3-29 後処理
「帰りは全員徒歩。フレスベルグはその牙運んで。魔力も体力も減ってるし、戦闘はできるだけ避けるから」
「分かりました」
「はい」
「俺が先頭だな」
洞窟を出た時には、空が赤く染まり始めていた。
4人で並んで歩き始める。
行きみたいな急いでの行軍じゃなくて、ゆっくりと安全確認をしながらの移動だった。
行きは周囲の至るところに魔物の姿があった。
いなくなったわけではない。
だけど、今は前みたいにどこもかしこも魔物だらけでどの魔物も積極的に襲ってくるというような状態ではなくなっていた。
フレスベルグだけは大きな牙を担いでいてちょっと飛びづらそうだけど、セシルさん曰く異常な魔物の報告をしても物証がないとすぐに信じてもらうのは難しいとかで一部持って帰ることになっている。
頑張ってもらうしかない。
太陽が沈み、辺りが暗くなってからも歩き続けた。
私が光弾で足元を照らし、ルドガーさんが先頭で道を確かめる。
疲れていたけど、立ち止まりたいとは思わなかった。
ヴァイスタールがどうなったのか。
魔物の大群は、本当に止まったのか。
それを確かめるまでは、落ち着いて休める気がしなかった。
やがて、遠くに外壁の明かりが見えた。
魔術灯の光。
外壁上を行き交う人影。
近づくにつれて、戦いの音が聞こえないことに気づいた。
魔物の咆哮も、魔術が炸裂する音も、何も聞こえない。
南門の前に広がっていたのは、戦いの後片付けをする人たちの姿だった。
「戻ったか!」
大きな声が聞こえた。
振り返ると、ラングフォード学長がこちらへ歩いてきていた。
豪華だったローブは土と煤で汚れ、袖の一部が焼け焦げている。
それでも、疲れた様子を見せることなく周囲へ指示を出していた。
学長は私たちを順番に確認した後、最後にフレスベルグが掴んでいる巨大な牙へ目を止めた。
「随分と派手な土産を持ち帰ったようだな」
「証拠」
セシルさんが短く答える。
ラングフォード学長は牙へ近づき、表面へ刻まれた傷や根元に残っている黒い肉を見た。
「なるほど。これほどの牙を持つ魔物となれば、相当な大型であろうな」
「それより、こっちはどうなったの」
学長の表情が僅かに引き締まった。
「君たちが南へ抜けた後もしばらくは、同じように無数の魔物が湧き続けていた。前回と同じだ。倒しても倒しても、後方から別の群れが現れる……だが、状況が一変した」
「一変?」
「前衛へ押し寄せていた群れが、突如として足を止めた。その直後、蜘蛛の子を散らしたように、それぞれ別の方向へ逃げていったのだ。飛行する個体も、地を走る個体も、何かから解放されたかのように散り散りになった」
学長は、南の平原へ視線を向ける。
「追撃はさせていない。都市へ向かってくる様子がなくなった以上、疲弊した者をさらに危険へ晒す理由はないからな。現在は周辺警戒を残し、防衛線を撤収させているところだ」
「タイミングは」
「正確な時刻は記録させている。だが、君たちが戻るまでに要した時間と、ここから原因と見ていた範囲までの距離を考えれば——」
ラングフォード学長の視線が、もう一度巨大な牙へ向いた。
「君たちが何かをした時刻と重なっていても不思議ではない。何を見つけた」
セシルさんは、洞窟で起きたことを簡潔に説明した。
中心と見ていた範囲にあった洞窟。
その奥にいた、異常なほど巨大な魔物。
その魔物に指示まで出していたフード付きの白い外套を着ていた不審な女。
洞窟の中には、大規模な術を行使していたと思われる魔術陣も、魔道具もなかったこと。
女には逃げられたけど、異常な魔物は討伐したこと。
セシルさんはそれらを疲れているとは思えないほど理路整然と説明していった。
「魔物は周囲の魔素を食って、魔術まで吸収してた。食い切れない量を三方向から叩き込んで弱らせて、最後は傭兵が首を落とした」
「ほう……魔術を吸収する魔物か」
ラングフォード学長は興味深そうに目を細めた。
「そして、これがその魔物の牙です」
リーゼちゃんがそう言うと、フレスベルグは学長の前へ牙を下ろした。
重い音がして、地面が僅かに揺れる。
学長が何かを言おうとしたところで、都市政府の腕章を付けた年嵩の役人さんが、何人かの部下を連れて近づいてきた。
対策本部で何度か見かけた人だった。
「ラングフォード学長。撤収の進捗について確認を——その方々は」
「原因と思われるものを突き止め、討伐して戻った者たちだ」
役人さんの表情が変わった。
「原因を?」
「因果関係はまだ確認できておらん。だが、この者たちが異常な魔物を討伐したと思われる時刻と、魔物の群れが散った時刻は近い可能性が高い」
ラングフォード学長は、セシルさんから聞いたことを要点だけ説明した。
役人さんは途中から手にしていた紙へ何かを書き込み始める。
「場所は分かりますか」
「地図出して」
セシルさんに促された役人さんが、鞄から地図を取り出した。
それを手渡されたセシルさんは、洞窟があった丘へ印を付け、そこまでの経路も簡単に書き込んでいく。
「入口は草と木に隠れてる。上から見ないと見つけづらい。あれは天然の洞窟じゃなくてあの魔物が食って作ったものだと思う。女が落とした剣と血痕も残ってるし、牙以外の魔物の死体もそのまま残してきた」
役人さんは地図を受け取り、すぐに後ろにいた人へ振り返った。
「余力のある都市警備隊所属の魔術師を集めてください。信頼のおける傭兵も数名。治癒要員と、死骸を運ぶための荷車も必要です。対策本部のヴァイゲルト司教に人員供出依頼を。また、街道警備に出てくださっている聖堂騎士団にも協力要請を。道中の警護を依頼して下さい」
「今すぐにですか?」
「今すぐにです。夜明けまで待って痕跡が失われる方が問題です。照明と周辺警戒を厚くしてください」
「承知しました」
指示を受けた人たちが、すぐに走り去っていく。
役人さんは改めて私たちへ向き直った。
「できることなら、皆様にも同行をお願いしたいところではありますが……」
「無理。全員限界」
セシルさんが即答した。
「場所は地図に書いた。入口も説明した。私らが行かなくても見つけられるでしょ」
「そうでしょうな。問題ありません。まずはお休みください」
ラングフォード学長も頷いた。
「真偽の確認と、現象との因果関係を調べる必要はある。だが、もしも君たちの働きが今回の異常を収束させる糸口、あるいは原因そのものの排除であったと学院と政府が認定した場合には——」
学長は、セシルさんたちを順番に見た。
「それに見合う報酬を、必ず支払うと約束しよう。都市を救った者の功績を、曖昧な感謝だけで済ませるつもりはない」
「そういうのはちゃんと書面で残しておいて」
「はっはっは。抜け目がないな。ベルンハルトもそういうところは細かかった。もちろん用意させる。安心してくれ」
「それならいい。帰るよ」
セシルさんは、もう用事は終わったと言わんばかりに踵を返した。
私もラングフォード学長と役人さんへ頭を下げる。
リーゼちゃんもすれ違いざまに頭を軽く下げ、私たちは南門の中へ向かって歩き始めた。
その後ろで、フレスベルグが何事もなかったように巨大な牙を掴み直す。
「あれ」
思わず足を止めかけた。
『どうしました?』
『証拠って、あそこに置いていかなくていいのかな……?』
『そういえば、セシルは見せるための証拠とは言いましたけど、渡すとは一言も言ってませんでしたね?』
『それ、いいの……?』
前を見ると、セシルさんは振り返りもせず歩いている。
フレスベルグも当然のように牙を運んでいる。
ラングフォード学長も役人さんも、調査隊の編成に意識を向けていて、私たちが牙を持っていくことを止める様子はなかった。
……まぁ、現場には死骸が残っている。
多分、大丈夫だよね。
そう自分に言い聞かせて、私も皆の後を追った。
セシルさんの家へ戻ると、フレスベルグは巨大な牙を建物脇の空いた場所へ下ろした。
「後で調べるから、誰も触るなよ」
セシルさんはそれだけ言い残し、家の中へ入っていった。
証拠として持ち帰ったはずなのに、いつの間にか研究材料になっている気がする。
それに気付いて思わず苦笑してしまった。
翌日の昼過ぎ。
私たちは、セシルさんの家の居間に集まっていた。
昨日は家へ着いてから身体を拭いて着替えるだけで精一杯だった。
夕食を食べる気力すらなく、そのまま倒れるように眠ってしまった。
朝になっても身体の重さは残っている。
リーゼちゃんもまだ少し眠そうにしている。
フレスベルグは小さな姿へ戻り、机の端で目を閉じていた。
ルドガーさんも一応昨日の今日だからってことで顔を見せに来てくれている。
そんな私たちのところへ、都市政府の役人さんが報告に来てくれた。
昨日南門で話した人とは別の、比較的若い男性だった。
手には封蝋の押された書類を何枚か持っている。
「まず、昨夜派遣した調査隊は、皆様から教えていただいた洞窟を発見することができました」
机を囲んで座っている私たちへ向けて、役人さんが報告を始める。
「洞窟内には大規模な戦闘が行われた痕跡があり、奥から非常に強大な魔物の死骸を確認しました。あまりにも巨大だったため、現地で解体し地の魔術で通路を補強する必要はありましたが、死骸も既に回収しております」
「女は」
セシルさんが尋ねる。
「発見できておりません。残されていた剣と多量の血痕は確認しています。ですが、洞窟の内外に逃走経路を示す足跡や血の跡はありませんでした」
「そ」
「我々が捜索した範囲でも、魔術陣や大規模な魔道具も確認されていません。現時点では、何らかの魔術実験が行われていたとする証拠は見つかっていないとのことです」
セシルさんが小さく息を吐く。
最初に立てていた、大規模な魔術実験の影響という仮説は外れていたらしい。
だけど、役人さんの報告はそこで終わらなかった。
「因果関係を厳密に証明するためには、死骸と周辺一帯の調査を続ける必要があります。ただ、都市政府と学院は、皆様が討伐した魔物と逃走した不審な女性が、今回の異常の原因であった可能性が極めて高いと判断しました」
「理由は、魔物の群れが散った時刻?」
「それもあります。加えて、昨夜以降、都市周辺で確認される魔物の動きが明確に落ち着いています。魔物そのものがいなくなったわけではありませんが、異なる種類が群れを作って人里へ押し寄せるような行動は確認されなくなりました」
役人さんは、手にしていた書類を一枚めくった。
「周辺の村からも、今朝になって同様の報告が届いています。昨日まで村の外を取り囲むようにしていた魔物が散り、森や草原へ戻っていったと」
「よかった……」
リーゼちゃんが、胸の前で手を合わせながら息を吐いた。
私も肩の力が抜ける。
都市だけではなく、周辺の村も無事だった。
それが分かっただけでも、本当に安心した。
「それと、フォートリエ殿が報告されていた食欲の異常についてですが」
役人さんの口元が、僅かに緩んだ。
「今朝から、ほとんどの住民が以前と同じ食事量へ戻っているようです」
「やっぱり、あれも同じ原因だったんですね」
「断定はできませんが、同時期に収束した以上、無関係とは考えづらいでしょう」
役人さんはそこで一度言葉を切った。
「ただ、その影響で少々別の問題が起きておりまして」
「別の問題ですか?」
「ここ数週間、客の要望に合わせて大盛り料理ばかり出すようになっていた店に関して。今までは朝から繁盛していたようですが、今朝になって軒並み閑古鳥が鳴いているそうです」
「えっ」
思わず声が漏れた。
「昨日まで普通に食べきられていた量をそのまま出したところ、誰も食べきれなかったと。客側も、あれほどの量をなぜ毎日食べていたのか分からないと困惑しているようでして」
役人さん自身も少しおかしかったのか、困ったように笑っている。
「大量に仕入れた肉や小麦を抱えていることでしょう。どうしたものかと政府へ相談にくるのも時間の問題でしょうな。……異常が収まった結果としては、随分と平和な悩みになりました」
「そ、それはよかった、んですよね……?」
「少なくとも、昨日までの状況と比べれば」
リーゼちゃんが口元を押さえながら小さく笑った。
ルドガーさんも肩を揺らしている。
「命が助かった後に余った飯で困るなら、そりゃ平和だな」
「ま、このままいけば大赤字だろうけどね」
セシルさんはそう言いながらも、昨日までより少しだけ表情が柔らかく見えた。
役人さんは最後の書類を机へ置いた。
「報酬についてです。今回の功績は、通常の魔物討伐依頼としては扱いません。都市規模の危機を収束させた特別功績として、都市政府から報酬金を支払います」
「学院からも出るって話だったけど合同?」
「いいえ。ラングフォード学長から正式な申し出があり、学院からも別途同額の報酬金が拠出されます。こちらが現時点での明細です」
セシルさんが書類を受け取る。
その横から、私も金額を覗き込んだ。
「っ……」
思わず息が止まった。
支度金の5000シルを聞いた時ほどではない。
……いや、4人で分けることを考えても、一人分としては十分過ぎるほど大きな額だった。
金貨が何枚必要になるのか考えただけで、また目が回りそうになる。
「これを四等分。異論ある?」
セシルさんが皆を見回した。
「俺は護衛の依頼料を別でもらってるぞ」
「それとこれは別。戦闘も調査も一番働いたのはあんたでしょ」
「そういうことなら遠慮はしねぇ。それでいい酒でも飲ませてもらうとするよ」
ルドガーさんはそう言って口角をあげている。
多分、結構喜んでるよねこれ。
「私、もらっても困ってしまう可能性があるのですが……」
「それはリオレ大森林にいた頃の話でしょ」
「……? そうですかね?」
「そうでしょ。リーゼもそこのお気楽巫女と集落の露店覗いたりしてたでしょ。これあれば買い物に困らないけど?」
「……! た、確かに、そうかもしれませんね」
「ミコトもいいね」
「えっ、あ、はい。もちろんです」
驚きで頭が追いついていなかった。
私も受け取っていいのだろうか。
「言っとくけど、ミコトがいなかったら全員死んでた可能性あるから。治癒も、明かりも、盾も必要だった。余計な遠慮するな」
「……分かりました。ありがたく受け取ります」
「それでいい」
それなら、神社復興費用に充てさせてもらおうかな。
収支にどう計上すればいいだろう。
後でゆっくり考えよう。
役人さんは、私たちのやり取りが終わるのを待ってから頭を下げた。
「報酬金の受け渡しには、今しばらく手続きが必要です。準備が整い次第、改めてご連絡します」
「分かった」
「都市を代表して、改めてお礼を申し上げます。本当に、ありがとうございました」
私たちも席を立ち、頭を下げる。
「こちらこそ、わざわざご報告にまで来てくださって、ありがとうございます」
役人さんを見送った後、居間に静けさが戻った。
都市を覆っていた異常は、収束し始めている。
魔物の大群も、異常な食欲も消えた。
あのフードの女には逃げられた。
何者だったのかも、何をしていたのかも分からないままではある。
それでも、ヴァイスタールも周辺の村も無事だった。
ここまで丁寧にお礼までしてもらえて、今の気分は晴れやかだった。




