Order8. 襲来せし狂気
第二章の始まりです。
<便利屋事務所・オフィス>
アルフとの交戦から約一か月の月日が流れ、7月上旬を迎える。シカゴの気候は変わりやすい事で有名だが、この季節になるとそうも言っていられない。オハイオストリートの端に位置する白塗りの雑居ビルの2階で便利屋を営むアールグレイ・ハウンドは、うだるような暑さに内心中指を立てる。とめどなく流れる汗を一瞥し、暑さを凌ごうと自身の白いシャツを扇ぐも、一向に体温が下がる気がしなかった。
「なんでこんな時期にエアコンがぶっ壊れやがる……しばらく使ってなかったってのによぉ」
「修理の……人が来るまで待ちましょうよぉ~……。このままじゃ二人とも脱水して死んじゃいますぅ~……」
グレイの向かい側でソファに寝転がる少女、もといソフィア・エヴァンスは汗ばんだキャミソールの胸元をパタパタと上下させる。女性物の香水の華やかな香りがグレイの花を刺激するも、相変わらずグレイの表情は腑抜けたものとなっていた。彼女は一か月前とある依頼で偶然誘拐されているところをグレイに助け出され、成り行きで働くことになった女性である。
「……今胸見ようとしました? 」
「お前の無い胸見る気にはならねぇよ」
「……どうしよう、怒る気力も起きない」
その時、事務所内にチャイムの音が鳴り響く。さっきまでの体制が嘘のようにグレイとソフィアは飛び上がり、即座に玄関の扉を開けた。作業着姿の男性が朗らかな笑顔を浮かべオフィスに入室すると、グレイの表情は自然と明るくなっていく。
「ようグレイ。待たせちまったな」
「遅ぇぞケニー! 危うく暑さで死ぬとこだったわ! 」
「そうですよ! 危うく溶けちゃうところでした! 」
「はは、悪いな。ちょうど道が混んでててよ」
事務所にやって来た男の名は"修理屋" ケネス・ヘンリソン。グレイとは10年来の腐れ縁であり、その名の通り彼の手に掛かれば機械や家電、挙句の果てには車を直すほどの技術を有している男であった。丁寧に切りそろえられた髭とブロンドの短髪を携えた彼は、男性から見てもかなりの男前である。グレイは早速彼を招き入れ、故障を起こしたエアコンの元へ連れていく。
「ほお、こいつが例のじゃじゃ馬娘か。ちょーっと待ってろよ……」
戯言を吐きながら、グレイはケニーから受け渡されるエアコンの部品を積み重ねていった。そうして数分後、ケニーの手によって事務所のエアコンは見事復活を遂げ、グレイ達に涼風を再び送り届ける。
「あぁ……生き返る……」
「助かりました……ケニーさん……」
「いいって事よ。だいぶ使ってなかったから部品が老朽してたみたいだな」
身体一杯にひんやりとした風を受け、グレイは思わず声を上げた。火照った体が次第に人工的な風によって冷やされていく感覚を彼は味わい、思わず着ていたシャツを脱ぎ捨てる。
「そういやグレイ、お前あのアウディはどうした? 駐車場見たら無くなってたぜ」
「綺麗さっぱり吹き飛んじまったよ。お陰で毎日寂しい思いしてる。相棒が居なくなったからな」
「おいおい、マジかよ。そりゃあ残念だな……。そうだ、俺の知り合いに車を売りたがってるやつがいるんだが、そこを当たってみたらどうだ? 」
ケニーから発せられた言葉にグレイは眉をひそめる。確かにミカエラからの報酬や依頼のお陰で資金は有り余っているが、大概知り合い伝手からの商談は質が悪い事が多い。だが修理の為にわざわざ事務所まで赴いてもらった手前、グレイには断ることが出来なかった。
「どんな車なんだ? 」
「驚くなよ、1969年式マスタングのBOSS429だ。しかも最近じゃ中古で高値なんだが、こいつはもう運転しないから要らないんだってよ」
「ほぉ~お……こいつはイカしてる。んで、幾らなんだ」
「それがな、5万ドルでいいらしい。本当は倍以上する値段だぜ? 」
彼から提示された値段に、思わずグレイは感嘆の声を上げる。子供の頃テレビで見たアクションスターがスポーツカーを乗り回している姿によく憧れたものだ、と彼の脳裏に記憶が蘇った。それに今グレイの手元には大金が入っている。5万ドルは痛手だが、足が増える事に越したことはない。
「……ケニー、そこの住所と連絡先、教えてくれ。実物を見に行きたい」
「おお! マジか! じゃあ俺から言っておくよ! 今日にも行くつもりか? 」
「ま、そうだな。3時間後ぐらいに向かうって伝えておいてくれ」
そう言うとグレイはケニーから住所と電話番号が掛かれたメモ用紙を受け取り、彼に別れを告げて汗まみれの白いシャツを洗濯籠に入れた。筋肉質な上半身が露わになり、ソフィアの視線が突き刺さるが臆することなくグレイは新しい水色のシャツを羽織る。次にグレイはドックタグを首にかけ、ジーパンからカーキ色のハーフパンツに履き替えた。
「お前も来るか? つってもタクシーで移動する事になるけど」
「えっ、あっ、はい! ちょっと待っててください! 着替え取ってきます! 覗かないでくださいね? 」
「覗きたくなるほどの身体にしてから出直して来な」
彼の発言に舌を突き出して反抗するソフィアを見送ると、エアコンの風元に早速赴き煙草に火を点ける。チャコール味の香ばしい風味がグレイの口の中を支配し、ずっしりと圧し掛かるタールの重圧に彼は心地良さを覚えた。一服する事数分後、暗めのデニムワンピースに細い革ベルトを身に着けたソフィアが更衣室から現れる。
「……なにやってんだ、お前」
「い、いやあ……なんでもないです」
照れ臭そうに先に事務所から出たソフィアを見送り、煙草を灰皿に捨ててから彼もオフィスの玄関の扉を開けた。涼しい空間から一転、再びグレイの体に照りつくような日光が降り注ぐ。灼熱のような暑さを一瞥し、グレイはソフィアと共に停めていたタクシーへと乗り込んだ。
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<高級住宅区・ブルーミングデール>
ケニーから渡された紙通りに住所をタクシーの運転手に言い渡し、大通りを走ること数十分。グレイとソフィアはシカゴ市街の喧騒から少し離れた閑静な住宅街に足を踏み入れた。ショッピングモールなどが幾つも各所に設置されているこの地区の一角に、彼は白で統一された近代的な豪邸に気が付く。
「……グレイさん? どうしたんですか? 」
「紙に書いてある住所だとここらしい。いやしかし……これなら納得だ。車10台持ってるって言っても過言じゃねぇ」
黒の正門の前に立ち、グレイは紙に書かれた電話番号をスマートフォンで入力した。数コールの後、活発な老人の声が彼の耳に入る。
『やあ。君かな? 僕の車を買いたいと言っている人物は』
「えぇ、そうです。今ちょうどご自宅に着いたので、この門開けてもらえませんか? 」
『分かった。そのまま正面玄関まで来てくれ。正門からまっすぐ行ったところだよ』
電話が切れると同時に正面の巨大な門が地面を擦りながらグレイ達を迎え入れ、彼らは身なりを整えつつ中庭へと足を進めた。おそらく庭師が手入れをしているのであろう、華々しく彩られた庭園がこの邸宅を飾り付けている。グレイは正面玄関に到着するとドアの傍らにあった黄金のチャイムのボタンを押す。数秒後にすぐ白い木製の扉が開き、太った白髪の中年男性が二人を迎えた。
「初めまして。私はチェスター・クラーク。君がアールグレイ・ハウンドくんだね? 」
「はい。こちらは助手のソフィア・エヴァンスです。今日はお車を売っていただけるという事でお話を伺いに来ました」
「あぁ。さあ入ってくれ」
久しぶりの客人に舞い上がっているのか、チェスターはどこか上機嫌である。言われるがまま彼の後について行くグレイは幾つもの美術品に内心驚きを覚えた。中世ヨーロッパの騎士鎧や、中国製の陶器。更には日本の武士甲冑までもが飾られ、チェスターの身分の高さを暗喩している。そしてグレイとソフィアは客人専用の部屋に案内され、革製の黒いソファに腰を下ろした。
「今コーヒーを淹れてくるよ。少し待っていてくれ」
客室から出ていくチェスターを見送り、グレイはソフィアと顔を見合わせる。
「……なあ、すげえとこに来ちまったな」
「本当ですね……。私、ここまで大きなお家に来たの初めてです」
「俺もだよ。改めてケニーとチェスターさんに感謝するぜ」
そんな雑談を交わすこと約数分後。3つのコーヒーカップが乗せられた御盆を持ったチェスターが現れ、グレイとソフィアはそれぞれのコーヒーを受け取った。湯気の立った香ばしい匂いを漂わせる液体に笑みを浮かべ、グレイは口に含む。
「さて、早速本題に入ろうか。先ほどケネス君からメッセージを受け取ってね、君たちが私のマスタングを欲しがっていると聞いたよ」
「そうなんです、とある事情で車が無くなってしまって……」
「ふむ、そういう事だったのか。道理ですぐにこっちに来たわけだね。コーヒーを飲んだらガレージへ行こう。そこに車があるよ」
グレイは頷き、コーヒーカップを口元へ傾けた。思わず煙草が吸いたくなるほどの美味しさであったが、彼はそれを堪えてコーヒーを飲み干す。熱い液体と芳醇な風味が体の中を占め、グレイの体は少しばかり汗ばんだ。
「それで、君たちの職業は何かな? 」
「僕らはお客からの依頼を請けて仕事します。所謂便利屋というやつですね」
「ほほう、今時珍しい……して、そちらのお嬢さんも? 」
「は、はい! まだ入りたてですけど……」
この手の会話を回避するのにグレイは慣れている。便利屋とは告げたものの、流石に殺しの依頼も請けているとは言えまい。その為いつもグレイが懐に忍ばせていた愛銃は自室に仕舞っており、彼はどこか胸に違和感を感じていた。
「では、ガレージの方へ。案内しよう」
ソフィアがコーヒーを飲み干したと同時にチェスターがソファから立ち上がり、グレイは彼の後を再び歩き始める。ダイニングルームを抜け、階段を下がったところにコンクリート製の分厚い壁で覆われた地下へとやって来た。チェスターが地下室の照明を点けるとずらりと並んだマッスルカーが姿を見せ、グレイは思わず感嘆の声を上げる。
「はは、ここに来た人はみんな同じ反応をするよ」
「そりゃまあ……。驚きますって、ここまで圧巻だったら」
チェスターの案内の元、グレイはようやくマスタング BOSS429が停めてある一角までたどり着いた。1970年代の雰囲気を感じさせる角ばったボディに備え付けられた4つの丸形のフロントライト。リアの部分は2000年代のマスタングを感じさせるフォードのエンブレムが中心に位置し、磨かれた車体より一層高級感を醸し出す。灰色の車体に白のラインが車の中心を貫き、王道のマッスルカーである事を示していた。
「こいつは……かなりイカしてる」
輝く車体を手で撫で、グレイは思わず笑みを浮かべる。チェスターの手によって運転席が開けられ、黒を基調とした革製のシートと茶色のハンドルがまずグレイの目を惹いた。4つのタコメーターの内部でさえも綺麗に清掃されており、本人の丁寧さが窺える。
「お気に召したかな? 」
「えぇ、そりゃあもう。ここまで良い車を見たのは初めてですよ。今まで故障とかはありましたか? 」
「いや一度も。車検もつい最近通したし、動作も問題ない。乗ってみるかい? 」
満面の笑みでグレイはチェスターからキーを受け取り、運転席に座り込むとエンジンを起動させた。獣の唸り声のような轟音に快感すら覚え、興奮した面持ちでグレイはハンドルを握る。手に吸い付くような握り心地の良さに彼は運命を感じた。アルフ達によって爆破されたアウディA6の遺志を受け継いでいるような雰囲気を纏ったマスタング BOSS429。グレイは既に、この車を買う事を決めていた。
「……チェスターさん。本当にこの車、5万ドルで売っていただけるんですか? 」
「勿論だとも。こいつも君のような主人に出会えてなんだか幸せそうに感じるよ」
早速彼はポケットに仕舞っていた二つ折りの財布から小切手を取り出し、そこに5万ドルの数字を書き込む。難なく交渉が進んだことにチェスターは満足しているようで、キーや保険の書類、車検証などをグレイに預けた後に譲渡した証明書に名前を記入していた。最後にグレイはチェスターと握手を交わし、ソフィアをマスタング BOSS429の助手席に乗せる。
「それじゃあ、今日はありがとうございました。今度一緒に酒でも飲みましょう」
「ああ、分かった。良い一日を、アールグレイ君」
チェスターの姿が地下ガレージから消えると途端にガレージのゲートが空き、日光が周囲に差し込んだ。新たな主を乗せたマスタングは喜びを表すように日光を反射し、より一層の輝きが増す。
「じゃあ行くぜ、相棒」
不敵な笑みを浮かべながら、グレイはマスタングのアクセルを踏んでガレージから出る。そのままチェスターの邸宅を抜け、グレイ達を乗せたマスタングはシカゴ市街へと向かっていった。
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<シカゴ市・住宅街>
灼熱のような暑さのほとぼりが冷め、ようやく過ごしやすい気温となった住宅街の道路を一台のバンが通り抜ける。時刻は既に7時を過ぎており、愛する娘の待つ自宅まで車を走らせる男の名はケネス・ヘンリソン、所謂修理屋と呼ばれている男であった。彼の評判は近年右肩上がりで、仕事場である自動車整備工場にも依頼が絶え間なく申請される。お世辞にも上手とは言えない鼻歌を交えながら、ケネスのバンは白塗りの大きな一軒家の前に停められた。
「……電気が消えてる……? 」
急いでケネスは助手席から仕事用の鞄であるショルダーバッグを右肩に提げ、ダッシュボードに仕舞われていたチェコスロバキア産の自動拳銃、Cz75の光沢が掛かったグリップを握り締めつつ自宅の玄関までゆっくりと進んでいく。黒く塗られた木製のドアの隣に備え付けられた玄関チャイムを押し、家の中で待っている娘の反応を待つ。だが、幾ら待とうとも彼の愛娘がケネスを迎える事はない。不審に思ったケネスは一心不乱に作業着の上着ポケットから金色の鍵を取り出し、右手でCz75を構えながら左手で扉を開けた。
「……」
ケネスが玄関に入ると同時に玄関先に照明が付き、茶色のフローリングが彼の視界を埋め尽くす。鞄をその場に降ろし、まず彼は1階のリビングへと慎重に歩みを進めた。両手でCz75を構え直し、4つの椅子とガラス製のテーブルが置かれたダイニングルームにたどり着くとおそるおそる部屋の電気スイッチに手を伸ばす。蛍光灯がリビングを照らし出した瞬間にケネスの体は何者かの手により地面に叩きつけられ、手にしていたCz75も叩き落とされた。
「お父さんっ!! 」
「エレナ!? エレナっ! 」
うつ伏せの状態で床に押さえ付けられたケネスは愛娘――エレナ・ヘンリソンの声がする方向へ顔を上げる。確かにそこには愛する娘の姿があった、彼女の背後に立つスーツ姿の男に銃口を突きつけられながら。背後で自身の両手を縛りつけようとしている第三者目がけてケネスは後頭部で頭突きを食らわせ、一時的に拘束を解くと真っ先にスーツ姿の男へ立ち向かっていく。しかし彼の予想以上に刺客が自宅へ入り込んでいたのか、再びケネスは横向きのままフローリングに叩きつけられた。
「ぐぅっ!! 」
「いやはや。流石と言うべきかな、修理屋。いや……解体屋と呼んだ方が良いかね? 」
「貴様……なぜその名前を……! 」
解体屋。かつてケネスが呼ばれた不名誉な称号。彼は有名な殺し屋としてシカゴで名を馳せていたが、妻と結婚したことで殺し屋稼業を引退した。妻は早くして病気で亡くなり、遺された愛娘の為に修理屋という名を得た彼にとって解体屋という名前は忌まわしい記憶に等しい。
「エレナ、お父さんは大丈夫だ。だから怖がらないで、ね? 」
震える娘にそう言い聞かせ、ケネスはスーツ姿の男に再び視線を向ける。殺気の籠ったナイフの刃のように鋭い眼光が男を貫くも、おどけて笑い声が周囲に響いた。
「君に"依頼"だよ、解体屋。請けなければ娘は……どうなるか分かってるな? 」
「その子は関係ない!! まず彼女を離してから話をしろッ!! 」
ケネスに向けられた返答は乾いた火薬の音。躊躇なく放たれた鉛玉はケネスの眼前にあった木製の床を易々と貫き、彼は選択の余地がない事を改めて理解する。
「……標的は誰だ? 」
「アールグレイ・ハウンド」
「何……!? 」
有無を言わせないようにスーツ姿の男はそれだけ告げ、エレナをその手中に収めながら自宅から去っていく。白い結束バンドで縛られた両手と足は動くこと無く、ケネスはただただ立ち去っていく男たちを見送る事しかできない。
「エレナ! 必ず迎えに行く! 安心してくれ! お父さんがそばにいるからね! 」
「うん……! うん……! 」
玄関のドアが閉まる音がケネスの耳に入り、彼は寝転がった体制から傍らにあった椅子に手を掛けながらゆっくりと立ち上がる。キッチンにあった包丁で結束バンドを断ち切り、両手足が自由になったケネスは拳を白い壁に叩きつけた。・
「……グレイ……すまない……」
そう一度だけ掠れた声でつぶやいたと思うと、ケネスの姿は自宅の地下室へと消えた。
最後の部分を書き換え、キッドの登場シーンからケネスのシーンに差し替えました。
いきなりの事で申し訳ありません、9話の方も改めて修正させていただきます。




