墜ちる㕶星、拾う百萬星。 〜43
人民共和国の人民達、いや現・上海民国☆臨時政府を支持する国民達は、反革命以前からいろいろな不満を抱えていた。
(なお、以後になっても、彼等らの不満を解消する事は難しかった。根絶する見込みは皆無だった。つまり、これから彼等が費やす努力は、大した効果をもたらさなかったと言う事になる。有り体に言えば、結末は期待外れになってしまったと言う事になる。)
元・人民達が、偉大なる党とその党が支配する人民共和国に対して抱いていた不満は、実に多彩で多様。しかも、驚いた事に豊富でさえあった。
それらは単なる個々の不満の集合体ではなく、むしろ「不満帯」と呼ぶべき、普遍で不変で不便の権化だった。
「不満帯」の詳細の一端は、例えば「経済」や「失業」に対する悲観。それと「言論の自由」への渇望。
だけではないのだ。それらに留まらず、
ーーー早朝、目覚めた直後にベッドから抜け出した途端に左足の小指を箪笥の角に酷くぶつけた。とても痛かった。ーーー
こう言うありふれた生活上の問題までもが偉大なる党の失策!!
そんな言い掛かりとしか家ない不満までも、偉大なる党が責任を取るべき!!
共産主義にはイデオロギー的に「神」は存在しない。
しかし、カソード系キリスト教で頻繁に出て来る「聖人」みたいに、「神」の代替物は存在していた。
「神」の代替物。それが偉大なる党が収まった精神界的ポジションだった。
ーーー党即自然。
偉大なる党だけが至高の存在。
偉大なる党は「神」よりも概念的に上位な存在。
何故なから「神」は存在しないから。存在するなんて嘘だから。宗教なんて麻薬なんだから。
だが、偉大なる党は確実に実在する。
だから、全人類は「神」へ従う様に、偉大なる党へ従わなければならない。
偉大なる党は、この考え方を「科学的」であると、まずは人民へ下賜し、続けて全人類に認めさせたいと考えていた。
言い掛かりだろうが何だろうが、偉大なる党が支配する下々=人民の間では多種多様な不満が必ず生じる。偉大なる党が「不満はないか?」と尋ねて、人民が「ない」と答えたとしてもそれは嘘である。やっぱり不満は確実に「ある」のだ。そして、それら不満は無理無茶を押し退けて、勝手に積層し、勢いを増してながら「神」ならぬ「偉大なる党」へ向けて膨れ上がるものである。
偉大なる党としては、不愉快な境遇を前にして「どうして?」と唸りたい気分にもなるだろう。しかし、その言葉は呑み込んで、反論などは諦めるしかない。何故か。被支配者が支配者を怨むのが世の理であるからだ。水が高い所から低い所に流れる様に、それが自然であるからだ。
多分、専業種+子供達と言う家族を一身で支える「お父さん」になると、この無茶苦茶で理不尽な話を納得出来なくても、何となく「そんなもんだよな(溜息)」と共感出来てしまうんじゃないかと。
偉大なる党とその党が支配する人民共和国は、そんな下々の者達が抱きがちな憤り、立腹、憤慨の標的と言う大役までも引き受けさせられていた。だが、それは仕方がない。「神」の代替的ポジションに、自らの都合で収まってしまったのだから。
ーーー偉大なる党とその党が支配する人民共和国は、元・人民達にとって、真に万能の存在であると感じられていたのだ。
実際、紅い皇帝と紅い貴族と言う大権威は、人民共和国の社会を、オハヨウからオヤスミまで、それどころか夢の中まで、元・人民達の私生活の一切合切を管理・指導していた。
だから、元・人民達にとって「目の上のたんこぶ」であると言う印象は、客観的には正しかった。しかし、偉大なる党とその党が支配する人民共和国の主観によれば、支配してるのではなく、むしろ寄り添っているつもりだった。
それでも、寄り添われていた(らしい)元・人民達の認識としては、享受している生活はデストピア的な超監視社会以外の何物でもなかった。更に、親の心子知らず的に、「寄り添っている」と言う治世者側から配慮の可能性には一切気付いていなかった。
客観視と主観視の完全な相違。互いの認識の完璧なズレ。盛大なスレ違い。これらが元・人民達の不満の源の一端を担っていた。
元・人民達の感受性や価値観は、どうも我々とは圧倒的異なる気がする。おそらく、これは歴史・文化的に絶対君主制=大権威と言う統治システムのみを採用して来たからではないだろうか。または、絶対君主制=大権威による統治システム以外を生み出せなかったからではないだろうか?
逆説的には、偉大なる党が所有する人民共和国は封建制などの別種の統治システムを経由して、民主制と言う権威ゼロ統治システムへの移行は不可能なのだろうか? 多分不可能だ。それは下記の理屈で主張出来る。
兎にも角にも権力の分散化、或いは内輪の他勢力への依託化などの推進こそが民主国家へと続く長い冒険の第一歩である。しかし、権威/権力が一箇所に集中していては、たかが冒険の「第一歩」を記す事すらままならない。これでは民主化など達成出来る筈もない。
稀にそれを成し遂げた主張する権威主義国家や独裁者がいるが、そんな言い分を信用する程に大部分の人類は進歩的ではない(もちろん、お馴染みの、大部分以外の人類は信用する)。
更に、権威主義国家、或いはそれの運営者達は、「権威主義」を名乗る国家を信望するだけあって、権威/権力の分散化を最も嫌う。許容する余地がない。これでは民主化への第一歩を印す事もままならない。
おそらく、絶対君主制の国家や権威主義国家に、ワレワレが考える「議会」や「議会政治」が存在しないのは、きっとこう言う事情があるからなのだろう。また、「議会」や「議会政治」が存在が見られたとしても、それは所詮は形式上の議会コスプレ(※0)に過ぎない。その手の「自称議会」は決して討論の場ではなく、実体は政策の発表の場に過ぎない。これこそが、権威主義国家の国家運営の特徴である。
封建国家から現在に到った日本国。儒教国家から現在に到った人民共和国やその隣国など。同じ東アジアの国家同士でも、生い立ちも文化も価値観も、何から何まで異なる(なお、違いそのものに優劣や貴賤は見出せない)。だから、ワレワレがカレラに共感出来ないのも同然だし、カレラがワレワレに共感出来ないのも必然と考えて差し支えないだろう。
仮にカレラの一部がワレワレにポジティブな印象を持ってくれてとしても、それらはほとんど全てが誤解に基づく妄想の域を越えないだろう。カレラの目に見えているワレワレに姿は、残念な事にワレワレの姿ではない。実は滅多に見ない角度から眺めた、鏡に映ったカレラ自身のそれであるに過ぎない(だから、好感を持てるのだ)。想像力と創造力は、いずれも知識と経験を源泉とするパワーである。理解出来ないもの=知らないも=価値観の範囲外の事象を誤りなく想像したり、正確に妄想するなんて出来る筈がない。
逆もまた然りである。ワレワレが想像するカレラは、カレラとは全くの別ものである。極めて無情なことに。
文化が違う。ワレワレとカレラは、生物学的に共にホモ・サピエンスである。共通の祖先を持っている。交配だって可能だ。しかし、ミーム的には全く別系統の文化情報社会人へと文化して長い。双方のミームはの交配は果たして叶うのだろうか?
この現状をうまい言語化を試みると、ワレワレとカレラの間で情報の伝達に齟齬が発生するのはどうにも避けられない、ではないだろうか。なお、情報とは価値観を指している。間違った情報を元にする交配活動。そんなものは一時的に成立したとしても、すぐに崩壊してしまう。
ーーーカレラ(ワレワレ)がこんな人とは知らなかった。
或いは、ワレワレ(カレラ)は「騙されていた」と訴えるなど、カレラ(ワレワレ)側に自身が誤解した非を一方的に擦り付けた上で、衰退的解消に勤しむだろう。
実際、元・人民達は、ワレワレには共感出来ないのだが、自身の責任と思われる範囲のトラブルに対して、何故か無責任で他人任せ=責任放棄な傾向がある。例えば、自分達に対して何らかの悪事が起これば、どんな些細な事でも、全責任は元・人民の側にあるのではなく、治世者の側にあると主張して憚らなかった。
ーーー無力感をベースにした、膨大な他力包含で回る壮大な社会。
当事者としての自覚を与えられていない。或いは、奪われている。ワレワレにとってはそう言う異質としか言えない、特異な価値観が、全非支配者の統合精神的社会の隅々まで十分に共有されていた。
仮に起こった悪事があからさまに天災であっても、治世者=偉大なる党とその党が支配する人民共和国が徳に乏しいから、天子様が下されたお怒りや警告であると受け止められてた。
ーーー郵便ポストが紅いのも、電信柱が高いのも、全部まとめてひっくるめて十分な徳を持ち合わせていない偉大なる党の責任。
つまり、人民共和国、強いては偉大なる党が存在しなければ精神社会が回らない程に、元・人民達は支配者に対して公私双方で、官民共に共依存していた。
そうでありながら、支配者は大昔も最近も一様に依存者達に対して優しくなかった。それで、依存心の強い元・人民達は、依存対象を心から憎んでみた。それでも優しくしてくれなかった。やがて、完全に無視されていると勝手に思い込んだ。それどころか、蔑ろにされているとさえ感じて憤慨した。
満たされない「依存心」は、こよなくして、化学反応を何段階か起こした末に「自立心(Stand alone)」と言う新しい概念に気付いた。非支配民達の胸中で、「自主性(Be independent)」への渇望を芽生えさせるのに最適な苗床となった。苗はゆっくりと育った。しかし、幹の円周を確実に拡張し続けたしていった。
(なお、芽生えたのはあくまでも「渇望」だけであり、肝心な「自主性」の方は含まれてはいなかった。また、カレラはそれらが両輪で進むものである事に気付いていなかった。誠に残念な事に。)
40年間に渡って主婦業だけに没頭する事で人生の荒波を乗り切った来たご婦人が、旦那の定年退職を機会に離婚を申し込む場面を想像してみて欲しい。それと、突然に離縁を申し込まれた旦那が、顎を外すほどに驚いている後姿を。
ーーーこれからは自身の意思で生き、自身の責任で生き、今までと違って幸せに生きます。自由を下さい。
都市戸籍の保持者であれば、時代の波の動きが激しかったとは言え、それなりに文明的な生活に有り付けていた。合衆国が歴史上初めて実現させた「労働者が消費者にもなれる文明(※1)」を、曲がりなりにも国内で実現させた。産業革命を達成した英国と、文明国家群の象徴だった欧州が自力では成し遂げられなかった「夢」を、50年遅れで現実の物として見せたのだ。
人民共和国では、都市戸籍の保持者でさえあれば、少なくも、農民戸籍の保持者と比べれば「あいつらよりはマシ」な、上流階級的(※2)な気分で鬱憤を晴らす事も出来た。
しかし、近年ではそんな精神的な贅沢を楽しむ余裕すら失われつつあった。当面は大丈夫だろうと言う見込みではあったが、近い将来のいつか都市戸籍の保持者と農民戸籍の保持者の生活レベルが重なり合ってしまうだろうと予想出来ていた。それが極めて不愉快であった。
なお、生活レベルが都市戸籍の保持者と農民戸籍の保持者の間で逆転するのではない。単純に、都市戸籍の保持者の生活レベルが一方的に下がるだけ。双方の歩み寄りの結果ではなく、都市戸籍の保持者の生活レベルが墜落する事で成り立つ平等。リソースを分け合うのではなく、リソースが純粋に激減してしまうので、全員で貧しくなると言う話だ。
理想的な共産主義者を生み出す土壌とは、どんな社会だろうか? それは、例えば、人民を「国民」にせず、「家」と「自動車」を所有する事を許さない環境だ。
逆に、人民はそれらを一度でも手にして、「国民」化と言う体験を甘受してしまうと、それを権利と感じて絶対に手放さなくなる。また、奪われないように、手に入れた目には見えない資産を自衛すると言う概念を獲得する。逆に、保有し続けたいモノ、奪われるモノ、自衛する資産を持ち合わせていない人民は幸運である。
幸運を持ち合わせている国民に対から、強制的に権利を奪って、惨めな立場を共有させれるだけで平等を実現出来る。偉大なる党が唱えたスローガンである「先富主義」なんて、自分が先に富むのでない限りは糞食らえだ。そして、幸福な誰かが自分と同様の不幸に見舞われれば、脳内で報酬ホルモンがドバッと放出されると言う報酬をが得られる。その悦びを一度でも体験してしまうと、「やめられない。とまらない」と言う状態に陥り、二度と這い上がれなくなってしまう。
また、経済的な話であれば、他人の資産である「幸福」を強奪して、それを持たない者達がそれらを貪り食う。それこそが、共産主義者が唱える理想の社会である(だから、理想の社会とやらでは、誰もが新たな資産を生み出す積極性を失うのだろう。資産が新しい資産を生み出すと言う、富の拡大再生産へ移行出来ずに、日を追うごとにどんどん収縮を繰り返す運命が待っている。ソ連の末路はソレを証明してくれた)。
もし、自国を共産主義や社会主義で満たしたくないならば、国民に「家」と「自動車」を所有させれば良い。直ちにそれが不可能であるのならば、将来的にそれが必ず実現すると確信させてやれる政策を採れば良い。
そして、一度手にした幸運(或いは、近い将来に幸運を手に入れる機会)を共産主義や社会主義から守るように誘導すれば良い。それだけで、自国の社会体制はきっと守れる。誰だって、苦労して手に入れた幸運(や機会)を名も知らぬ不幸な隣人に奪われたくはない。
ーーー資産の共有化だなんて妄想を抱いたり、妄執を共有する余地を矮小化出来るだろう。
今では、上海などの一流の大都市戸籍を持つ人民達は、あろう事か、一度は「家(←土地は除く)」と「自動車」を所有する幸運に授かってしまった。そして、それらを奪われる脅威に曝されていた。
分け合う対象=「幸運」と言う"ピザ"や"パイ"のサイズがLLサイズであれば訳あっても全員の腹は満たされるだろう。しかし、Sサイズへと変われば、全員が腹を満たせなくなるなんて事は馬鹿でも分かる。
そして、肝心な「幸運」のサイズは、初めてのオリンピック開催に向けて頑張っていた頃にはLLサイズである事が当然であったと言うのに、その後は順調に縮小を繰り返し、今ではMサイズにまで小型化してしまっている。そう遠くない未来にSサイズ化する事も確実視されていた。これは拙い。ヤバイ。
こうなると潮目が変わる。泥船には誰も乗らない。沈む船からは誰でも脱出する。
元・人民、現・国民は、「もう、これ以上、お互いに関わり合うのは止めましょう( ※3)。私は新しい人生を迎えますので」と言う新しいマインドで生き始めていた。「濡れ落ち葉の様な振る舞いは止めて下さいね。見苦しいので」と言う態度で、身替わりの速さを見せ付けていた。
共産主義との決別。偉大なる党との決別。新しい社会体制への移行。もしかしたら、もっと輝けるんじゃないかと言う未来を選択したい(なお、輝けないかも知れないと言う「If」は考慮していない)。
国家の興亡。興隆期であれば、どんな難問題に対してでも具体的な解決策がいくらでも導き出せたろうし、それを実行する事も無理は無かった。
滅亡期に入ってしまうと、些細な問題に対してでもせいぜい哲学的な解決策くらいしか導き出せない。残念なことに、それは問題解決には役に立たないか、焼け石に水と言う程度の役にしか立たない。糞の役にも立たないのである。
袋小路とは、何かしらの大きな成功を収めた者や組織だけが味わう事が出来る「終幕」である。稀に、その状態からもう一度「開幕」まで持って行ける者や組織もある。だが、それは飽くまで奇跡の範疇の快挙である。果たして、人民共和国、合衆国、そして日本国は、逆境を覆す政経的なスマッシュ・ヒットを打つことが出来るのだろうか?
新国家、上海民国の、どこからともなく突然に湧き出て来た、資本主義化を唱える「臨時政府」。それを支持する元・人民、現・国民は、熟年離婚に燃える女性的な気分で白京政府に対して、一方的に今後の相互関係性の継続に対して「No」を突き付けたのだった。
元・人民、現・国民による、白京政府に対する不満の暴発は、まず最初に、上海市の外灘で発生した。
続いて、黄浦江を挟んだ対岸である浦東地区へと広がり、瞬く間に高層建築群を支える為に働く人民達へと波及した。
最後に、何故か、上海鉄道駅とラディソン・ホテルの間にある小さめの広場で、人民達の誰かが「上海、独立」を叫んだ。
その声は、周辺の人々へと伝播した。西食のハンバーガーを売るフランチャイズ店の前へと「上海、独立の声の影響力が波及した時、店の前か中に居た、誰か一人が「饅頭よりも巨无霸食いてえ!!」と叫んだ。
おそらく、その人物は、「巨无霸」を、ただ単に大きなハンバーガーと言う意味でシャウトしたのだろう。多分に「このスレの速さなら言える。○○タソが好きです」的な感じで。
しかし、「巨无霸」など外来語の固有名詞には、「影の実力者」や「影に隠れて君臨する者」と言う隠語であったり、それを比喩すると言う意味合いもあった。
いろいろな苛立ちが頂点に達していた元・人民、現・国民は、「巨无霸」を隠語や比喩の意味で受け取った。「影に隠れて君臨する者」を喰っちまえ的な意味でだ。
もう、そこで、ノリだけで、白京政府を倒すと言うスローガンが、群集心理の中で提案され、圧倒的な支持によって可決されてしまった。
ひょんな事から、いろいろと分散され、各方面へと散らばっていた苛立ちが、たった一つの目標、或いは目的に向かって集約された。
独立すれば自由。すべてが上手く行く。何て言う見込みが、統一された目標・目的として意識され、共有された。そして、統一された目標・目的は距離と時間を越えて、遙か彼方まで広まり、然るべき後にアチラコチラで共有されるに至った。
ーーーこうなってしまうと、もう後戻りは出来ない。
そんな不幸な偶然が重なり、指導者不在のままで、元・人民、現・国民による偉大なる党への反抗が始まってしまった。人民が偉大なる党を否定したのだ。
真に、下から上へと向かう革命。社会構造の"上"が腐れば常に社会構造の"下"から永遠に続く革命が起こる。建国の父だか、その嫁がかつて唱えた通り、正しい共産主義者による真っ当な社会活動が始まった訳だ。
建国の父だか、その嫁だった誰かの言葉に従えば、"上"が腐ったのならば、"下"に指導権を譲らなければならない。"下"には指導権を上から強奪する権利があるのだから。
しかし、建国者の後継者達は、先輩達のありがたいスローガンの御言葉には従わなかった。何と、"造反有理"の伝統をガン無視して、"下"からの新鮮な革命を、"反革命"と断定した"上"からの指導で"粉砕"する事に決めた。
すぐに、人民武装警察が、「胸壁」とも呼ばれる、人民武装警察が展開を開始した。人民武装警察とは、人民解放軍と並び立つ武装組織だ。総員は何と70万人を超える。
彼等が戦うべき対象は国外の脅威ではなく、国内の脅威である。つまり、外国の軍隊ではなく、自分達が支配する人民である。人民が起こす間違いに備えて、各省、自治区、直轄市に一定数の総隊が常時配備されている。
まずは、上海鉄道駅周辺へと放水車が出動して、強水圧を利用した暴徒鎮圧作戦を開始した。しかし、水圧で吹っ飛ばされた位では、ノリノリの現・国民達のパワーを抑えられない。鎮圧対象である暴徒達の属性は、ほどなくして"極左日和見主義者"へとアップグレードされた。その為、鎮圧手法が、実弾の水平射撃直前の、催涙弾の投擲・投弾へと切り替えられた。
3時間後には、装甲車や機銃を構えた部隊が黄浦江の両岸への展開を終えた。白京政府が、今回の暴動が「民主化要求デモ」ではなく、初っ端から「独立」と言う分離主義的運動と詳細を把握して驚いた。だから、鎮圧方針を、「とりあえずメチャクチャに撲って黙らせてから、暫く間を置いた後で適当に懐柔しよう」と言う戦略に切り替えた。
この状況を、"極左日和見主義者"と断定されて次から次へと殴り倒されている元・人民の視点から説明すると、「熟年離婚」に例える事が出来た。
好んでか好まずか、長年に渡って束縛力が激強の旦那に、ある日とうとう我慢が出来なくなって逃げたくなった嫁による離婚宣言。しかも、
ーーー和解へ向けたお試し別居期間ですら設定されない。最初から、完全な財産分与と自分の戸籍からの離脱を宣言している。
となる。
収入の余り多くない旦那が、過ぎた亭主関白を徹底するとこうなるケースが多い。みたいな、
ありふれた家庭裁判所の調整室で普遍的に見られる光景が、上海でも繰り広げられていた、みたになモノなのだ。
人間とは、湯水のように金を無駄遣いしても文句を言われない。そんな特典がなければ、常に上から押さえつけられる人生を永遠には受け入れられない、自分で自分を納得させられない。いつかキれる。判断力が失われる。単なる思い付きが早急で場当たり的な選択であっても、それが最高に冴えた選択である様な気がしてしまう。
人間とは、群れている時であれば、選択の責任を多数で共有出来ている場合であれば、リスク面を十分に省みたい生き物である。いや、多分、生物全般がそうなんじゃないかと思う。
熟年離婚に関しては、男性よりも女性の方が圧倒的に前向きである場合が多い。
ーーー少なくとも、この旦那より自分の方が圧倒的に優秀である。
自分が退屈な人生に堪え忍ばなければならなかったのは、全て旦那の無能さが原因だ、と言わんばかりに。
そう言う仮説を信じている。正しい選択をしていると確信出来ているからだ。客観的には、それが根拠に乏しい自己評価だけが根拠であるに関わらず。
社会の本当の荒波を経験した事がない者こそ、勇者候補者として立候補するべき者としては最適な人材である。何故なら、状況に左右されない勇気にまだ満ち満ちているからだ。
そして、それらの勇者候補者に共通している点は、持ち前の勇気を試してみたくて堪らなくなっている心持ちにこそ求められる。
Theyが、勇気ある生き方を最後まで貫き通せるかどうかはきっと運次第。さあ。ファイト。頑張れ。幸運を。
革命の祭りを楽しむ決断を下した元・人民達は、自分達の方が偉大なる党よりも、社会を上手く回せると言う冒険に、勇気一つを友として歩み始めたと言う事だ。
とにかく、賽は投げられてしまった。転がったダイスは、何かしらの目を出して動きを止める事になる。重力の強い影響下にある地上付近で投げられたダイスは、物理的に永遠に回り続けられない。だから、丁か半かくらいにザックリとした結果が必ず出てしまうのだ。
熟年離婚と、不効率ながらも国家としての体裁を保っている社会で起こす革命運動は、どこかしらで、何かしらかが似ていると言う話である。
その頃、人民武装警察の指揮権を持つ、党中央政法委員会と公安部が主導権争いを始めた。二重指導体制の弊害である。しかし、人民解放軍の歩兵師団にルーツを持つ武装機動師団が党中央政法委員会を支持した事で、もっとも破壊力のある実行部隊の即時投入が決まってしまった。
困った公安部は、何とか内衛武警の特殊警察部隊「剣聖突撃隊」の確保に成功した。警察官の質の面では特殊警察部隊の方が、武装機動師団を上回る。
しかし、如何せん、武装機動師団と比べると、内衛武警側は重火器を自在に使える隊員の総数が圧倒的に少ない。練度は高いが、軽火器の使用に特化しているせいだ。ハイジャック対策部隊としての意義が大きいので、それは仕方がない。
その為、公安側は、党中央政法委員会と違って、利用可能な道具の積極的な展開は自重した。
公安はそこで気付いた。中船集団が管理する、上海長興島の江南造船所を暴徒の手から守らなければいけない事を。そこは、海軍向けの造船所である。純国産空母「福建艦」を建造し、現在では新型空母をせっせと建造中である筈だった。
そのせいで、特殊警察部隊は適材適所的に采配された。少なくとも、厳しく訓練された技術で、人民達の頭を次から次へと棍棒で撲り付けると言う・・・実に情けない役回りへ付かされる不幸だけは回避出来た。
不幸中の幸いであった。
※0= どう言う訳か、独裁国家、権威主義国家では、「議会」が存在しているとか、国民に超高い支持を受けているとか、民主主義的であるとか、言論は自由だとか、自由意志は尊重されているとか・・・明らかに民主主義国家群へ向けて大規模な政治宣伝を繰り返し行う傾向が強い。そんな当たり前の事、わざわざ協調して訴える必要なくね? もし、それが真実であるのならね。もしかして、カレラが運営する国家が権威主義的である事に引け目でも感じているのだろうか? カレラは自身にもっと自信を持つべきである。勿論、ワレワレはそんな国家に帰依するなんて真っ平であるが・・・。
※1= 驚いた事に、それまでの地球では資本家と政治的な強者以外は絶対に消費者にはなれなかった。信じられないかも知れないが、それまでの人間社会では、消費活動とは限られた者達だけが楽しめる特権だった。例えば、自動車工場で働く労働者達は、絶対に自分達が仕事で作る自動車を購入出来る購買力を持ち得なかった。合衆国の資本家達が行った改革、いや、革命は、労働者の購買力を過去にありなかった程に高める事に成功した。
※2= なお、偉大なる党の党員は「騎士階級」、偉大なる党の地方幹部は「下級貴族階級」、偉大なる党の中央幹部は「大貴族階級」である。だから、「騎士階級」の下に収まる「上級階級」と言うポジションは、階級ピラミッド内ではほとんど下層に位置している。
※3= ただし、財産分与協議が、離婚を申し立てた側にとって一方的に有利に終わった場合に限る(裁判所の判決が出ただけでなく、債権の完全回収にも成功したと言う意味)。




