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番外編 山吹菫の抗弁

「静粛に!」


 唐突に、教壇に立った鏡花きょうかが大声を上げた。謎の裁判長面で、木槌の代わりに指示棒をカンカンと打ちつけている。


 それは文化祭も終わった夕暮れの教室でのこと。文芸部部室にいたわたしが鏡花たちに呼ばれて教室に戻ると、教壇の前にはコの字型に並んだ三つの机。手毬てまりに勧められるままその真ん中の席に座ったところで、冒頭の鏡花の裁判長ムーブが始まったのだった。


「え、何? 急に裁判ごっこ?」


 戸惑いつつ鏡花に問いかけるも、


「静粛に! 被告人、発言は許可を得てからにしなさい!」


 わたしが被告だった。何も身に覚えがないけれど。


「はい、裁判長」


「被告人、どうぞ」


「冤罪です」


 何はともあれ、身の潔白を主張しておく。しかし、


「被告人の主張を却下します!」


「却下って何」


 裁判長、独裁が過ぎるのでは?

 あまりにも横暴な裁判長に抗議しようとしたところで、またしても「静粛に!」が入る。もはやそれが言いたいだけじゃない?


 わざとらしく咳払いをし、鏡花はわたしの左側の席に指示棒を向ける。


「検察官」


「はぁい」


 のんびりと応えながら立ち上がったのは手毬だ。おのれ手毬、敵だったのか。


「検察官、あの、例のあの……アレを読み上げて」


 いや、どれなの?


「起訴状」


「そうそれ。お願いします」


「でもキョウちゃん、起訴状なんて私持ってないんだけど」


「いいのよ振りで! なんか適当な紙でも持ちなさいよ!」


「がってん」


 ぐだぐだだった。裁判長と検察官で揉めないで?


「えーそれでは。被告人、スミちゃん」


「そんな友達感覚で呼ぶのね……?」


「この起訴状をば」


 てろん、と手毬が取り出したのは一枚の紙きれ。


「いや、『文化祭のしおり』じゃない……」


「だって、キョウちゃんが適当な紙って言うから」


「検察官、被告人と馴れ合うんじゃない! 司法の腐敗よ!」


 裁判長は指示棒をヒステリックに叩く。意外と厳しい……。

 手毬はお団子頭をぺこり、と揺らして裁判長に一礼する。


「はい、それでは。被告人、山吹菫やまぶきすみれ。あなたを『ちゃっかり彼氏がいた』並びに『その上彼氏と文化祭デートしていた』という内容にて起訴します」


 ババーン、と口で言いつつ手毬は『文化祭のしおり』をバンバンと机に叩きつけた。鏡花は「きゃああぁぁぁ」と狂ったように指示棒を振り回している。何ここ、地獄?


 というか、えっと…………え、ちょっと待って? 彼氏って? え、もしかして先輩と一緒に文化祭を回っていたことを言っているの?


「えっと、何を言って――」


「被告人、発言は許可を取ってから!」


「はい、裁判長――」


「被告人の発言を却下します!」


「せめて聞いて!?」


 もはや裁判長のやりたい放題だった。職権濫用では?

 抗弁もできないまま、鏡花と手毬が迫ってくる。


「もうネタは上がっているのだよ、スミ。さっさと吐いて楽になりたまえ」


「そうよ、すみれ! あんたが男と一緒に歩いてたっていう目撃証言があるんだから!」


 あまりに高圧的な司法権力に思わず屈しようかという瞬間だった。


「――異議ありだよ、裁判長!」


 声のした方を振り向くと、いつもはほわほわとしている顔に精悍な色を浮かべたあんずがびしり、と挙手していた。裁判長、検察官ときたら、残りは……。


「弁護人、異議をどうぞ」


 予想通り。弁護人ということは杏はわたしの味方のはず。信じているからね、杏!


「えっと、裁判長、すみれちゃんは無実です。なぜなら……」


「なぜなら?」


「なぜなら、ええっと、そのぅ……実はわたしもその現場を目撃したけど、その様子からは二人が付き合っているとは断言できなかったからです!」


「え、ちょっと弁護人……?」


 味方のはずの弁護人からなぜか新しい目撃証言が出てきているけれど?


「あんず、その話詳しく!」


「吐くんだアン!」


「えぇ!?」


 二人から矛先を向けられた杏はおろおろとしている。まずい。


「あんず、黙秘して!」


「わかった」


 これ以上このポンコツ弁護人に喋らせるのは愚策である、と口封じを図るも、


「あんず、帰りにイチゴ大福奢ってあげるから!」


「――すみれちゃんと彼氏らしき人は手を繋いで歩いていました」


「弁護人が買収された!?」


「ふふん、これが裏取り引きの力よ」


「これ以上ないほど表で取り引きしていたけどね?」


 小銭程度の金額であっさり買収された弁護人にため息をつく。この国の司法は腐っているようだ。


「手を繋いでいた、と。こうなるともう限りなく黒ねぇ」


 裁判長は悪い顔でにやにやしている。

 隣では検察官が「ここらが年貢の納め時だよ、スミ」などと言っており、仕方なくわたしは残された最後の手段に出た。


「…………」


 黙秘である。


「この期に及んで黙秘とは」


「見苦しいわよ、すみれ!」


「…………」


 頑なに黙秘。先輩の身元まではバレていないのだ。黙っていればこれ以上は追及しようがないはず。

 そんなわたしの思惑を砕くように、杏の能天気な声が響いた。


「あ、それなら相手の人に訊いてみれば? 文芸部の人だよねぇ」


 図星ど真ん中の発言にわたしは凍りつく。


「あ、あんず? なんで……?」


「え、だって、わたしたち以外にすみれちゃんが交流がある人って考えたらそうかなぁ、って」


 ……杏、この子は時々謎の鋭さを見せるから侮れない。というか、弁護人のくせに一番追い詰めてくるのはなんなの?


「スミちゃんの反応的に当たりっぽいねぇ」


「でかした、あんず! 今から文芸部に突撃しよう!」


「ちょ、ちょっと待って!?」


 今にも教室を出て行こうとする三人を、わたしは必死に呼び止めた。この子たちが先輩に余計なことを吹き込んだり、迷惑を掛けたりして、また先輩と気まずくなったら困る。せっかく仲直りできて――ほんの少し、だけれど――今までよりも距離が縮まった気がするのに。


「先輩には……そういうこと、訊かないでほしい……」


 嫌な可能性を想像してしまって、振り向いた三人に向けた言葉が喉につかえた。


 一瞬、三人とも押し黙って顔を見合わせる。そして、


「えっと、ごめんね? そんなに嫌ならやめるから、ね?」


「私らも調子乗りすぎたね。ごめん、スミちゃん」


「すみれちゃぁぁん、ごめんねぇぇぇ、泣かないでぇぇぇ」


 すごい勢いで謝られた。えっと、わたし、そんな泣きそうな顔をしていた……?


「いや、わかってもらえれば、別にいいよ」


 どうやら難を逃れたらしい、とホッと胸を撫でおろすも、


「いやいや、あたしたちも悪ノリが過ぎたよね。特に手毬とか」


「む、キョウちゃんの方が俄然張り切って『問い詰めたるわー』とか言っていたのでは」


「ぅぐ、でもでも、手毬だって『スミちゃんも隅に置けませんなぁ』とかしょーもないダジャレ言いながらノリノリだったでしょうが!」


「はぁぁ、キョウちゃんはレトリックというものを解さないなぁ」


 何やら醜い責任の押し付け合いが発生していた。


「まぁまぁ、わたしは別に気にしていないから……」


 仕方なく取り成すも全然効果がない。

 ――と、その時。


「二人ともやめてよっ。一番悪いのは最初に『すみれちゃんが男の人と一緒にいるのを見た』って言ったわたしなんだからっ」


 そう悲痛な声を上げた杏を、鏡花と手毬は醜い諍いをやめて見つめた。わたしもまた杏を見つめる。というか、そもそも杏が言い出したのね?


 鏡花、手毬、わたしとで顔を見合わせる。

 無言のアイコンタクト。けれど確かに通じ合った。


「「「うん、確かにあんずが悪い」」」


「えぇぇぇ!?」


 三人のユニゾンに杏の悲鳴が重なる。


「そこは『ううん、誰も悪くないよ』ってなる流れじゃないの!?」


「いや、確かに言われてみればあんずが元凶よね」


「そうだねぇ。アンちゃんさえ黙っていればこんなことにはならなかったし」


「あんず」


「すみれちゃん……っ」


 わたしが優しく呼びかけると、杏はわらにも縋るような視線を送ってくる。


 そしてわたしは、にっこり笑顔で言ってあげた。


「――帰りにイチゴ大福奢ってくれたら許してあげる」


 そんなぁぁぁ、と杏の悲哀に満ちた嘆きが、夕暮れの教室に木霊した。


   *


 下校路の途中、コンビニに立ち寄って杏に買ってもらったイチゴ大福を頬張る。

 舌の上、甘さの中にもふいに現れる酸味が、わたしにはそこはかとなく教訓めいているように感じられた。


「おかしいなぁ……わたしが鏡花ちゃんに奢ってもらうはずだったのになぁ……」


 ぶつぶつと文句を言いながら、べりり、と包みを剥がす(二個め!)杏を横目に、鏡花がつつ、と寄ってきて密やかに囁く。


「ね、すみれ、結局のところどうなの? 文芸部の彼とは付き合ってるの?」


「キョウ氏、懲りないねぇ」


 背後からこっそり忍び寄っていた手毬が嘆息すると、鏡花は少しバツが悪そうにした。


「だって、やっぱり気になるじゃん!」


「……別に、付き合っているとかじゃないよ」


 小声でやいのやいの言い合う二人に苦笑交じりに答える。


「でも――」


 続きを口にするか一瞬迷う。


 今までのわたしだったら、きっと黙って胸の内にしまい込んでいただろう。


 けれど。

 本当に大事なことは、口にすることでもっとずっと強固になるんだ、って。今ならそう思えるから。だから。


「――でも、わたしにとって、とても大切な人」


 甘やかで、けれど仄かな酸味を伴う感情が、ふわりと舌の上を通り抜けていった。


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