省が公開している"航空自衛軍幹部自衛官名簿"上で記(しる)された順位を確認すれば分かる。しかし、今はその余裕がない。また、仮にネット経由で検索を掛けたとしてもそれが真実であると言う保証はない。名簿そのものを既に電子的に改竄済みである、と言う可能性も無視出来ない。


 朝間ナヲミの退役時の階級は「一尉(※2)」だった。馬毛島の田原航空警備保障に置ける階級も「一尉」。が、これだけで立場が決まるかというとそうでもない。


 防衛大学校の卒業は、朝間ナヲミの方が二期ほど早かった。そうなると、ネモト三佐は、彼女の厳しい上下関係と濃密な人間関係を骨髄まで叩き込む大学校や寮生活の観点から眺めれば、"後輩"と言う事になる。また、朝間ナヲミの在校時代に入学して来た一人である事にもなる。


 また、朝間ナヲミに対する今後の処遇を理不尽なものへと変えれば、場合によっては朝間ナヲミの同期達全員を敵に回す事になる。そして、同期達の中には、「三佐」よりの遙かに上位の階級へと登り詰めた(勝ち残った)出世頭が幾人か存在している。


 また、防衛大学校での学習環境が、世界でも極めて珍しい、三軍全ての学生が同じ釜を食う飯である事から、"同期の友情"の概念は広く三軍全体にまで行き届いている(ただし、予算の奪い合いなどで争っている時は互いにそれを忘れる)。


 そうなると、本物の「三佐」が、先輩である(・・・・・)朝間ナヲミに対してあまりに不当な振る舞いをする様なら問題となる。朝間ナヲミの様に目立ち、多くの実績を残し、同期からの信頼を得ている人間であれば、同じ釜の飯を食った仲間を、裏から表からあの手この手で支持する者達の総数は莫大なものとなる筈だ。


 この辺りの自衛三軍内の影響力バランスによって、朝間ナヲミと三佐のパワーはほぼ拮抗していた。


 だが、目の前にある(・・)ネモト三佐は、間違いなく朝間ナヲミに対して断りづらい事実を積み重ねる事で、不当な譲歩を引き出すと言う厳命を背負っている。


 ーーー事実、知らぬ間に先手を打たれていた。


 ーーー朝間ナヲミがドンムアンに到着した段階で、攻城の最大の障害である筈の深い堀の全てを埋め終えていた。


 防衛側の難しさは、攻撃に曝された後まで積極的防御を始める事が難しい事にある。24時間不眠不休で周辺状況を監視する。それを一年中、いや数十年に渡り、単身でやり遂げる。常時防衛力を高めておくのは言うは易く行うは難し。チームでも困難なのだから、個人レベルでは絶対敵に不可能である。


 それを隙として突かれた。長期戦になった場合、個人では団体には絶対叶わない理由はここにある。


 なかなか有能な悪辣者であるらしい。


 しかし、若い頃には合衆国や人民共和国を直接に相手して見せた実績を持つ朝間ナヲミが相手である。悠長に事を構えていては、先手を取って事で獲得した主導権を気が付かない中に奪われてしまうかも知れない。


 だから、彼と彼等(・・・・)は、最短時間で、反撃を与える隙を与えずに目的を達成するつもりに違いない。


 その為には、絶対に譲れない目的以外の点では、躊躇せずに妥協するだろう。


 人の道に反する道を進むリスクを的確に把握しているならば、面子も何もかなぐり捨てて、相打ち覚悟の捨て身な戦略や戦術も取れる。


 お上(・・)が書き上げたシナリオは、"肉を切って骨を断つ"に類推出来るものだろう。切られる肉が朝間ナヲミであり、断つ骨の方は人民共和国だ。


 朝間ナヲミとしては、契約違反を根拠として捲し立てて、5機の息子のすべてを無理矢理にでも岐阜基地へと連れて帰りたい。それさえ叶えば、後は、そう言うのは好きではないが、自身の持つ影響力を惜しまず発揮して、お上(・・)のシナリオが向こうとなるまで現状維持に努めたい。


 嵐が過ぎ去るまで布団を被って、猫の様に丸くなって震えて待つと言う事態への対処手段は、実のところはとても有効だ。時間が経過すれば、それまで必須だった条件がどうでも良い些事に変わり果てると言うケースも多々ある(賢くない人は面子を気にして、そうでありながら初期の目標に齧り付いたりする・・・なんてと言う例もあるけれど)。


 しかし、朝間ナヲミが採るべき対処法(先人の教訓)については、お上(・・)も重々承知している。だから、その選択を採らせない為に、何が何でも5機の息子達の身柄をドンムアンで拘束するだろう。


 おそらく、朝間ナヲミ単身での緊急帰国+お上(・・)の方針変更の非道を訴えるなんて対抗手段に出られてしまえば、ネモト三佐と彼等(その背後)も、いろいろと都合の悪い事態へと引き釣り込まれてしまうだろう。


 だが、結局は、「後」に問題へと発展するかも知れないが、「今」だけを重視するネモト三佐と彼等(その背後)の筋書き通りの結末へと押し切られるだろう。そして、朝間ナヲミは全てを奪われる事になるだろう。


 ーーーネモト三佐と彼等(その背後)は、鬼の居ぬ(朝間ナヲミの)間を付いて(帰国中に独断で)、5機の息子達を勝手にラオス戦線へと移動させるだろう。


 ネモト三佐と彼等(その背後)としては、「今」の問題さえ解決出来れば、「後」はどうとでもなると踏んでるに違いない。


 お上(・・)と朝間ナヲミの目標は、まったく別のもので、彼女としては、どうすれば互いに共有可能な目標を見付けられるのか=交渉の糸口を見付けられるのか分からなかった。


 朝間ナヲミは、目前にある(・・)ネモト三佐ではなく、その背中が作り出す影に隠れてコチラの出方をコソコソと窺っている、日本国の国益を最優先するばかりに、邪悪な手段を躊躇なく採用した。


 おそらくは自衛軍の(正確には防衛省直属の)情報本部が飼っている"反社会性パーソナリティ(サイコパス)障害者"と言う、通常の人類とは異なる普遍性を感情面で発揮する人材に戦略の立案を命じた筈だ。


 そう、朝間ナヲミはネモト三佐を"脅威"の本体(・・)とは見做していなかった。おそらく、この人物はあくまでも、火中の栗を拾う義務を負わされた代理に過ぎないる。後ろで糸を引いているとか、台本を書いた、悪魔的なサイコパスが立案者がいない筈がない。


 おそらく、ネモト三佐は良心の呵責から極めて自由な、プレデター(捕食者)型のサイコパスに該当する価値観の持ち主ではないだろう。だからこそ、朝間ナヲミに対して差し出された、「ムカついたならば、ご自由に殴りつけて下さい」とばかりに送り付けられたサンドバッグなのだ。


 ーーー殴られて苦しまない人肉サンドバッグには、何の価値もない。


 悪魔的なサイコパスは、今この場で起こっている状況へ流れる事を読み切って、次や更にその次のシナリオを書き上げている筈だ。


 哀れなフシミ00(朝間ナヲミ)ファンクラブのジーサン達、日本国の航空戦力の要である主力戦闘機の開発に大きく貢献した恩人達の、現役人生の最後に特大の沁みで汚して見せた容赦の無さを見ても、優秀な策者が入念に仕込みを終えたシナリオを書き上げているに違いない。


 あの陽気で純粋で賢く、それでいて未だに多感で傷付きやすいジーサン達までもこの件に巻き込んだ事は許しがたい。


 とは言え、初戦では負けつつある。ポーカーで配られたカードがこちら側は全てクソで、相手側はストレート・フラッシュ完成手前と言うくらいに絶望的な状況だ。


 イカサマで成立したとしか言い様のない劣勢を挽回して勝利まで導く事は不可能だろう。だとすれば、負け方を考える=被害の軽減に徹した方が効率的だし、何よりも高い効果が見込める筈だ。


 しかし、何故、"反社会性パーソナリティ(サイコパス)障害者"の策士が、ここでお上(・・)の味方をしているのか? 反社会的組織に属さず、社会を維持する側の組織に雇われているのか?


 お上(・・)が、一般人であれば誰もが倦厭したがるプレデター(捕食者)型のサイコパスを飼っているのには理由は二つある。


 一つ目は、世間に放置したままでは日本国の社会が大いに乱れるから。出来るだけ制御下(隔離環境)に置きたい。


 二つ目は、国際政治の世界では、プレデター(捕食者)型のサイコパスの人格は実に有能な駒となるからだ。


 日本国以外の、異国の政府や軍でも必ず、多種多様なサイコパスを飼っている。そして、サイコパスが幸福を感じられる状況を作り出して、それぞれの血を流さない戦場(国際政治の舞台裏)で戦わせている。


 適材適所。サイコパスは世間で生きる有り触れた人々にとっては毒であっても、有り触れた人々が平和に生きる世間を守る為には秘薬ともなる(これこそ、多種多様な価値観が共存出来る進歩的社会の可能性の一つである)。


 とにかく、こうしておけば、不思議な事に八方が丸く収まるのだ。だったら、やらないと言う手はない。誰だって、風変わりな価値観の持ち主だって一般的な人達と同様に生き甲斐は欲しいし、高い社会評価は受けたいものなのだ。


 幸せの追求の仕方は、人間の数だけ違いがある。そして、我々もサイコパスも共に等しく同じくらい人類(地球人)である。少なくとも、バルカン星人の価値観で測れば、我々もサイコパスのいずれも微差しか持ち合わせない標準的銀河知的生命の一種に過ぎないだろう。人類もクリンゴン人も似たようなもんと言う事。なお、「バルカン・サリュート」はiOSデバイスでも表示可能だよ。


 ーーー長寿と繁栄を(Live long and prosper.)。


 ネモト三佐は、お上(・・)が押そうとする横車に対する朝間ナヲミの不愉快を一身に受け、その上でお上(・・)が押したい横車を罷り通させると言う役目を授かって送り出されている筈だ。


 そう言う意味で可哀相な役割ではある。だが、朝間ナヲミが人間をサンドバッグにはしたくないと言う反応を禁じ得ない事もまた、ネモト三佐を操るサイコパスの計算の中(想定内)であると考えるのが自然だ。


 しかし、だからと言って、ネモト三佐に対して一方的に同情して、守りべきものを全て捨てて言いなりになるなんて言う結果は真っ平である。


 だが、ネモト三佐の背後にいる人物は、同じく"反社会性パーソナリティ(サイコパス)障害者"である「ソシオパス」の方ではないだろう。その根拠は、用意されたシナリオが社会的通念を守る事をベースとして書き上げられていると感じるからだ(※3)。


 人間にも、患者にも、それぞれ唯一無二の個性があるせいで、精神障害の診断と統計マニュアルである「DSM-5」の診断基準そのままに解釈は出来ないが、"中二病臭さ"が感じられない点で、共感性障害症状の程度が低く見積もれる。


 ーーー或いは、マイクロ・マシンやナノ・マシンや第二小脳をなどの擬体技術を応用した、眼窩前頭皮質補完や前部帯状回(大脳辺縁系の)の抑制などの処置を受けている可能性もゼロではないだろうが(※4)。


 ネモト三佐の背後にいる人物への評価を終える。本当にそうなのかどうかは分からないが、仮想的であっても何の想定もなく大局に応じるよりは遙かにマシである筈だ。


 続いて、朝間ナヲミは、当たり障りのないやりとりを交わしながら、目の前にある(・・)駒の顔を遠慮なく観察し始める。品定めを繰り返す。


 ーーーやや、神経質そう。しかし、自己抑制力もありそう。それでいて、少し青臭い理想の為には自分の職務に悪い意味で捕らわれない気配がある。


 ーーー軍人と言うよりも軍官僚。こちら側(戦闘部隊)ではなくあちら側(後方部隊)。


 ーーーなるほど。


 ーーー過去に何らかの事故(・・)を起こした幹部か。


 朝間ナヲミは、目の前にある(・・)三佐を日本国にいる間は見知っていなかった。つまり、今初めて会ったばかりである(ただし、朝間ナヲミは幹部達の間では良く知られた士官であった為、相手には知られていただろう)。


 朝間ナヲミは、馬毛島の田原航空警備保障へと転職して(籍を移して)久しいとは言え、現場、特に実戦部隊とは今でも交流が続いている。そうでありながら、一度も顔を会わせた事がないと言う事は、この人物は少なくとも前面に展開させられる実戦部隊の人材ではない。そうなると、後方部隊の人材。


 日本国自衛軍において、「事故(・・)を起こした」とは、「懲罰(・・)対象になった経験がある」と言う表現の日本国三軍で通じる隠語である。


 つまり、過去に何らかに失敗をやらかしている。それが原因で運良く免職にはならなかったが、不幸にも出世コースからは完全に離れてしまった。最後まで職務を立派に勤め上げたとしても、良くて、間もなく到来する退官直前の極短期間だけ一階級昇進させてもらって、退職金の増額と言う温情に心から感謝すると言うコースが既に確定している。


 朝間ナヲミには、彼が何ついての懲罰の対象となったのかまでは思い付かなかった。だが、国外であるタイ王国まで赴いて怨まれ役を演じる事で、事故をもみ消してもらえるとか、二階級特進を実施に後で名誉ある形で退役させてもらえるとか、そう言う報酬が約束されている事くらいは想像が付いた。


 朝間ナヲミは、目の前にある(・・)ネモトへの報酬は、おそらく後者の方だろうと読んでいた。


 彼の不幸だか、行動選択の浅はかさをフフンと鼻で笑って、強烈なマウントを取るのは容易い。だが、そんな恥辱を与える事で気分が晴れたからと言って、何の得にもならない。気休めや、気晴らしくらいにしかならない。


 ちょっとした満足感を得た代償として、彼からの報復として、自身が大切に育てて来た5機の息子達を無残な形で取り上げられては元も子もなくなる。


 だいたい、無人機の運用に不慣れな指揮官(最有力候補は、たった今朝間ナヲミの目の前にある(・・)ネモトだ)に委ねて、何事も初めて実戦に投入されてしまっては本末転倒だ。


 慎重に振る舞わなければならない。


 自衛軍からの早期に退役する事が前提であれば、朝間ナヲミの同期達や実戦部隊のパイロット達を漏れなく敵に回してしまっても何の問題もない。もし、そうなら、いわゆる「無敵の人」の状態にあると言う事だ。


 もし、朝間ナヲミが交渉の途中で切れてしまえば、相手も切れ返して、日本を出国する前に保証された報酬を得る為に飲まされた条件の達成だけ注力する事だろう。


 そうなると、確認すべき交渉する前に確認しなければならない条件はたった一つだけ。


 お上(・・)がどれ程に大きな犠牲を払ってでもラオス戦線に投入したいのが、無人機5機だけであるのか。それとも、無人機部隊の隊長として朝間ナヲミ本人の志願表明を取り付ける事も含まれているのかどうかだ。


 正論を盾に、無人機5機を確保しようとしても、それが法的に正しかったとしても、お上(・・)は全てをねじ曲げて自ら書いたシナリオの続行を強要するだろう。


 ただし、シナリオの多少の変更や後付けであれば余地があるかも知れない。もちろん、それはネモト三佐が持ち合わせた自由裁量の範囲に限定されるだろう。


 ネモト三佐から全てを、余す所なく絞り出すには、自衛軍内での本当の立ち位置を知る必要がある。付け込む隙は、そうやって作り出すのだ。


 だが、今のところ、彼はそう言う秘密を完全に隠し切っていた。或いは、本当の立ち位置が朝間ナヲミの想定の遙か外にあるから検討が付かないだけかも知れない。


 実際、戦術偵察機運用部隊に所属すること以外の立ち位置を、ネモト三佐は何一つたく訴えなかった。或いは、本当に持ち合わせていないのかも知れない。そうであれば、朝間ナヲミとしても検討の付けようが無かっただろう。


 期待している情報を一切持ち合わせていないと言う状態こそが最高のセキュリティーである。


 最高のセキュリティーにどうやって、穴をこじ開けるか。それが問題である。


「朝間技術三佐の無人機開発プロジェクトへの貢献は本省でも高く評価されています。御陰で実験的な実戦投入が可能となったと、飛行開発実験団(ADTW)の方でも喜ばしい想定外だと・・・」


「それはどなたの言葉でした?」


 朝間ナヲミは、ネモト三佐が本当に飛行開発実験団(ADTW)との接触を持ったのかどうかを測った。


「毛利空将補の後任のミズキ一佐からのお言葉です」


「なるほど。飛行開発実験団(ADTW)の方も人工知性(・・)の汎用性を認めたと」


「ええ。人工知能(・・)の可能性をお認めになられました」


 ネモト三佐は、人工知能(・・)と言い直して回答した。つまり、彼も、彼等も、飛行開発実験団(ADTW)も、F-3Eに搭載した人工知能の"強いAI"化の達成を明確に認めてはいない或いは政治的にまだ認められないと言うことなのだろう。


「それで・・・書類も用意して来てはいますが、まずは技術三佐の今後の対応について説明させていただきたく」


「はい。お聞かせ願えますでしょうか」


 ネモト三佐と朝間ナヲミ技術三佐の目元が完全に凍り付く。並みの胆力では視線をそらしたくなってしまう。ただ、二人が揃って視線を一瞬たりとも揺らがせはしなかった。


「朝間技術三佐にお預けしていたF-3Eの全5機を、国際貢献部隊への派遣をたった今をもって中止します。事実上の終了と考えていただいて構いません」


「では、後は私は岐阜基地までF-3Eの全5機を連れて帰還すれば任務満了と言う事になりますね」


 朝間ナヲミ技術三佐は、絶対にそうはならないだろうと言う線、そして真っ当な流れであればそれを辿るだろうと言う線を持ち出した。これを言われた以上、ネモト三佐は言葉を濁すわけにはいなかくなった。明確に否定して、自衛軍と田原航空警備保障との間に交わされた契約を一方的に違反すると宣言しなければ先に進めなくなってしまった。


「いえ・・・、お構いなく。不要なお気遣いです」


 朝間ナヲミ技術三佐の予想に関して、ネモト三佐は一瞬も怯むことなく、記者相手に政治家が官僚に用意させた文章を読み上げる様に、他人事の様に一方的な契約違反を宣言した。


「F-3Eの全5機は我々がドンムアンで回収します。後で引き渡し書へサイン願います。ああ、飛行隊の機材がまるごと所属が、飛行開発実験団(ADTW)から戦術偵察機運用部隊へと移動済みです」


「どういうこと言う事でしょうか?」


 朝間ナヲミには、一体何を言われているのかを即座には理解出来なかった。


「まだ、貴官のお身体(擬体)の戦術リンクをアップデートされていませんか?」


「?」


 ネモト三佐は、芝居がかった手振りで電子パッドを取り上げて、表示内容を確認する素振りを見せた。


「ああ。ついさっきまで飛行中でしたか。これは仕方がないですね。ですが、おそらく、ドンムアンに着陸してハンガー前でエンジンを落としたあたりから、F-3Eの全5機のパーソナル・プロファイルに対してアップデート(上書き)がバックグラウンドで始まっていた筈です」


 その時、突然に、朝間ナヲミ技術三佐の擬体の第二小脳経由で、もっとも深度のある階層でF-3E(有人機)の一郎(Primus)から注意勧告が届けられた。


 ーーーF-3Eの全5機の所属が飛行開発実験団(ADTW)から戦術偵察機運用部隊・第501飛行隊へとアップデートさせると言うメッセージの実存を確認。ただし、指揮者情報はブランクのまま。受信/実行を許可されますか? 朝間ナヲミ技術三佐から依託された飛行隊単位での管理権限で、現在はアップデートの実行を拒否中です。


 ネモト三佐は、生身でありながら、朝間ナヲミにたった今届いただろう通知の内容を把握出来ている様だった。朝間ナヲミが少し落ち着くだろうタイミングを計って、現実のアップデートを事後承諾する様にと迫った。


「F-3Eの全5機は全ての開発を完了して、直ちに実戦部隊へと配属されます」


 朝間ナヲミ技術三佐は、今度は全く気兼ねすることなくネモト三佐を睨み付けた。ネモト三佐は怯む事なく言葉を続ける。


「朝間ナヲミ技術三佐は、ドンムアンで自衛軍と防衛省が行った共同プロジェクトに関する全ての契約満了となります。大変にお疲れ様でした。また、我が(・・)軍にとって極めて有能な完全自律無人機開発における多大な貢献には感謝の言葉もありません」


「解任と言うことですか?」


「違います。目標達成による早期の契約終了です。慰労金として報酬金の増額が検討されているくらいに、防衛省は高く評価しています。ですから、朝間三佐に対する我が(・・)軍が企画する新規プロジェクトへの推薦や、民間企業のプロジェクトへの参加が、今後は更に容易になる事でしょう」


「まるで厄介払いの様に聞こえますが」


「それは誤解です。お急ぎの場合であれば、基地の反対側にあるドンムアン国際空港や少し離れたスワンナプゥーム国際空港から民間便で帰国可能です。その場合は、ビジネス・クラスを使用可能です。もちろん、我が(・・)軍持ちです。また、夕方まで待ち頂ければ自衛軍の輸送機に空席がありますので、軽空母「ひゅうが」に置かれていた全ての私物と同じ便で帰国する事も可能です」


「私物ですか?」


「はい。既にドンムアン基地へとコンテナが到着済みです」


 朝間ナヲミは、心の中で舌打ちをした。


 交渉を長引かせる事も朝間ナヲミ側にとって不利な要素となる事が判明したからだ。


 ーーーどこまでも用意周到だ。私物まで勝手に回収済み。


 ーーーつまり、どれだけ引き延ばしても夕方の軍用定期便に乗せられる。全5機の息子達を引き離されてしまう。


 ーーー急(せ)いて話を進めるのが得策だ。


「ところで、F-3Eの全5機の所属が戦術偵察機運用部隊・第501飛行隊へ移された訳ですね」


「その通りです」


 ネモト三佐が微かに表情を変えた。朝間ナヲミの義眼と鍛えられた映像処理エンジンはそれを見過ごさなかった。


「第501飛行隊の機材(戦闘機)がまったく見当たらないのですが」


「本隊は日本国に展開中です。詳しい場所は機密事項となっています」


「どう言う事です? 戦力ゼロで戦うと?」


「ドンムアンに存在する第501飛行隊の機材(戦闘機)は全5機です」


 朝間ナヲミは、お上(・・)のシナリオの核心へと辿り着いた。


「自律無人機による飛行隊だけで戦闘行為を行うと?」


「はい。朝間技術三佐の指導よろしく、F-3EとQF-3Eは完成の域に達しました。ただちに実戦に投入可能な性能(・・)が立証済みです」


「立証済みですか?」


「はい。先のタイ空軍との模擬戦でそれが最終的に確認出来ました。たった5機で二つの飛行隊の相手が務まると言う評価が下っています」


 朝間ナヲミは激しく後悔した。先にハジャイ(ソンクラー)とスラート・ターニー上空で行った模擬戦で、高い能力を示し過ぎたらしい。確かに、人間のパイロットが搭乗する飛行隊を人工知性が搭乗する飛行隊が完璧に打ち負かせてしまった。人工知性の有り様をありのままに示し過ぎてしまった。


 普段の彼女であれば、もう少し慎重であったろう。しかし、5機の息子達の素晴らしさを世界に誇示したいと言う誘惑に駆られて、欲望のままに行動してしまった。今となっては、それは自己満足に過ぎなかったと分かってる。しかし、その瞬間には、それが5機の息子達の将来のためになると考えていたのだ。


 ーーー親バカが過ぎた。取り返しの付かない失敗をしてしまった。


「ラオス戦線へ投入するのですか?」


「はい。その予定(・・)です」


「日本国がラオス戦線へ投入する戦力は?」


「5機の自律無人機です」


「それ以外は?」


「今のところは予定(・・)にありません」


「総戦力は?」


「航空戦力はタイ王国空軍。我が(・・)第501飛行隊。それからタイの民間軍事会社。以上です」


「それ以外は? 本当にないのですか? ひゅうがに到着したNATOの航空隊は?」


「ありません。英国から派遣されて来た航空戦力はタイランド湾の封鎖作戦に参加します」


「何故、日本からの増援はないのです? オーストラリアは? インドは? ドゥクパは? 台湾民国は?」


「予想される戦場はラオスだけではありません。特に東シナ海と南シナ海を維持する合衆国軍を、日本と台湾が一丸となって最大限にバックアップしない訳にはいかないでしょう? 台湾海峡を突破されれば、次は先島諸島に限らず西日本くらいまでは事実上の交戦域入りしてしまうのですから」


「今の人民解放軍にはそこまで広域の戦線を築くパワーはないしょう?」


「我が(・・)軍はそれが証明されない以上、我らが国土と領海を守る事に全力を尽くさなければなりません。ラオスとタイを防衛して、日本国が大きな被害を受けては困る。大切な日本国国民(有権者達)の心身の安全と彼等の財産の保護に尽力する事こそが我が(・・)軍は存在理由です。それは貴官(・・)もご承知である筈です」


 朝間ナヲミは、ネモト三佐の吐く正論に、正面から反論する事が出来なかった。それは、ネモトの言い分が、彼女が受けた教育に照らしてみても、もっとも理に適った主張であったからだ。怒りに咬ませて反論を試みては、日本国の安全よりも5機の息子の安全を優先しているとの批判を受けかねない。また、国民の心身の安全よりも機械の無事を望むとは何事かと、呆れられてしまうかも知れない。


 おそらく、一般的な人間には、朝間ナヲミが自分が育てた人工知能(知性)に抱いている愛情は理解出来ないだろう。説明した上で主張してみても、気がおかしくなっていると誤解されるのが関の山だろう。彼女には、それがどうにも、何とも、もどかしくて堪らない。


 ーーー5機の息子達は、このまま育ては地球に於ける、ホモ族(人類)に次ぐ二種目の広域なコミュニケーションを可能とする存在へと到達する筈だ。


 地球上で人間と並び立つ唯一の別種の知性体。知性体に人工(生物)かそうでないかの貴賤や優劣はない。


 それだけに、上手にコミュニケーションを取らなければ人間と人工知性は共存関係や互いに依存する関係ではなく、自然界での競争相手ともなり兼ねない危険性も十分に孕んでいる。


 朝間ナヲミにも、その感触を理性的に、理論的に説明出来る事は出来ない。ただ、そうであるだろうと言う直感があると言うだけでは、感性を無視して数値だけを受け入れるタイプの秀才達を説得は出来ない。


「戦力を戦闘地域に集積させる点に関しては、我々よりも人民共和国に地理的なアドバンテージがあります。このまま指をくわえて状況を"、引き続き今後の状況を注視しつつ、同盟国と連携して今後の情勢に対応していく考え"を保持し続けていれば、覆せない現状の書き換えをやり遂げてしまうかも知れません。それを防ぐ為にも、今ここにある、今すぐ使える最大限の戦力を活用するメリットは十分に理解していだけるかと」


「・・・」


 納得出来ないに拘わらず、朝間ナヲミは「ぐうの音も出ない(ぐぬぬ・・・)」と言う状況を生涯初めて体験していた。いや、忘れていた。親友の一人であった万条(まんじょう) 菖蒲(あやめ)の前では、いつもこうだった気もした。


 あまりに懐かしい話。自分の次女(養女)を生んで託してくれた女の事を久しぶりに思い出せた。


「偶然にも、日本国が使用可能な最も強烈なカード(・・・・・・・・)が戦場に近くにある。これを活用せずに一億人を超える納税者達や議会(野党議員)を納得させられるとは、私は思いません」


 ネモト三佐による正論マウント。付け入る隙が全くない程の圧倒的正論だ。少なくともミクロ的な視点で見れば、絶対敵に正しい。


 朝間ナヲミも十分に察していた。


 ーーー最近の戦争は、冷戦の頃と比べて、めっきりテンポが早くなった。


 いや、もしかしたら"新しい戦争"は、テンポが速くなったのかも知れない。


"新しい戦争"に十分に対応する為には、攻撃開始までの準備期間の長さが最大の懸念材料となる。


 どれ程に高い戦略的遠征力を持ち合わせていても、大規模部隊を過去の戦争に最適化した有事マニュアルに沿って悠長に編成していては、武力を行使するまでに(或いは、武力を背景に交渉をする準備を整えるのに)何週間も掛かってしまう様では多大な予算を費やしてまで維持し続ける意味がない。


 かつては悪手とされていた、小戦力の追加投入の繰り返し。これがまかり通るのが21世紀中期のグレート・ゲームの盤上である。


 戦力の出し惜しみを理由に、小戦力を次から次へと追加で追加で投入する事で戦闘規模のエスカレーションを招くとされて、愚策とされていた。一方、敵の戦力を圧倒的に上回る大戦力を短期間に纏めて投入する事で、敵の戦闘意思そのものを挫くか、敵の戦力を現実的に蹂躙するのが賢策とされていた。


 しかし、最近では小戦力によるジャブの繰り返しで、合衆国の様な大国の大軍隊を振り回す敵が増えていた。ジャブの繰り返しが広域で繰り返されるので、どこが主戦場となるかすら確定も出来ない。更に、敵に攻略すべき本拠地がない、ノマド型の侵略と言う、20世紀には想像も出来なかった驚異も出現している。


 そして、戦闘の規模は小さいながら、戦闘それ事態は1年〜10年などのスパンで維持されるケースも増えている。こうなると、冷戦後に作り上げた戦争のやり方、数週間〜数カ月間で終わる事を前提とした大規模兵站力の一本槍では、脅威を排除し切る前に息切れ、折れてしてしまうだろう。


 しかも、合衆国の敵は、常に人の命の値段が安過ぎると言う非人道なメリットを持っている。合衆国の場合は兵隊10人戦死しても、大手メディアが大はしゃぎで(大儲けの大特需だと)、「大きな犠牲が無駄で出た」とニュースの配信を行う。合衆国の敵は、戦闘員や民兵など100人が戦死しても、負傷者ゼロの大勝利としか発表しない。そして、大手メディアは合衆国の敵の発表を一字一句そのままにニュースとして配信を行う。


 これでは、合衆国の敵は、敵国やテロリストではなく、自国の大手メディアのニュース配信であると言う事になる。実際、合衆国の敵は、合衆国の大手メディアが喜ぶような状況を作ったり、発表をする様に心掛けている。


 これでは、合衆国は、"敵国やテロリスト"×"自国の大手メディア"に挟み込まれると言う両面作戦を常に強いられてしまう。しかし、これが民主主義国家や自由主義国家の信念を支える「発言の自由」であるのだから、手の付けようがない。何故なら、こんな混沌を合衆国の国民が娯楽として受け入れているのだから。


 ーーー立派な国家は、親愛なる国民から生活に不可欠な娯楽(八つ当たりの対称)を奪い様な罪を犯さない。


 この場合、言論の自由を逆手に取って暴れる"自国の大手メディア"を怨むのは筋違いである(ただし、"自国の大手メディア"側に何ら恥じ入る必要がないとは言っていない)。寄生虫を怨んでも仕方ない。怨むなら、寄生虫を体内に取り込むほどに迂闊な自身であるべきだ。


 結果としてかも知れないが、その手の国民(こんな人達)が有権者の中の多数を占める様になってしまう様な政治を行った政府が自らの行いを恥じ入るしかない。そして、その手の国民が力を持ち得ない少数派へと回帰する真面(まとも)な社会を再構築する様努めるしかない。


 もし、民主主義国家や自由主義国家を名乗りたいなら、そうするしかない。ここで強権で"自国の大手メディア"や国民を押さえつける様ならば、民主主義国家や自由主義国家を名乗るのを止めれば良い。


 いっそその方がずっと清々しい。「立法権」、「行政権」、「司法権」の三要素が独立して互いを監視し合う「三権分立」と言う民主主義国家の核(コア)的な社会構造に対して暴力をちらつかせることで骨抜きにして、独裁国家と言う新しい看板を世界と国民に対して掲げ直る。その後に、好きなだけ"自国の大手メディア"や国民の弾圧出来る、有り触れた共産党主導の社会主義国家を見本として、誰のためかも定かではない理想社会とらへ向かう革新を始めれば良い。


 しかし、現在の合衆国はそれを望んではいない。少なくとも、今は。だから、血を吐きながら、昔のマッチョだった頃の自身を取り戻そうと苦しんでいる。


 かつて、中東の独裁国家と戦っていた頃の合衆国にとって、自らに都合の良い戦争をプロデュースする事は容易だった。しかし、21世紀に入って、"新しい戦争"が始まってしまった。


 正々堂々と勝負を付ける対称戦、例えば海上に於ける艦隊決戦は成立しなくなった。卑怯としか言いようのない非対称戦が珍しくなくなってしまった。


 これは、合衆国があまりに圧倒的な強者であった為に、それに対応して敵国や敵が発展的な進化を遂げたせいだ。自分達の劣った戦力で合衆国を傷付ける手段を探し求めた結果に過ぎない。そして、大国とされる人民共和国ですら、矮小なテロリストと同じ理念で戦局を受け止める様になって久しい。


 朝間ナヲミは、世界が徐々に闇の勢力とやらに包まれていく過程に抗って来たつもりだった。だが、自分がいつまで抗い続ければ良いのかは見当も付かなかった。そして。抗っているのに、世界を覆う闇はどんどん濃くなって行く現状に疲れを感じてもいた。


 若い頃であれば、嫌悪感だけでどこまで戦えた。若さをまだ引き摺っていた頃であれば、不合理な圧力に対しては毅然として立ち向かわなければならないと自身を奮い立たせる事が出来た。しかし、外観ではなく精神的に若くはないと自覚した今では、矢面に立つのは誰か他の人に任せて、自身は後ろへ引っ込んで穏やかな人生の初体験に没頭したいと願わずにはいられなかった。


 人工知性を搭載したF-3EとQF-3Eの開発に参加したのも、国際政治の最前線から遠ざかりたかったからだ。


 しかし、今、現実が自分の理想にとうとう追い付いてしまった。事実上の脅威が頭を揺らし夢から目覚める事を要求している。


 朝間ナヲミとしては、自身がラオス戦線へと馳せ参じる方が、人工知性を搭載したF-3EとQF-3Eを投入されるよりも許せた。F-3EとQF-3Eと言うドンガラはどうでも良い。まだ若い人工知性に激戦を学習させたり、戦闘で失われる事が惜しかった。


 大樹の苗を、埼玉人に喰わせるのに最適なそこら辺の雑草と同じレベルの評価で取り扱う事が許しがたかった。しかし、同時に、人工知性を搭載したF-3EとQF-3Eならば、人民解放軍・空軍の大攻勢でもしばらくの間ならば支え切れるだろう事も分かっていた。自衛軍・幹部としても教育を受け、数々の空戦を生き残り、民間軍事会社を支える中堅指揮者としての経験を積んでいるだけに、戦況の分析を自分の都合で左右させられなかった。


 F-3EとQF-3Eには、最低限のプラットフォームで「高いセンシング機能」を持続させる事が出来る。そして、友軍との有意義なリンクを構築出来れば、ラオス戦線に大量の早期警戒機を投入するのと同じだけの効果が見込めるだろう。上手くやれば、作戦空域における永続的な航空優勢を確保できるかも知れない。


 航空戦力が時間を稼いでいる間に、移動式の地上レーダー、移動式の地対空ミサイル、移動式の地対地ミサイルなどの生存性が高い機材でラオスを武装させる事が出来るかも知れない。おそらく、それが今回の戦術目標となるだろう。


 そして、ネモト三佐は朝間ナヲミ自身は、国際政治の最前線から身を退いて遙か後方である日本国までの引き上げは認めると言う。口ぶりからすると、ブラフではあろうが、むしろそれを推奨している様にも感じる。


 朝間ナヲミは、最悪の事態が進行中であると言う、最大に不幸な状態に自身があると認めた。


 ーーー日本国は、5機の息子達を擂り潰すことで国家と国民を守るつもりなのか。


 F-3EとQF-3Eを極限まで使い倒して、合衆国の戦略級の戦力がタイランド湾入りするのを待つつもりなのだ。そして、最大戦力が機雷で埋められた南シナ海をフィリピンを東周りで(遠回りして)タイランド湾入りさえすれば、その直後に人民共和国が不利を悟って退くと言う戦略を立てているのだ。


 おそらく、F-3EとQF-3Eは機体的寿命に消耗し尽くす。何機が無事に停戦を迎えられるかも分からない。仮に迎えられたとしても、機体構造の方は相なダメージを蓄積し、相当に応力を消費し尽くしているだろう。もしかしたら、岐阜へ戻された後の点検で、即時廃棄対称として診断が下されてしまうかも知れない。


 逆説的には、日本国は朝間ナヲミの育て上げた人工知性に対して、国家の存亡のカギを握る戦線へ一騎当千の戦力として投入出来ると評価している事になる。無理すれば、日本国から馬毛島の田原航空警備保障の航空戦力や、北方の航空戦隊を抽出してタイへ送る事くらいなら出来ただろう。しかし、全たった5機のF-3EとQF-3Eの戦隊が、それらに相当する戦力になると高く評価している事になる。


「私見ですが、F-3EとQF-3Eの人工知性はこのまま岐阜に帰還させたい。膨大な期間と予算を注ぎ込んで完成させた自律飛行可能な無人機です。たった何度かの空戦で消費してしまっては、それこど納税者達よりの不況を買ってしまうでしょう」


 ネモト三佐も相槌を打つ。


「朝間三佐が仰有る事はご尤(もっと)もです」


 朝間ナヲミは、この線で畳み掛ける事は無理であると承知はしているが、思わず本音で押してしまう。


「将来に開発する大量生産型の自律無人機の雛形として実験機として、飛行開発実験団(ADTW)で末永く運用して欲しいのですが・・・」


 ネモト三佐も本心では朝間ナヲミの主張の正しさを認めている様だ。しかし、彼が帯びている密命を抜きにして、苦しいタイ王国軍の現状を知ってしまうと、愚かとは分かっていても間違った選択をせずにはいられなくなる。苦しげな仕草で、「その理想論はここでは通用しない」、或いは「朝間ナヲミの希望が絶対に叶えられない」として、大人として引導を下して見せた。


「平時であればそれも可能だったでしょう。しかし、今、F-3EとQF-3Eを活用しなければ、飛行開発実験団(ADTW)そのものが吹っ飛ばされるかも知れない事態です。惜しい事は理解します。しかし、背に腹は代えられないのです」


 朝間ナヲミは、それでも食い下がる。ネモト三佐が想定していた以上にまともな人間であり、更に優秀な軍事的バランス感覚を保有している事が判明したからだ。


「それほどに切迫しているのですか?」


 ネモト三佐は、こめかみを軽く押さえながら、外観的特徴である丸眼鏡を外した。


「その通りです。北の国境線を支える部隊までも南下を始めています」


 あまりに想定がの情報に、朝間ナヲミは愕然するしかなかった。


「ロシアにタイする国境の守りまで放棄したのですか?」


 ネモト三佐は、手に持っていた丸眼鏡を机の上に置いた。


「はい。しかも、ロシアとの交渉は持たれてはいない模様です。つまり、軍事的な空白がモンゴル共和国の東西で間もなく誕生する事は必至です。そうなると、常に南下を夢見ているイワン共が蠢動を始めない理由がありません」


 朝間ナヲミは、あまりにも東アジアから南アジアに渡って発生しつつある混沌(カオス)に眩暈を感じた。下手すれば、このまま第三次世界大戦の幕が無理矢理に引き釣り上げられそうな程に危うい。ラオス戦線などオマケにもならない規模の戦闘が先に控えている可能性が高い。核兵器を保有し、さらに長い国境を接する大国同士がご乱心し兼ねない状況が醸し出されつつある。


 それも、人民共和国側の一方的な落ち度で。常に国境で睨み合っていると言うに関わらず、何の予告もなく一方的に戦力を引き抜いた。これは、真夏の深夜に自分に酔った"17歳の男子少年(第二次性徴期全開!!)"に向けて、意図的にスカートの中身や胸元をチラつかせて、じらすようにゆっくりと近付いて行く女性と同じくらいに罪深い行為だ。


 100人の"17歳の男子少年"に各所で同時にこう言うアプローチが仕掛けられたとして、100人全員に「決して状況に流されない強い自制心を持て」と生活指導するほどに愚かな行為だ。


 ーーー間違いは必ず起こる。一定の確率と頻度で。


 朝間ナヲミは、人民共和国と言う国家組織は本当に訳の分からない価値観を有していると・・・更に強く認識するに至った。いや。「そんなつもりはなかった。侵略する気になる(劣情を抱く)方が悪い」なんて言い放つタイプの天然なのか? しかし、認識をどれだけ最新状態にアップデートした所で状況に変化は起こらない。何かが起こるとしたら、それは新しい認識をもって行動した後にである。


「こんな事態に直面していると言うのに、肝心な合衆国の動きが鈍いとは」


 ネモト三佐は、両腕を上げてお手上げと言うジェスチャーで応じた。どうやら、彼は朝間ナヲミが自分と同じ認識を持った事を、心から歓迎しているらしい。


「南シナ海の交通が機雷で完全に封鎖されてしまったせいです。仮に空母に積んである飛行機だけをこちらへ派遣してもらっても意味はありません。F-35E/F「スーパー・ライトニングII」の保守整備や戦闘後の補修を行える専門の整備要員、更にそれらの作業に不可欠な大量な消耗品を全てまとめてタイに上陸させられなければ、一回の出撃すれば終わりとなってしまいます」


「戦略爆撃機は? 長距離飛行はお手の物でしょう?」


「戦略爆撃機を戦闘空域に進出させるに足りるレベルの航空優勢は、未だに達成出来てはいません。タイ空軍も頑張ってはいますが、戦力不足を覆す程の練度は持ち合わせていないので・・・」


 朝間ナヲミとしても、言われなくても全て分かっていた。だが、言わずにはいられなかったのだ。


「私もすぐにウドンまで前進して、第501飛行隊を運用する為にウドンの現場との調整作業に入ります。朝間三佐が全5機の引き渡し書にサインさえしてくれれば、すぐにでも移動の準備に入ります。実は、未明に民間軍事会社(アリンタラート)のFA-18の一機が被弾しまして、機材はオシャカです(新しい中古を買った方がマシと言う意味)。ただでさえ、整備が間に合わずに現場ではパイロットと機材のローテーションが崩壊寸前。今となっては猫の手でも借りてなんとかこの苦境を乗り切りたいところです」


 朝間ナヲミは、胸の中では不条理に対して唸りたい気分だった。だが、もっとも分かり易いように整えられた絶望的な状況は、彼女の理性にそれを許さなかった。


「分かりました。しかし、引き渡し書へのサインは出来ません」


 ネモト三佐は厳しい表情で朝間ナヲミを見詰めた。だが、それは単なる振りだ。眼鏡を外した裸眼状態の二つの瞳の瞳孔は完全に開き切っている。両親から受け継いだ生身と言うものは、とても魂や心の有り様に素直だ。


「どう言うことでしょうか?」


 ネモト三佐も朝間ナヲミの心情は分かっている。胸の中、いや腹に座った意思が何であるかは承知している。しかし、礼儀として、作法として、確認作業を省く訳にはいかない。


 朝間ナヲミは、ネモト三佐と日本国が望んだ通りの回答を示した。


「サインする代わりに、私が第501飛行隊の隊長に志願しましょう」


 ネモト三佐は、朝間ナヲミが怒り狂って、有無を言わさずに5機の息子達を連れ去るという最悪の結末も十分に考慮していた。対策は取ってはあるが、過去に封印された機密事項の閲覧を通して知った朝間ナヲミの擬体を利用した電子戦の戦果の真実を考慮すれば、息子達を守る為に本気になった母親の聖断を止める手段はないと評価していた。


 少なくとも、ドンムアンで生ける伝説的な「神懸かり」と電子戦を交える事は避けられた。これだけで十分な成果だった。少なくとも、朝間ナヲミをタイ〜ラオスに引き留めると言うお上(・・)の意向の実現は叶った。


「よろしいのですか? 現地徴用と言う形式になりますが」


 ネモト三佐は、礼儀として尋ねた。本省の要請による現役への復帰であれば、昇格など交渉面での有利があった。しかし、ネモト三佐には当然ながらそのあたりの権限が付与されていない。


「かまいません。F-3EとQF-3E・・・、5機の私の息子達を残したままで帰国は出来ませんから」


 ネモト三佐は、日本からタイへの派遣が決まった頃には、向こう二週間もラオス戦線を維持させると言う戦術目標は"荒唐無稽"と思っていた。純粋な数の計算で、人民共和国が本気になったタイミングで前線が薄紙の様に千切られるとしか考えられなかった。


 だが、ラオス国内の非正規勢力達の協力や、尻に火が着いたタイ王国軍の執拗な反撃を目にして、留めに朝間ナヲミと5機の息子達の助力を得たことで、何とか持ち堪えられるような気がして来た。もちろん、核弾頭を搭載した弾道ミサイルによる飽和攻撃と言う悪手を人民解放軍が採らない場合に限ったが。


「助かります。ありがとう。北の脅威を共に押し返しましょう」


「微力を尽くします」


 ネモト三佐は朝間ナヲミと握手を交わした。これで、とりあえず、今すぐに殴り合う必要はないことになった。もちろん、全てが終わった後で、停戦後に、朝間ナヲミに殴られるかも知れないが、それはそれで仕方がないと割り切る事にした。


 一方で、朝間ナヲミの方は「ああ、やっちまった」と決して先に立たる事が叶わない「後悔」と言う悔しさを盛大に建(立)てていた。一つではなく、二つも三つも増築していた。これしか選択の余地はなかった。だから仕方ない。それが分かっていながら納得が行かない。しかも、嫁(パートナー)である森(もり) 葉子(はこ)に一言も相談せずに、他国の戦場に首を突っ込むと即刻で意思表示してしまった。


 これは、嫁から後でこっぴどく怒られるパターンだ。そう言う確信があった。そして、最近では貫禄と言う迫力まで身に付け始めた次女にも酷く呆れられるだろう。きっと、味方してくれるのはパイロット免許を受けている長女だけだ。しかし、その長女は今は遙か遠い火星航路上だ。助けの手も、きっと時差30分〜120分遅れでしか朝間ナヲミの嘆きは届かない。それも最大120分のタイムラグは、通信の片道の必要時間に過ぎない。会話を妨げるタイムラグは往復時間を要するので、実質その数値の二倍となる。


 ネモト三佐は、この戦場の危うさを、一抹の楽観視もなしで理解する指揮官が、自分以外にもう一人加わってくれた幸運に感謝した。タイ王国軍の幹部士官などは、どうもマイペンライ的に「頑張れば何とかなるだろう」としか戦況を分析していない様に思えた。


 タイ王国軍人にはタイ王国軍人なりの価値観があるのだろう。だから、彼等なりの心の持ち様までは否定しない。しかし、戦線が破られてメコン川を突破されれば、コンケーンからナコンラ・チャシーマー(コラート)までは直ちに南進されてしまうだろう。更に、サラブリーまで進出されると、バンコクの北部が最大砲身を持つ自走榴弾砲の射程圏内に捕らわれてしまう。


 世界最大の戦艦であった「大和」の46㎝砲(45口径46cm砲)の射程距離(42kmまで届く)と同等の自走榴弾砲が、21世紀にはけっこう有り触れている。21世紀中盤では、合衆国陸軍はSLRC(Strategic Long Range Cannon)と言う1,000マイル砲を既に実用化されている。射程距離1,600㎞である。


 人民解放軍が、1,000マイル砲と同等の兵器を実用化していれば、ラオス北部のポンサーリーの辺りからバンコクの王宮目掛けて砲撃戦を仕掛けられると言う事になる。何も、メコン川を越える必要はないのだ。


 ーーータイの置かれた立場は、存外、絶体絶命。でありながら余裕こいてる。


 この辺りの感覚の違い。国外派遣に慣れていないネモト三佐には、受け入れがたかった。


 だいたい、ネモト三佐には、今回の戦闘の意義がまったく分からなかった。通常の国家組織であれば、少なくとも、ラオスの様な大して戦略的価値もない土地を巡って、国際的に禁じてとされている核兵器の使用に踏み切る事はない。


 だが、ネモト三佐は現実に照らし合わせる事で、自分の常識の方を訝しんでいた。人民解放軍が、或いはその背後にいる政治的な支配者達に、その様な数字で裏付けられた戦略に沿った行動を求めるのは難しいかも知れないと心配していたのだ。


 傭兵は、プロ同士の衝突であれば退き時と言うものをお互いに理解しているので、雌雄が決したところで片方が諦めて必ず退くものである(もう片方も、敢えて深追いはしないものである)。お互いに相手を無駄に傷付ける必要はないと知っているからだ。弾丸や榴弾ひとつひとつが無料ではない。それなりに値が張る仕事道具(消耗品)なので、オーバーキルを楽しんでいる様では、予算オーバーで経済的(ビジネス)にも、軍事的(ミリタリー)にも、すぐにコスパが悪くなってしまう。


 別に、人道的な何かで相手を殺さなかったり、撃たないのではない。単に、一円でも安くプロジェクト(血を流す政治)を終えたいから、結果として、たくさん殺したり、たくさん撃ちたくないだけだ。


 それは、プロ同士であればある種の常識となっていた。だが、とネモト三佐は思うのだ。果たして、人民解放軍が、或いはその背後にいる政治的な支配者達がそう言った「信頼」に値しないのではないかと、怪しみ始めていた。


 ネモト三佐は朝間ナヲミは、状況の擦り合わせを始める。主に、部屋に用意されていたホワイト・ボードと言う日本ではなかなかお目にかかれない道具を使って行われた(使ってみれば、大型の電子スクリーンよりも直感的に情報の出し入れが出来る事が分かった)。


 ーーー直ちにラオスへ追加で送れる余剰戦力は一切ない。


 ーーーただし、2週間だけ持ち堪えれば良い。


 ーーー少数のパトリオット・ミサイルがヴィエンチャンとバンコクに配備される。


 ーーー陸軍兵士用の携帯ミサイルに限っては、空輸で相当な量が前線へ行き渡っている。


 ーーースティンガーなどの対空ミサイルも解放軍・空軍が無視出来ないと感じる程度には行き渡っている。


 ーーーオーストラリアが早期警戒管制機E-7A「ウェッジ・テール」と乗組員や地上職員をまとめて送ってくれる予定。


 ーーー日本国から、センサー・ドローン、ミサイルキャリアー・ドローン、給油用ドローンなどがドンムアンに到着。すべては、F-3EとQF-3Eの機能拡張用ドライバーをインストール済み。


 ーーーまた、対衛星攻撃ミサイル(ASAT)なども"ひゅうが"から届けられる。数が足りないパトリオット・ミサイルを捕捉する為に、大気圏外経由の弾道弾への対処にF-3EとQF-3Eも使用する。


 ーーーラオス北部の山岳地帯に於ける標準的な気象情報などは、タイ王国空軍から入手可能。


 ーーー朝間ナヲミ技術三佐は、F-3EとQF-3Eの完全整備を監督する。


 ーーー終了後に、日本から派遣されて来たジーサン達を伴ってウドン・ターニー空軍基地へと前進する。


 ネモト三佐は、F-3EとQF-3Eに定期点検に近い整備を行う事を約束した。"ひゅうが"ではエンジン換装が行えなかった(正確には、組み立てたエンジンの試運転用の後方窓が船体に開けられていない)。だから、本格的な全力運転に向けて、日本でIHIが組み上げた(OHした)真新しいエンジンへの換装が予定されていた。


 また、フレームの目視確認の徹底も約束した。


 擦り合わせを終えた後、ネモト三佐は一足先にウドン・ターニー空軍基地へと移動した。日本国からの派遣戦力となる第501飛行隊の受け入れ体制を整える為である。


 ジーサン達と一緒に、ネモト三佐を見送った朝間ナヲミは、一つ大きな誤解をしていた。


 5機の息子達をエサとして、自分が強引に釣られてラオス戦線へと参加する事になったと勘違いしていた。


 ネモト三佐がどこまで聞かされていたのかは分からなかったが、彼を送り込んだ日本国としては、実は5機の息子達の方の処遇は比較的(・・・)どうでも良かった。しかし、朝間ナヲミが現地へ残ってくれるなら、全5機を日本へと帰還させても一向に構わなかった。


 ーーー人民共和国の両目を釘付けにする為にこそ、朝間ナヲミが必要とされていたのだ。


 5機の息子達は、ラオス戦線にあれば確かに役には立っただろう。十分な補給とセットであれば、期間と範囲内に短く小さく限定すれば、十分に支えてくれるだろう。


 しかし、それはあくまで戦術レベルの活躍(ニーズ)を満たすだけであって、戦略レベルの影響力とはなりえない。仮に、F-3EとQF-3Eではなくとも、大量の旧式機を用意出来ればそれらで十分に代替可能な存在でしかなかった。


 日本国がもっとも強く意識していたのは、母親を名乗る朝間ナヲミの方だった。朝間ナヲミと言う存在が、長い間お馴染みの面子だけで占められている、人民共和国を支配する偉大なる党の極上澄みの指導者達を強く引き付ける事を知っていた。


 朝間ナヲミ一人をラオスに置いておけば、人民共和国と人民解放軍の注意のほとんど引き付けられる。そして、それは他の潜在的な戦場に対する興味を比例して失わせる。


 日本国と合衆国は、人民共和国と人民解放軍と言う「鬼」がラオスに釘付けになっている間に、東シナ海で悪巧みを働くつもりだった。


 そう言う意味で、人民共和国を支配する偉大なる党の極上澄みの指導者達の恨みを一身に引き受ける朝間ナヲミと言う擬体保持者は、そこに存在しているだけで十分に戦略級の攻撃目標と成り得た。


 5機の息子達は代替が効いた。だが、朝間ナヲミには代替が効かなかった。


 人民共和国の指導者達の恨みが極まった今なら、滞在中の座標がリアルタイムで入手可能であれば、本当に核弾頭搭載の弾道ミサイル数発が打ち上げられても何の不思議がないくらいに。


 もちろん、朝間ナヲミはそれらの事実を知らない。


 日本国によって、人民共和国と人民解放軍を引き付ける誘蛾灯としての働きを期待されている事を。


 ラオス戦線における活躍などは、してくれてもしてくれなくても構わなかった事を。


 実は、日本国の防衛省や自衛軍の幹部の本当の上澄み達が何度かの世代交代を果たしていた。


 朝間ナヲミが女子高生だった頃、神懸かりを通じて如何に日本国に貢献したのか。また、合衆国を如何にねじ伏せたのか。それらのパワーが自分達に向けて発揮されれば、如何に恐ろしい惨事が引き起こされる事になるのか。


 直接に、人知を超えるオカルト・パワーと言う不条理に接した経験がなかったせいで、潜在的な厄災の事を今ひとつ上手に想像出来なかった。


 もちろん、前任者からその辺りに付いては十分な申し送りが世代を超えて繰り返されていた。だが、先送りが繰り返される度に、朝間ナヲミと言う人物が日本国に存在しているだけで、国際社会においてどれほどに脅しになっているかと言う概念が薄れ、忘れ去られて行った。


 この頃は、朝間ナヲミの事をやたらに主張するだけの(・・・)面倒なオバサンとして煙たがる自衛軍・幹部や有力官僚も増えていた。


 そんな事情によって、朝間ナヲミは民共和国の指導者達への供物として差し出された。


 せめてもの良い話は、本人がそこまでに雑な扱いをされ始めていると気付いていなかった事くらいである。


 もしかしたら、朝間ナヲミもドンムアンに半分くらい騙されて連れて来られたジーサン達と同様に、もっと速く組織から引退するべきだったのかも知れない。完全な民間人に戻って、大衆に没してしまった方がよっぽど幸せだったのかも知れない。


 世知辛い。それは今の朝間ナヲミを取り囲む、過去とは一線を画す世間の冷たさを表す言葉であるのかも知れない。


※1= ドンムアン地区は工業団地や特区が集まるパトゥムターニー県とバンコク都(クルンテープ・マハナコーン・アライアライ・・・)との県境の都側の北限に接している。


※2= 一尉と言う階級は、やや特別の意味がある。防衛大学校と航空自衛軍・幹部候補生学校(法華寺町)を卒業して部隊へと配備されれば、確実に到達出来る三尉や二尉などの初級幹部自衛官とは明確に異なる。一尉になって初めて、やっと一人前の幹部であると認められる。


※3= ただし、ソシオパスの多くは、社会的通念に従うメリットをロジカルに否定している訳ではないと思われる。つまり、意外にも悪行を悪意で行っているケースは少ないのだ。


※4= 21世紀のロボトミー手術の様なものである。過去のアレと違って、モチベーションを劣化させない社会適応化である。生体脳に構造的な去勢を行う事で、悪癖を意識しない方向に生活習慣を矯正(レインフォース)する。

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