5.月明葉折
術を放ってお兄さんを捕縛した音無がその姿を現した。
……よかった、なんとか間に合ったみたいだ。暁ちゃんが頑張ってくれたお陰だよ。むしろ頑張りすぎだよ、と言いたい気分でもあるけど。
僕たちの策はこうだ。
正面から向かっても、僕らが束になっても、恐らく本気を出されれば嘘誠院狂偽には敵わない。だったら、本気を出される前に、本格的な戦いになる前に、虚をついて嘘誠院狂偽を封じてしまおう。
だけどそれをするには、僕たちと嘘誠院狂偽の間に余りにも力の差がありすぎる。だから、まずは一時的にでも戦力をあげなきゃいけなかった。
戦力をあげるのに、まさか全員が、というわけにはいかない。だから一人に絞る必要があった。そして、白羽の矢が立ったのが音無だったんだ。囚我先生曰く、この中でただ一人、倒れることもなく戦い続けることが恐らくできるし、一番虚をつくことができるから、と。まあ、弟だからね。
だけど問題があって、今の音無にはほとんど魔力がない。術が壊れたときに、お兄さんが音無の中にあった魔力をほぼほぼ持っていってしまった。そもそも、先の戦いで僕相手にほとんど消費してしまったんだけどね。
こうして、音無の戦力をあげつつ、すっからかんになった魔力を供給しなきゃいけなくなった。
「俺なら出来る。だから頼む、時間を稼いでくれんか」
お兄さんを追いかける前、囚我先生はそう言った。そして、それに対し稲荷様が二つ返事で「いいぜ」と答えた。
稲荷様と昼夜姉妹が時間稼ぎをいている間、僕たちはただひたすら、この辺りを駆け巡って囚我先生に指示された通りに地面に線を引き続けていた。そうして散々走り回って出来たのは、大きな大きな魔方陣。かなり走らなければ、外には出られないくらいの大きさのものが描き上がっていた。
「……これが、音無を強化しつつ魔力を供給するシステムですか?」
「ああ、葉折ん。お疲れさん。
そうや。これが唯一、俺にできるオトだけを強化する方法や。君らに描いてもらった魔方陣の範囲内なら、オトは無限に召喚術を使うことができる。……ま、オトが乗っかってる魔方陣が無くなったり、オトがそこから落ちたりでもすればその効果は無くなるんやけどな」
なるほど、だからこんなに大きなものを描かせていたのか。そりゃあ、音無が無制限に召喚術を使えるのなら、その範囲は広い方がいい。音無が空中にいるのは、大きな魔方陣を見渡せるようにするためだろうか。
まあ、いいか。仕組みなんてどうだって。
大事なのはそれをどう活用するかだよね。
「ん? 行くんか?」
「当たり前じゃないですか。だって僕の役目は『音無を守ること』でしょう?」
「そやな。ヨロシク頼むわ」
言われるまでもなく。そう呟いて、僕は黒いトランプに囲まれたお兄さんの元へ駆け出した。きっとあの人はこの仕組みに気付くだろう。そして、音無を引きずり下ろそうとするはずだ。それを阻止するのが僕の役目。
視界の端で、小坂くんが暁ちゃんと空美ちゃんに駆け寄っていくのが見えた。よかった、もう暁ちゃんが無理に戦うことはないだろう。
「──『金木犀』!」
まずは動けなくなっている間に認識を歪めておく。少しでも感覚がずれれば、それだけで大きな隙を生める筈だ。
「──ああ、音無。俺を封印するっていうのは、一体どういう意味なのかな」
彼は相変わらず音無だけしか見ていない。近づく僕に気付いているのかどうかすらわからない。ので、ここはひとつ僕を標的にでもしてもらおうか。そっちの方がやりやすくなる。
「意味なんて考える必要、あるかい!? さっき言われたことをもう忘れたのかな!」
「──あ?」
あえて激昂させる。あえて挑発しまくる。なるほど、暁ちゃんらしい、それでいて効率的なやり方だ。すぐに彼の目が僕を捉えた。捉えてくれた。音無を視界から外してくれた。……さて、もう一押しかな?
「『お前に会いたくもないし、顔もみたくない』。アンタなんかと一緒にはなりたくないってことさ!」
音無とお兄さんの関係を、音無の口からは聞いていない。だけど、音無はお兄さんを見るなり怯えてしまっていた。動けなくなってしまっていた。恐怖の対象として、実の兄を認識していた。
それだけでもう、十分に答えなんだと思う。
そして彼は、そんな音無を見て一言、『お似合いだ』と言った。更にこの音無への異常なまでの執着心。
少しでも心を入れ換えてもらわなきゃ、音無のそばになんて近寄らせらんないよね。
それに、僕たちをぶっ殺して音無と二人だけの世界を創るだって?
そんなの、許すわけがないだろう。
「『鎖ノ嵐』!」
「『菩提樹』!」
鎖を千切ろうとした彼を阻止する。鎖と蔓のような木がお兄さんを捕らえ、ギチギチに締め上げていく。こうやって動きを完全に封じて、それから──
「……ああ、誰かと思えばアンタ──」
時雨ちゃんが、囚我先生直伝の封印術を使ってお兄さんの力を一部でも封じる。その筈だったのに。
二人分の魔力でギチギチに縛られていたお兄さんはいとも簡単に鎖と蔓のような木を跳ね千切った。
そして、その目は尚も僕のことを捉えている。
「──音無を殺そうとしたクソ野郎、だったね」
「ッ!」
気付けばお兄さんは跳んでいて、僕に向かってすらりとした足を向けていた。その流れるような動作に、もしかしたら見とれてしまったのかもしれない。僕は蹴りを喰らう直前まで、何もすることができなかったし、何も気付くことが出来なかった。
だからこれはただの防衛本能が働いた結果なのだと思う。
回避することは不可能だと判断したらしい僕の脳だか身体だかは、蹴りが当たるであろう箇所を、咄嗟に腕を交差させてガードすることにした。結果、蹴りは腕がちょうど重なったところに当たったので、目論見通りだったと言えるだろう。
だけど、勿論そう簡単にはいかない。
蹴りの威力を殺すことはできない為、僕はそのまま吹っ飛び、気付けば仰向けに倒れていた。そして起き上がろうとした次の瞬間、全身を激痛が駆け巡った。
「っぐ、うぅ……!?」
痛みの原因はすぐに分かった。腕だ。
蹴りを受けた腕が、両方とも折れていた。
たった一度の蹴りを喰らっただけで、だ。
「……っは、ははは……」
意図せず口から乾いた笑いが零れてしまう。全く、本当に、とんでもない力だ。簡単に骨がポキポキ折れるような身体をしてるつもりは無かったんだけどな。
けど、折れてしまったものはもうどうしようもない。戦いが終わったあとでゆっくり小坂くんに治してもらおう。生憎、僕は痛みに強いんだ。
「『金木犀』」
幻術として使っているこの術、本来であれば自分への暗示として使うものだ。暗示でタガを外したり、わざと一定のものを見えなくしたり。勿論、痛みを感じなくさせることだってできる。
折れた両腕は適当な添え木と蔦で固定しとけば大丈夫。自分が植物の使い手でよかったとつくづく思うよ。
……よし、僕はまだ、戦える。
心の中で自分に言って、腕を使わずに立ち上がる。すると音無が僕の方を不安げに見ながらも、鎖やらトランプやらをお兄さんめがけて飛ばしまくっているのが見えた。うん、寝ている場合じゃないよね。
ぐ、と足に力を入れて、一気に解放する。そうして一瞬で加速した僕は、音無の放ったものを弾き続けるお兄さんめがけて弾丸のように突っ込んでいく。
「……俺ね」なのに、既にトップスピードに乗っているのに、お兄さんの声が耳元で囁いてくる。「音無に危害を加えようとした奴は、どんな理由があろうとも絶対に殺すって決めてるんだ」
優しい優しい、甘い声。
気付いたときにはもう、手遅れだった。
「『王ノ制裁』」
「あ」
何かが僕の身体を背中から貫いて、そのまま地面に突き刺さる。痛みを感じることのできない僕は、地面に縫い付けられて動けなくなっていた。
「は、葉折く──」
「来るな音無ィッ!!」
音無がどんな表情を浮かべているのか、僕が今、端から見てどうなっているのか、それは分からない。だけど、音無が僕のことを気にしている余裕がないのは明らかだ。
そう思って叫んだら、胃のあたりから何かが逆流して口から溢れた。赤い液体だった。
あー……これはちょっと、かなりまずいかな。
「これでやっと一匹かな。悪いけど、変に息があるまま放置しておいて復活されても嫌だから、どうしようもないくらいに君を殺しておくよ。精々、君の行いでも悔やんでいてよ」
魔王の囁きが降ってくる。それに対して僕は反応も抵抗もできない。だけど何も出来ないっていうのは癪だから、ほんの少しだけ一矢報いておこうかな……指一本、ピクリとも動かないけれども。
「ダメぇぇぇぇぇぇぇぇッ!」
突然、叫び声が響いた。この声は……気流子ちゃん?
声はそこそこ近いところから聞こえた気がする。お陰で耳がよく聞こえなくなった。全く……とんでもない声量だね。笑っちゃうよ。
「待ってて葉折ん……絶対、絶対に助けるから……!」
多分、気流子ちゃんはそんなことを言っていたのだと思う。残念ながら僕の耳は本当にバカになってしまっていて、水の中に入っているのかと思うくらいには音が拾えなくなっていた。
元々首を動かせないから関係無いけれど、視界も悪くてよく見えない。
ただ、最後に赤いプラスチックのようなものの欠片が目の前に落ちてきたのは見えたと思った。




