【最終回】吾五十而知天命。【過去投降分に修正・加筆予定】
クーラー全開で涼しい。
それでいて窓を通して入って来る日差しが暖かい。
本当に心地良い。
涼し過ぎてもいけない。暖か過ぎてもいけない。
この絶妙なバランス。
何、無駄イッパイのこの背徳感。
最高!!
露天風呂の温泉につかりながら、キンキンに冷えたアイス食べる。そんな非倫理に匹敵するレベルに不道徳且つ非常識。
でも、それが良い。
大人にだけ許される行儀の悪さだ。
更に、ちーちゃんを拝み倒した末に、何とかこの事務室への召喚に成功した"偉そうな椅子"。
高かった。でもたった一つの譲れない贅沢だったのだから仕方がない。
ああ、この座り心地、いや背もたれに背中の重みを預ける感じ。
ローンの支払いがまだまだ残っている贅沢品の椅子に身を任せて、残暑とは言い難い熱気の攻撃を環境に最悪なガンガンなクーラーで撥ね除ける遊び。
何か悪い事してる気がするけど、それが愉しくてどうしても止められない。
ああ、絶対本当に幸せ。後悔と反省は後からゆっくりやるから今は見逃して。
ごめん、自然の摂理と銀行の融資担当者さん。
ああ、これこそが侘び寂びの概念なの?
うん。う、う〜ん。
最高。
偉そうな椅子に身体を埋めて、そのまま目を閉じてウトウトするのは本当に素敵な時間だ。
素敵。それは、非常に優れていて、印象が良いいこと。またはすばらしいと言う状態を指し示した言葉だ。
残暑。まだまだ長く続きそうな暑さ。
全開のクーラーの御陰で、野外はクソ暑いにも拘わらず、室内は暑くも寒くもないから寝汗も掻かない。
化粧崩れを気にする必要もない。
ああ、でも人前に出る前に目脂のチェックは必要かな。
2079年。
季節は暦の上では秋。
今日は9月22日の金曜日。
明日は秋分。
秋分って本当は秋じゃない。
昔はそうだったのかも知れないけれど、今はもう違う。
ちーちゃんが言っていた。
ーーー二十四節気の第16。
ーーー太陽黄経が180度。
ーーーそのタイミングが通過する日付。
それを「秋分日」と呼ぶんだって。
ハコ母さんと一緒、二人だけでお楽しみの海外旅行準備中に忙しいナヲ母さんは、母子の会話を通じてこんなウンチクを付け足してくれた。
「太陽が真東から昇って真西に沈む。つまり、昼と夜の長さが同じになる日が秋分」だって。
この日を境に太陽が東から昇って来るのが遅くなり始める。
その代わりに太陽が西へ入って行くが早くなり始める。
「秋の夜長」が始まる。
夜型人種のちーちゃんは、「秋の夜長」が好きだった。
尋ねてみたら、その理由は、
ーーー積んである本を片っ端から読みふけったり、趣味的な些事に没頭したりしても秋の夜長を理由に言い逃れし易いから。
って言ってたな。
「祖先を敬ったり、自分よりも先に亡くなった人を思い出すべきタイミングに最適であるとか、お墓参りに最適な国民の祝日であるとも言わなかったっけ?」
仕事用の偉そうな椅子から身を起こさずに、後ろを見る。
ちーちゃんがいた。ちーちゃんの声だ。
私の最初の友達で、たった一人の先生で、悪い事を一緒にするべき相棒でもある。あれ、であったんじゃなかったっけ? ま、良いか。
「朝顔、それ、良い椅子だねえ。座ってだけでとっても偉そうに見えるよ」
ちーちゃんが厭味ではなく本心からそう言っているのは解りきっている。
「うん。早くこの椅子に座っていても怒られないくらいに本当に偉くなりたいもんだよ」
言ってはみたもののどうせ無理だろう。そんな希望はたぶん実現しないだろう事は分かっている。それでも、何気なしにそう言い返してみたくなったのだ。
「大丈夫、大丈夫。すぐに私くらいに偉くなれるよ。わっはっは」
わざとらしい笑いだ。きっとちーちゃんなりの冗談なのだ。
ちーちゃんの冗談は普通の人には分かりづらい。
だから、けっこうな数の人達から嫌われてるらしい。
本当は面白い人なのにな。
残念だ。
それから、私はそのまま、良い椅子にもたれ掛かった姿勢のままでちーちゃんとお話を続けた。
どんなことかと言えば、いろんな事だ。
長く続けている仕事が面倒で。
いろんな人が話を聞いてくれとやって来て、一方的に話し終えてから怒ったり悲しんだりする。
いろんな人の悩みや望みを然るべき機関に筋を付けて伝える。
こっちの都合なんか一切考慮してくれない。
人の事を憤りや心配事を処理する公衆便所とか、放り込むべき公共のゴミ箱とでも思っているだろうか。
それが辛いと言うか、腹立たしい。
いろんな人の中には結構な割合で、すっごく嫌な人も混じっている。
それも辛いと言うか、腹立たしい。
とにかく、そう言う、たくさんの人からいろんな人への橋渡し的な仕事をしていると、個人に限らず、群衆に限らず、人間の欲望は無限であって、そうである限り社会の良心は限りなく有限側へと引きずり下ろされてしまうんだな。と感じずにはいられなくなる。
自分が好きで始めた仕事なんだけれど、やりたかった仕事なんだけれど、それでも嫌になるし逃げたくもなる。
それでも、どう言う訳か、いろんな人には私が必要であるらしい。
だから、いろんな人をいろんな人達へと繋ぐ。
それが私の仕事。
たった一つだけ出来なかった事がある。
これが気がかりだった。
それは、ちーちゃんを、廿里 千瀬博士をいろんな人へと正しく繋げられなかった事だ。
ちーちゃんは、私の心を見透かしていた様だ。
「で、その椅子はどこで買ったの?」
私は記憶は辿る。椅子はここへ召還した事情背景へと思いを向かわせる。巡らせる。
ああ、そうだ。県道に面したホームセンターで出会って、ちーちゃんを拝み倒して買ってもらった・・・。
んだっけ。
会津の県道。
ーーー認識に矛盾がある。
そうだ、新しい方のちーちゃんに拝み倒したんだ。
随分と昔。アイツを、まだ、ちーさんと呼んでいた頃ってのがあったんだ。完全に忘れていたけど。
気付いてしまった。
ずっと忘れているべきことを思い出してしまった。
ーーー明晰夢なんだこれ。
はっとして自分の両手を、掌を見る。
あの頃とは違って、むちむちとした肉付きは失われて久しい。軽く皺が寄っていて、静脈もちょっと浮き出している。
顔も見る。
あの頃とは違って、完全無敵な女の子ではなくなっている。
そうだ。
廿里 千瀬博士は今はもういない。
今は。
ここは、廿里 千瀬博士がいなくなった後の世界なんだ。
私は、廿里 千瀬博士の質問には直接的に答えるのを止めた。
わざわざ、会いに来てくれたんだから、今の自分はあの頃と違って少しは大人になっているところを見せたい。
だから、いろんな含みを持たせて、全く動じていない態度を貫いた。それは自分が成し遂げた成長の確かさを、少しでも強く訴えたかったからだ。
「そうだよ。ずっと会いたかった」
それは私も同じだよ。それが・・・仮に・・・。
「そう。夢の中でもね。現実世界では自由にならない事でも、夢の中ではなんとかなっちゃうものでしょ」
その通りだ。まったく、その通りだ。やはり、この歳になってもちーちゃんにはまだまだ叶わない。
「私が残した日記帳。お彼岸のページは読んでくれた?」
確か、秋分の日を中心とした一週間。それをお彼岸と書かれてあった筈だ。それとも、もう少し何か不明瞭なことも。
「黄道十二宮では、それは天秤宮の原点で・・・」
ああ、尾っぽのない狐に出会えるとか・・・書いてあったな。意味不明。
「さすが、無限記憶みたいだ。秋分のタイミングで、捜し物は黄道上で観測出来るから頑張って探してみてよ」
え? どう言う事。
目が徐々に冴えてくる。精神が覚醒して来る。
いやだ。覚醒したくない。現実に戻りたくない。もっとちーちゃんとお話を続けたい。
廿里 千瀬博士との邂逅に残された時間は極僅かだと、本能的に悟る。
最後に、写真の中でしか長年見て来れなかったちーちゃんの顔を見たい。ちょっとだけでも良いから。
「ちーちゃん!!」
私は仕事用の偉そうな椅子から飛び起きて、背もたれの後ろを視界に捉えた。
ーーーあっ!!
そこには、懐かしい顔ではなく、ありふれた、毎日付き合わせている飽き飽きするヤツの顔があった。
そこでバランスを崩した。
私の上半身は椅子の上から、床を目掛けて、顔から落下し始めた。
「アサガオ!!」
気が付いた時、新しい方のちーちゃんに両腕を膝から上の太もも一本で抱えられていた。
さすがは、要人警護も可能なスペックを誇る強化・全身擬体。とっさの事件にでも反応速度で対応出来るし、落下して加速度が増している人体を、何と衝撃を和らげ、吸収しながら受け止められる。
もし、ヤツが生身の人間だったなら、私の落下を受け止められなかったろう。仮に出来たとしても、ぎっくり腰コースじゃなかったろうか?
きっと、ナヲ母さんとハコ母さんが出会った頃の一般的な全身擬体では、スペック的に対処が不可能だったろうな。
絶対にだ。おかげで私は頭か腰をシコタマ打たれずに済んだ。
今の擬体と比べれば、あの頃の擬体なんて、本当に良く出来た人形みたいなものだ。
そう言う意味で、長い年月の間積み重ねられて来た技術進歩に心から感謝だ。
御陰で、今も私は無傷だ。
ああ、大人になってもこの忌ましい身体が、あの頃と比べてもほとんど育ってくれなかったせいもあるかな。
私の身長は結局伸びなかった。胸はもうすっかり諦めが付いているけれど、身長の方は「まだもうちょっと伸びないモノかな?」と今だに整理が付かない、どうにも複雑な気持ちを引き摺っている。生物学的見知からは、そんな事が起こり得ないなことは十分に分かっている筈なんだけれどね。
「あーもー。死んじゃったの? 返事しなさい!!」
ちーちゃんの何度もアップデートが繰り返された全身擬体、機能的なリミッターを一時的に解除した大出力で、私の身体は強引に、振り回されながら偉そうな椅子の上に戻された。
「ああ、新しい方のちーちゃん・・・」
考え事の最中である筈の私は、まだ呆けた顔で今の相棒の顔をじっと見る。全身擬体であるので、自分ほどに年齢を強く感じさせない。ただし、何時までも小娘の姿格好を押し通して生きていられるほど生易しい世界に私達は生きてはいない。だから、それ相応の加齢をシミュレートした外観に調整さえている。
「大丈夫なの? 目、覚めた?」
新しい方のちーちゃんが心配してくれている。そう言えば、あの日もそうだった。
あの日、昔のちーちゃんの容態が急変した。すぐに意識を失ってしまった。どうやら、その段階でかなり無理をしていたらしい。残された時間が短い事を正確に理解していたのだろう。
昏睡状態に入ったと診断を受けた後は、何か液体の入ったカプセルの中へ入れられた。そして、そのまま、外へ出て来ること無くあっさりと息を引き取った。
実は、ちーちゃんを人間の姿のままで見送れたのは、私一人だけだった。
カプセルの中に入った後、昔のちーちゃんの身体は少しづつ崩れ始めちゃって、最後にはほとんど原型が残らなかった。
ある日を境に、言葉で伝えきれないはほどに急激に、昔のちーちゃんの身体を支えていたナノマシンとやらが仕事をしなくなったせいなのだ。
私はちーちゃんが消えて行く過程の、始まりから終わりまでを、最初から最後まで、途切れる異なる見守っていた。
何故? それ以外に自分に出来る事がなかったからだ。医者であるハコ母さんであれば、何かしらの対処を思い付けたかもしれない。ナヲ母さんだってそうだ。お姉ちゃんでも。しかし、私には側に付いていてあげる事以外なにも出来なかったからなのだ。
ちーちゃんを見送る時に、久しぶりに、自分の無力さを心の底から痛感させられた瞬間の連続だった。未だに、二人の母や優秀な姉の様とは違って、何者にも成れていない事を思い知らされた。
何者かに成る。
それは他に変えようのない、社会に対して影響力を発揮出来る人物を指す。
有象無象などこにでもいる人物を指さない。
私は結局は今も後者のままであり、このままずっとそうであり続けるのだろう。
そう考えると立ち続ける気力も奪い尽くされるほどに気が滅入る。
だから、今でも、あの時の事はあんまり思い出したくない。
国外にいたハコ母さんが急ぎ現場に到着したのは、全てが終わった後だった。
それでも、それまで、すべてを一人で取り仕切っていた私は、始めて気を緩める事が出来た。
海の上にいたナヲ母さんが必死になって帰って来られたのは、家族葬扱いで、形ばかりとは言え、中身がほとんど空の棺を炉へ入れる直前だった。
だから三人揃って、一応は、カプセル内に残った何かを荼毘に伏せて、ちーちゃんの魂を煙として空へ送る事が出来た。
その後、しばらくしてから、私は昔のちーちゃんがこの世界からいなくなってしまった事に耐えられなくなって、そのまま引きこもりになってしまった。
久しぶりに、自分の無力さを心の底から痛感させられた。それはしばらく痛感させられていなかったと言う事だ。
ちーちゃんを見送る時に、久しぶりに、自分の無力さを心の底から痛感させられた瞬間の連続だった。高校時代まではそれが日常茶飯事であったに関わらず、久しぶりにだったのだ。
すべてはちーちゃんに守られていた御陰だったと、その大切な本人がいなくなった後になってやっとその事実に気付けたのだ。
ちょっと考えればすぐに分かる事だ。ちーちゃんがいてくれたから、そんなに惨めな状況まで落ちずに済んでいた。ただ、それだけの事なのだ。
じゃあ、これからはどうなる? もうちーちゃんがいなくなった世界ではどうなる?
そう考え始めたら、外の世界と自発的に接する事が出来なくなってしまった。
当時のそんな私を部屋の中から外へ連れ出してくれたのは、今、目の前にいる新しい方のちーちゃんだった。
「私が代わりに"新しいちーちゃん"になってあげる。だから、もう泣かないで」
救いはある。あるものである。あった。探さずとも意外に近くにあるのだ。ただ、そこにそれがあるそれが救いであると気付かないだけなのだ。
それまで、悪友であり、腐れ縁であり、高校以外の唯一の長年の共である、この女の呼び名はちーさんであった。あれを境に「ちーちゃん」へと変わった。置き換えられた。上書きされたのだ。その事実をすっかり忘れていたが、そうだったのだ。それを思い出した。
そう言えば、何か大切な事を忘れている様な気が・・・する?
ーーーあ"!!
「ファイアー・フォックス!! 秋分の日!! 黄道!!」
私は大声で叫んだ。自分が忘れても、"新しいちーちゃん"の擬体が音声記録してくれているのを知っていたからだ。明晰夢の短期記憶はすぐに消失する。どうしても憶えていたければ、手間を惜しむこと無く長期記憶へと書き換える努力が必要なのだ。
「どうしたの? 頭壊れた? アンタがバカなのは承知してるけど・・・何か変なモノでも食べた?」
酷い言い様だ。一応は、この私の公設秘書だろ? テメエ。
ただし、さっきまで見ていた夢の詳細を鮮明に覚えている事を確認出来た。
私は今のちーちゃんの腕を振り切って、無理な姿勢から急いで動き出した事が祟って、足下がふらついてよろけながら、部屋の奥に隠してある金庫の扉のダイヤル合わせを何度か失敗しながら何とか解錠する。そして、どれも表紙が、二つの三角定規が黒色で描かれている(※)分厚いノート群のうちの一冊を引っ張り出した。
これこそ、昔のちーちゃんが残してくれた、本人曰く「日記帳」、他人に過ぎない偉い人達曰く「預言の書」、私にとっては「メモ帳」、或いは雑記帳である。目的とされる内容が書かれているノートを迷わずに取り出した。
急いで、指定された内容のページを確認する。
"確かに、黄道十二宮の空の道の上で懐かしい顔で再び出会えるかも知れない。ただし、その狐に尾はない。遠ざかる時は何色になるんだったかな? その色じゃないからね。赤にも青にもならないよ"
そう書かれていた。
それで確信した。
明日は秋分の日。
「ちーちゃん!! 文部科学省のあのクソオヤジに電話つないで。緊急!! 今すぐ!!」
今のちーちゃんが急いで、ネット経由で私自身は名前も憶えてない偉い役職にあるクソオヤジを呼び出している。
その間に、秋分の通過点のタイミングを調べると05時15分55秒。間違いない。チャンスは今夜から明日未明だ。
まだ間に合う筈だ。
不機嫌そうなオッサンと音声通信が繋がる。
「例の、行方不明の・・・お探しの地球に衝突しかけたインタステラー。廿里 千瀬博士の「預言の書」のインタステラーに関する部分の解読に成功しました。ただし、緊急の対処が必要です」
今のちーちゃんが、やれやれと言う感じで私の後ろ姿を眺めている。そのまま、秘匿回線化が終わったらしく、親指を立てて話して良いと合図を送る。
「明朝。秋分。05時15分55秒前後までに。黄道上に小惑星「2039AA」、アカパンダの最も大きな破片。おそらくは本体が横断か縦断します。ただし、ドップラー効果はなし。つまり、離れていない。大して遠ざかっていない。その意味が分かりますか? 想定以上に相対距離が増大していないから再発見出来なかったんです」
私は久々にマウントを取る優越感に浸っている。きっと、今のちーちゃんの義眼には二つの鼻の穴が大きく広がっている状態が観測出来ていることだろう。
「アカパンダが行方不明になった時に、いくつかの破片分の運動エネルギーを回収して、太陽系の外に向かって大きく加速したと推測していましたよね。あれは間違いです。逆です。他の小さな破片を加速させて、本体は逆に減速していたんです。確か、木星〜土星間で公転要素がおかしい小天体が多数発見された事がありましたよね。そう、あの一群が加速された破片です。まだ登録されていない破片の軌道要素を十分に集められれば、それから逆算して減速されたであろうアカパンダが現在保有エネルギーの総量もある程度推測が立つ筈です」
今のちーちゃんが、私の会話をテキスト化して話相手に送り付ける準備をしてくれている。
「とにかく、今夜から秋分に掛けてありったけの望遠鏡を黄道面に向けてアカパンダを探して下さい!! 詳細は秘書からテキストをすぐに送りますので!! これで依頼の件は終わりです!! じゃ!!」
私は受話器を叩き付ける様に、電話機に向かって投げつけた。
あースッキリした。
あのクソオヤジ、嫌な奴だったなあ。桜子さんが困ってなかったら無視してやりたかったよ。本当に。
「おつかれー」
今のちーちゃんが、久しぶりに関心した表情で私を見ている。
「褒め給え、褒め給え。いくらでも讃え給え」
なんかとても気分が良い。ひさしぶりにスッキリとした。
「博士が会いに来てくれたの?」
今のちーちゃんは、こちらの心の奥までを見透かしているかの様な笑みを浮かべて尋ねた。
「うん。夢の中でね」
それで気になって尋ね返してみた。
「もしかして、そっちにも現れた?」
今のちーちゃんは、残念そうに首を横に振った。
「まさか!! アサガオの所以外にわざわざ出て来る訳ないじゃない」
敢えて繋げなかった言葉の後ろには、「死んだ後になってまで」と言う表現が隠されていた。だが、今のちーちゃんは、昔のちーちゃんへ敬意を示してその言葉を飲み込んだのだ。コイツもまた、廿里 千瀬博士が、大学で助教授職に就いての以後は、対人恐怖症を抱えて生きていた事実を知っている。
それでも新旧のちーちゃん同士に、直接的な対面や交流を一度でもしていたと言う事実はない。お互いが、私を通じて話としてお互いの存在を認識していた程度であるからして。
「だよね−。やっぱそうか」
「そうよ。当たり前でしょう」
対人恐怖症の人が、わざわざ会った事もない人の前に化けで出て来る筈もない。
私と今のちーちゃんは、まるで子供だった頃の様に、女子高校生同士だった頃の様に笑い合った。
とても久しぶりに。
その夜、日本中の天文学者やら望遠鏡の技術者がてんやわんやで仕事をしている間、私達は久々に徹夜で飲み明かした。
携帯電話を事務所に放置して。
別に良いだろう。だって、シャーロック・ホームズの様に、長年の難題をキレイに解決してやった後なのだから。
どうせ、捜し物が見付かったら見付かったで、用済みになった後の私は、完全な部外者として取り扱われるのだ。
いつもそうだ。機密問題の取り扱いとか、美味しいところを誰が取るかとか、まあ、いろいろとあるらしいのだ。
明日の朝刊だか夕刊だかに、小惑星「2039AA」、アカパンダ再発見の記事が載るかどうかは分からない。国家としては資源確保を目的に隠蔽するかも知れない。事の正否を私にも明かしてくれないかも知れない。しかし、それで良い。そんな国際的な面倒事に自分から首を突っ込みたくない。「後は、勝手にやってくれ」なのだ。
今、私は産みの母の業績を継いだ訳でもないのだが、一応だが、会津地方でほそぼそと"政治家"って言う仕事に就いている。
正し、日の目の当たる国政とか県政ではなく市政。所謂、最下層。政治家と言う業界でも、その末席にやっと名を連ねられているレベルである。
産みの母の業績を継いだのは、唯一の正当な万条・氏の持ち主である叔母と養子縁組を行って万条・氏を手に入れた桜子、血縁で言えば私の従姉妹の方である。
国政へ参加する、日の当たる世界で活躍しているのは、非公式な従姉妹の方である。
私は、血統で言えば元・日本国首相である万条 菖蒲の忘れ形見である。しかし、森 葉子の戸籍へ入れられているので、公式には、万条家とはまったく無縁である。
更に、敢えて、政治家を始める前に、自身の氏をナヲ母さんの旧姓である「朝間・氏」へと変更している。
それは、森 朝顔が、万条 菖蒲の忘れ形見であると言う噂がちらほらと立ち始めたからだ。
ーーー火のない所に煙は立たない、とは良く言ったものだ。
私は、大好きではあったのだけれど、憧れてもいたけれど、万条のおばさまが生きていた証しとしての人生を送りたくはなかった。
だって、私は私だから。
朝間性を名乗る事は、立ち始めた煙を強引に消す効果をもたらしてくれた。
そして、そんな事を思い悩んでいる真っ最中に、万条のおばさまが生きていた証しとしての人生を歩みたいと望む、桜子が出現したのだ。
好きこそものの上手なれと言うではないか。
だったら、全てを任せてしまっても良いではないか(本人もそれを栄誉か何かと感敢えて、心から望んでいた)。
私がその大役に就く事を、産みの母の方も、何故か、密かに望んでいない様な気もしていたし。
しかし、全ての責任を桜子に押し付けたからと言って、大人に成ってから知らされた自分の本当の血統が持つ「威力」から、完全に自由に生きられる訳もない。
極少数とは言え、私の出生の秘密を知る人もいるにはいるのだ。
カソード系キリスト教会の枢機卿にまで登り詰めたフェーデさんだって、未だに私を気に掛けてくれているし。
そんな事情もあって、いやいやながらも、非積極的ながら数々の面倒事に自分から首を突っ込んで回ってもいる。たまにだけ。仕方のない時だけ。
どうやら、こういうのが私の運命であるらしい。今のちーちゃんによれば、これこそが私の天命なんだそうだ。
廿里 千瀬博士。
聞いて欲しい。
今の私には二人の母と、一人の友人がいる。
そして、たった一人の人生の先生がいたんだよ。
それは、貴女の事なんだ。
もう一度と言わず、何度でも会いたい。何時でも化けで出てくれて構わないから、閑が出来たならまたこっちに顔を出して欲しいなあ。
昔のちーちゃんと今のちーちゃん。
二人のちーちゃんの御陰で子供だった私は大人になれた。
偉大な二人が居なければ、何の目的も無く就いた事務職を適当なタイミングで止めちゃって、そのままずっとニートを続けていたんじゃないかなぁ。
あ。ニートに該当するのは日本国では15~34歳。言葉を生んだ英国では29歳までだってさ。
はて。今の私はいったい何歳なのだろう。少なくとももう少女ではなさそうかな。
年齢差別はんたーい。
その晩、私達はここ一週間の懸念だった、アカパンダ捜索の問題が解決した事を祝して呑みに行った。正確には、ムカつく同じとの縁が切れた事に清々して、心の消毒の為に酒屋を梯子した。
意外や意外。酒がこんなに美味いモノとは知らなかった。
私は身長的にはまだ子供だ。
子供っぽいオンナは酒呑んじゃ行けない?
年齢(外観)差別良くない。
そんな事知った事か。
私はやりたい様に生きる。飲みたいように飲む。
成人用のマイナンバーカード持ってるんだぞ!
妙に盛り上がったせいか、帰宅するタイミングを逃してしまった。
翌朝、大人である私達二人は、公園で遊ぶ子供達に囲まれ、見下ろされながら、長ベンチ の上で朝を迎えた。
「お母さーーーん、知らない人達が公園で倒れてるよーーー」
お願いだから通報はしないでね。
※= 博士が自ら描いたらしい。全てのノートに漏れなく同じ絵柄が描かれている。使用された画材が黒マジックと言う事までは判明している、その模様のどの様な意味が込められているのかは、まだ説き明かされていない。
過去モノを整えてから完結処理します。
今後は短編や最終章などを投降予定です。