6.琴博桜月
「雪乃に何をした!!」
僕と猫神綾が虚を突かれ、雨宮雪乃の絶叫が響き渡った直後のことだった。猫神綾が激昂し、そんな怒号と共に森を氷の世界へと一変させた。
「……ッふ、何とも、ないわ。全く……過保護、ね」
「何ともないならそんな顔して言わないでくれるかな。というか、何でもなくないんだから無駄なこと言わないで黙ってて」
強がる雨宮雪乃を抱き抱えつつ、猫神綾はピシャリと言ってのけて我殿に向かって巨大な氷の左腕で殴りかかる。
だけどダメだ。
我殿には、我殿だけには何一つとして効かない。巨大な氷の左腕はあっさりと流されて、そして砕かれてしまう。猫神綾の表情が苦痛に歪んだ。実はあの氷の左腕、若干の痛覚があるらしい。
僕の風も、猫神綾の氷も、雨宮雪乃の幻術も、我殿には全く通用しなかった。
我殿の連れてきた雑魚(月明一族の面々だ)はなんとか片付けられたものの、我殿を再起不能にしない限り、こいつらは永遠と動き続ける。とても厄介だ。
「さて……そろそろ魔王のもとへ行かせてもらいましょうか」
「嫌だね。行かせるわけないじゃん」
「それがそうとも言ってられないんですよ。ねぇ?」
ニマニマと気持ち悪い笑みを浮かべて我殿は笑う。僕はその気持ち悪い顔面に思い切り魔力を叩きつけるのだが、やっぱりかき消されてしまった。本当にどうなってんだこれ……!
「お返しです」
「ッ!?」
着地の一番無防備な瞬間。その一瞬を狙って、我殿は突然動き出した。まさかそんなことが起こるとは思ってなくて、僕は簡単にその攻撃をモロに喰らうことになる。
だって、思わないじゃないか。
こいつが、僕の風を使うだなんて。
「あッ……!?」
風が僕を切り裂いていく。そしてその傷口がじわじわと、ドクドクと熱を帯びて、その痛みが電気のように全身を巡っていく。
「ご自分の風に斬られた挙げ句、毒を盛られた気分は如何ですか? ああ、ご心配なく。その毒、雨宮雪乃さんに盛った毒と全く同じですよ」
成る程、確かに叫びたくなるような痛みだ。それでいて強がりたくなるのもわかる。痛み程度で、死なない程度の毒で、僕たちは負けるわけにはいかない。折れるわけにはいかない。
復讐を、果たさないわけにはいかない。
「……ッ、あっそ。だから何って感じだね」
大丈夫。あの日に比べれば、あの絶望に比べれば、こんなの何でもない。
風が通じないからくりは未だに掴めていないけど、だったらそれ以外のものを使えばいい。魔法を消されてしまうのであれば、消されないもの──もっと、物理的なもので応戦すればいい。
「手始めにその眼鏡をカチ割ってやる」
「おや余裕ですね。では量を増やしましょう」
司令官ではないが、僕もある程度の刃物は常に持ち歩いている。
足に隠していたナイフを二振り両手に持って僕は我殿の背後を目標に地を蹴った。風は一方向にしか吹かない。そして、風は簡単に遮ることが出来る。それは何よりも僕が知っていることだ。
それに、風は斬るためだけにあるんじゃない。
黒岩暁が炎を噴射して爆発的な速さで駆け抜けることができるように、僕も風に乗って動くことが出来る。
追いきれない速度で走り回る。ありがたいことに周りの雑魚は猫神綾が何とかしてくれていた。
さあ、背後だ。
「なーんちゃって」
「……っ」
我殿は後ろを向いたまま。風はこちらには吹いていない。だというのに僕は腹部を貫かれていた。そして、傷口からは容赦なく痛みが侵入してくる。
「あ゛ッ、ぐ……」
「ベタですが不意討ち成功です。全く、誰が風しか使えないと言いましたか? あなた方とは初めましてじゃあ、ないんですよ」
抜こうにも力が入らない。僕の腹を貫いた氷はこうしている間にも僕の体温を奪い、代わりに毒を流し込んでいく。
痛みとは何なのか。痛いとは何なのか。分からない。分からなくなってきた。だけど声を出さないでいるのが精一杯だ。何かを堪え続けることしか出来ない。
「折角だから見せてくださいよ。人ってのは、どのくらいの痛みで耐えきれずに死んでしまうんですか?」
「この──」
「おっと、あなたの相手はまだです」
雑魚を押し退けて我殿を殴ろうとした猫神綾の左腕が突然形を変えた。手の形を失った氷は、猫神綾を捉え、包み、そして閉じ込めていく。
「────!」
猫神綾が何かを言うが氷に阻まれて聞こえなかった。
その腕に抱かれていた雨宮雪乃はいつの間にか地面に投げ出されていて、ピクリとも動かなくなっていた。
僕はといえば、氷を腹にブッ刺されたまま、風に切り裂かれ続けきずぐちを増やし続けている。どこまでもどこまでも終わらない痛みが全身から響き続けている。
もう身体を動かすことも出来ない。思考すら塗りつぶされる。いつになればこれから解放される? いつまでこの痛みに耐え続けていればいい? どこまでこの痛みは増え続ける?
「ぐッ、あ……あぁ……ッ」
気付けば声が枯れている。どうやらずっと叫び続けていたらしい。それでも終わらない。まだまだ続く。我殿はそんな僕をニヤニヤしながらただ見ていた。愉しそうに、本当に愉しそうに見ていやがった。
その表情を見て何も思わない訳がない。腹の中は煮え繰り返ってる。なのに何も出来ない。ただただ痛みに叫ぶ。
寒い。とても寒い。
いつの間にか辺りは日が落ちたのか暗くなっている。叫んでいるはずなのにとても静かだ。僕は一体、今どこにいる?
それとも、もう……
「まだ諦めるのは早いよ!」
「ぎィッ!?」
気が遠退いていた。そんな気がしていた頃、突然我殿が表情を変えた。
それは驚き? それとも痛み?
よく分からない。けどそれは我殿も同じのようで、信じられないような顔をしていた。はは……傑作だ。
「よく耐えたね……だけどもう少しだけ頑張ってくれるかい?」
バキン、と僕の腹の辺りで音がして、僕は地面に崩れ落ちた。取り返しのつかないくらい血が出るかと思ったけど全くそんなことはなく、どうやら止血されたらしかった。
「手荒でごめんね。けど僕にはそれが精一杯なんだ」
そう言って、猫神綾は不敵に微笑んだ。
左腕はない。ただ、右手がバチバチと青白い光を放っていた。
「なる、ほど……雷神ですか……確かに、今の段階ではそれは無理だ」
「だと思った。お前が知ってるのは下ろす前の僕だからね」
聞いたことがある。猫神綾は、神様を下ろしたのだと。その左腕を捧げたのだと。
「だけどその身体でどうやって戦うと? んふふ、その神様、どうやらあなたには不釣り合いのよう……ッ!!」
「……残念、舌は噛みきらなかったのね」
確かに猫神綾は今にも倒れそうなほどフラフラだ。僕でもわかる。その明らかな弱点を指摘しようとした我殿の顎を下からの打撃が襲った。
不機嫌そうにゴミを見るような目を向けるのは勿論、雨宮雪乃。だけど、サイズが明らかにおかしい。
「なんです、その姿……まるであなたの妹……まさか!」
「ええ。その通りよ。あなたのお望み通りってところね。お陰様で最高のコンディションよ」
雨宮雪乃と思わしき少女は相変わらずゴミを見るような目で言った。そう、その姿は雨宮気流子のように幼い。一体何が起きた……?
「バカな……妹の封印を壊せば反動で死ぬはずじゃあ……」
「死ななかったからこうなってるのよ。現実見えてる?」
封印?
そういえば、前にこの男、雨宮気流子の髪留めを叩き割ったとか言っていたような……。あれが封印なのだろうか。そして話の流れから推測するに、その封印を施したのが姉である雨宮雪乃。雨宮気流子の髪留めは元々二つあったから、今二つ目が壊された、と。
「今頃大きくなった気流ちゃんが向こうにいるんだろうねぇ。会ってみたいよ。小さくなった雪乃を会わせてみたいし」
「それだけは絶対にやめて」
「やめないよ。だって、僕たちはさっさとコイツを再起不能にしてみんなと合流しなきゃいけないじゃないか。ねえ、桜月君? 君も、時雨ちゃんのところへ帰らないとだよね」
突然話を振られて戸惑った。だけどその返答に迷うことはない。決まりきってる。
「さて、ネタばらしといこうか。大方お前は昔僕たちと戦ったときに得た情報を頼りに、僕らの術を操ってる。だから何もかもが効かないんだろう?
だったらこれからはお前が知らない僕らが相手だ」
猫神綾は笑う。雨宮雪乃も笑った。空気を読んで、僕もとびきり最高な笑みをくれてやる。
「何時までも同じと思うなよ?」
そして轟音が響き、少女が駆け出した。




