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影を纏う蝶と蜜の罠

【お知らせ】

この作品は生成aiを用いて執筆を行なっています

あらかじめご了承の上、お楽しみください

夕暮れの王都は、表通りの賑わいと裏路地の静寂という二つの顔を持っていた。


石畳を踏む靴音が、狭い路地に低く響く。エルザ・ミュラーは侍女服の上に地味な外套を羽織り、周囲への警戒を怠らなかった。煤けた壁に刻まれた意味ありげな落書きを横目に、彼女は足音を殺して歩みを進める。何度も振り返り、尾行がないことを確認しながら。


やがて辿り着いたのは、看板のない古い酒場の裏口だった。


三回、二回、一回——決められた合図でノックを終えると、重い扉が軋みながら開く。


「……失礼いたします」


薄暗い室内には蝋燭が一本だけ灯り、その揺れる光の中に一人の女が座っていた。年齢不詳ながら妖艶な雰囲気を纏う踊り子。彼女こそが、リーゼロッテの情報網の一端を担う者だった。


「あら、エルザ様。お久しぶりですこと」


踊り子は艶やかに微笑んだ。


「こんな薄暗い場所でお会いするなんて、まるで秘密の逢瀬みたいですわね」


「戯言は結構。お嬢様からの依頼です」


エルザは懐から密封された書簡を取り出し、踊り子の前に差し出した。


「標的はアウグスト・フォン・ゲルトナー。侯爵家次男にして、王太子派閥の中心人物。彼の賭博場に潜入し、帳簿の写しを入手していただきたい」


踊り子は書簡を開き、内容を一読すると、妖しく目を細めた。


「……ふふ。あの御仁でしたら、女には目がないことで有名ですわね。香水の匂いをぷんぷんさせて、自分が王様気取り。……容易いお仕事ですこと」


「油断なさらぬよう。失敗は許されません」


エルザの声には鋭さが宿る。


「お嬢様の計画は、貴女の成功にかかっています」


踊り子は優雅に立ち上がり、外套を翻した。


「ご安心を。私、踊りの最中に男の懐から心臓を抜き取ることもできますの。……帳簿の写しくらい、お茶の子ですわ」


「三日以内に。……お嬢様はお待ちです」


「ええ、ええ。リーゼロッテ様には、いつも良いお仕事をいただいていますもの。……期待に添えるよう、精一杯舞ってまいりますわ」


二人の視線が交錯し、無言の了解が成立する。


裏社会の歯車が、静かに回り始めた。



◇ ◇ ◇



王都の一等地に構える豪奢な館。表向きは社交倶楽部を装いながら、その実態は貴族専用の高級賭博場だった。


シャンデリアの光が絢爛たる室内を照らし、カードの捲れる音と金貨の跳ねる音が絶え間なく響いている。その中心で、アウグスト・フォン・ゲルトナーは王座のように椅子に深く腰掛けていた。


流行の最先端を行く紫紺のジャケット、首元には大粒の宝石があしらわれたクラヴァット。彼が動くたびに甘ったるい香水の匂いが周囲に漂い、取り巻きの若い貴族たちが追従の笑いを浮かべる。


「それにしても」


アウグストはワイングラスを傾けながら、退屈そうに言った。


「最近の社交界は面白味がないな。婚約破棄の一件も、もう話題にすらならん」


「ああ、王太子殿下の元婚約者の件ですか。あの地味な令嬢でしたね」


取り巻きの一人が媚びるように応じる。


「リーゼロッテ・フォン・シュヴァルツェン、だったか?」


アウグストは鼻で笑った。


「五年も殿下のお傍にいて、何も学ばなかったようだな。あの女には華がない」


「まったくです。殿下のお心を掴むこともできず、ただ影のように付き従っていただけ」


「殿下にはマリアベル様の方がお似合いだ。清楚で、儚げで、そして何より——男心をくすぐる涙を流せる。あの可憐さは本物だ」


取り巻きたちが下品な笑い声を上げる。


「まあ、あの女のことはもういい。それより今夜は大物が来ると聞いたぞ?ここは俺の城だ、派手にもてなしてやろうじゃないか」


アウグストは満足げに目を細め、新しく注がれたワインに口をつけた。


この場所こそが彼の王国だった。王家から流用した資金で築き上げた、快楽と欲望の城。誰も彼の足元を崩せるとは思っていなかった——その傲慢さが、彼の最大の弱点であることも知らずに。



◇ ◇ ◇



賭博場に華やかな音楽が流れ始めた頃、一人の踊り子がフロアに現れた。


蜂蜜色の巻き毛を高く結い上げ、露出の高いドレスが妖艶な肢体を包む。彼女が一歩踏み出すたびに、男たちの視線が釘付けになった。


アウグストも例外ではなかった。


「ほう……見慣れない顔だな」


彼の目が獲物を見つけた狩人のように光る。


踊り子は優雅なターンを繰り返しながら、徐々にアウグストの席へと近づいていく。そして彼の前で深々と腰を落とし、上目遣いで見つめた。


「……旦那様、一杯いかがでしょう?」


甘く囁く声に、アウグストは満足げに頷いた。


「気が利くではないか。注いでくれ」


踊り子は傍らのワインボトルを取り、慎重にグラスを満たす。その動作の間、彼女の視線は一瞬たりともアウグストから離れなかった。魅惑的な微笑み、艶やかな仕草——男を骨抜きにする技術が、完璧に発揮されていた。


「旦那様はこの素晴らしい場所の主でいらっしゃるとか。とても素敵ですわ……」


「ああ、この賭博場は俺の城だ。王宮にも負けない豪華さだろう?シャンデリアは東方からの輸入品、カードテーブルは最高級の紫檀製……金に糸目はつけていない」


踊り子はそっと彼の腕に手を触れた。


「まあ……旦那様のお力があればこそですわね。こんな素晴らしいものを築けるなんて、本当に尊敬いたしますわ」


「当然だ。俺には人脈がある。王太子殿下とも親しくさせていただいているしな。この国で俺に逆らえる者など、そうはいない」


アウグストが上機嫌でワインを飲み干す間、踊り子の細い指が蛇のように彼の懐へと忍び込んだ。指先が帳簿の写しに触れ、滑らかに引き抜く。その動作はあまりにも自然で、アウグストは何も気づかない。


「王太子殿下と……まあ、旦那様は本当に特別なお方ですのね」


「ああ。殿下の信頼は厚い。この賭博場だって、ある意味では殿下のお墨付きがあるようなものだ。……まあ、あまり大きな声では言えんがな」


踊り子は帳簿の写しを滑らかに胸元へ隠しながら、変わらぬ笑顔で囁いた。


「ふふ……旦那様の秘密、私だけが知っているなんて光栄ですわ」


任務完了——しかしその表情には微塵の変化も見せず、彼女は引き続き完璧な演技を続けた。



◇ ◇ ◇



ヴァイスブルク公爵邸の離れ。リーゼロッテに与えられた書斎には、今宵も蝋燭の柔らかな光が揺れていた。


机上には広げられた帳簿の写し。そしてそれを食い入るように見つめる銀灰色の髪の令嬢。


「……お見事ですわ」


リーゼロッテは薄く笑みを浮かべた。その薄紫水晶の瞳には、獲物を仕留めた猟師の冷たい光が宿っている。


「踊り子からの報告では、アウグスト様は最後まで何も気づかなかったとのことです。酒と色香に酔っていたようで」


傍らのエルザが淡々と報告する。


「愚かな方。自ら墓穴を掘る言葉まで吐いてくださるなんて。……さて、エルザ。この帳簿の内容を説明してちょうだい」


エルザは一歩前に出た。


「はい、お嬢様。王家の特別予算から毎月一定額がアウグスト様の管理する『慈善基金』へ流れております。しかしその資金の大半は賭博場の運営費に転用され、残りは六名の貴族へと分配されております」


「六名……」


リーゼロッテは羽根ペンで名前をなぞった。


「いずれも王太子派閥の中核を担う者たちね」


「左様でございます。そして殿下ご自身も、このうちの一部を『マリアベル様への贈り物』として受け取っておられるようです。聖女様への高価な宝飾品や衣装……全て出所は王家の金庫というわけですわ」


「まあ。民の血税で愛人に貢いでいらしたとは……殿下らしい浅はかさですわね」


リーゼロッテは窓辺へと歩み寄った。月明かりが彼女の儚げな横顔を照らす。


「この証拠を直接公表すれば、私の関与が疑われますわ。それは避けなければなりません」


「では、どのように?」


「『偶然の発覚』を装うのです」


リーゼロッテは振り返り、蜜のように甘く微笑んだ。


「アウグストが自ら墓穴を掘るよう、舞台を整えますわ。監査が入る口実さえあれば、あとは勝手に転がり落ちていく」


「……なるほど。自滅を演出なさるのですね。さすがはお嬢様」


「レオンハルト様にお願いしていた監査の件、そろそろ動いていただく時期かしら」


その時、応接間への来客が告げられた。



◇ ◇ ◇



レオンハルト・フォン・ヴァイスブルク。黒髪の公爵子息は、いつものように表情の乏しい顔で入室した。しかし今日の彼には、どこか決然とした空気が纏わりついている。


「計画の進捗を聞いた。アウグストの帳簿を入手したそうだな」


挨拶もそこそこに切り出すレオンハルトに、リーゼロッテは穏やかに微笑んだ。


「ええ。これで資金流用の証拠は揃いましたわ。あとは『偶然』監査が入る状況を作り出せば——」


「ああ、ヴァイスブルク家として正式に監査を要請する。明日にでも手続きを進めよう」


リーゼロッテは僅かに目を見開いた。


「レオンハルト様……本当に公爵家を巻き込んでしまってもよろしいの?」


その言葉には、純粋な驚きと、彼への気遣いが滲んでいた。先日、軽く協力を打診したとはいえ、実際に公爵家の名を使うとなれば話は別だ。それは彼自身が政治的なリスクを負うということ。決して軽い決断ではなかった。


「ヴァイスブルク公爵家が動くということは、貴方自身が矢面に立つということ……後戻りはできませんわ」


レオンハルトは視線を逸らした。その仕草が、普段の寡黙な彼には似合わないほど不器用に見えた。


「……俺は俺の意志で動いている」


沈黙が流れる。


「お前の復讐に協力しているわけじゃない。これは俺自身の判断だ。国庫を私物化する輩を放置するわけにはいかない」


建前としては正論だった。しかしリーゼロッテの聡明な頭脳は、その言葉の裏にある真意を見抜き始めていた。


——この方は……いつから、こんな目で私を見ていたのかしら。


幼少の頃からの知り合いではあったが、彼がこれほど自分のために動いてくれるとは思っていなかった。軽く打診しただけで、ここまで踏み込んでくれるなど。


「……そうですか。では、お言葉に甘えさせていただきますわ」


「……ああ」


再び沈黙が流れた。午後の陽光が窓から差し込み、リーゼロッテの銀灰色の髪を淡く照らしている。レオンハルトの深い紺碧の瞳が、その光景を静かに見つめていた。


「……無理はするな」


不意に零れた言葉に、リーゼロッテは僅かに胸が痛むのを感じた。


「レオンハルト様。私には今、復讐以外のことを考える余裕がございません」


「分かっている」


レオンハルトの声は静かだった。


「俺は何も求めていない。ただ、お前が必要とする時に傍にいる。それだけだ」


その言葉に、リーゼロッテの胸が微かに痛んだ。復讐のために感情を凍らせてきた五年間。誰も信じず、誰も頼らず、ただ一人で策を練り続けた日々。しかしこの男は——何も求めずに、ただ傍にいると言う。


リーゼロッテは小さく息を吐き、視線を窓の外へ向けた。


「……感謝いたしますわ」


今はまだ、この感情に向き合う時ではない。全てが終わるまでは、心を許すわけにはいかなかった。たとえそれが、自分自身への枷となっていても。



◇ ◇ ◇



翌日、王宮の一角にあるアウグストの私室。


豪奢な調度品に囲まれた部屋で、彼は額の汗を拭っていた。


「監査だと……?ヴァイスブルク公爵家が、王家の特別予算の使途について調査を要請した……だと?」


「は、はい。明後日にも監査官が派遣されるとのことでございます」


従者の報告に、アウグストの顔から血の気が引いていく。


「馬鹿な……!なぜ今になって……!」


彼は慌てて上着のポケットを探った。あの帳簿さえあれば——いや、待て。帳簿は確かに自分の懐に……。


「どこだ……どこへ消えた……!」


「旦那様?どうかなさいましたか?」


記憶を辿る。昨晩の賭博場……あの踊り子……まさか。


アウグストの顔が恐怖に歪んだ。


「誰かが仕組んだのか……?」


しかし考えている暇はなかった。帳簿がなくても、本帳は賭博場にある。今すぐ処分しなければ——


「黙れ!馬車を用意しろ!今すぐ賭博場へ行く!帳簿を……帳簿を処分しなければ……!」


彼は叫びながら部屋を飛び出した。


しかしその行動すらも、リーゼロッテの読み通りだった。帳簿の写しは既に三箇所に分散して保管されている。アウグストが原本を処分したとしても、証拠は消えない。彼の焦りは、ただ自らの首を絞めるだけだった。



◇ ◇ ◇



夜も更けたヴァイスブルク公爵邸の離れ。


リーゼロッテは机に向かい、優雅な筆跡で招待状をしたためていた。蝋燭の光が彼女の白い横顔を照らし、その薄紫水晶の瞳には冷たい光が宿っている。


「お嬢様、それは……」


傍らのエルザが招待状を覗き込んだ。


「茶会の招待状ですわ」


リーゼロッテは穏やかに微笑んだ。しかしその笑みには、蜂蜜の下に隠された毒の気配があった。


「療養中の私が社交界に復帰するための、ささやかな集い。……招待客にはアウグスト卿も含まれていますの」


「公爵家からの招待であれば、断ることはできませんね。ましてや今、監査の噂に怯えているあの御仁であれば、公爵家との繋がりを保ちたいと考えるでしょう」


「ええ。そして茶会の最中に、監査官が到着するよう手配いたしますわ。逃げ場のない舞台で、彼は全てを失うのです」


「お茶会という名の処刑台……ですか」


リーゼロッテは招待状に蝋で封をした。その動作は優雅で、まるで舞踏会への誘いを準備しているかのよう。


「アウグスト卿、楽しいひとときになりますわよ」


その声は甘く、しかし確実な死を告げる毒蛇の囁きだった。


エルザは主人の横顔を見つめながら、心の中で呟いた。


——お嬢様、またお優しい笑顔で誰かを破滅させるのですね。……これはほんの序曲。本当の復讐は、まだこれからなのですから。


「エルザ。監査当日の段取りを確認しましょう。一つの齟齬も許されませんわ」


「はい、お嬢様。万全を期してまいります」



◇ ◇ ◇



監査当日の朝。


アウグストの私室に、一通の招待状が届けられた。


差出人の名はなく、ただ公爵家の紋章だけが蝋印に刻まれている。封を開いたアウグストの手が、僅かに震えた。


——本日午後、ヴァイスブルク公爵邸庭園にて、ささやかな茶会を催します。療養より回復いたしましたご挨拶を兼ねまして、是非ともお越しくださいませ。


署名には、見覚えのある名前があった。


リーゼロッテ・フォン・シュヴァルツェン。


あの地味な元婚約者が——なぜ今、自分を招くのか。


嫌な予感が背筋を這い上がる。しかし公爵家からの招待を断れば、さらに立場が悪くなる。監査の噂が広まる今、権力者との繋がりを断つわけにはいかなかった。


アウグストは招待状を握りしめ、深く息を吐いた。


彼はまだ知らない。


その茶会が、自らの処刑台となることを。

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